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第7話 選択

第三章 第7話 選択


 夜の森。


 月明かりすら届かない木々の下を、ヤヌスは歩いていた。


「…………」


 足元に残る、僅かな痕跡。


 折れた枝。


 踏み荒らされた草。


 それを追いながら、森の奥へ進む。


 探しているのは1人だけ。


 仮面の魔人。


 カイン。


「…………」


 ヤヌスが足を止める。


 風が吹いた。


 木々が揺れる。


 ざわざわと葉が擦れ合う。


 その音に紛れて。


 何かが動いた。


「……!」


 顔を上げる。


 木々の向こう。


 僅かに月明かりが差し込む場所に。


 誰かが立っていた。


 男。


 黒い外套。


 そして。


 その顔を覆っているものを見た瞬間。


 ヤヌスの呼吸が止まった。


 ――仮面。


「…………」


 森の音が。


 消えた。


 あの日。


 目の前で倒れたレオン。


 ルミナの泣き叫ぶ声。


レオン


「……俺の子だ」


 何もできなかった自分。


 そして。


 レオンの命を奪った男。


『憎しみは力だ』


「…………ッ」


 右手が震える。


 布の下。


 黒い痣のある場所が、熱を持ったような気がした。


 ヤヌスは右手を持ち上げる。


 そして。


 噛んだ。


 歯を立てる。


 強く。


 布越しに皮膚へ痛みが走る。


 黒が出てこないように。


 あの日から何度も繰り返してきた。


 意味などない。


 それでも。


 そうしなければ。


 自分の中にある何かまで、溢れ出してしまいそうだった。


 ゆっくりと。


 右手を口から離す。


 仮面の男だけを見る。


 数日前まであった日常の色は。


 もう。


 その瞳のどこにも残っていなかった。


ヤヌス


「……見つけた」


 仮面の男が。


 ヤヌスを見る。


「…………」


 次の瞬間。


 男が背を向けた。


「!」


 走り出す。


ヤヌス


「待て!!」


 ヤヌスも地面を蹴った。


 木々の間を、仮面の男が駆け抜ける。


 速い。


 並の魔人ではない。


 木の根を飛び越え。


 岩を蹴り。


 森の奥へと進んでいく。


 だが。


 ヤヌスも離れない。


ヤヌス


「カイン!!」


 返事はない。


 男は振り返ることすらしない。


 さらに森の奥へ。


 街から。


 遠ざかっていく。


 やがて。


 リヴェルナの灯りも。


 木々の向こうへ完全に消えた。


 それでも。


 ヤヌスは1度も振り返らなかった。


◇◇◇


 深い森。


 少し開けた場所で。


 仮面の男が止まった。


「…………」


 ヤヌスも足を止める。


 荒い呼吸。


 男が振り返る。


 仮面。


 間違いない。


 あの日と同じ。


 顔を隠した魔人。


「…………」


 ヤヌスの手が。


 アウロラの柄を握った。


 次の瞬間。


 地面が弾けた。


 アウロラを抜く。


 その勢いのまま。


 一気に間合いを潰す。


ヤヌス


「カインッ!!」


 振り下ろす。


 ガァンッ!!


 金属音。


 仮面の男が抜いた細身の剣が、アウロラを受け止めていた。


 足元の土が沈む。


「…………!」


 男の腕が僅かに下がる。


 ヤヌスは止めない。


 剣を返す。


 横薙ぎ。


 男が身を沈める。


 髪が数本飛ぶ。


 さらに踏み込む。


 蹴り。


 男が腕で受けた。


 鈍い音。


 身体が後方へ吹き飛ぶ。


 木の幹へ足をつけ。


 そのまま跳ね返る。


 着地。


 その瞬間には。


 ヤヌスが目の前にいた。


「……!」


 アウロラが迫る。


 男が剣で受け流す。


 火花。


 もう1撃。


 さらに1撃。


 重い。


 速い。


 奈落で生き続けた。


 剣聖ヴァルドに叩き込まれた剣。


 殺さなければ殺される場所で。


 何度も振った。


 何度も斬った。


 その全てが。


 今。


 仮面の男へ向けられていた。


 ガキィン!!


