第五話「観察記録・番外編」
——第三回・王宮大舞踏会。補足記録、最終。
エリーゼはノートに向かって、ゆっくりペンを走らせた。
昨夜の一件を整理しよう。まず、ノートが没収された。次に、数百人の前で全文読み上げられた。その後、名前を呼ばれた。高座に上がった。殿下に笑われた。翌朝、手紙が四通届いた。
客観的に並べると、なかなか災難な一夜である。
しかし、と思う。
良かったのかもしれない、と思い始めている自分が、少し癪だ。三年間、壁際から眺めるだけで十分だと思っていた。サンドイッチを食べながら観察していれば満足だと思っていた。誰かに気づいてほしかった部分はなくもないと高座で言ってしまったが、あれは不可抗力だ。追い詰められた人間は本当のことを言う。これも観察上の事実である。
ただ一つ確かなのは、三年間まったく動かなかった何かが、昨夜ようやく動いたということだ。
壁際でサンドイッチを食べるだけだった女が、高座に呼ばれた。名前を知られた。返事をもらった。記録を読まれた相手から、手紙が届いた。
エリーゼはペンを置き、今朝届いた四通の手紙を見た。ヴェルナー侯爵夫人の訂正申告。ドレフュス子爵令息の実用的な問い合わせ。マイヤー男爵令嬢の一行。そして王家の封蝋。
観察とは本来、一方通行のものだとずっと思っていた。見る側と見られる側がいて、見られる側は見られていることに気づかない。その非対称が観察の本質だと。
どうやら違ったらしい。
ノートに書いた人間たちが、書かれたことに気づいて、返事を寄越してきた。これは観察記録の範疇を超えている。エリーゼ・フォン・グラウベルの三年間の観察史において、完全な想定外だ。
エリーゼはゆっくりとペンを取り、続きを書いた。
——補足・最終結論。貴族社会は相変わらず滑稽で、騒々しく、ものすごく面白い。ヴェルナー侯爵夫人は「猫タイプ」に分類変更。ドレフュス子爵令息の詩は当面続くと予測される。マイヤー男爵令嬢の恋路を、来年は少し遠くから応援したい。近くから応援するかどうかは、まだ検討中である。
そして殿下は——
エリーゼはそこで少し考え、こう書いた。
——観察継続中。
ペンを置いて、窓の外を見た。秋の朝の光が、柔らかく部屋に差し込んでいる。
おそらく来年の舞踏会の招待状には、名前が印字されるだろう。エリーゼ・フォン・グラウベルと、ちゃんと書かれるだろう。そして来年のノートには、今年より少し違う景色が書かれるかもしれない。壁際ではなく、もう少し会場の内側からの記録になるかもしれない。
それはそれで、観察のしがいがある。
新しいノートは、まだほとんど白紙だ。
エリーゼ・フォン・グラウベルは、そっとひとり笑った。
書くことは、来年も山ほどある。




