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「お前に使った十年を返せ」と言われたので、お返しした結果がこちらです  作者: 月雅
第1章

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第4話「陽だまりの庭」

ミレーユは孤児院の裏庭で、子どもたちと一緒に菜園の土を耕していた。


春の陽射しが背中に当たって温かい。 袖をまくり、膝をついて土に手を入れる。 爪の間に泥が詰まったが、気にならなかった。


「おねえさん、ここにも種まくの?」


最年少の男の子が、小さな鍬を両手で持って隣に立っている。


「ええ。ここにはかぶを植えましょうね」


子どもたちは嬉しそうに土をいじっている。 菜園の整備は、ミレーユの計画書の一部だった。 孤児院の敷地内で最低限の野菜を育て、食糧費の負担を減らす。


だが今日の本題は、菜園ではない。


午後。辺境公爵邸の応接間。


ミレーユはセドリックに向き合って座っていた。 テーブルの上には、計画書と地図が広げられている。


「殿下。近隣農家との食糧供給契約の交渉を始めたいのですが、一つお願いがございます」


セドリックが軽く頷いた。


「交渉の席に、殿下にもご同席いただけませんか」


セドリックの手が、膝の上で止まった。


「私が、ですか」


「はい。辺境公爵のお名前があれば、話が早い場合がございます。農家の方々にとって、公爵が直接足を運ぶことは信頼の証になります」


ミレーユは事務的に続けた。


「もちろん、殿下のお名前を公式記録に残す形は避けます。あくまで私的な場として設定しますので、辺境公爵が政治的影響力を行使しているとは見なされない形に」


セドリックは黙っていた。


ミレーユには、彼が何を懸念しているかわかっていた。 継承権を放棄した王族が辺境で影響力を持つことへの警戒。 それが王都に伝われば、厄介なことになりかねない。


だからこそ、公式記録に残らない形を設計した。


セドリックが顔を上げた。


「……ブランシャール嬢は、そこまで考えてくださっていたのですか」


「依頼をお受けした以上は、殿下のお立場への影響も含めて考えるのが当然です」


セドリックは小さく息を吐いた。 迷いの残る目だったが、口元にはかすかな笑みがあった。


「わかりました。お供します」


交渉の場は、孤児院から半刻ほど離れた農家の納屋だった。


相手は三軒の農家の主。 いずれも辺境で代々土地を耕してきた実直な人々だった。


ミレーユが交渉の口火を切った。


「現在、孤児院では月に一度、町の仲介商を通じて食糧を購入しています。仲介を通すことで、実際の作物の価格に上乗せが発生しています」


農家の主たちが顔を見合わせた。


「孤児院と直接契約を結んでいただければ、仲介の費用を省く分、皆さまには今の卸値より高い価格でお買い取りできます。孤児院は仲介費用を削減でき、皆さまは手取りが増える。双方にとって利のある形です」


ミレーユの説明は簡潔で、数字が明確だった。 具体的な購入量、価格、支払いの時期。 全てが紙に整理されて並んでいる。


農家の一人が腕を組んだ。


「話はわかる。だが、支払いの保証はどうなる。孤児院は金がないと聞いている」


ミレーユが答える前に、セドリックが静かに口を開いた。


「支払いの保証は、私が致します」


農家たちの目が、セドリックに向いた。


セドリックは椅子に座ったまま、穏やかな声で続けた。


「辺境公爵として、この契約の履行を保証します。万が一支払いが滞った場合は、私の屋敷が負担します」


農家の主たちの表情が変わった。 公爵が自ら保証を口にしたのだ。


辺境では、貴族の権威より実務と信用が重んじられる。 だがそれは、貴族の言葉が軽いという意味ではない。 公爵が自ら保証を出すということは、それだけの覚悟があるということだ。