 男の身体が大きく下がる。


「…………」


 追おうとして。


 僅かに。


 ヤヌスの足が止まった。


 何かが。


 違う。


 剣の受け方。


 間合い。


 足運び。


 そして何より。


 圧がない。


 あの日。


 何もできなかった。


 ただ立っているだけで。


 身体が動かなかった。


 レオンを殺した男から感じた。


 あの。


 底の見えない何か。


 それが。


 ない。


「…………」


 一瞬だけ。


 疑念が生まれる。


 だが。


 仮面を見る。


 それだけで。


 胸の奥から憎しみが噴き上がった。


ヤヌス


「……どうでもいい」


 地面を蹴った。


◇◇◇


 同じ頃。


 交易都市リヴェルナ。


 城壁の上。


「……ん?」


 門兵の1人が。


 闇の向こうを見た。


 何かが聞こえる。


 地響き。


 最初は。


 遠雷かと思った。


 だが。


 違う。


 近づいてくる。


 ドドドドドドドド――。


門兵


「なんだ……?」


 暗闇の中。


 無数の影が現れた。


「…………!」


 魔獣。


 1体ではない。


 10体でもない。


 その後ろに。


 魔人。


 さらに。


 その後ろにも。


 影。


門兵


「魔族だ!!」


 鐘が鳴る。


 カンッ!


 カンッ!


 カンッ!


 静かだった夜の街へ。


 けたたましい警鐘が響き渡った。


門兵


「魔族襲来!!」


「門を閉じろ!!」


「魔獣狩りにも知らせろ!!」


「急げ!!」


 巨大な門が閉じ始める。


 同時に。


 城壁の上へ兵たちが走る。


 弓を構える。


門兵


「撃てぇぇぇ!!」


 矢が降る。


 先頭を走る魔獣たちへ突き刺さる。


 何体かが転がった。


 だが。


 後続は止まらない。


「来るぞ!!」


 巨大な魔獣が。


 門へ突っ込んだ。


 ドォォンッ!!


 城壁が震える。


「耐えろ!!」


「絶対に中へ入れるな!!」


 正面。


 兵たちの意識が。


 そこへ集中する。


 ――その時。


 別の城壁。


 音もなく。


 何本もの鉤縄が上がった。


「……?」


 見張りが振り返る。


 遅かった。


 黒い影が城壁を越える。


 魔人。


「敵襲――」


 刃が走った。


 血が。


 城壁へ散る。


 さらに。


 別方向。


 街の外へ続く細い街道。


 避難に使われるはずだった道へ。


 大型の魔獣たちが回り込んでいく。


 正門を攻める。


 城壁を越える。


 退路を塞ぐ。


 兵の詰所。


 倉庫。


 見張り台。


 要所へ。


 魔人たちが正確に向かっていく。


 偶然ではない。


 ただ。


 数で押しているわけでもない。


 城壁の上にいた門兵が。


 ようやく気づいた。


門兵


「こいつら……」


 顔から血の気が引く。


門兵


「ただ攻めてきてるんじゃない……!」


 その直後。


 背後から声が上がった。



門兵


「何……!?」


門兵2


「こいつら……魔王軍だ!!」


「魔王軍が来たぞォォォ!!」


「…………!」


 夜のリヴェルナに。


 絶望の声が響いた。


◇◇◇


 ガキィン!!


 火花が散る。


 仮面の男の剣が大きく弾かれた。


「……!」


 ヤヌスが踏み込む。


 腰を捻る。


 アウロラを振り抜く。


 男が顔を逸らす。


 間に合わない。


 刃が。


 仮面を捉えた。


 ガキィンッ!!


