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地味令嬢の観察日誌が、なぜか王宮で配られているのですが  作者: トークン
観察者は観察される

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11/13

第十一話「記録できないことがありました」

 木の葉が色づき始めた頃、殿下に呼ばれた。


 応接室ではなく、王宮の小さな庭だった。夕暮れどき、石造りのベンチに二人で座った。殿下の手元に、第一巻から第三巻が揃っている。


「読み終わった」と殿下が言った。


「いかがでしたか」


「興味深かった。三年分の貴族社会が詰まっている」殿下はしばらく黙ってから続けた。「一つ聞いていいか」


「どうぞ」


「この三冊、一度も君自身のことが書いていない」


 エリーゼは少し止まった。


「……観察者が観察対象になるのはおかしいので」


「本当にそれだけか」


 風が吹いた。庭の木が静かに揺れた。エリーゼは手元のノートを見た。開く気にはなれなかった。


「殿下は」とエリーゼは言った。「ご自分のことを記録したことはありますか」


「ない」


「では想像してみてください。自分に起きたことを、毎日書き留めるとして——何も起きていない日が続いたら、どう書きますか」


 殿下は少し考えた。


「難しいな」


「そうです」とエリーゼは言った。「壁際にいると、書くことがなくなるんです。自分に起きることが何もないから。誰かが誰かに話しかける。誰かが誰かと笑う。それを記録することはできる。でも自分のことは——何も起きていないから、書けない」


 殿下は黙って聞いていた。


「三年間、それが普通だと思っていました。観察者はそういうものだと。壁際から見ている方が、全部よく見える。だから——」


「だから?」


 エリーゼは少し黙った。夕暮れの光が庭石を橙色に染めている。


「……少し、うらやましかったのかもしれません。記録される側が」


 言ってしまってから、エリーゼは視線を手元に落とした。膝の上のノートの表紙を、指でなぞった。こんなことをノートに書いたことは一度もなかった。書けなかったのではなく、直視したくなかったのだと今更気がついた。書けない、と思っていた方が楽だったのだ。


「エリーゼ」と殿下が言った。


「はい」


「来年の第四巻には、君自身のことを書け」


「……書くことがあれば」


「作ればいい」と殿下は言った。「俺が」


 エリーゼはしばらく殿下を見た。夕暮れの光の中で、灰色の目がまっすぐこちらを向いている。口の左端が上がっていない。笑いをこらえていない。いつもと違う顔だ。


 ノートを開く気になれなかった。


 初めて、記録より目の前のことを優先したかった。そしてそのことを、記録したいとは思わなかった。

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