一番年長の農家の主が、膝を叩いた。


「公爵さまがそうおっしゃるなら、断る理由はねえ」


残り二人も頷いた。


ミレーユは契約の詳細を手際よくまとめ、各農家の主と握手を交わした。


交渉が終わり、農家を後にする馬車の中。


セドリックが小さく咳き込んだ。


長時間の外出が身体に障ったのだろう。 顔色が、朝よりも白い。


ミレーユの手が、無意識に動いた。


セドリックの背中に向かって伸びかけた指先が、途中で止まる。


空を掴んだ。


ミレーユは自分の手を見た。 一瞬、眉が寄った。


何をしようとしたのか。 自分でもわからなかった。


手を膝の上に戻し、代わりに声をかけた。


「殿下、お身体は大丈夫ですか。屋敷に戻りましたら、どうかお休みになってください」


セドリックは咳を収め、首を振った。


「大丈夫です。少し冷えただけですから」


その声は穏やかだったが、息がわずかに浅かった。


ミレーユは窓の外に目を向けた。


自分の右手を、左手で押さえていた。


数日後。


孤児院の台所に、新鮮な野菜が届いた。


かぶ、にんじん、じゃがいも、たまねぎ。 契約が成立してから最初の納品だった。


世話役の女性が目を丸くした。


「まあ、こんなに立派な野菜を……」


子どもたちが台所に駆け込んでくる。


「すごい! にんじんだ!」 「おっきいじゃがいも!」


ミレーユは子どもたちと一緒に野菜を洗い、昼食の支度を手伝った。 温かいスープの湯気が、台所に広がる。


子どもたちが笑っている。 世話役の女性も笑っている。


その光景を、セドリックは台所の入口から見ていた。


子どもたちが新鮮な食材を喜ぶ声。 それを見つめるミレーユの横顔。


セドリックは静かに目を伏せた。


この場所を守ってきた。 一人で、私費を削って、何年も。 それでも足りなくて、どうにもならなくて。


今、この人がいる。 たった数日で、子どもたちの食卓が変わった。


ミレーユが振り返った。 セドリックの姿に気づき、小さく頭を下げた。


「殿下もどうぞ。スープができましたので」


セドリックは入口に立ったまま、少し迷った。 それから、子どもたちの隣の椅子に座った。


木の椅子は小さくて、膝が窮屈だった。 子どもの一人が笑った。


「セドリックさま、はみだしてる」


「本当だね。少し大きすぎたようだ」


セドリックが苦笑すると、子どもたちがさらに笑った。


ミレーユがスープの皿をセドリックの前に置いた。


「ありがとうございます」


セドリックの声が、わずかに震えていた。


ミレーユの手が止まった。


スープの礼にしては、声に温度がありすぎた。 それが食事の感謝ではなく、もっと大きな何かへの感謝だと、ミレーユは気づいていた。


十年間、エドワールからは一度もなかった言葉だった。


「どういたしまして」


ミレーユはそう答えた。 いつもの声のつもりだった。


けれど、その言葉の温度に少し戸惑っている自分がいることには、まだ気づかない振りをしていた。


食事を終え、子どもたちが庭に出ていった後。


ミレーユが食器を片づけていると、世話役の女性が駆け込んできた。


「ミレーユさま、王都からお手紙です。公式の封蝋が押されております」


銀の盆に載せられた書簡。 枢密院の紋章が、赤い封蝋に刻まれていた。


ミレーユは手を拭き、書簡を受け取った。


差出人は枢密院事務局。 封を切り、文面に目を通す。


婚約破棄に関する補償交渉の正式通知だった。 父ギヨームが枢密院に提起した請求が受理され、審議に入った旨の連絡。


ミレーユは書簡を折り畳み、胸元にしまった。


父が動いている。 法と手続きで、粛々と。


ミレーユは窓の外に目を向けた。


庭で遊ぶ子どもたちの声が聞こえる。 春の陽射しが、孤児院の石壁を温めていた。


王都の夕刻。


ある侯爵夫人の邸宅で、小規模な茶会が開かれていた。


だが、出席者の顔ぶれは寂しかった。


本来ならば十数名が集まるはずの席に、半分ほどしかいない。 空の椅子が目立つ。


主催者は、この茶会の段取りをエドワールの新しい寵愛者──リゼット・ノワールに任されたのだという。


侯爵夫人が、隣の伯爵夫人に小声で漏らした。


「招待状を見たかしら。宛名の敬称が間違っていたのよ。それも三通」


伯爵夫人が眉を上げた。


「まあ。ブランシャール令嬢の時は、そんなことは一度も……」


「ノワール家の次女が差配なさっているそうよ。お気持ちはわかるけれど、社交の作法はお気持ちだけでは」


侯爵夫人はカップを口元に運びながら、窓の外を見た。


「ブランシャール令嬢の時とは、雲泥の差ね」


空の椅子が、沈黙で答えていた。

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― 新着の感想 ―
こちらのご令嬢は次女とはいえ、公爵家の方なのにちょっと残念ですね。 あまりにも能力の差が、、、(´;ω;`)
ミレーユさんはかっこよいですね。きっぱりした性格が気持ちが良いです。 勝手なお願いなのでスルーしていただいて良いのですが、物語の場面が切り替わるところがわかりやすくなっていると嬉しいです。 行間が…
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