「…………!」


 仮面の中央へ。


 亀裂が走った。


 ピシッ。


 ピシッ。


 亀裂が広がる。


 そして。


 砕けた。


 仮面の破片が。


 地面へ落ちる。


 カラン。


「…………」


 ヤヌスの動きが。


 止まった。


 現れた顔。


 知らない。


 ヤヌスは。


 カインの素顔を知らない。


 それでも。


 分かった。


 違う。


 目の前にいる男から感じるものも。


 剣も。


 動きも。


 声も。


 何もかもが。


 あの日の魔人とは違う。


 こいつは――。


 カインではない。


「…………」


 ヤヌスの瞳が。


 ゆっくりと細くなる。


ヤヌス


「……お前」


 一拍。


ヤヌス


「誰だ?」


 男は答えない。


 砕けた仮面の残りへ手を触れる。


 指先で外し。


 地面へ落とした。


「…………」


 慌てていない。


 怒ってもいない。


 むしろ。


 ヤヌスを見ていた。


 観察するように。


 頭から。


 足元まで。


 そして。


 アウロラへ。


 視線を向ける。


マルヴァス


「なるほど」


「…………」


マルヴァス


「報告にあった“大剣を背負った男”」


 僅かに目を細める。


マルヴァス


「お前のことか」


ヤヌス


「……何の話だ」


マルヴァス


「最近、この辺りで我々の同胞を単独で殺した人間がいるとな」


「…………」


 ヤヌスの脳裏に。


 森で殺した3体の魔人が浮かぶ。


 男は。


 その僅かな反応すら見逃さなかった。


マルヴァス


「やはりそうか」


「…………」


 ヤヌスだけが。


 カインを探していたわけではない。


 向こうも。


 自分を見ていた。


 調べていた。


 男がゆっくりと剣を下ろす。


マルヴァス


「名乗っておこう」


 空気が。


 変わった。


「…………!」


 ヤヌスの肌が。


 僅かに粟立つ。


 先ほどまでとは違う。


 目の前の男が。


 初めて。


 自分という存在を隠すことをやめた。


 静かな魔力が。


 辺りへ広がる。


 木々がざわめく。


 足元の葉が震える。


 空気が重くなる。


 呼吸が。


 僅かにしづらい。


 力を誇示するような。


 荒々しい圧ではない。


 もっと静かで。


 冷たい。


 蛇に見られているような。


 不快な感覚。


マルヴァス


「魔王軍」


 一拍。


マルヴァス


「七魔将第6位――マルヴァス」


「…………」


 ヤヌスの表情は変わらなかった。


ヤヌス


「……知らん」


 アウロラを握る。


ヤヌス


「なぜ、仮面をつけていた」


「…………」


 マルヴァスが。


 ほんの僅かに笑った。


マルヴァス


「お前が」


「仮面の魔人を探していると聞いた」


「…………」


 風が。


 吹き抜ける。


 目撃情報。


 仮面。


 自分を見るなり逃げた男。


 そして。


 リヴェルナから遠ざかるように続いた追跡。


 ずっと。


 誘導されていた。


「…………!」


 ヤヌスの眉が動く。


マルヴァス


「随分と素直についてきてくれた」


「…………」


 最初から。


 マルヴァスは戦うためだけに現れたのではない。


 ヤヌスが何を探しているのかを知り。


 それを利用して。


 自分から街を離れさせた。


ヤヌス


「……お前」


 低い声。


ヤヌス


「カインを知ってるのか?」


「…………」


 マルヴァスの目が。


 ほんの僅かに変わった。


 それだけで。


 十分だった。


 ヤヌスが1歩近づく。


ヤヌス


「知ってるんだな」


マルヴァス


「…………」


ヤヌス


「どこにいる」


 さらに。


 1歩。


ヤヌス


「教えろ」


 マルヴァスは答えない。


 代わりに。


 口元を僅かに歪めた。


マルヴァス


「そんなことを聞いている場合か?」


ヤヌス


「……何?」


 マルヴァスが。


 ヤヌスから視線を外した。


 遠く。


 リヴェルナのある方角を見る。


マルヴァス


「お前がいた街」


「…………」


 一拍。


マルヴァス


「今頃、私の軍が攻めている」


「…………」


 ヤヌスの目が。


 見開かれた。


◇◇◇


 ドォォンッ!!


