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第4話 暴走

第1章 勇者の終焉


第4話 暴走


 白い光の残滓が、夜の森を漂っていた。


 風に運ばれた光は木々の間を抜け、ひとつ、またひとつと闇へ溶けていく。


 その中心に。


 レオンの姿はなかった。


 血に濡れた草。


 深く抉れた地面。


 戦いによって薙ぎ倒された木々。


 そこにいたことを示すものだけが残されている。


「…………」


 ヤヌスは動けなかった。


 右手を力なく垂らしたまま、レオンが消えた場所を見つめている。


 頭が働かない。


 何が起きたのかも。


 これから、どうすればいいのかも分からない。


 ただ。


 さっきまで、そこにいた。


 声を聞いた。


 笑っていた。


 自分へ向かって。


 生きろと言った。


ヤヌス

「れ……おん?」


 掠れた声が漏れる。


 返事はない。


 ヤヌスは足を引きずるように、光の消えた場所へ近づいた。


ヤヌス

「レオン……?」


 呼びかける。


 風が吹き、草が揺れただけだった。


 ヤヌスは小さく首を傾げる。


 目の前にあるものを、どう受け止めればいいのか分からない。


 まるで。


 森で帰り道を見失った、幼い子供のように。


ヤヌス

「どこに行ったんだよ……」


 地面へ膝をつく。


 血に濡れた草へ触れた。


 まだ温かい。


 指先に付いた赤を見つめる。


 それが誰の血なのか。


 本当は分かっている。


 分かっているはずなのに。


 心が認めようとしなかった。


ヤヌス

「帰るんだろ……?」


 返事はない。


ヤヌス

「3人で……帰るって……」


 喉が震える。


 声が続かない。


 ヤヌスは俯いたまま、何度も息を吸った。


ヤヌス

「レオン……」


 もう1度。


 名前を呼ぶ。


 やはり、返事はなかった。


仮面の魔人

「もう死んでいる」


「…………」


 その言葉が落ちた途端。


 世界が止まった。


 風も。


 木の葉の音も。


 隣にいるルミナの泣き声さえも、遠ざかっていく。


 何も聞こえない。


 仮面の魔人が放った言葉だけが、ヤヌスの頭の中に残った。


 ――死んでいる。


 包帯の下で。


 右手の黒い痣が脈打った。


 ドクン。


「…………」


 血に触れていた指が止まる。


 ヤヌスはゆっくりと顔を上げ、仮面の魔人へ視線を向けた。


ヤヌス

「死んだ……?」


 言葉の意味は知っている。


 命がなくなること。


 動かなくなること。


 もう、戻ってこないこと。


 けれど。


 レオンと、その言葉が繋がらない。


 繋げてはいけない気がした。


 視線が、仮面の魔人の剣へ落ちる。


 刀身には、まだレオンの血が付いていた。


 切っ先から落ちた雫が、草の上へ赤い染みを作る。


「…………」


 目の前の男。


 血に濡れた剣。


 消えたレオン。


 途切れていたものが、ひとつずつ繋がっていく。


仮面の魔人

「俺が殺した」


 ドクンッ!!


「――ッ」


 黒い痣が、先ほどよりも強く脈打った。


 焼けた鉄を押し込まれたような痛みが、右手を貫く。


 それでも。


 ヤヌスは右手を見なかった。


 痛みなど、どうでもよかった。


 仮面の魔人から、目を逸らさない。


ヤヌス

「お前が……」


 包帯の隙間から、黒い筋が滲み出した。


 手の甲を覆い。


 手首を越え。


 血管を逆流するように、右腕を這い上がっていく。


ヤヌス

「お前が、レオンを……」


 ドクンッ!!


