第十七話「二人で観察しました」
添削を重ねて三回目が終わった頃、まだマイヤー令嬢の言葉を考えていた。「自分のことに気づいていない」。意味はまだわからない。ただ——最初の添削のとき、殿下との距離が近いと気になったことを思い出した。対応策として「慣れる」と書いたが、今もまだ慣れていない。それが何なのか、まだ言葉にならない。
そんなことを考えていたとき、殿下が言った。
「一度、一緒に観察してみないか」
エリーゼは少し考えた。添削で記録の違いはわかった。しかし実際に同じ場所で同じものを見たとき、何が違うのかはまだわかっていない。断る理由がなかった。
「構いません」
初めて二人で並んで観察したのは、秋の夜会だった。
会場の壁際、エリーゼがいつも陣取る場所に、殿下が並んで立った。二人分のノートが開かれている。
「静かだな、ここは」と殿下が言った。
「壁際は音が少ないので、観察に向いています」
「三年間ずっとここにいたのか」
「はい」
「……それは」と殿下が少し間を置いた。「寂しくなかったか」
エリーゼは少し止まった。
寂しくなかったか。三年間、誰にも名前を呼ばれなかった。誰にも話しかけられなかった。壁際でサンドイッチを食べながら、誰かと誰かが笑い合う場面を記録し続けた。それが寂しかったかどうか、考えたことがなかった。考えないようにしていたのかもしれない。
「観察が楽しかったので」とエリーゼは答えた。「それに——寂しいと思う余裕がないほど、書くことがたくさんありました」
殿下は何も言わなかった。ノートに何かを書いている。エリーゼはその横顔を一秒だけ見て、視線を会場に戻した。
「殿下は」とエリーゼは聞いた。「なぜ今夜もここに来たのですか。殿下なら会場の中央にいた方が自然では」
「君が壁際にいるからだ」
「それは……」
「おかしいか」
「おかしくはないですが」とエリーゼは言った。「理由になっていません」
「理由はそれだけだ」と殿下はあっさり言った。
エリーゼはペンを持ったまま止まった。
どう記録すればいいのかわからなかった。行動は書ける。「壁際に来た」と書ける。しかし「君が壁際にいるから」という理由を、どの項目に入れればいいのかわからなかった。
「——君は笑わないな」と殿下が言った。
「笑っています」
「見えないが」
「内側で笑っています」とエリーゼは言った。「観察者は表情が出にくいので」
殿下が少し黙った。意外そうな顔だ、とエリーゼは思った。内側で笑っているという答えを、想定していなかったらしい。
「そうか」と殿下は言った。「では今、何を笑っている」
エリーゼは少し迷った後、正直に答えた。
「……理由はそれだけ、と仰ったことをです」
殿下が口の左端を上げた。
エリーゼはそれをノートに書いた。手が少し、いつもより遅かった。




