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第10話 同じ道

第三章 第10話 同じ道


朝。


昨夜まで街を叩きつけていた雨は、嘘のように上がっていた。


雲の切れ間から差し込む朝日が、濡れた石畳を照らしている。


だが。


その光の下に広がっているものは。


昨日までのリヴェルナではなかった。


崩れた家。


焼け落ちた屋根。


砕けた窓。


倒れた荷車。


石畳には、洗い流しきれなかった血の跡が黒く残っている。


「こっちだ! 手を貸してくれ!」


「まだ中に人がいる!」


「先生! こっちにも怪我人が!」


声が飛び交う。


住民たちは瓦礫を運び。


負傷者を治療し。


亡くなった者たちを、布に包んで運んでいた。


家族の名を呼び続ける者もいる。


返事のない身体へ縋りつき、泣いている者もいる。


それでも。


街は生きていた。


リヴェルナは。


滅びなかった。


街の各所には、昨夜倒された魔獣の死骸が転がっている。


門兵。


魔獣狩り。


そして街に残っていた戦える者たち。


彼らが命を懸けて食い止めた。


魔獣だけなら。


人間にも戦えた。


何人かで囲み。


互いを庇い。


傷を負いながらも。


倒すことはできた。


だが。


魔人が侵入した区域だけは。


違った。


崩壊した建物。


深く抉られた石畳。


血。


そして。


多すぎる人間の死体。


魔獣との戦いには。


まだ「戦った」痕跡が残っている。


だが。


魔人が通った場所に残されているのは。


ただ。


一方的に蹂躙された痕だけだった。


◇◇◇


街の一角。


何体もの魔族の死骸が並べられていた。


生き残った魔獣狩りたちが、その身体や装備を調べている。


その中には。


昨夜、ヤヌスによって殺された魔人もいた。


魔獣狩り


「……ひでぇな」


大柄な男がしゃがみ込む。


《渡り鳥亭》でヤヌスと揉めた。


あの魔獣狩りだった。


魔獣狩り


「魔人まで……ほとんど一撃じゃねぇか」


傍らに倒れている魔人。


首はあり得ない方向へ折れ。


胸は大きく陥没している。


別の魔人は。


顔の原形すら残っていなかった。


魔獣狩り


「ったく……」


「どんな殺し方してやがる」


呆れたように呟き。


立ち上がろうとして。


魔獣狩り


「……待て」


動きが止まった。


倒れている魔人の腰。


そこに。


金属製の小さな装飾が付いている。


魔獣狩り


「こいつ……」


手に取る。


見覚えがあった。


別の魔人へ駆け寄る。


装備を探る。


同じもの。


さらに。


もう1体。


同じ印。


魔獣狩り


「……おい」


近くにいた仲間が振り返る。


魔獣狩り


「こいつらの装備を見ろ」


「全部だ」


数人が死体を調べ始める。


やがて。


その表情が変わった。


魔獣狩り


「間違いねぇ……」


握った軍章を見つめる。


魔獣狩り


「こいつら……七魔将の軍だ」


周囲がざわついた。


「七魔将……?」


「まさか……」


「なんでこんな街に……」


魔獣狩りは。


軍章を強く握った。


魔獣狩り


「……マルヴァス」


一拍。


魔獣狩り


「七魔将第6位」


「マルヴァスの軍だ」


その名が。


静かに。


人々の間へ広がっていく。


