恐怖の長男レオ
セリーは砂漠から舗装された道に一歩踏み入れるとゆっくり街を見回した。
人の足で地面を踏む事など一体どれくらいぶりだろうか。
遥か遠い記憶を辿っていると、そっとしまいこんでいた人の面影が浮かぶ。
自然と微笑みがこぼれたが、すぐに気持ちを切り替え歩き出した。
夜を迎えようとする街をしなやかに歩くその姿は、光の時とはまた違う独特の麗しさに満ちていた。
陶器のように白い肌は滑らかで、しっとりとした目元は一目見ただけで心奪われるほど艶麗だ。
腰まで流れるシルバーブロンドの髪は星を散りばめたように輝き、道行く男たちは漏れなくその美貌に魅了され足を止めては振り返った。
「これが、新都…」
セリーは賑やかな街に眩しそうに目を細めた。
長い間外から眺めてはいたが、こうして内側から見るのは初めてだ。
出来るだけ街頭の多い道を通っていると、いかにも容姿自慢な男が一人近付いてきた。
「見慣れない人だね。この辺りは初めてかい?」
男は陽気に話しかけたが、セリーの圧倒的な美を間近で見ると息を飲んだ。
「あ、いや、その…。こ、ここは見ての通り砂漠に一番近いだろ?ヒガ一族の管轄は八都の中でもあまり治安が良くないんだ。日も暮れるこんな時間に一人で外に出たら危ないよ」
「ヒガ一族…」
男は尻込みしながら言ったが、セリーが反応したのでほっとして続けた。
「そう。あそこの高台に巨大な敷地と屋敷が見えるだろ?あれがヒガ一族の本邸さ。一等地はどこもかしこも綺麗に整備されていて見応えはあるけど、観光なら明るい時間がいい。今からの時間なら…そうだ、あの辺りで一緒に飲まないか?砂漠の面白い話ならいくらでもあるぜ」
セリーを誘い伸ばされたの男の手は虚しく空を掴んだ。
とっくに歩き出していたセリーは、一等地を見上げながら別の事を考えていた。
過酷な砂漠に逃げても兵に連れ戻されたリョウ。
もしリョウがただの一般家庭の子どもなら…いや、それなりに高官な親だとしても普通はそこまでされないはずだ。
「リョウ…。あの子まさか…」
セリーは何とかシュルナーゼの気配だけでも感じ取れないかと意識を集中させながら暗くなる街を探し回った。
ーーーーーーーーーー
すっかり日も落ちた暗闇の中、リョウはとぼとぼと帰宅していた。
学校から出てすぐに男二人が一定の距離でついて来る。
少しでも逃げ出すそぶりを見せればすぐさま捕まえる為だろう。
「セオ…」
もしかして助けに来てくれるのではと、何度も真っ暗な砂漠を見てしまう。
そんなわけないことは、分かっているのだけれど…。
「リョウ、リョウ…」
「え…。シュルナーゼ!?どこ!?」
「ここだよ」
リョウのポケットが赤く光った。
結晶石を取り出すと、透明だったはずの石が淡い赤に光っている。
「シュルナーゼ、中にいたの?」
「うん。砂漠以外では実体化するか、この宿り石にいないと存在出来ないの」
リョウは石を祈るように握りしめた。
「…消えちゃったかと思ったよ」
さわりと髪が揺れたので目を開くと、自分がぼんやりと光り始めていることに気付いた。
「あっ…まずい!!ここではまずい!!」
リョウは慌てて明るい電灯の下に走った。
暗闇よりこっちのほうが蒼く光っても目立たないはずだ。
リョウはちらちらと後ろを気にしながら体を取り巻く光が消えたのを確認すると、石にそっと話しかけた。
「シュルナーゼ、出来るなら今すぐここから離れて。屋敷まで付いてきちゃったら大変なことに…」
「リョウ!!お前こんな遅くまでどこほっつき歩いてやがる!!」
