第2話:八門封界
朝の柔らかな光が差し込むアパートの一室。
本田刹那は、丁寧にアイロンをかけた制服に袖を通した。机の上には、少し古ぼけた写真立てがある。そこには、まだ幼い自分と、彼の肩を抱いて豪快に笑う本田さんの姿があった。
「……行ってきます、本田さん」
かつて本田さんが言った「普通の幸せを掴め」という言葉。それを守るため、刹那は鏡の前で「平凡な高校生」らしい穏やかな笑みを作り、家を出た。
【入学式】
京都霊峰山高校。そこは、最新の科学によって解明された第6感――「呪力」を操るエリートたちの学び舎だ。
式典の壇上に立った生徒会長・久瀬麗奈の姿は、刹那の目に眩しく映った。
「本校は、力だけでなく規律を重んじます。自己の能力を過信せず、高潔でありなさい」
その凛とした声は、一般入試で入学した刹那の心にも真っ直ぐに届いた。彼女が、母・雪菜の親友の娘であるとはまだ知る由もない。
【試験とクラス分け】
式典後、すぐに行われた「クラス分け実技試験」。
四代財閥の御曹司・枢木隼人が放つ圧倒的な「結界術」が標的を粉砕する中、刹那の結果は「呪力ゼロ」。周囲の嘲笑を浴びながら掲示板の前に立つと、同じく最底辺の「H組」に名前を連ねる二人と目が合った。
「あはは、君も『0』だった? 奇遇だね、僕もなんだ」
困ったように笑いかけたのは、中性的な美少年の瀬川伊織だった。
「私なんて、呪力は出たんですけど……制御ができなくて。本当にごめんなさい!」
豊満な胸を揺らしながら必死に頭を下げるのは、結城遥。
「僕は本田刹那。よろしく、二人とも」
刹那が穏やかに微笑むと、伊織はその手を優しく握り返し、遥はぱぁっと顔を明るくした。
「本田くん、伊織くん! 私、お友達ができるか不安だったから嬉しい! ね、放課後もし時間があったら、駅前にできた新しい鯛焼き屋さんに行かない? あそこのカスタード、絶品なんだって!」
「あ、そこ知ってるよ。生地がモチモチしてるっていう評判のお店だよね」
「いいですね、ぜひ行きましょう」
試験の結果なんて気にしていないような二人の純粋さに、刹那は心から安堵した。本田さんが言っていた「普通の友達」と、美味しいものの話で盛り上がる。そんな日常が始まったのだ。
【トラブルの発生】
しかし、その和やかな空気は、H組の教室を襲った不遜な足音によって破られた。
「おいおい、ここが噂の『ゴミ捨て場』か?」
2年生の数人が、笑いながら教室に踏み込んでくる。リーダー格の男が、窓際で震えていたクラスメイトの机を蹴り飛ばした。
「……ひっ!?」
「無能は床が似合ってんだよ。ほら、這いつくばれよ」
逃げようとした生徒の足元に、先輩が威嚇の火花を散らす。
「……そこまでにしてください!」
遥が勇気を振り絞って前に出た。
「あら、デカ胸の委員長。お前、さっき試験官の靴を燃やした落ちこぼれだろ? ちょうどいい、俺の『芸術』でその制服も燃やしてやるよ」
先輩が指先を鳴らす。
「食らえ――『焦熱・鴉火』!」
不規則に舞う火球が遥の顔めがけて放たれた。
「遥さん、下がって!」
伊織が叫び、身を挺して彼女の前に飛び込む。呪力欠乏症の彼には防ぐ術がない。だが、彼は迷わず友を庇った。
(……本田さん。やっぱり、無理みたいです)
刹那の眼光が、一瞬で「戦士」のそれに切り替わる。
「あ、すみません先輩。足がもつれちゃって!」
刹那が情けない声を出しながら二人の間に割り込んだ。
刹那の動きは、誰の目にも不器用なドジに見えたはずだ。だが、その指先は正確に、先輩の手首にある呪力の通り道を弾いていた。
「……あがっ!?」
術の指向性が狂い、火球は天井で空しく弾ける。
「本田くん!?」と驚く遥。
「危ないですよ、先輩。足元に気をつけないと」
刹那はニコニコと笑いながら、先輩を「介抱するフリ」をして、目にも留らぬ速さで腹部に軍用格闘術の衝撃を流し込んだ。
「ごふっ……!!」
先輩が激しく咽せる。取り巻きたちが逆上し、一斉に術を練り直そうとした、その時――。
「――『八門封界』!」
教室の四隅から透明な呪力の壁がせり上がり、2年生たちの周囲の空気を物理的に「固定」した。
現れたのは、生徒会長・久瀬麗奈。
彼女はまだ、伝説の「屍鬼封尽」には至っていない。だが、代々久瀬家に伝わるこの封印術だけでも、並の生徒を制圧するには十分すぎる威力だった。
「校則違反、および下級生への嫌がらせ。見過ごせません」
麗奈は冷徹に言い放ち、扇子を閉じると同時に術を解除した。先輩たちは腰を抜かしたまま、駆けつけた生徒会役員によって連行されていった。
麗奈は教室を見渡し、最後に刹那を見つめた。
「瀬川君、結城さん。災難でしたね。……そして、本田君」
「はい」
「貴方の不自然な動き、事情聴取の必要があります。放課後、生徒会室へ来なさい」
「……ええっ、俺もですか?」
「当然です。処分についてはそこで言い渡します」
麗奈が去った後、教室内には安堵の溜息が漏れた。
「本田くん、伊織くん、ありがとう……! 私、本当に怖くて……」
遥が涙目で二人の手を握る。
「いや、助かったのは僕たちの方だよ。本田くんが間に入ってくれなかったら、今頃丸焦げだった」
伊織が穏やかに笑う。
「そんな、僕はただ転んだだけだよ。……それより、生徒会室って、怖い先生とかいないかな?」
刹那は困ったように笑いながら、胸の中の本田さんに語りかけた。
(本田さん。一日目から処分、ってのは……『普通』に含まれますかね?)
実力を封印する少年と、彼を監視し始める封印の乙女。物語の歯車が、ゆっくりと、だが確実に回り始めた。