そして。


少し離れた場所。


「…………」


1人の女が。


その言葉を聞いていた。


乱れた髪。


赤く腫れた目。


昨夜から着替えてすらいない。


服には。


乾いた血が残っている。


ミレイユ


「……マルヴァス」


小さく。


口にする。


「…………」


初めて。


名前がついた。


ニコを奪ったものに。


ただの魔族ではない。


ただの不幸でもない。


七魔将。


マルヴァス。


「…………」


ミレイユは。


その名を。


もう1度。


胸の中で繰り返した。


◇◇◇


どこへ向かっているのか。


分からなかった。


「…………」


ただ。


歩いていた。


濡れた石畳を。


ふらふらと。


横を。


瓦礫を抱えた男が通る。


向こうでは。


母親が子供を抱き締めて泣いている。


怪我人へ水を運ぶ者。


崩れた家から荷物を引っ張り出す者。


亡くなった家族へ。


最後の別れを告げる者。


誰もが。


何かを失っていた。


それでも。


残った何かを抱えて。


生きようとしている。


「…………」


ミレイユには。


何が残っているのか。


分からなかった。


夫はいない。


ニコもいない。


《渡り鳥亭》も。


もう。


昨日までの姿ではない。


帰る場所。


守るもの。


朝起きる理由。


夜。


店を閉める理由。


料理を作る相手。


叱る相手。


笑う相手。


「…………」


何も。


思いつかなかった。


足が。


ふらつく。


その身体が傾いた。


ルミナ


「危ない!」


腕を掴まれる。


「…………」


倒れる寸前で。


誰かに支えられた。


ルミナ


「大丈夫ですか?」


顔を上げる。


そこにいたのは。


淡い髪をした若い女性だった。


その後ろには。


旅装をまとった2人の女性が立っている。


ルミナ


「どこか怪我を――」


途中で。


言葉が止まった。


ミレイユの服。


そこに残る血。


そして。


赤く腫れた目。


「…………」


ルミナの表情が。


僅かに変わった。


この血が。


この女性自身のものではないと。


何となく。


分かった。


ルミナ


「…………」


ミレイユは。


何も言わない。


ルミナも。


無理に聞かなかった。


少しだけ。


支える手へ力を込める。


ルミナ


「……ごめんなさい」


ミレイユ


「…………」


ルミナ


「今は……何を言っても」


一度。


言葉を探す。


けれど。


見つからなかった。


ルミナ


「……違いますよね」


「…………」


ミレイユの瞳が。


ほんの僅かに。


ルミナへ向いた。


その時だった。


「グルルルル……」


ノクス


「ルミナ」


低い声。


瓦礫が動く。


その奥から。


血塗れの魔獣が姿を現した。


昨夜の襲撃を生き延び。


瓦礫の陰に潜んでいた個体。


「グアアアアアッ!!」


地面を蹴る。


一直線に。


ルミナとミレイユへ。


ミレイユ


「…………!」


身体が。


動かない。


逃げなければ。


そう思う。


だが。


足が動かない。


次の瞬間。


ルミナ


「大丈夫です」


ルミナが。


ミレイユの前へ出た。


透明な光が。


2人を包む。


ドンッ!!


