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砂漠の月  作者: ちあき
第六章 放たれたカナリア
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血の演説と修羅場

リョウは大勢集まる人の気配ときつい刺激臭により目を覚ました。


「リョウ、しっかりしろ」


懸命に呼びかけているのはキイラギだ。

その隣に気付薬の入った小瓶を握るクオリカがいる。

鼻をつく臭いはこれのようだ。


「リョウさん…」

「おれ…また倒れたの…?」


明るくなった空が夜明けを知らせている。

リョウが体を起こすと、キイラギがその肩を支えた。

天幕の外では割れんばかりの雄叫びと大司教の声が響いていた。

儀式はもう始まっているのだ。

見下ろせばいつの間にか自分も着替えとメイクを済まされている。


「そっか…祝福の言葉だ。おれ、せっかくキイラギが作ってくれた原稿の内容半分しか覚えてないや…」

「そんなものはどうでもいい。リョウ、皆はお前の姿さえ見られれば満足するはずだ。お前はどう見ても限界だ。長々と祝福の言葉を述べる必要はない」

「でも…ぐっ…」


リョウは口元を押さえてうつ伏せた。


「リョウ!!」

「リョウさん!!」


真っ青な顔に震える体。

キイラギがまたひっくり返りそうなリョウを支えていると、大司教の声が一際大きく聞こえてきた。


「それでは最後に我らが勝利の女神、シエル様から祝福の言葉を頂きます。皆、静粛に!!」


天幕の入り口がさっと開く。

リョウはキイラギの手を離れると大きく深呼吸をした。


「リョウ…」

「大丈夫。行くよ…」


これが最後のシエルだ。

一度閉じたリョウの瞳は、次に開いた時にはいつものように落ち着き払っていた。

ややふらつきながらもしゃんと背を伸ばし一人で歩き出す。

リョウの底知れぬ根性に、クオリカだけでなくキイラギまでも息を飲んだ。

満を持して現れたシエルに、兵たちは歓喜に沸いた。


「シエル様!!」

「シエル様!!」


大歓声が朝の空を震わせる。

リョウは壇上に立つと皆を見回した。

目の前には何千もの兵が整然と隊列を組み、その周りには大聖堂の信者や女たち、関係者や子どもたち、そして見送りに来た沢山の人々がいた。

リョウは慈愛深い微笑みを浮かべるとゆっくりと話し始めた。


「サンクラシクス軍の兵たちよ。何も恐れることはありません。あなた方は敵の侵害からこの美しいウォーター・シストを守るという使命を天から下されました。わたくしは大地の神の御加護を、祝福の言霊を、勇気ある騎士に送りましょう」


