巻き風誕生
こーちゃんは、お風呂でどれくらい身体を洗っている?
銭湯とかに浸かるときは、公共の湯を相手取ることもあって、入念に洗うのはむしろ礼儀のうちだろう。
けれども、自分しか世話にならない浴室で、どれだけ洗体に時間をかける?
大事なところ、気にしているところのみ、ささっと洗うか。あるいは水洗いのみでざっと済ませて、入浴タイムへうつってしまうか。
人の目を気にしないとなれば、趣味嗜好の独壇場。他人にドン引きされかねないことも、ここぞとばかりに発揮できるからねえ。いまここで追及をするつもりはないよ。
ただ、癖はその本人へ、楽に積み重ねをさせる。
チリも積もればなんとやら。ややもすれば苦しくも思う積み重ねこそが血肉になるように思えるが、それが楽に重ねられてしまうことならば、人は事態を重く見ない。
そうしてようやく結果が出て、ハッとする時には大きなダメージ。悔いだけ残る後夜祭さ。僕たちは知らぬ間に被害を広げているのかも。
僕の以前の体験なのだけど、聞いてみないかい?
外から帰ってきたときの服、君はどうしている? ちゃんと部屋着に着替える派かい?
以前の僕は、着たきり雀派でね。内から外へ出るのも、外から内へ戻るのも同じ格好のまんまさ。
室内で脱ぐべき、上着を介したわけでもない。手こそ洗うし、泥汚れとかの目立つものがあれば注意こそ払うけれど、そうでなければ、まんまで臨む。
外気をたっぷり孕んだまま、ソファに座り、タンスにかすり、畳に寝転ぶ。
スーツから普段着に着替える父親の姿とは対照的に、僕は一日の終わり際に風呂へ入るまで、ずっと同じ服のままで過ごすのが習慣になっていたんだ。
家族も特に突っ込んではこないし、問題ないものとして染みついたスタイルは、物心ついてからずっと続いていたんだよ。
そうして、小学校の6年生のとき。
その日は朝から横殴りの風が吹き寄せて、学校でもみんなへの注意が促されるほどの荒れた天気だった。
雨もないのに、外での体育が禁じられるなど、僕にとってははじめての経験でね。少し驚いたよ。
屋内にとどまるにしても、人の多い校舎内。いつまでも閉め切っていては息苦しい。
ときおり窓が細く開けられるも、そこを狙って吹き込んでくる風が、カーテンや僕たちの服を遠慮なくはためかせてきたんだよねえ。
そうして外気に触れる際、しばしば服が汚れてしまうのに僕たちは気づいた。
風へ真っ先に当たった肌や袖口などへ、ほのかに金粉が張り付いているんだ。光の当たり具合によって、目もくらんでしまうほどのきらめきを放つような、粒たちがね。
鱗粉のたぐいなら、蛾とかに触れたときに指へくっついたのを見たことはある。
けれども、それがこうも風に乗って大量に。しかも時間を置いての吹き込みだったとしても衰えを見せないなんて、どうにもおかしな事態としか思えなかった。
僕自身も、色の変化著しい部分は、濡らしたハンカチなどで拭っていったんだよ。
しかし、本当の問題は下校途中で起こった。
ひと気も少なくなってきた、通学路の途中で、僕は不意に風に巻かれたんだ。
正面から吹き寄せたと思いきや、ゆるやかに時計回りするように、順番で四方から僕の身体へ迫ってくる。
どちらへ向こうとも、向かい風はたちまち横風、追い風と立場を変えていった。結局は、吹き付けるのを嫌がるように、腕を盾のごとく構えながら、歩いていくよりなかったよ。
ガードの下から見る胸元は、昼間からずっと見続けていたのと同じ、金色の粉をそこかしこに引っ付けている。まず間違いなく、この風こそが運び手だ。
――いったいどれだけの蛾が……いや、どいつが仕込んでいることなんだ?