魔獣の爪が。


結界へ叩きつけられる。


「…………!」


ミレイユの目が。


見開かれた。


結界は。


揺らがない。


ルミナも。


一歩も退かない。


ルミナ


「リリア!」


リリア


「任せて!」


光が走る。


魔獣の身体を。


魔法が撃ち抜いた。


「ギャッ――」


巨体が。


地面へ落ちる。


それだけだった。


「…………」


ミレイユは。


動かなくなった魔獣を見る。


そして。


自分の前に立つ。


ルミナの背中を見る。


昨夜。


自分には。


何もできなかった。


ニコを抱き締めることしか。


できなかった。


なのに。


目の前の女性は。


守った。


自分の力で。


目の前にいた人間を。


『弱かったからだ』


「…………ッ」


あの声が。


頭の奥で響いた。


『弱ければ』


『全部持っていかれる』


ミレイユの手が。


僅かに震えた。


ルミナ


「もう大丈夫です」


「…………」


振り返ったルミナが。


優しく言った。


ミレイユ


「……ありがとう……ございます」


掠れた声。


それが。


今のミレイユに出せる。


精一杯だった。


ルミナ


「いえ」


ルミナは小さく笑う。


それから。


何かを思い出したように。


ルミナ


「……あの」


ミレイユ


「…………?」


ルミナ


「1つ、聞いてもいいですか?」


「この街で……」


少し迷ってから。


ルミナ


「大きな剣を背負った、黒髪の男の人を見ませんでしたか?」


「…………」


ミレイユの足が。


止まった。


大きな剣。


黒髪。


ミレイユ


「……ヤヌスさん?」


「…………!」


ルミナの目が。


大きく見開かれた。


ルミナ


「ヤヌスを知ってるんですか!?」


その声に。


ミレイユが。


僅かに驚く。


ルミナ


「どこにいます!?」


「いつ会いました!?」


「怪我は!?」


「今もこの街に――」


ノクス


「ルミナ」


ルミナ


「……あ」


ノクスが。


呆れたように見ていた。


ノクス


「一度に聞くな」


リリア


「ルミナ、落ち着いて」


ルミナ


「ご、ごめんなさい……!」


「…………」


ミレイユは。


目の前の女性を見る。


ヤヌス。


あの男の名前を聞いただけで。


ここまで表情が変わる。


ミレイユ


「……知り合いなんですか?」


ルミナ


「はい」


迷いなく。


答えた。


ルミナ


「……大切な人です」


「…………」


ミレイユの瞳が。


僅かに揺れた。


その時。


「すみません!」


離れた場所から。


声が飛んできた。


「こっちに怪我人が!」


ルミナ


「……!」


振り返る。


血を流した人間が。


運ばれている。


「…………」


ルミナは。


ミレイユを見る。


それから。


負傷者を見る。


ほんの一瞬だけ。


迷った。


だが。


ルミナ


「……また後で」


「お話を聞かせてください」


ミレイユ


「…………」


ルミナ


「お願いします」


それだけ言って。


走り出す。


ノクスとリリアも続いた。


ミレイユは。


その背中を見ていた。


人を守るために。


走っていく背中。


「…………」


『弱かったからだ』


また。


声がした。


◇◇◇


《渡り鳥亭》。


「…………」


壊れた扉を。


ミレイユが押す。


軋んだ音。


中へ入る。


「…………」


昨日と。


何も変わっていない。


倒れた机。


割れた皿。


砕けた椅子。


乾き始めた血。


ミレイユは。


ゆっくりと。


歩いた。


足元に。


木製の小さな器が転がっている。


「…………」


拾う。


ニコが。


いつも使っていた器だった。


朝食。


昼食。


夕食。


何度。


これに料理を盛っただろう。


「…………」


ミレイユは。


無意識に。


器を棚へ戻そうとした。


手を伸ばす。


そこで。


止まった。


「…………」


戻して。


どうする。


もう。


使う人はいない。


「…………ッ」


手が震える。


器を。


胸へ抱く。


ミレイユ


「……ニコ……」


声が。


漏れた。


奥を見る。


ニコが座っていた椅子。


少し高さが合わなくて。