出足は順調な滑り出しだ。

リョウは抑揚を抑えながら、途中までは淡々と祝福の言葉を口にした。

だが終盤に近づくにつれ体がふらつき意識が霞みだした。

何とかそれに耐えていたが、あと少しというところで雲に隠れていた眩しい朝日がリョウを直撃した。

小気味よく響いていた声はぴたりと止まった。


「リョウ…?」


近くで見ていたセオも、見送りの人に紛れて見守っていたハイトラとバンビも思わず身を乗り出した。

膝をつき祝福を受けていた信者たちは不審に思い一人、また一人と顔を上げた。


「シエル様?」


リョウの焦点は、完全におかしかった。

身体中から冷や汗が流れ落ち、呼吸が乱れ始めたかと思うと、次の瞬間今までとは比べものにならない量の血を盛大に吐き出した。


「リョウ!!」


キイラギは天幕から飛び出し、膝から崩れ落ちたリョウを抱きとめた。


「き、きゃああぁぁ!!シエル様!!」

「シエル様!!」


真っ白な服に鮮やかな赤が広がってゆく。

辺りはどよめきと悲鳴に包まれた。


「リョウ…!!」


セオは飛び出そうとしたがすぐにその体を見張りに取り押さえられた。


「どいてくれ!!離せ!!」

「セオ様、いけません!!」


人を掻き分けたくても両手を戒める縄が邪魔だ。

そうこうしている間に、怒りに顔を真っ赤に染めたセガンがリョウに駆け寄った。


「し、シエル様!!なんと情けない姿ですか!!キイラギ、シエル様を立たせなさい!!最後まで義務を果たさせるのです!!」

「なんだと!?まだこいつにそこまで求めるのか!!本気でこいつを殺す気か!!」

「ここを乗り切れさえすれば後はどうなろうとも構うものか!!」


完全に頭に血が上っていたセガンはつい本音が口をついた。

だがここはまだ皆の注目を集める壇上だ。

しかもその声は拡声器がしっかり拾い、集まった人々に丸聞こえになった。

騒めきは一斉に静寂へと変わった。


「あ…、いや、違う…」


セガンは我にかえると蒼白になった。

自分に向けられていたのは殆どが驚愕や不信、そして失望の眼差し。

急いで取り繕うとしたが、その前に少年の声が大衆の間から響いた。


「冗談じゃない…冗談じゃないぞ!!あいつはリョウを使い殺す気だ!!リョウは今までずっと脅されながらもシエル様をちゃんと演じていたのに!!」

「そうだよ!!リョウはずっとみんなの為に我慢して、我慢して我慢して頑張っていたんだぞ!!」

「そうよそうよ!!大人は勝手だわ!!」

「リョウがどんな思いで頑張っていたのか!!みんな知らないのよ!!」


怒りの声をあげたのは、リョウと同じ学び舎にいた子ども達だった。

主にラドとスミレを中心に子どもたちは周りに一斉に訴えた。


「なぁ!!みんなは本当に突然現れたあいつをシエル様だと信じているのか!?大人たちは信じたいものをただ信じてるだけなんだろう!?」

「リョウはもう充分私達に力をくれたわ!!それなのにリョウが死ぬまで使いきって捨てるなんてあんまりよ!!」


その叫びはリョウの正体を知りながらも沈黙を守っていた人々に徐々に火を付けた。


「そ、そうだわ。シエル様は私たちのために健気にもずっと演じてくれていたのよ!!」

「シエル様が大人しくその役割をしてくれているからって、やっぱり私たちが見て見ぬ振りをしてはいけなかったのよ!!」

「大体そいつは坊主だぜ!!いくら体が小さいからってシエル様の真似事をさせるのは酷な話じゃねぇか!!」


台所女や庭師、外から来た教師に掃除夫まで、様々な人々が声を上げ始める。

それは噂を聞き、密かに教会へ不信感を持っていた者やリョウを案じていた者たちにも戦火の如く広がった。

そうなると黙っていられなくなったのが熱狂的な信者たちだった。


「黙れ貴様ら!!何を根拠にそんなデタラメを!!」

「そうよ!!シエル様はずっと私たちの理想のシエル様だったわ!!」

「あれが偽者だと!?そんな馬鹿なことがあるか!!」

「信じられん!!なんて不吉なことを!!」

「こ、これは今から戦に行く我々に対する冒涜だ!!」


民間人だけでなく兵の間でも半狂乱になって叫び出す者が現れる。

こうなるともう士気を高めるどころではない。

誰もがぐちゃぐちゃに入り乱れ、己の主張を叫びに叫びだした。


「皆、し、静まれ!!静まらぬか!!」


各隊長がどれだけ諌めても事態は大修羅場へと加速していく。

天と地をひっくり返したようなこの大混乱は、奇しくもリョウが引き起こそうとした事態そのものだった。


「こいつを避難させる。どけ!!」


キイラギはリョウを抱え上げたまま天幕へ滑り込んだ。

このままじゃ逆上した信者に血祭りにあげられても不思議ではない。

だが騒ぎはここで収まらなかった。

最悪なことに、森の中から盛大な鬨の声が聞こえてきたのだ。

サンクラシクス軍に新たな動揺が走った。


「し、新都軍!!」

「なんだと!?何の宣戦布告もなしに仕掛けてきたというのか!?」

「速い…!!これは奇襲だぞ!!」


森から大量の傭兵が姿を現す。

民間人は悲鳴をあげ、転がるように逃げだした。

連隊長は真っ青になりながらも大喝を飛ばした。


「ぜ、全軍迎え撃て!!敵は恐るるに足らん!!」


サンクラシクス軍はなんとか体制を立て直し応戦しようとしたが、あの混乱からすぐに立ち直るはずもない。

新都軍の数は予想した通りお粗末なものだったが、最悪な状態で横っ面を叩かれたサンクラシクス軍は辛くもしばらくは防戦へと回った。

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