 城門が揺れる。


「うわぁぁぁ!!」


「逃げろ!!」


「魔族だ!!」


 リヴェルナ。


 炎が上がっていた。


 城壁を越えた魔人が。


 民家へ火を放つ。


 魔獣が道を駆ける。


 荷車を弾き飛ばす。


 悲鳴。


 怒号。


 泣き声。


 さっきまで。


 人々が笑っていた道を。


 血が流れていた。


門兵


「ここを通すな!!」


「住民を南へ逃がせ!!」


 門兵たちが剣を構える。


 魔獣が迫る。


 斬る。


 1体。


 だが。


 次が来る。


 その後ろから。


 さらに2体。


「くそっ!!」


 別の通りでは。


 魔獣狩りたちが戦っていた。


魔獣狩り


「子供を先に逃がせ!!」


「こっちは俺たちが抑える!!」


 剣が振られる。


 それでも。


 敵は減らない。


 いや。


 違う。


 こちらが動くたび。


 先回りされている。


「西へ逃げろ!!」


「駄目だ! 西門も塞がれてる!!」


「なら南だ!」


「そっちにも魔獣がいる!!」


「なんでだよ……!」


 逃げ道が。


 1つずつ。


 消えていく。


 兵が集まれば。


 別の場所が襲われる。


 救援に向かえば。


 その途中を狙われる。


 戦っているのは。


 街にいる魔族たち。


 だが。


 その全てを動かしている何者かの手が。


 確かに。


 戦場全体を覆っていた。


◇◇◇


「…………」


 遠い。


 ここからでは。


 リヴェルナは見えない。


 だが。


 マルヴァスの言葉が。


 頭から離れない。


 ――私の軍が攻めている。


「…………」


 脳裏に。


 店の灯りが浮かんだ。


 焼いた肉。


 パン。


 自分のために置かれた皿。


 笑うミレイユ。


 木の棒を握るニコ。


『ヤヌスお兄ちゃん!』


「…………」


『……ちゃんと帰ってくる?』


 アウロラを握る手に。


 力が入った。


 今なら。


 戻れる。


 走れば。


 まだ。


 間に合うかもしれない。


 ヤヌスが。


 僅かに。


 リヴェルナの方角を見る。


 マルヴァスは。


 何も言わなかった。


 急かさない。


 剣すら構えない。


 ただ。


 見ている。


 ヤヌスが。


 何を選ぶのか。


「…………」


 長い沈黙。


 やがて。


 ヤヌスが顔を戻した。


 マルヴァスを見る。


 その瞳に。


 再び。


 憎しみが宿る。


ヤヌス


「……カインはどこかって聞いてるんだ」


「…………」


 低い声。


 冷たい。


 それなのに。


 抑えきれない感情が滲んでいた。


 マルヴァスの口元が。


 僅かに上がった。


◇◇◇


 ガシャァァン!!


 《渡り鳥亭》の窓が割れた。


「きゃあっ!!」


 客たちが身を伏せる。


 外では。


 悲鳴が響いている。


ニコ


「お母さん!」


ミレイユ


「ニコ!」


 ミレイユが駆け寄る。


 ニコを抱き寄せた。


 割れた窓の向こう。


 夜空が。


 赤い。


「…………」


 燃えている。


 建物が。


 道が。


 自分たちの街が。


「南へ逃げろ!」


「早く!!」


 外から声が聞こえる。


 客たちが。


 一斉に出口へ向かう。


 だが。


 直後。


 店の前を。


 巨大な魔獣が駆け抜けた。


 ドンッ!!