昔。


夫が脚を調整した。


壁。


小さな傷。


ニコが走り回って。


椅子をぶつけた跡。


厨房。


背が届かないのに。


手伝うと言って。


何度も邪魔をされた。


『母さん!』


「…………ッ」


膝から。


力が抜けた。


床へ座り込む。


器を抱いたまま。


涙が落ちる。


ミレイユ


「……嫌……」


「…………」


ミレイユ


「嫌……」


涙が。


止まらない。


ミレイユ


「こんなの……」


声が震える。


ミレイユ


「嫌……!」


誰も。


返事をしない。


ミレイユ


「どうして……」


「どうして……」


また。


昨日と同じ言葉。


何度言っても。


答えはない。


「…………」


マルヴァス。


「…………」


その名が。


浮かんだ。


七魔将。


マルヴァス。


「…………」


あいつらが。


来なければ。


ニコは。


今も。


ここにいた。


『母さん、お腹減った!』


そう言って。


朝から騒いでいた。


今日も。


明日も。


ずっと。


「…………ッ」


ミレイユの指が。


器へ食い込む。


ミレイユ


「……許さない」


自分でも。


驚くほど。


低い声だった。


「…………」


初めてだった。


悲しい。


苦しい。


寂しい。


それしかなかった胸の中に。


違うものが。


生まれた。


熱い。


黒い。


焼けるような何か。


ミレイユ


「……許さない」


もう1度。


口にする。


ミレイユ


「返して……」


「…………」


ミレイユ


「私の夫を……」


「私の店を……」


器を握る。


ミレイユ


「ニコを……」


「…………ッ」


ミレイユ


「返してよ……!」


声が。


壊れた店へ響く。


返ってこない。


分かっている。


何をしても。


ニコは。


戻ってこない。


夫も。


戻らない。


「…………」


なら。


どうする。


また。


泣くのか。


ここで。


ずっと。


『弱ければ……』


「…………」


あの男の声。


『ただ目の前の現実に、泣くことしかできない』


ミレイユ


「…………」


嫌だった。


認めたくなかった。


あんな言葉。


あんな。


残酷な言葉。


間違っている。


そう思う。


それなのに。


「…………」


今の自分は。


何をしている。


座り込んで。


泣いている。


それだけ。


「…………ッ」


涙を。


乱暴に拭った。


ミレイユ


「……嫌」


立とうとする。


足に力が入らない。


また。


膝をつく。


ミレイユ


「……嫌……!」


もう1度。


立つ。


壁へ手をつく。


震える脚を。


無理やり。


伸ばす。


ミレイユ


「もう……」


息を吸う。


ミレイユ


「奪われたままなんて……嫌……」


「…………」


マルヴァス。


ニコを奪った者。


自分には。


殺せない。


分かっている。


昨夜。


魔獣1体を前にして。


動くことすらできなかった。


七魔将など。


到底。


届かない。


「…………」


けれど。


思い出す。


大雨。


血。


死体。


その中心。


1人で立っていた。


黒髪の男。


「…………」


ヤヌス。


自分には。


殺せない。


でも。


あの人なら。


「…………」


ミレイユの目から。


また。


涙が落ちた。


それでも。


今度は。


俯かなかった。


ミレイユ


「……見たい」


掠れた声。


ミレイユ


「ニコを殺した奴らが……」


「…………」


ミレイユ


「殺されるところを……」


一拍。


ミレイユ


「この目で……見たい」


それが。


正しいのか。


間違っているのか。


もう。


どうでもよかった。


ただ。


ニコを奪った者たちが。


何事もなかったように。


どこかで生きている。


それだけは。


耐えられなかった。


「…………」


ミレイユは。


ゆっくりと。


歩き出した。


◇◇◇


必要なものだけを。


鞄へ詰めていく。


保存の利く食料。


水筒。


着替え。


金。


簡単な薬。


裁縫道具。


旅人たちから。


何度も聞いてきた。


旅に必要なもの。