 鼓動が跳ねる。


 頭の奥で、何かが切れた。


 悲しみも。


 痛みも。


 レオンの最後の笑顔さえも。


 赤く焼けつく怒りの中へ沈んでいく。


ルミナ

「ヤヌス……?」


 ルミナが涙に濡れた顔を上げた。


 初めて見るものだった。


 ヤヌスの腕を侵していく黒。


 その身体から溢れ出し、肌を刺すように膨れ上がる圧力。


 風に揺れていた草が。


 ヤヌスを中心に、外側へ伏せていく。


 地面に散らばった小石が、音を立てて震え始めた。


 黒い風が渦巻き、仮面の魔人の外套を激しく揺らす。


仮面の魔人

「……ほう」


 その声に呼応するように。


 黒がさらに腕を昇った。


 仮面の奥の目が、僅かに細くなる。


 驚いているのではない。


 怯えてもいない。


 何かを確かめるように。


 黒へ沈んでいくヤヌスを観察していた。


「…………」


 ヤヌスが立ち上がる。


 右腕は黒く脈打ち、呼吸は獣のように荒れている。


 痣が肘を越え、肩へ向かって這い上がっていく。


 ヤヌスは、自分の身体に何が起きているのか見ようともしなかった。


 その瞳に映っているのは。


 ひとつだけ。


 レオンを奪った、あの仮面だけだった。


ヤヌス

「殺してやる……」


 喉の奥から、低い声が漏れる。


 涙に濡れていた瞳から。


 少しずつ、人間の熱が消えていく。


ヤヌス

「お前を……殺してやる……」


 黒が脈打った。


 ヤヌスの足元で、土が音を立てて割れる。


ルミナ

「ヤヌス、待って!」


 声は届かない。


 ヤヌスは仮面の魔人だけを見ていた。


ヤヌス

「ころす……」


 唇が、同じ言葉を繰り返す。


ヤヌス

「ころす……ころす……」


 憎しみが膨れ上がるたび。


 それ以外のものが、ヤヌスの中から抜け落ちていく。


 レオンが最期に笑ったことも。


 生きろと言われたことも。


 隣でルミナが叫んでいることさえも。


 黒に塗り潰されていく。


ヤヌス

「殺すッ!!」


 地面が爆ぜた。


 土と枯れ葉が巻き上がる。


 ヤヌスの姿が、その場から消えた。


「――ッ!」


 ルミナが目を見開く。


 次に姿を捉えた時には。


 ヤヌスは、仮面の魔人の目前にいた。


 黒く染まった右拳を振りかぶり、仮面へ向かって叩き込む。


 拳が空気を押し潰す。


 腹の底まで響く破裂音が、森を震わせた。


 仮面の魔人が剣を立てる。


 ガァンッ!!


 拳と剣の腹が激突した。


 仮面の魔人の足元から土が弾け、その身体が僅かに後ろへ滑る。


「…………」


 黒い拳を。


 剣の腹で受け止めている。


仮面の魔人

「……重いな」


 ヤヌスが左拳を振るう。


 仮面の魔人は首を傾けるだけでかわした。


 続けて蹴り。


 剣を持つ腕へ肘。


 避けられれば、爪を立てるように喉元へ手を伸ばす。


 速い。


 ルミナの目には、黒い残像しか映らなかった。


 もはや。


 普通の人間にできる動きではない。


 踏み込むたびに大地が抉れ。


 拳が外れるたび、その先にある木の幹が大きくへこんだ。


 直撃すれば、人の身体など簡単に砕ける。


 それでも。


 何ひとつ届かない。


 仮面の魔人は、大きく動こうとしなかった。


 半歩下がる。


 上体を傾ける。


 剣で拳の軌道を僅かに逸らす。


 ただ、それだけ。


 黒に侵されたヤヌスの攻撃は、仮面にも外套にも触れられない。


ヤヌス

「がぁぁッ!!」


 黒い右拳を、正面から振り抜く。


 仮面の魔人は剣で受けなかった。


 拳が届く寸前。


 身体を僅かにずらし、ヤヌスの懐へ滑り込む。


仮面の魔人

「だが――雑だ」


 剣の柄が、ヤヌスの腹へ突き刺さった。


「――ッ!」


 息が潰れる。


 身体がくの字に折れた。


 仮面の魔人は、そのまま柄を跳ね上げる。


 柄頭がヤヌスの顎を捉えた。


 ドッ!!