 荷車が吹き飛ぶ。


「うわぁぁぁ!!」


 悲鳴。


 外へ出ようとしていた客たちの足が止まった。


「駄目だ!」


「裏から出ろ!!」


 人々が店の裏口へ殺到する。


 ミレイユも。


 ニコの手を握った。


ミレイユ


「ニコ、こっち!」


ニコ


「う、うん!」


 裏口へ向かう。


 だが。


 外から。


 獣の唸り声が聞こえた。


「…………!」


 ミレイユが足を止める。


 逃げ道が。


 ない。


 無理に外へ出れば。


 ニコを危険に晒す。


「…………」


 ミレイユは。


 息子の手を握り直した。


ミレイユ


「ニコ」


 しゃがむ。


 目線を合わせる。


ミレイユ


「ここに隠れよう」


ニコ


「でも……」


ミレイユ


「大丈夫」


 震える頬へ。


 優しく手を添える。


ミレイユ


「お母さんがいるから」


「…………」


 ニコが頷いた。


ニコ


「……うん」


 ミレイユは。


 ニコを連れて店の奥へ向かう。


 厨房。


 さらにその奥。


 物置として使っている小さな部屋へ。


 扉を閉める。


 外から。


 何かが壊れる音。


 悲鳴。


 魔獣の咆哮。


 ニコが。


 ミレイユの服を強く握った。


ニコ


「お母さん……」


ミレイユ


「大丈夫」


 抱き寄せる。


ミレイユ


「ここにいるよ」


「…………」


 ニコが。


 母親の胸へ顔を埋める。


 けれど。


 少しして。


 顔を上げた。


ニコ


「……ヤヌスお兄ちゃん」


「…………」


ニコ


「まだ帰ってきてない」


 ミレイユは。


 何も言えなかった。


ニコ


「でも」


 震える声で。


 ニコが続ける。


ニコ


「帰ってくるよね?」


「…………」


 出ていく直前。


 自分が聞いた言葉。


『ちゃんと帰ってくる?』


 ヤヌスは。


 答えなかった。


 それでも。


 ニコは。


 小さな拳を握った。


ニコ


「絶対、帰ってくる」


「…………」


ニコ


「ヤヌスお兄ちゃん、強いもん」


「絶対に帰ってくる」


 自分へ言い聞かせるように。


 何度も。


 そう呟く。


 ミレイユは。


 そんな息子を抱きしめた。


ミレイユ


「……うん」


 目を閉じる。


ミレイユ


「きっと帰ってくるよ」


 燃える街の中。


 《渡り鳥亭》だけが。


 2人に残された。


 帰る場所だった。


◇◇◇


 リヴェルナへ続く街道。


 ルミナが。


 足を止めた。


「…………?」


 遠く。


 空が赤い。


 黒い煙が。


 夜空へ伸びている。


ルミナ


「……何、あれ」


 ノクスの表情が変わる。


ノクス


「煙だ」


リリア


「まさか……」


 その時。


 前方から。


 人々が走ってきた。


 荷物すら持っていない。


 子供を抱えた女。


 血を流している男。


 老人の手を引く若者。


「……!」


 ルミナが駆け寄る。


ルミナ


「何があったんですか!?」


「魔族だ!!」


 男が叫ぶ。


「リヴェルナが襲われてる!!」


「魔王軍だ!!」


「街が……!」


 男は。


 そのまま走り去った。


「…………」


 ルミナが。


 燃える街を見る。


 あそこに。


 ヤヌスがいるかもしれない。


 ずっと。


 探してきた。


 会いたかった。


 取り戻したかった。


 けれど。


 今。


 その街から。


 泣きながら人々が逃げてきている。


「…………」


 迷いは。


 なかった。


ルミナ


「お姉さんたち!」


 ノクスとリリアを見る。


 2人は。


 すでに分かっていた。


ノクス


「行くぞ」


リリア


「うん!」


 ルミナが。


 地面を蹴る。


 3人は。


 人々が逃げてくる方向とは逆へ。


 燃えるリヴェルナへ向かって走り出した。


◇◇◇


 ガァンッ!!


