第十四話「殿下の観察眼は壊滅的でした」
三日後、ルードヴィッヒ殿下から小さなノートが届いた。
表紙には「観察記録・試作」と書いてある。エリーゼはお茶を一口飲んでから、ゆっくりページを開いた。
——第一観察対象。ヴェルナー侯爵夫人。所見:怖い。
エリーゼはページを閉じた。
開き直した。続きを読んだ。
——第二観察対象。ドレフュス子爵令息。所見:詩を読む人。
——第三観察対象。マイヤー男爵令嬢。所見:第一王子殿下をよく見ている。がんばれ。
——第四観察対象。ランベルト・ハイン子爵。所見:よく走る。
——第五観察対象。エリーゼ・フォン・グラウベル。所見:
そこで文章が途切れていた。空白のまま、ページの半分が余っている。
エリーゼはしばらくその空白を眺めた。
三年間、エリーゼは誰かを観察してきた。観察された経験はほとんどない。されていたとしても、それが記録されたことはなかった。なのに今、自分の名前が観察対象として書かれている。そして空白がある。殿下は書きかけて、止めたのだ。何を書こうとして、何が出てこなかったのか。
エリーゼはページから目を離せなかった。
——これは、どう記録すればいいのか。
その日のうちに王宮へ向かったのは、考え続けても答えが出なかったからだ。直接聞いた方が早いとエリーゼは判断した。少なくとも、そういうことにした。
「読みました」
「どうだった」とルードヴィッヒが聞いた。
「ヴェルナー侯爵夫人の項目から聞かせてください」
「怖い」
「それだけですか」
「それ以外に何がある」
「三年分の観察があります」とエリーゼは言った。「令嬢方には高圧的、侯爵本人には猫のように従順、亥の刻以降は機嫌が良くなる傾向、好物は焼き菓子で夜会では必ず三個取る——」
「……そこまで見ているのか」
「観察とはそういうものです」
殿下が少し目を細めた。
「ドレフュス令息は」
「詩を読む人ではなく、三年間同じ詩でダンスに誘い続けており、令嬢方の間で様式美として定着しつつあります。本人は誇りに思い始めている模様です」
「……俺の観察眼は」
「壊滅的です」とエリーゼは即答した。「ただ」
「ただ?」
「殿下の記録には、私のにないものがあります」
「何が」
「端的さです」とエリーゼは言った。「「怖い」の一言で終わらせる胆力は、私にはありません」
殿下が声を上げて笑った。
「それは褒めているのか」
「添削の余地が多いという意味で申し上げました」
笑い声が収まったところで、エリーゼは少し間を置いた。
「一つ聞いてもいいですか」
「何だ」
「第五観察対象の項目が、空白でした」
殿下は少し黙った。笑いをこらえている顔ではない。口の左端も上がっていない。
「書けなかった」と殿下は言った。
「何が」
「うまく書けなかった」
エリーゼはその答えを聞いて、少し止まった。三日前、自分もまったく同じことを思った。殿下のことをどう書けばいいかわからなかった。言葉が出てこなかった。
それを言うかどうか、三秒迷った。
言わなかった。
「——共著の件、受けます」とエリーゼは言った。
殿下が今度こそ声を上げて笑った。
エリーゼは王宮の門を出てからノートを開いた。
——第十四話・観察記録。
R殿下の観察眼:壊滅的。ただし端的さという点において一定の才能あり。
補足:第五観察対象の項目が空白だった。理由:「うまく書けなかった」とのこと。
さらに補足:私も同じだった。記録しておく。




