第二十七話「答えを出しました」
夜会から戻った夜、エリーゼは机に向かっていた。
ノートは閉じたまま、机の端に置いてあった。今夜は開かないと決めていた。代わりに白紙の便箋を一枚出して、ペンを持った。何かを書こうとして、止めた。
答えは、まだ出ていなかった。
観察記録は書ける。共著も書ける。他人を見ることなら何時間でもできる。なのに、自分が婚約を受けるかどうかという問いには、答えが出ない。
エリーゼは便箋に「諾」と書いた。眺めた。違う気がして、消した。
「否」と書いた。眺めた。それも違う気がして、消した。
観察者の語彙には、自分の意思を伝える言葉がなかった。三年間、他人の意思を記録してきた。誰が誰を選んだか、誰が何を断ったか、全部書いた。その何百件の記録のどこを引いても、自分の答えは出てこなかった。
エリーゼはペンを置いて、窓の外を見た。
夜会で殿下に言ったことを思い出した。「観察者でいながら、関わる側にもなれるかもしれない」。あれは予感だった。今夜のうちに、それを答えに変えなければならない。
観察者として記録するなら、こう書く。
『観察対象・自己。婚約打診への対応を検討中。判断材料:殿下と過ごした時間、共著の作業、街での外出、添削の積み重ね』
全部書ける。データはある。でもそれを並べても答えにはならない。観察記録は、判断ではないからだ。
関わる側として決断するなら、どうすればいいのか。
エリーゼは父との会話を思い出した。「お前の人生だ」と父は言った。お茶会の令嬢方も同じことを言っていた。シュタインフェルト令嬢は「ご本人だけがわかっていない」と言った。ヴェルナー侯爵夫人は「強い言葉を使うべきときがある」と言った。
強い言葉、とは何か。エリーゼはペンを取り直して、もう一度便箋に向かった。
書いた。
『私は、殿下と一緒にいたい』
眺めた。
今度は消さなかった。
観察者の語彙ではない言葉だった。記録ではなく、決断の言葉だった。書いた瞬間に、自分の中で何かが動いた気がした。動いた、というよりは、ずっと動いていたものに、初めて名前がついた感覚だった。
エリーゼは便箋を見ながら、しばらく何も書かなかった。
窓の外で雪が止んでいた。雲が薄れて、月が出ていた。三年前、壁際でサンドイッチを食べていたエリーゼ・フォン・グラウベルが、今夜机に向かって、自分の意思を一行書いた。同じ人間ではない。同じ人間でもある。
便箋をたたんで、引き出しにしまった。誰にも見せない一行だ。明日、本人に直接伝える。便箋は記録ではなく、自分のための練習だった。
ノートを開かなかった。今夜のことは、記録しないことにした。
答えを出した夜は、書かないままにしておく方がいい気がした。




