アイト
砂漠の最南部は岩石が多く広大な樹海と隣接している。
それまで乾いた砂ばかりの土地だというのに、一歩森へ踏み入れればその緑は嘘のように瑞々しい。
その境目から砂漠側に数キロ離れた場所に、壁に砂を塗り付け砂漠に擬態した建物があった。
「おい、開けてくれ!!俺だ!!ベルだ!!」
偵察から帰ってきた小型バギーが一台、その建物の入り口で止まった。
見張りは運転席の男を確認すると扉を開いた。
「お疲れ様です、ベルさん。アイトさんと二人で戻り次第至急司令室へ来るようにとボスが言っていました」
「あいよ」
黒髪をびっちりとオールバックにしたいかつい男が軽く返事をする。
隣の助手席では、青年が厳しい顔で慌ただしく人が行き交う基地内を見回した。
「どうやら開戦は避けられないようだな」
「ああ。しっかしついてないぜ。厄介な時に砂嵐が来てくれるもんだ。このままじゃ直撃だってのに新都軍も諦めろよな」
「手ぶらでとんぼ返りは出来ないのだろう。ここまで来たという事は、本気でこの基地を探しだすつもりかもしれない」
「…アイト、お前はどうするよ」
ベルより十は年下の青年は、年齢を凌駕する意志の強い瞳で前を見据えた。
「必要があれば僕も最前線で指揮をとる」
「相手は正規軍だろ?お前の顔を知る奴がいるかもしれんぞ」
「…ああ、分かってる」
「ま、ゼンの意向次第だな。とりあえず司令室へ急ぐか」
バギーを専用駐車場へ止めると、二人は足早に廊下を歩いた。
司令室の中に入ると、まず目につくのは天井まで伸びた巨大なスクリーンだ。
いくつもの角度から映る砂漠や基地内が、休む間も無く次々と映像を映し出している。
同じ種類の装備を着込んだ男たちはそのスクリーンを見上げては、迫り来る砂嵐と新都軍に唸っていた。
「おう。ベル、アイト、帰ったか」
獅子のたてがみのような赤毛の男が大股で近付いてきた。
堂々とした風格であるこの男がルナハクト南部基地のボス、ゼンだ。
「新都軍が前進を再開した。ご苦労なことにこんな天候でもせっせと俺たちを探しているみたいだ。こうなりゃ砂嵐が来る前にこちらから仕掛けるぞ」
「白塵刀は?」
「全員に持たせてある。前半だけでも使えりゃいいんだがな」
勇むゼンの後ろから低い濁声が割って入った。
「新都人もこりねぇもんじゃ。百年前に砂漠に出た軍を一度全滅させられとるっていうのに」
「ライコオ、戻ってたのか」
「今戻った。これ以上探しても他に砂漠の民らしき奴なんて見つからん」
片目が傷跡で塞がれた丸坊主の男は、ゼンの隣に並ぶとアイトを見下ろした。
「で?あの二人はそろそろ懐いてきたんか、アイト」
「いや。それどころかここへ来てからは水以外一切口にしようとしない」
「おいおい、せっかく取っ捕まえたのに死なすんじゃねぇぞ」
「僕はこれ以上セリー達を閉じ込めておくのはあまり良い策だとは思えない」
ライコオは無精髭の生えた口の端をつり上げた。
「おーおー、やっぱりお前もあの危険な極上美女にほだされたんか。随分の男が世話係は無理だと上司に泣きついたと聞いたぞ?」
「そんなんじゃないさ。あの二人が何も食べようとしないのは精神的なものとか、意地になっているとかではないと思ってね」
アイトはセリーと向き合って感じた疑問を口にした。
「あの二人は、本当に砂漠の民…いや、人間なのだろうか」
「何だと?」
ゼンは考え込むアイトの肩に手をのせた。
「どちらにしても砂漠の民である可能性がある以上逃すわけにはいかないさ。百年前、何万といる新都軍が砂へと沈んだのは流砂のせいなんかじゃない。あれは、砂漠の民の仕業だ」
「…」
「しかもその時確認された砂漠の民はたった三人。信じられるか?三人で何万もの兵を砂の中へ沈めちまったんだぜ。どこまでが本当かは知らんが、まだそんな一族の生き残りがいるというのならやはり野放しにはできん」
ゼンが一番危惧しているのは、新都が砂漠の民の真価に気付いてしまうことだ。
たった一人でも捕らえられれば、あの莫大な力を知られてしまう。