 ヤヌスの身体が宙へ浮く。


 間髪を入れず、胸へ蹴りが入った。


 空気が弾ける。


 ヤヌスは地面と平行に吹き飛び、木々の間を突き抜けていく。


 背中から地面へ落ちた。


 1度。


 2度。


 土を巻き上げながら何度も跳ね、太い木の幹へ激突する。


 鈍い音と共に幹が折れた。


 ヤヌスの身体が、倒れた木の下へ沈む。


ルミナ

「ヤヌスッ!」


 ルミナが駆け出す。


 舞い上がった土煙の向こうから。


 獣のような唸り声が聞こえた。


ヤヌス

「ころす……」


「…………」


 倒れていたヤヌスの指が、地面へ食い込む。


ヤヌス

「ころす……ころす……」


 ゆらりと身体が起き上がる。


 口元から血が流れている。


 黒い筋は右肩を越え、胸元まで広がっていた。


 姿勢も変わっている。


 背中を丸め。


 両腕を力なく垂らし。


 獲物へ飛びかかる直前の獣のように、低く腰を落としていた。


 瞳は濁り、焦点が定まっていない。


ヤヌス

「レオンを殺したやつを殺す」


 同じ言葉を繰り返す。


ヤヌス

「レオンを殺したやつを殺す」


 自分が何をしようとしていたのか。


 それだけは忘れまいとするように。


 崩れかけた意識を、残された言葉だけで繋ぎ止めている。


ヤヌス

「レオンを殺したやつを殺す」


 声が途切れた。


 ヤヌスの眉が、僅かに動く。


「…………」


 視線が揺れる。


 目の前には、仮面の魔人がいる。


 少し離れた場所には、ルミナがいる。


 どちらを見ているのか。


 もう、ヤヌス自身にも分かっていない。


ヤヌス

「……レオンを……」


 黒く染まった指が、髪へ食い込む。


ヤヌス

「ころした……」


 呼吸が乱れる。


 仮面を見る。


 次に。


 泣きながら近づいてくるルミナへ、顔を向けた。


ヤヌス

「だれが……」


 濁った目が、2人の間を彷徨う。


ヤヌス

「……だぁれ?」


 その視線が。


 ルミナの上で止まった。


「…………」


 ルミナの足が止まる。


 ヤヌスの瞳に。


 自分を知っている色がなかった。


ヤヌス

「おまえ……?」


 身体がルミナへ向く。


 ルミナの肩が震えた。


 怖い。


 目の前にいるのは。


 いつものヤヌスではない。


 それでも。


 ルミナは逃げなかった。


ルミナ

「違うよ……」


 震える足を前へ出す。


ルミナ

「私だよ。ルミナだよ」


「…………」


 ヤヌスは答えない。


 ルミナはもう1歩近づいた。


 涙を拭うこともせず、ヤヌスへ手を伸ばす。


ルミナ

「ヤヌス……戻ってきて」


 返事はない。


ルミナ

「お願い……」


 声は震えていた。


 それでも、ヤヌスから目を逸らさない。


ルミナ

「私まで忘れないで……」


「…………」


 ヤヌスの首が僅かに傾く。


 何かを思い出そうとしているように。


 濁った瞳が、ルミナの顔を見つめる。


ルミナ

「ヤヌス……」


 ルミナは手を伸ばしたまま、ゆっくりと近づいていく。



 その時。


ヤヌス

「……コロス」


「…………!」


 ルミナの顔が強張った。


 ヤヌスの姿が消える。


 風が巻き起こった。


 気づいた時には。


 ヤヌスがルミナの目の前に立っていた。


 黒に侵された右手が持ち上がる。


 指が開き。


 ルミナの細い首へ向かって伸びていく。


ルミナ

「ヤヌス……」


 ルミナは逃げなかった。


 泣きながら。


 目の前にいるヤヌスを見つめていた。


 黒い指先が、喉へ触れる寸前。


 鈍い衝撃音が響く。


 ドッ!!