 アウロラと細身の剣がぶつかる。


 衝撃に。


 周囲の木々が震えた。


 マルヴァスの身体が後方へ滑る。


 土を抉り。


 落ち葉を巻き上げる。


 ヤヌスが追う。


ヤヌス


「カインはどこだ!!」


 振り下ろす。


 マルヴァスが避ける。


 アウロラが地面を叩く。


 土が爆ぜる。


 返す刃。


 マルヴァスの頬を掠める。


 血が1筋。


 流れた。


マルヴァス


「なるほど……」


 血を。


 指先で拭う。


 見る。


マルヴァス


「報告以上か」


ヤヌス


「答えろ!!」


 突進。


 剣。


 蹴り。


 拳。


 ヤヌスの攻撃は。


 止まらない。


 だが。


 マルヴァスは。


 真正面から打ち合わない。


 木々を使い。


 避ける。


 流す。


 距離を取る。


 そして。


 見る。


 足運び。


 速度。


 アウロラ。


 呼吸。


 攻撃の癖。


 視線。


 全てを。


 観察している。


「…………」


 ヤヌスの右腕が。


 僅かに疼いた。


 布の下。


 黒い痣。


 憎しみに。


 反応するように。


「……ッ」


 ヤヌスが。


 一瞬だけ右腕を見る。


 その瞬間。


 マルヴァスの瞳が。


 細くなった。


マルヴァス


「……ほう」


「…………!」


 ヤヌスが顔を上げる。


マルヴァス


「その腕」


「…………」


 マルヴァスの視線が。


 右腕へ向いている。


 ヤヌスの表情が。


 変わった。


ヤヌス


「見るな」


 踏み込む。


 先ほどまでより。


 さらに速い。


 アウロラが。


 マルヴァスの首へ迫る。


 だが。


 マルヴァスは。


 笑った。


マルヴァス


「十分だ」


「…………!」


 マルヴァスの足元から。


 黒い靄が噴き出した。


 木々の間へ。


 一気に広がる。


 視界が。


 黒く塞がれた。


ヤヌス


「ッ!」


 アウロラを振る。


 風圧が靄を吹き飛ばす。


 枝葉が大きく揺れる。


 だが。


 そこには。


 もう誰もいない。


「…………!」


 ヤヌスが周囲を見る。


ヤヌス


「待て!!」


 気配が。


 急速に遠ざかっていく。


 追おうと。


 足を踏み出す。


 その時。


 風向きが変わった。


「…………」


 焦げた匂い。


 ヤヌスの足が。


 止まる。


 ゆっくり。


 振り返る。


 木々の隙間。


 遥か遠く。


 夜空へ。


 黒い煙が昇っていた。


「…………」


 その下。


 赤い。


 空が。


 燃えている。


 リヴェルナ。


「…………」


 ヤヌスの目が。


 大きく開いた。


『……ちゃんと帰ってくる?』


「…………!」


 ニコ。


 ミレイユ。


 《渡り鳥亭》。


 朝。


 パンの匂い。


 3人の名前を書いた紙。


 木の棒。


 笑い声。


 全てが。


 一気に。


 戻ってきた。


「…………ッ!」


 外套の内側。


 折り畳んだ紙が。


 走り出した身体に揺れた。


 ヤヌスが。


 地面を蹴る。


 走る。


 来た道を。


 戻る。


 木々の間を駆け抜ける。


 枝が頬を切る。


 構わない。


 倒木を飛び越える。


 斜面を駆け下りる。


 止まらない。


「はっ……!」


 息が乱れる。


 さらに速く。


 もっと。


 速く。


 カインを追った時よりも。


 速く。


『ちゃんと帰ってくる?』


 ニコの声が。


 何度も。


 頭の中で響く。


「…………ッ」


 森を抜ける。


 遠く。


 リヴェルナが見えた。


 炎。


 黒煙。


 赤く染まった夜空。


 ヤヌスの顔が。


 初めて。


 焦りに歪んだ。


ヤヌス


「……くそっ!」


 地面を蹴る。


 さらに。


 速度を上げる。


 燃えるリヴェルナへ。


 ヤヌスは走った。

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