そんなことになればもう誰にも新都を止めることは出来なくなるだろう。
「…そこで、だ。アイト、お前に別の任務を与える」
「別の任務?」
「お前とカズラで二人の砂漠の民を連れ出しウォーター・シストへ避難してほしい」
ボスの唐突な言葉にアイトはすぐに反発をした。
「ゼン、僕は相手が新都軍でも戦える」
「んなこたぁ分かってる。だがな、砂漠は俺たちでも守れるが砂漠の民はお前以外に任せられん」
「どういう意味ですか?」
「お前にはこの機会に是非砂漠の民と仲を深めておいて貰いたいのさ」
「彼女達を味方にしろと?」
「その通りだ」
アイトは複雑そうに顔をしかめた。
「今の時点で彼女の敵は僕だ。弱らせておいて手を差し伸べても心を開くことは難しいはずだ」
「だからお前に任せるんだよ。他の者には逆立ちしても無理だろうが、お前なら話は別だ」
何の確信なのか全く分からなかったが、ゼンはさっさと話を進めた。
「カズラにはもう旅の支度を言い渡している。お前も今すぐに用意をして出発するんだ。おい、ライコオ!」
「あん?」
「新都軍制圧の配置を全体に指示しに行く。お前も手伝え。パーティの始まりだ」
「はいよ。じゃあな、アイト。しっかりやれよ」
ライコオはふんと鼻を鳴らすとボスを追い司令室を出て行った。
黙って聞いていたベルは鼻の頭をかいた。
「ま、ゼンの意もくんでやれよ。何だかんだ言ってもあいつはお前を新都人に近付けて奪い返されたくはないのさ」
「…」
「それにあの二人の相手をするのは俺もお前が適任だと思うぜ?」
アイトはしばらく黙ってスクリーンを見上げていたが、やがて苦いため息をこぼした。
「…分かった。これ以上何を言っても聞き入れてくれなさそうだしな」
気持ちを切り替えたのか、その顔にはいつもの穏やかな笑みが浮かんでいる。
「基地を、みんなを頼む」
「ああ。お前も気をつけて行けよ」
年上の戦友に頷くとアイトは颯爽と司令室を出て行った。
ーーーーーーーーー
一足先にシュルナーゼの元へ向かったカズラは困りきっていた。
相変わらず鬼のような大男を目にしただけでシュルナーゼは気を失いそうだった。
「今日も飯食わなかったのか」
問いかけただけなのに少女はもはや真っ白になりながら震えている。
カズラはバリバリと固い髭を撫でた。
「ったく、どうすればいいんだ。こんなので森を越えられるのか?」
「も、森…?」
「ああ。お前とお前のツレを連れて森の向こうへ渡る事になった」
シュルナーゼは恐る恐る小さな声で言った。
「森の向こうってもしかして、ウォーター・シスト…?」
「知ってるのか?」
大男は意外そうに少女を見下ろした。
睨んだわけではないが、目が合っただけでシュルナーゼはまた意識が飛びそうになった。
「今更だが、お前名前は?」
「え…」
「お前にも名前くらいあんだろ?」
「し、し、シュルナーゼ…」
「んん?長いな」
「ごめんなさい…」
シュルナーゼの瞳にみるみる涙がたまる。
男は少女の柔らかい髪がうねる頭をわしりと撫でた。
「泣くなっ。シュル…、えー、シィでいいか。俺はカズラ。これからしばらくお前とずっといることになった。めそめそしてんじゃねぇぞ」
カズラはできるだけ優しく言ったつもりだったが、撫でていた手をどけるとシュルナーゼはぱたりと床に倒れた。
今度こそ本当に気絶したらしい。
「シィ!?おい、シィ!!」
焦って呼びかけていると後ろの扉が開いた。
「カズラ、どうした?」
「アイト!!シィが急に倒れた!!」
アイトはカズラの抱える少女に近寄ると脈と呼吸を調べた。
「気絶してるだけか。何か脅しでもしたのか?」
「バカ言え!!自己紹介しただけだぞ!?」
「お前は見た目がすでに凶器だからな」
アイトは水と簡単な食料を入れた袋をカズラにも放って寄越した。
「出来れば話をしてから行きたかったが仕方がない。このまま連れて行こう」
「そうだな。そっちの別嬪さんはどうだ?」
「さっき僕から状況を話しておいた。砂漠から離れることに抵抗があるみたいだったが、ここは危険だからと何とか説得したよ」