突然間近で怒声がすると物凄い力で胸ぐらを掴まれた。
自分を待ち受け吊り上げたのが誰か分かると、リョウは一瞬で青くなった。
「れ…レオ兄様!?ど、ど、ど、どうして本邸なんかに!?」
「決まってるだろう。お前に話があるからだ!!この俺を待たせたんだから覚悟はあるな!?」
リョウは顔を思い切り引きつらせた。
よりによって自分を尋問する為に選ばれたのは、リョウが誰よりも恐れる長兄レオのようだ。
リョウには兄が四人いる。
一人はアイト、そしてその上にリョウを視界に入れようともしない二人の兄。
そしてこの長兄レオだ。
レオには昔からこれでもかというくらい虐められてきた。
十歳も年上の兄にかなうはずもなく、気まぐれに、気が済むまで、あるいはアイトが間に入るまでいつも嬲られていた。
見上げるほど体が大きいこの男は在学中も絶大な権力を誇った。
周りはレオを恐れ、誰もが従った。
その名残のせいで今だにリョウは周りから避けられ続けているのだ。
リョウは物のように引きずられても一切抵抗することすら出来ずに固まっていた。
ただ一つ気がかりなのはシュルナーゼのことだ。
どうか石に気付かれませんようにと祈りながら、処刑台に登る気持ちで屋敷の門をくぐった。
レオは一切の時間を無駄にする気はないようだった。
リョウを自室に放り込むと、いきなり核心に迫る質問を浴びせてきた。
「お前、砂漠でしばらく行方をくらませていたらしいな」
「えっ…」
「こうして生きてるってことは、誰かに囲ってもらっていたのだろう?一体何処で、誰と、何をしていた」
「そ、そんなことどうして知りたいの?」
質問返しは短気なレオにはタブーだ。
分かってはいるが今はなんとか少しでも質問の答えをそらすしかない。
レオは案の定怒りの表情を見せた。
「聞いてるのは俺だぜリョウ。もっと率直に聞こうか。お前は、ルナハクトの元にいたんじゃないのか?」
「ルナ…ハクト??」
全く思ってもみない事を言われ、リョウは本気で聞き返した。
だが苛ついたレオはリョウのとぼけた横っ面を容赦なく平手で打った。
「聞こえなかったのか?ルナハクトは砂漠に踏み出す者を片っ端から襲う集団だろうが」
「ま、待ってよ!!おれにはレオ兄様の言うことが全く分からないよ!!うっ…」
レオは懸命に訴えるリョウに今度は蹴りを入れた。
小柄な体が吹っ飛び、音を立てて床に倒れる。
「それが通じるとでも?違うというのなら、他に何処にいたのか今すぐ説明してみろっ」
「そ、それは…」
リョウは小さく丸まり黙り込んだ。
何も言えないでいると、レオは残虐な目で見下ろしてきた。
「ほぉ。お前、この俺に対して反抗するつもりか」
棚に手を伸ばすとダーツの矢を幾つも取り出す。
これはレオお得意のお仕置き方法だ。
「お前ごときに何時間も潰す気はない。今日は足からではなくその顔からマトにしてやろう」
リョウの体は一気に強張った。
三年前は最後の矢が右目の真下に刺さって危うく失明しかけたのだ。
「レオ兄様…!!」
「今すぐ洗いざらい吐けよリョウ。今度こそその眼球に突き刺さるぜ」
レオは足で蹴り転がすとリョウを無理矢理仰向けにさせた。
左右の足で細いリョウの両腕を固定すると、矢を構える。
「五秒しか待たないからな。いーち…」
リョウは硬く目を閉じると顔を横に反らせた。
大丈夫。
セオたちのことは死んでも口にしない。
「にーぃ。さーん…」
リョウは必死で叫び出したいのを堪えていた。
体は恐怖で震えが止まらない。
「しーぃ…」