「――ッ!」


 ヤヌスの身体が真横へ吹き飛んだ。


 地面へ叩きつけられ、草と土を巻き込みながら転がっていく。


 ルミナの前には。


 仮面の魔人が立っていた。


 ヤヌスを蹴り飛ばした足を下ろし、倒れた姿へ目を向ける。


仮面の魔人

「完全に力へ飲まれているな」


「…………」


 ルミナは何も言えなかった。


 仮面の魔人は、彼女を見ていない。


 黒に侵されたヤヌスだけを、観察するように見つめている。


「…………」


 ヤヌスが起き上がる。


 何度吹き飛ばされても。


 痛みなど感じていないように立ち上がる。


 口から流れる血を拭うこともない。


 濁った目が、再び仮面を捉えた。


ヤヌス

「おまえ……」


 黒が脈打つ。


 失われていた怒りだけが、再び浮かび上がってくる。


ヤヌス

「レオンを……」


 仮面の魔人が持つ剣。


 そこに残る血が目に入る。


ヤヌス

「ころした……」


 足元の地面が割れた。


ヤヌス

「お前が殺したッ!!」


 飛びかかる。


 右拳。


 仮面の魔人が受け流す。


 左の拳。


 半歩下がってかわす。


 蹴りを腕で止められても、ヤヌスは攻撃を止めない。


 息を吸うことさえ忘れたように、拳を振るい続ける。


ヤヌス

「殺すッ!」


 拳。


ヤヌス

「殺す!」


 蹴り。


ヤヌス

「ころす、ころす、ころすッ!」


 爪。


 肘。


 頭。


 自分の身体が壊れることさえ構わず、持てるものすべてを仮面の魔人へぶつけていく。


 それでも。


 届かない。


 仮面の魔人は、剣を振るう必要すらなかった。


 最小限の動きでかわし。


 手首を掴んで軌道を逸らし。


 踏み込もうとした場所を、足先で塞ぐ。


 それだけで、ヤヌスの身体は均衡を崩して前へ流れる。


 何度速くなっても。


 どれほど力が増しても。


 仮面の魔人には触れられない。


「…………」


 レオンとの戦いとは、何もかもが違った。


 仮面の魔人の呼吸は乱れていない。


 足元も、ほとんど動いていない。


 ヤヌスは、戦ってすらいなかった。


 ただ一方的に、あしらわれている。


ヤヌス

「がぁぁぁぁッ!!」


 黒く染まった右拳を振り上げる。


 全身の力を込め、仮面の魔人の頭上へ叩きつけようとする。


 その時。


 初めて。


 仮面の魔人の剣が動いた。


「…………」


 音が消えた。


 振り下ろされるはずだった拳も。


 舞い上がっていた土も。


 揺れていた木々も。


 すべてが止まったように見えた。


 ヤヌスの身体が、仮面の魔人の目前で静止している。


「…………」


 何が起きたのか。


 誰にも分からなかった。


 ルミナの目に映ったのは。


 ヤヌスの胸から突き出した、黒い刃だった。


ルミナ

「……え?」


 掠れた声が漏れる。


 ヤヌスは、ゆっくりと自分の胸へ目を落とした。


 剣が深く突き刺さっている。


 背中から突き出した切っ先を伝い、赤い血が落ちた。


 握られていた拳が開く。


 黒く染まった指先が、力なく揺れる。


 仮面の魔人は。


 刃を突き立てたまま、ヤヌスを見つめていた。


仮面の魔人

「……まだ、弱い」


「…………」


 弱い。


 その言葉が。


 刃よりも深く、ヤヌスの中へ沈んだ。


 仮面の魔人が剣を引き抜く。


 止まっていた時間が動き出した。


 血が一気に溢れ、ヤヌスの身体が大きく揺れる。


 右半身を覆っていた黒が止まった。


 肩から。


 肘へ。


 手首へ。


 黒い筋が引き潮のように戻っていく。


 最後には。


 右手の痣だけを残して、皮膚の下へ沈んだ。


「…………」


 ヤヌスの膝が折れる。


 地面へ崩れ落ちる寸前。


 仮面の魔人が、その襟元を片手で掴んだ。


ルミナ

「ヤヌス!」


 ルミナが走り出す。


 仮面の魔人はヤヌスを掴んだまま、僅かに身体の向きを変えた。