危険な道。


宿の探し方。


街へ入るために必要な金。


全部。


覚えている。


「…………」


引き出しを開ける。


そして。


ニコの器。


少し迷う。


「…………」


大きすぎる。


旅には。


邪魔になる。


分かっている。


それでも。


手放せなかった。


ミレイユは。


器ではなく。


その横に落ちていた。


小さな木製の匙を手に取った。


「…………」


ニコが。


いつも使っていたもの。


それを。


布へ包む。


鞄の。


一番奥へ入れた。


「…………」


立ち上がる。


振り返る。


《渡り鳥亭》。


夫と始めた店。


ニコを育てた場所。


昨日まで。


自分のすべてだった場所。


「…………」


ミレイユは。


長い間。


その光景を見つめていた。


そして。


扉へ向かった。


一度も。


振り返らなかった。


◇◇◇


街の出口。


橋へ続く道。


「…………」


ヤヌスは。


1人。


立っていた。


背には。


布で巻かれたアウロラ。


外套は。


昨夜の雨でまだ僅かに湿っている。


視線の先。


街の外。


「…………」


目的は。


変わらない。


カインを探す。


見つける。


そして。


殺す。


それだけ。


「おい」


「…………」


ヤヌスが。


振り返る。


そこには。


門兵。


そして。


大柄な魔獣狩り。


見覚えのある2人。


門兵


「もう行くのか?」


ヤヌス


「ああ」


魔獣狩り


「ったく……」


男が。


ヤヌスを見る。


魔獣狩り


「昨日の魔人ども」


「お前がやったんだろ」


ヤヌス


「……どれだ」


魔獣狩り


「どれって……」


呆れた顔。


魔獣狩り


「街の西側だ」


「魔獣も魔人も、まとめて死体の山になってた」


「…………」


ヤヌスは。


少しだけ考えた。


ヤヌス


「……ああ」


魔獣狩り


「忘れてたのかよ……」


ヤヌス


「邪魔だったから殺した」


「…………」


門兵と魔獣狩りが。


顔を見合わせる。


魔獣狩り


「やっぱり、とんでもねぇな……」


そして。


表情を変えた。


魔獣狩り


「その魔人どもの装備を調べた」


「軍章が出てきた」


「…………」


魔獣狩り


「マルヴァス」


「七魔将第6位」


「昨日この街を襲った連中は、あいつの軍だ」


ヤヌス


「……知ってる」


魔獣狩り


「……何?」


ヤヌス


「会った」


門兵


「……は?」


ヤヌス


「仮面を被ってた」


「俺を街から誘い出したのも、あいつだ」


2人の表情が。


固まった。


魔獣狩り


「待て」


「お前……」


「七魔将本人と会ったのか?」


ヤヌス


「ああ」


魔獣狩り


「それで……」


一度。


言葉が止まる。


魔獣狩り


「生きて帰ってきたのか?」


ヤヌス


「逃げられた」


「…………」


今度こそ。


2人とも。


何も言えなかった。


ヤヌスは。


それ以上説明しない。


踵を返す。


門兵


「……兄ちゃん」


足が止まる。


門兵


「橋の向こうから歩いてきた時は……」


「とんでもねぇ奴が来たと思ったんだけどな」


「…………」


ヤヌスが振り返る。


ヤヌス


「なんでだ?」


門兵


「なんでって……」


「…………」


門兵


「魔獣食ってる奴が普通なわけねぇだろ!」


「…………」


ヤヌス


「食えるぞ」


門兵


「そういう話じゃねぇ!」


魔獣狩り


「ははっ!」


久しぶりに。


小さな笑い声が。


街の出口に響いた。


昨夜。


多くの人間が死んだ。


まだ。


街中から泣き声が聞こえている。


だからこそ。


ほんの一瞬だけ。


その笑い声が。


妙に。


人間らしかった。


「…………」


門兵の顔から。


笑みが消える。


門兵


「……死ぬなよ、兄ちゃん」


「…………」


ヤヌスは。


少しだけ。


黙った。


ヤヌス


「死ぬつもりはない」


門兵


「……そっか」


魔獣狩り


「次に会った時は、一杯奢れよ」


ヤヌス


「なんで俺が奢る」


魔獣狩り


「俺の酒を散々飲みやがっただろ!」


ヤヌス


「お前が勝手に置いていった」


魔獣狩り


