第十三話「提案されました」
第五巻の表紙を、エリーゼはまだ決めていなかった。
第四巻が完成してから三週間が経つ。窓の外はすっかり冬で、王宮の庭木は葉を落としている。新しいノートは買ってある。書き出しも決まっている。なのに表紙に書く題名のところで、毎回ペンが止まる。
理由はわかっている。
第四巻の最後のページに、初めて自分のことを書いた。それまで三年間、観察者として他人だけを記録し続けてきた女が、自分を観察対象に加えた。それは小さな一歩のようで、エリーゼにとってはずいぶん大きな変化だった。
第五巻は、どう書けばいいのか。
そんなことを考えながら王宮の庭を歩いていた昼下がり、ランベルトに呼び止められた。
「殿下がお呼びです」
「また諸事情ですか」
「今回は違います。ちゃんとした用件です」とランベルトは言った。「たぶん」
「たぶん、というのが気になりますが」
「大丈夫です。たぶん」
エリーゼはランベルトを三秒観察した。目が泳いでいない。口元も引きつっていない。隠している顔ではなく、本当に「たぶん」しか知らない顔だ。これ以上聞いても出てこないと判断して、諦めた。
応接室に通されると、ルードヴィッヒ殿下がテーブルに肘をついて待っていた。
「来たか」
「お呼びとのことで」
「単刀直入に言う」と殿下は言った。「第五巻、共著にしないか」
エリーゼは三秒固まった。
「……共著」
「俺も書く。君も書く。一冊にまとめる」
「なぜですか」
「書きたいから」
「それだけですか」
「それだけだ」
エリーゼはしばらく殿下を観察した。目が逸れていない。口元が引きつっていない。嘘をついている顔ではない。ただ「書きたい」というのが本当の理由のようだ。殿下が何かを書きたいと思ったとき、その対象が何なのかは聞かなかった。聞けなかった、という方が正確かもしれない。
「……殿下は観察記録を書いたことがありますか」
「ない」
「では一度書いてみてください。それを読んでから判断します」
「わかった」と殿下はあっさり言った。「三日でいいか」
「構いません」
部屋を出ると、廊下でランベルトが壁に寄りかかって待っていた。
「どうでしたか」
「共著を提案されました」
「ですよね」とランベルトは深くため息をついた。「三日前から「共著にしようと思う」と仰っていて、止める間もなく」
「止める必要があったのですか」
「まあ……ないですけど」とランベルトはまた息をついた。少し言いにくそうに続けた。「なんというか。殿下があそこまで積極的になるのは初めて見たので」
エリーゼは少し首を傾けた。
「積極的、というのは」
「殿下はいつも周りが動いてから動く方なんです。自分から何かを提案するのは、あまり——」とランベルトは言いかけて、口を閉じた。「いや、何でもないです」
エリーゼはその顔を三秒観察した。隠しているが、悪意のない顔だ。これ以上聞いても出てこないと判断して、話を戻した。
「三日後に殿下の記録を読みます。それから返事をします」
「わかりました」とランベルトは言った。それから小さく付け足した。「……よろしくお願いします」
よろしくお願いします、の意味が何に対してなのかは聞かなかった。
王宮の門を出てから、エリーゼはノートを開いた。
——緊急観察報告。R殿下、共著を提案。
理由:「書きたいから」。嘘をついている顔ではなかった。ランベルト子爵の証言から、これは珍しい行動の模様。「殿下があそこまで積極的になるのは初めて」との発言、要記録。
補足:殿下が書きたい対象が何なのか、聞けなかった。これも初めてのことだ。




