第八話「殿下に頼まれました」
お茶会から一週間後、ランベルト・ハイン子爵が屋敷を訪ねてきた。
「なんの御用ですか」とエリーゼは開口一番に言った。
「相変わらず手厳しいな」とランベルトは苦笑した。
「殿下からの遣いだ」
渡された封筒を開けると、一行だけ書いてある。
——相談がある。都合のいい日を教えてくれ。 R
エリーゼはその一行を三回読んだ。相談、という言葉が引っかかる。殿下が一介の伯爵令嬢に「相談」するとは、どういう意図か。夜会での一件の続きか。それとも全く別の話か。
エリーゼはノートを開いた。
——緊急観察事項。ランベルト・ハイン子爵より殿下からの書状が届いた。内容は「相談」。目的不明。ランベルト子爵の表情は今回比較的穏やかで、隠し事の気配は薄い。ということは今回は殿下本人が何かを隠している可能性がある。要警戒。
少し考えて付け足した。
——なお、断る理由も特にない。三日後で返事をする。
三日間、エリーゼは地味に落ち着かなかった。観察者として、目的不明の面会は居心地が悪い。何を聞かれるのか、何を求められるのか、想定できない状況というのは観察の準備ができないということだ。仕方がないので考えられる可能性を全部ノートに書き出し、それぞれの対応策を検討した。ノートが二ページ埋まったところで、やりすぎだと気がついた。
三日後、エリーゼは王宮の小さな応接室でルードヴィッヒ殿下と向き合っていた。
「来てくれたか」
「一応」
「単刀直入に言う」と殿下は言った。
「議会の派閥争いが読めなくて困っている」
エリーゼは少し眉を上げた。
「公式の報告書では読めないのですか」
「公式の報告には、表向きの話しか出てこない。誰が誰に気を使っているか、誰と誰が本当に険悪か、そういうことは書いてない」殿下は少し間を置いた。
「君のノートにはある」
なるほど、とエリーゼは思った。三年分の観察記録には、会場での視線の動きや立ち位置、表情の変化まで細かく書いてある。公式の場では絶対に出てこない情報だ。それが欲しいということか。
「……条件があります」
「言ってみろ」
「一つ。今後、観察記録は没収しない。読みたい場合は正式に申請する」
「当然だ」
「二つ。観察中に話しかけない。集中できなくなるので」
「……それは難しいかもしれないが、善処する」
「善処ではなく厳守でお願いします」
殿下が口の左端を上げた。笑いをこらえている。
「三つ目は?」
「以上です」
「二つだけか」
「十分だと思いますが」
「——交渉成立だ」と殿下は言った。「第一巻から第三巻、貸してもらえるか」
「お貸しします」とエリーゼは答えた。それから少し間を置いて続けた。「一点、お伝えしておきます。条件ではなく、観察者としての助言ですが」
「聞こう」
「書いてある人物に直接お話しにならないでください。観察対象が警戒すると記録の精度が落ちます」
「精度が落ちると困るのは俺も同じだ」と殿下は言った。「約束しよう」
それから殿下が声を上げて笑った。
エリーゼはすかさずノートを開いた。
——第三話・交渉記録。条件二つで成立。所要時間、約十五分。殿下は思ったより話が早い。補足:口角が上がった瞬間、二回確認。一回目は「厳守」発言時。二回目は「条件ではなく助言」と前置きしておきながら内容が純粋に実務的だった瞬間。どちらも意図せず誘発した形だが、結果として記録の精度が上がった。再現性を要検証。
——さらに補足。「精度が落ちると困るのは俺も同じだ」という発言は、観察記録を単なる情報源ではなく継続的な価値として認識している発言と解釈できる。好ましい理解者である。記録しておく。