「……こいつ」


門兵が。


小さく笑った。


ヤヌスは。


再び。


街の外へ向く。


その時。


ミレイユ


「ヤヌスさん!」


「…………」


足が止まった。


振り返る。


「…………」


ミレイユ。


肩には鞄。


旅装。


腫れた目。


憔悴した顔。


だが。


昨日とは。


目が違った。


「…………」


ミレイユが。


ヤヌスの前まで歩いてくる。


ミレイユ


「私を……連れていってください」


「…………」


ヤヌス


「断る」


即答だった。


ミレイユ


「お願いします」


ヤヌス


「何故だ?」


「お前が俺についてくる理由がない」


ミレイユ


「昨夜、この街を襲った魔族たちは……」


一度。


息を吸う。


ミレイユ


「マルヴァスという者の配下だったそうです」


ヤヌス


「…………」


ミレイユ


「魔人たちが身につけていた軍章から、魔獣狩りの方たちが気づきました」


ヤヌス


「……だからどうした?」


ミレイユ


「私……少しなら、魔族のことが分かります」


ヤヌス


「…………」


ミレイユ


「《渡り鳥亭》には、色々な方が来ました」


「商人、旅人、魔獣狩り……時には教会の方も」


「私はずっと、この店で色んな人の話を聞いてきましたから」


「…………」


ミレイユ


「マルヴァスは、七魔将と呼ばれる魔王軍の幹部です」


ヤヌス


「そうか」


ミレイユ


「そして――」


一拍。


ミレイユ


「その七魔将を束ねる存在は」


「仮面をつけた魔人だと聞いたことがあります」


「…………!」


ヤヌスの目が。


変わった。


ヤヌス


「……それは、本当か?」


ミレイユ


「私が聞いてきた話では」


「七魔将を束ねる存在は、仮面をつけた魔人だと」


「…………」


ヤヌスは。


ミレイユを見る。


昨日まで。


店で料理を作っていた女。


戦う力はない。


だが。


自分の知らないことを。


知っている。


ヤヌス


「……それでも、お前の助けはいらない」


ミレイユ


「…………」


ヤヌス


「俺は自分で探す」


ミレイユ


「……見たいんです」


ヤヌス


「…………?」


ミレイユの手が。


震えた。


ミレイユ


「ニコを殺した奴らが――」


一瞬。


声が詰まる。


それでも。


続けた。


ミレイユ


「殺されるところを」


「…………」


ミレイユ


「この目で……見たいんです」


「…………」


ヤヌスの目が。


僅かに細くなった。


ヤヌス


「……俺に」


「お前の復讐をしろっていうのか?」


ミレイユ


「…………」


ヤヌス


「……お前も随分、壊れたな」


「…………」


ミレイユの口元が。


ほんの僅かに歪んだ。


笑ったのか。


泣こうとしたのか。


自分でも。


分からなかった。


ミレイユ


「……そうかもしれません」


「…………」


ミレイユ


「昨日までは……」


声が震える。


ミレイユ


「ニコさえいてくれれば」


「それでよかったんです」


「…………」


ミレイユ


「夫が帰ってこなくても」


「店を守って」


「ニコが大人になるまで……」


「…………ッ」


唇を噛む。


ミレイユ


「それだけで……よかった……」


「…………」


ミレイユ


「でも」


目を上げる。


ミレイユ


「もう、いないんです」


「…………」


ミレイユ


「帰っても」


「誰もいない」


「料理を作っても」


「食べてくれる人はいない」


「朝になっても」


「起こす人もいない」


「…………」


ミレイユ


「私にはもう……」


涙が。


1粒だけ落ちる。


ミレイユ


「失うものもありません」


「帰る場所も……ありません」


「…………」


ヤヌスの目に。


一瞬。


別の景色が重なった。


奈落。


崩れた小屋。


墓。


血。


そして。


1人で歩き出した。


自分。


「…………」


ヤヌス


「……お前は戦えるのか?」


ミレイユ


「いいえ」


即答だった。


ミレイユ


「戦うことに関しては……」


「全く、お役に立てないと思います」


ヤヌス


「なら、邪魔だ」


ミレイユ


「でも、料理ならできます」


「…………」


ほんの一瞬。


ヤヌスの目が。