歯を食いしばりながらその時を待ったが、我慢出来なかったのは、リョウではなかった。
突然目を覆うほどの眩しい赤い光が部屋中にほとばしった。
「な、なんだ!!?」
目が眩んだレオが浮き足立つと、真横からドンと何かがぶつかった。
大した打撃ではなかったが、急なことにレオは僅かによろめいた。
「リョウ!!立って!!」
リョウを引っ張り起こそうとしていたのはシュルナーゼだった。
「リョウ!!貴様ぁ!!」
リョウは身の危険を感じると大急ぎで立ち上がった。
震える体に喝を入れ、シュルナーゼと一緒に部屋を飛び出した。
「シュルナーゼ、で、出てきちゃダメじゃないか!!」
「だって…。だってだって…あんなのひどい…!!」
目一杯勇気を振り絞ったのだろう。
シュルナーゼは瞳にうるうると涙を溜めながらリョウに負けないくらい震えている。
「とにかく逃げよう!!」
今捕まれば恐ろしい尋問の続きだけでなく、間違いなくシュルナーゼを取り上げられる。
その前に何としても砂漠に逃さなければならなかった。
「シュルナーゼ、石の中に隠れてて!!」
「でもっ…!!」
「大丈夫!!一人の方が逃げやすいから!!」
リョウが力強く頷くと、少女はくるりと小さな赤い光となり石の中に消えた。
リョウは辿り着いた螺旋階段の手すりにひょいと登ると三階から一階まで一気に滑り降りた。
「おい!!誰かそいつを捕まえろ!!リョウのヤローが逃げ出した!!!」
上からレオの怒声が走り、何事かと幾つかの扉が開かれた。
「まずいっ…まずいまずいぞぉ!!」
本邸の玄関扉は外からだけでなく中から出るときも本人認証が必要だ。
勿論リョウも登録されているが、ちんたらそんな手順を踏んでいる暇はない。
リョウはすぐに判断すると別の階段から今度は二階へ上がった。
廊下の突き当たりまで来ると、見慣れた一つの扉へと飛び込む。
久々に入ったその部屋は記憶にあるまま残されていた。
よく潜り込んだベッドも、リョウの気に入っていたピカピカな木製のテーブルも昔のままだ。
部屋の主人をなくしても、その部屋はまだあの時と同じ温かい匂いがした。
リョウは小さな飾り窓にかじりつくとロック版に手早く解除コードを打ち込んだ。
正しく数字を打ち込まれた防弾ガラスは、シュッと音を立てて壁に消えた。
「よし!!アイ兄…感謝!!」
ここはアイトの部屋。
アイトはよく逃げ出してきたリョウを自室に匿っては、この専用の秘密の逃げ道から逃してくれた。
リョウはするりと飾り窓に小柄な体をねじ込むと、目の前に大きく伸びた枝に飛びついた。
外は真っ暗だったが、迷わず木を滑り降り柔らかい芝生の上に飛ぶ。
庭中に張り巡らされた防犯カメラもセキュリティも熟知しているリョウは、一心不乱にそれを避けながら裏門を目指して走った。
裏門の側には目印にしている藪の木があり、その根元には目立たぬ色に塗り替えたボードを隠してある。
リョウはそれを手にすると裏門のロックを解除し路上へ出た。
「リョウ、外へ逃げて大丈夫なの!?」
ポケットから泣きそうな声が聞こえてくる。
リョウは機械仕掛けのボードを道に置いた。
「大丈夫、このウィンドボードさえあればエアカーにだって負けないよ」
電源を入れるとボードは蒸気を吹きながら地面から数センチ浮いた。
リョウはそれに飛び乗ると一気に加速をかけた。
「頼むから、砂漠に出るまでバッテリーもってくれよ…!!」
思えば砂滑りがいきなり出来たのもこれのおかげだ。
ボードはその名の通り風のように滑ると、砂漠の方角へと最高速で下っていった。