説得、という言葉に自嘲気味なものが混じる。
シュルナーゼを連れて行くと言われれば、彼女が承諾せざるを得ないことは分かっていたからだ。
「…やっぱり、恨まれることしかしてないな」
「あん?」
「いや、何でもない。僕はセリーを連れてくるから砂漠の外で落ち合おう」
「分かった」
アイトが出て行くとカズラはシュルナーゼを出来るだけそっと抱え上げて部屋を出た。
基地の裏側から砂漠へ出ると途端に風に煽られる。
既にこの辺りも砂嵐の影響が出ているようだ。
「くそっ。急ぐか」
カズラはゴーグルをかけシュルナーゼを大きな布でくるりと巻くと森へ向けて歩き出した。
森の入り口に辿り着くと、そこでアイトが待っていた。
「カズラ、こっちだ」
「ああ。砂漠の民は?」
「ここにいる」
アイトは入り口から少し森の中へ踏み込んだ。
カズラはその先で待っている人に気付くと思わず息を飲んだ。
遠目には一度見たことがあるが、目の前に立つセリーは人とは思えぬ美しさだった。
腰まで流れるシルバーブロンドの髪は絹のように柔らかく光り、白い滑らかな肌は触れれば吸い付きそうな程きめ細かい。
薔薇のように赤い唇もしっとりと長い睫毛も、何もかもが神が最高傑作として作り上げたもののようだった。
「彼女がセリーだ。セリー、こっちはカズラ。この道中シュルナーゼを守る為に同行してもらうことになった」
「守るですって?」
セリーは冷たい目でカズラを見上げた。
その艶かしい瞳にカズラの全身の毛が逆立った。
「勘違いも甚だしいわ。私たちは砂漠へ返してさえくれれば危険なんて何もないのよ」
しっとりとした声も撫でていくように体に触る。
彼女の世話などとても無理だと何人もリタイアしたと聞いたが、カズラは初めてその意味を理解した。
だがアイトは基地で見るのと全く同じ様に普通にセリーと向き合った。
「すまないが、今は出来ない事情があるんだ。こう言っても信じられないだろうが、僕は君たちを本気で守りたいと思っている。新都が落ち着けば必ず君たちを砂漠へ返すとも約束する。だからそれまでは、どうか僕にその身を預けてもらえないだろうか」
真摯に訴えるが、セリーは気を失ったままのシュルナーゼを見つめると悩ましげな吐息をこぼしただけだった。
森に作られた道などなかったが、自然と踏み固められた跡がある。
その道無き道を進んでいるとカズラの腕の中でシュルナーゼが身じろぎをした。
「う…うぅん…」
シュルナーゼは目覚めた途端、目の前に迫るカズラを見てまた気を失いそうになった。
「おい待てシィ!!お前俺を見る度に気絶するつもりか!?」
「シュルナーゼ」
カズラの隣からセリーが声をかけると、シュルナーゼはぱちりと覚醒した。
「セリー!?」
「シュルナーゼ。無事でよかったわ」
シュルナーゼはカズラの腕から逃れるとセリー目掛けて飛び降りた。
少女を抱きとめると、セリーは労わるように抱きしめ返した。
「セリー、セリー!!こわかった…。こわかったよぅ…」
シュルナーゼはしくしくと泣いたが、周りの気配に気づくとハッとした。
「森…」
アイトは怯える少女に優しく笑いかけた。
「そんなに怖がらなくていいよシュルナーゼ。僕はアイト。今は君たちを安全な所まで連れて行く途中なんだ」
「安全な…?」
「ああ。砂漠では今、新都軍が攻めてきている。セリーとシュルナーゼに万一のことがないように、争いが終わるまで少しの間森の向こうへ避難するんだ」
アイトの落ち着いた笑顔と話し方はシュルナーゼを少しだけ安心させた。
「セリー…」
見上げるとセリーは困ったように首を横に振った。
今はどうしようもないということだ。
アイトはセリーとシュルナーゼを順に見ると森の奥を指差した。
「この暗い森は夜の砂漠と同じくらい危険だ。迷えば二度と出られない。絶対に僕からは離れないでくれ。カズラ、後ろを頼む」
「おう」
シュルナーゼはカズラの声にびくりと肩を揺らすと再び涙目になりセリーにしがみついた。
「…俺は、怪物かっ」
カズラはかなり不服な呟きをこぼしながら三人の後に続いて歩いた。