止まった。


魔獣狩り


「…………」


門兵


「…………」


2人が。


黙ってヤヌスを見る。


ミレイユ


「食料の買い方も、宿の取り方も、お金の使い方も分かります」


「街や国を移動する時に、何が必要なのかも」


「簡単な読み書きもできます」


「人から話を聞くことにも慣れています」


ヤヌス


「…………」


ミレイユ


「ヤヌスさんよりは……」


ほんの少し。


以前のミレイユのような。


柔らかな声になった。


ミレイユ


「この世界で普通に生きていく方法を知っています」


「…………」


否定できなかった。


金の価値すら。


まともに分からなかった。


文字も。


ニコに教わった。


宿の取り方。


物の相場。


街での暮らし。


知らないことは。


多い。


ミレイユ


「きっと」


「ヤヌスさんのお役に立てます」


「…………」


それでも。


ヤヌスは。


答えない。


ミレイユ


「それでも……足りないのであれば……」


「…………」


一瞬。


ミレイユが俯いた。


自分の身体を見る。


もう。


何が残っているのか。


分からない。


だから。


その言葉すら。


酷く平坦に出た。


ミレイユ


「……必要であれば」


「慰み者にでもなります」


「…………」


門兵


「……お、おい」


魔獣狩り


「…………」


ヤヌス


「……慰み者?」


ミレイユ


「…………え?」


ヤヌス


「なんだ、それは」


「…………」


ミレイユが。


初めて。


完全に固まった。


ミレイユ


「……知らないんですか?」


ヤヌス


「知らん」


「…………」


ミレイユは。


数秒。


ヤヌスを見つめた。


ミレイユ


「……でしたら」


小さく。


息を吐く。


ミレイユ


「知らなくていいです」


ヤヌス


「?」


門兵


「兄ちゃん……」


「いや、なんでもねぇ」


魔獣狩り


「お前、色々すげぇな……」


ヤヌス


「何がだ」


魔獣狩り


「なんでもねぇよ」


「…………」


一瞬だけ。


妙な沈黙が流れた。


だが。


ヤヌスは。


すぐにミレイユを見る。


戦えない。


足手まといになる可能性は高い。


だが。


料理ができる。


文字が読める。


金を扱える。


情報を集められる。


人間の世界を。


自分より知っている。


そして。


「…………」


帰る場所がない。


失うものもない。


奪われた。


復讐だけが。


残った。


「…………」


あの日。


奈落を出た。


自分と。


重なる。


ヤヌス


「……勝手にしろ」


「…………」


ミレイユが。


顔を上げた。


ミレイユ


「……え……?」


ヤヌス


「ついてきたければ、勝手についてこい」


ミレイユ


「…………」


ヤヌス


「ただし」


目が。


冷たくなる。


ヤヌス


「俺はお前を守らない」


「俺は仮面の魔人を殺すために行く」


「お前の復讐を叶えるためじゃない」


「…………」


ヤヌス


「途中で死んでも知らん」


「…………」


ミレイユは。


それを聞いて。


静かに。


頷いた。


ミレイユ


「はい」


一拍。


ミレイユ


「それで構いません」


「…………」


ヤヌスは。


それ以上。


何も言わなかった。


背を向ける。


そして。


歩き出した。


ミレイユも。


その後を追う。


◇◇◇


橋。


「…………」


ヤヌスが。


石造りの橋へ足を踏み出す。


少し後ろ。


ミレイユ。


街の出口では。


門兵と魔獣狩りが。


2人の背中を見ている。


門兵


「……行っちまったな」


魔獣狩り


「ああ」


門兵


「最初は1人だったのにな」


「…………」


あの日。


橋の向こう。


森の方角から。


ぼろぼろの男が。


1人で歩いてきた。


背中には。


大きな剣。


魔獣を食い。


金の価値すら分からず。


人と関わることすら。


面倒そうにしていた男。


「…………」


今。


同じ橋を。


反対へ歩いていく。


その後ろには。


1人の女。


「…………」


ヤヌスは。


振り返らない。


ミレイユも。


街を振り返らなかった。


2人の間には。


まだ。