 戦いで倒れた巨木の向こう。


 数歩先で。


 森の地面は、唐突に途切れていた。


「…………」


 その先には。


 大地を断ち切る巨大な裂け目が、黒い口を開けている。


 奈落。


 底は見えない。


 月明かりさえ届かない闇が、どこまでも続いていた。


 戦いの衝撃で崖際の土が崩れ、小石が音もなく吸い込まれていく。


 冷たい風が下から吹き上がり、黒い外套を揺らした。


 仮面の魔人は、崖の縁まで数歩進んで足を止める。


 片手には、力を失ったヤヌス。


 胸の傷から落ちた血が、崖際の土へ赤い跡を残している。


ルミナ

「やめて……」


 ルミナの顔から血の気が引いた。


 仮面の魔人へ向かって、震える足を踏み出す。


ルミナ

「お願い……」


 仮面の魔人は答えない。


 奈落の底を見下ろしている。


ルミナ

「ヤヌスまで……奪わないで……」


 声が震える。


 涙が止まらない。


ルミナ

「私には、もうヤヌスしかいないの……!」


「…………」


 仮面の魔人の指が、僅かに動いた。


 迷ったのか。


 ただ、ヤヌスを持ち直しただけなのか。


 仮面の奥からは、何も読み取れない。


 ルミナが地面を蹴った。


ルミナ

「ヤヌス!」


 仮面の魔人へ手を伸ばす。


 力なく垂れたヤヌスの腕へ。


 指先が触れた。


「…………!」


 一瞬だけ。


 掴めた。


 そう思った。


 だが。


 血に濡れた腕が、ルミナの指の間を滑っていく。


 仮面の魔人が手を離した。


「――ッ!」


 ヤヌスの身体が、崖の外へ投げ出される。


 ルミナは身を乗り出し、必死に腕を伸ばした。


 届かない。


 触れ合った指先が離れ。


 僅かだった距離が、一気に開いていく。


ルミナ

「ヤヌスーーーーーッ!!」


 叫びが奈落へ落ちていく。


 ヤヌスの身体が、深い闇へ呑み込まれていった。


「…………」


 風の音。


 遠ざかっていくルミナの声。


 途切れかけた意識の中で。


 ヤヌスの瞼が、僅かに開いた。


 崖の上。


 こちらへ手を伸ばしている少女が見える。


 涙に濡れた顔。


 風に乱れる白い髪。


「…………」


 誰なのか。


 分からない。


 黒に呑まれていた頭が、まだ上手く働かない。


 それでも。


 胸の奥に残っていた何かが。


 その名前を思い出した。


ヤヌス

「ル……ミ……」


 声にはならない。


 唇が、僅かに動いただけだった。


 あの手を。


 自分は掴もうとしたのか。


 それとも。


 殺そうとしたのか。


 分からない。


 覚えていない。


 ただ。


 泣いているルミナを見て。


 ひとつだけ、言葉が零れた。


ヤヌス

「ご……め……」


 意識が途切れる。


 瞼が閉じる直前。


 暗い岩壁に突き刺さった、白銀の刃が見えた。


 聖剣アウロラ。


 レオンの手から弾き飛ばされていた大剣が。


 月明かりを受け、奈落へ落ちていくヤヌスのすぐそばで淡く輝いている。


 ヤヌスの身体が闇へ沈む。


 声も。


 光も。


 何も届かない場所へ。


◇◇◇


 崖の上。


 ルミナは地面へ膝をついていた。


 両手を崖際の土へ食い込ませ、奈落を覗き込んでいる。


ルミナ

「ヤヌス……」


 返事はない。


ルミナ

「ヤヌス……!」


 何度呼んでも。


 闇は、何も返さなかった。


ルミナ

「いや……」


 首を振る。


 涙が土の上へ落ちる。


ルミナ

「いやああああああああああッ!!」


 悲鳴が。


 深い奈落へ吸い込まれていった。


「…………」


 仮面の魔人は、その傍らに立っていた。


 奈落の底を見つめたまま。


 動かない。


 やがて。


 仮面の奥の視線が、ほんの僅かに揺れる。


仮面の魔人

「……憎しみは、力だ」

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