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地味令嬢の観察日誌が、なぜか王宮で配られているのですが  作者: トークン
観察者は観察される

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12/13

第十二話「第四巻、一ページだけ増えました」

 ——第四巻・最終記録。


 エリーゼはノートに向かって、ゆっくりペンを走らせた。


 今年の収穫を整理する。


 ヴェルナー侯爵夫人との友人関係、構築中。


 ドレフュス子爵令息の詩、様式美として昇華確認。


 マイヤー男爵令嬢、三回目のダンス成功。


 ランベルト・ハイン子爵、第二巻十二ページ分の記録に動揺することが判明。


 そして——


 エリーゼはペンを止めた。


 R殿下について書こうとするたびに、ペンが迷う。


 試しに書いてみる。出現回数:夜会三回、その他非公式接触十一回。条件違反回数:十四回。笑った回数:記録しきれず。笑いをこらえた回数:二十二回。データとしては完璧だ。三年分の観察記録の中でも、これほど密度の高い対象はいなかった。


 なのに、うまく書けない。


 データを並べるたびに、あの夕暮れの庭が浮かぶ。夕暮れの光の中で、灰色の目がまっすぐこちらを向いていた。口の左端が上がっていなかった。笑いをこらえていなかった。いつもと違う顔だった。それをどう書けばいいのかわからない。「書くことを作る」と言った声を、どういう言葉にすればいいのかわからない。


 三年間、書けなかったことはなかった。初めてだった。


 エリーゼはしばらくペンを持ったまま、新しいページを眺めた。


 一度だけ、ページの端に「R殿下・」と書きかけて、止まった。言葉が出てこなかった。消した。また書きかけて、また止まった。何かを書こうとするたびに、ペンが固まった。


 そうではない、とエリーゼは思った。殿下のことを書けないのは、言葉が見つからないからではない。データにしてしまうと、あの夕暮れの庭が、ただの記録になってしまう気がした。


 エリーゼは新しいページを開いた。


 今まで一度も作らなかった項目を作ろうとして、三回ペンが止まった。一年前の自分なら絶対に書かなかった。いや、書くという発想すら持たなかった。壁際から観察するだけで十分だと思っていた女が、今ここで自分自身の記録を書こうとしている。


 おかしな話だ、と思う。同時に、おかしくない気もした。


 ペンを走らせた。


 『観察者・エリーゼ・フォン・グラウベルについての記録』


 ——今年、名前を覚えられた。


 ——友人ができた。


 ——お茶会に呼ばれた。


 ——自分のことを話した。


 ——記録される側がうらやましかったと、初めて認めた。


 ——そして。第三巻の最後のページより、少し多くのことが書けそうな気がしている。


 そこで一度ペンを止めた。もう一行だけ書くかどうか、三秒迷った。


 書いた。


 ——R殿下が、書くことを作ると言った。信じてみようと思う。


 エリーゼはノートを閉じた。


 窓の外に、冬の最初の星が出ていた。去年の今頃、自分がこんなことを書くとは思っていなかった。一年前のエリーゼに教えたら、信じないだろう。壁際でサンドイッチを食べながら観察していれば十分だと思っていた女が、今年は観察される側に何度も立った。名前を呼ばれた。話しかけられた。泣かれた。笑われた。


 全部、記録してある。


 来年の舞踏会の招待状には、今年も名前が印字されるだろう。そして来年のノートには——去年より少しだけ、書く側ではない自分が、混じっているかもしれない。


 エリーゼ・フォン・グラウベルは、ノートの表紙をそっと指でなぞった。


 観察は、まだ続く。

これにて第二章完結です。第三章もお楽しみに!

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