あいにく、今いる道はだだっ広いあぜ道で、身を隠せそうな場所も手近にはない。
あえて風を受け続ける僕に、次なる変化が訪れる。
変わらない巻き風の中で、胸に受けていた金色の粒が、少しずつ緑色に変わっていくのさ。
光の加減などではない。いくら目を凝らしても、身体の向きをあえて変えてみせても、もはや先ほどの金色は確かめようがなくなっていた。
もしやと、いまだ止まない風のなか、盾代わりの腕をそうっと下げて表面をのぞいてみる。
こちらも同じだった。手首からひじにかけて、ところどころにアザか水たまりのように、不揃いで粉がくっついている箇所がある。
そのいずれも、多量の緑とわずかな金が付着。さらには風に吹きつけられるうち、金はどんどん緑へ塗りつぶされていってしまうんだ。
はがれているんじゃない。上塗りか、あるいは新たに混ぜ合わされて、色が変わっていくんだよ。
いずれにせよ、長引いて得になりそうな気配はない。けれども、家まではもうしばし歩かなくてはいけない。
風はなおも止む気配はなかったが、ことここに至っては、これが風であるかも怪しく思っていたよ。
なにせ、数十メートル先に見る、小さな商店の店先に立っているのぼり。それらがいずこの方向にもなびかず、不動の構えを見せているんだからね。こうして僕が暴風にさらされているにもかかわらず。
超局所的な風。しかも歩く僕へしつこく追いすがるような、ストーカー気質の持ち主と来ている。形さえしっかりしていれば、通報のひとつもしてやれるのに。
僕の胸や腕にへばりつく粉は、すでに緑を越えて濃い黒をたたえ始めていた。
先の金から緑への変化と同じだ。風を受けるたびに色合いはどんどん強まっていく。
――混ぜ合わせているんだ。
変化を目の当たりにしながら、僕は察する。
最初の金は布石や土台。そこから緑を重ね、上から黒をかぶせて、風のもくろみは段階を踏んでいるように思えたんだ。
一度、思い切って腕をズボンへこすりつけもした。この粉らしきものが、剥がれ落ちないものかと。
けれども、できなかった。同じような色に汚れつつあるズボン、そのかろうじて直撃を避けている無事な箇所は、腕からの移住を認めてくれず。両者とも、もとの色と形をたたえるばかりとなってしまう。
この身一つで、打てる手は多くない。家までもうじきでもあるから、そこで一番に風呂へ入って検討しよう。
そう思った矢先。
再びピーカブースタイルで盾代わりにしていた腕から、にわかにアリの這いまわるような感触が走り出す。
何が起こったかは、じかに腕を見るまでもない。見下ろす視界の先、すっかり黒ずんだ胸元で起こるのと、同じような目に遭っているだろうからだ。
黒々と広がる粉たちの間から、飛び出すように現れた、タンポポの綿毛を思わす頭部。甲虫を思わせる胴体が、ぬるりと外へ這い出る。
そのいずれでもないのは、ともなって出た無数の細かい足が物語ってくれる。
数え切ることはできなかった。ダンゴムシが内側に持つ足を、更に密にしたかのようで、筆かブラシのような多さ、細かさでもって、それらは僕の胸越しに肌をかさこそと叩いていく。
そいつ全体は握りこぶしほどの大きさで、何歩か服の上を這いずるや、セミのような形をした――けれども、色は黒々としたままの――羽を広げて飛び去って行ってしまったんだ。
一カ所だけでない。ズボンからも足からも腕からも背中からも、そして頬からも。
飛び立ったそいつらの数は10匹以上で、その速さたるや、たちまち自分たちをかなたの景色に同化させていくほどだったんだ。
気づいたときには、あの黒たちはほとんど姿を消している。
多少のしみらしきものはあったけれど、帰宅してからの水洗いにあっけなく白旗をあげるあっけなさだ。もう用を果たした、抜け殻のようなものなのだろう。
生き物の中には、出来上がった卵に精子をかける種もあると聞く。
あの体験は、僕の身体を床にして、種を存続させんとするあいつらの営みの一部だったのかもしれない。