少し距離がある。


仲間ではない。


家族でもない。


互いを。


理解しているわけでもない。


ただ。


奪われた。


それだけ。


奪われ。


帰る場所を失い。


復讐だけを。


手に残した。


2人。


同じものを抱えた2人が。


今。


同じ方向へ歩いている。


橋の向こうへ。


◇◇◇


少し後。


「ありがとうございました!」


ルミナが。


負傷者へ頭を下げる。


治療は。


ようやく一段落していた。


リリア


「ルミナ」


「さっきの人のところ、行くんでしょ?」


ルミナ


「うん!」


ノクス


「場所は分かるのか」


ルミナ


「《渡り鳥亭》っていう店みたい」


「近くの人に聞いたら教えてくれたよ」


リリア


「じゃあ行こ!」


ルミナ


「うん!」


3人が。


街を走る。


やがて。


壊れた看板が見えた。


《渡り鳥亭》。


ルミナ


「ここ……」


足を止める。


半壊した店。


壊れた扉。


割れた窓。


「…………」


嫌な予感がした。


ルミナ


「すみません!」


中へ入る。


ルミナ


「誰かいますか!?」


「…………」


返事はない。


倒れた机。


割れた食器。


乾いた血。


そして。


誰もいない。


ルミナ


「……あれ?」


リリア


「いないね……」


ノクス


「出た後か」


ルミナ


「でも……」


外へ出る。


ちょうど。


瓦礫を運んでいた住民が通りかかった。


ルミナ


「すみません!」


「ここの女将さん、どこに行ったか知りませんか?」


住民


「ああ……ミレイユさん?」


ルミナ


「はい!」


住民


「さっき街を出ていったよ」


ルミナ


「……え?」


住民


「黒髪の男と一緒に」


「でっかい剣を背負った……」


「…………!」


ルミナの瞳が。


見開かれる。


ルミナ


「どっちですか!?」


住民


「え?」


ルミナ


「どっちに行きました!?」


住民


「橋だよ!」


「森の方へ――」


最後まで。


聞かなかった。


ルミナ


「行こう!」


走る。


リリア


「ちょ、ルミナ!」


ノクス


「待て!」


ルミナは。


走った。


人の間を抜ける。


瓦礫を避ける。


街の出口。


門。


その先。


橋。


「…………!」


辿り着く。


ルミナ


「ヤヌス!!」


声が。


橋の向こうへ響く。


「…………」


返事は。


なかった。


「…………」


誰もいない。


橋の上を。


風だけが吹いている。


ルミナ


「…………」


肩が。


上下する。


息を切らしながら。


遠くを見る。


森へ続く道。


その先に。


もう。


姿はない。


「…………」


また。


届かなかった。


あと少し。


ほんの少し。


早ければ。


「…………」


ルミナの手が。


胸元で握られる。


リリア


「ルミナ……」


遅れて。


2人が追いつく。


ノクスは。


何も言わなかった。


ルミナ


「…………」


けれど。


今までとは。


違う。


噂ではない。


誰かに似た男でもない。


あの女性は。


確かに。


名前を言った。


ヤヌスさん。


そして。


この街にいた。


自分と。


同じ街に。


同じ夜に。


ルミナ


「……生きてる」


小さく。


声が震えた。


ルミナ


「ヤヌス……」


目を閉じる。


泣かなかった。


今度は。


笑った。


ほんの少しだけ。


ルミナ


「……生きてるんだ」


風が。


髪を揺らす。


ルミナは。


もう1度。


橋の向こうを見る。


姿は。


見えない。


それでも。


もう。


迷わなかった。


あの先に。


いる。


「…………」


ルミナ


「……ヤヌス」


その名が。


静かに。


風へ溶けていった。


同じ橋を。


少し前。


ヤヌスは。


ミレイユと渡った。


そして今。


ルミナが。


その先を見つめている。


まだ。


届かない。


まだ。


会えない。


それでも。


2人の距離は。


確かに。


近づいていた。

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