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第3話 師弟

第2章 剣聖


第3話 師弟


 奈落。


 湿った風が。


 鬱蒼と生い茂る木々の間を吹き抜けていた。


「…………」


 開けた場所に。


 2人の人影が向かい合っている。


 片方は。


 黒髪の少年。


 ヤヌス。


 右手には、黒い布。


 両手で握るのは。


 使い込まれた木剣だった。


「…………」


 その正面。


 異形へ変わった半身にも、黒い布を巻いた老人。


 ヴァルド。


 こちらも。


 片手に木剣を提げている。


「…………」


 風が止まる。


 木々のざわめきが消えた。


 ヤヌスは。


 ヴァルドの足元を見つめている。


 左足が前。


 右足が後ろ。


 身体から力は抜け。


 剣先も、僅かに下がっている。


 どこからでも攻められる。


 だが。


 どこにも隙がない。


「…………」


 ヤヌスが。


 静かに息を吐いた。


 右足へ力を込める。


 次の瞬間。


 湿った地面を蹴った。


 ダンッ――!


 一気に。


 ヴァルドとの間合いを詰める。


ヤヌス

「はぁッ!!」


 木剣を振り下ろす。


 ヴァルドが。


 片手で木剣を持ち上げた。


 ガァンッ――!


 乾いた音が。


 奈落の森へ響き渡る。


「…………!」


 ヤヌスの剣が受け止められる。


 だが。


 以前のように。


 力任せに押し込もうとはしない。


 木剣を滑らせ。


 ヴァルドの剣を外へ流す。


 そのまま。


 身体を回転させた。


「…………」


 横薙ぎ。


 木剣が。


 ヴァルドの脇腹へ迫る。


 だが。


 ヴァルドは半歩だけ後ろへ下がった。


 剣先が。


 衣服の表面を掠めて通り過ぎる。


「――ッ」


 届かない。


 しかし。


 ヤヌスは止まらない。


 振り抜いた木剣を返し。


 逆方向から、ヴァルドの肩を狙う。


 ガンッ――!


 再び。


 2本の木剣が衝突した。


「…………」


 受けられる。


 離れる。


 追う。


 踏み込む。


 ヴァルドの攻撃を受け。


 迫る剣先をかわし。


 隙を見つければ。


 即座に反撃へ移る。


「…………」


 初めて剣を握った頃とは違う。


 速さも。


 技術も。


 相手の動きを見る目も。


 確実に成長していた。


 それでも。


 ヤヌスの木剣は。


 ヴァルドの身体へ届かない。


「…………」


 突き出された剣先を。


 ヤヌスが首を傾けてかわす。


 頬のすぐ横を。


 木剣が通り過ぎた。


 その瞬間。


 ヤヌスは。


 大きく右へ踏み込むと見せた。


「…………」


 ヴァルドの視線が。


 僅かに動く。


 だが。


 ヤヌスは右へ進まない。


 地面へついた足を軸に。


 身体を左へ反転させる。


 ヴァルドの剣を掻い潜り。


 一気に横へ回り込んだ。


「…………!」


 ヴァルドの背中が見える。


 間合いの内側。


 剣を振れば。


 今度こそ届く。


ヤヌス

「今度こそ――」


 踏み込む。


 その直前。


 ヴァルドの足が動いた。


「――ッ」


 コツン。


 足先が。


 ヤヌスの踵へ触れる。


 それだけだった。


 だが。


 踏み込もうとしていた足から。


 僅かに支えが外れる。


ヤヌス

「うわっ!?」


 身体が前へ流れた。


 木剣が空を切り。


 ヤヌスは。


 勢いのまま地面へ転がった。


 ドサッ――!


「…………」


 湿った土の上へ。


 仰向けに倒れる。


 見上げた先。


 ヴァルドが立っていた。


 その木剣は。


 ヤヌスの喉元へ向けられている。


ヴァルド

「まだまだじゃな」


ヤヌス

「……今のはいけたと思ったんだけどな」


ヴァルド

「そう思ったから、負けたんじゃ」


ヤヌス

「……またそれかよ」


 何度も聞かされた言葉だった。


 上手くいったと思えば。


 気が緩んでいる。


 勝てると思えば。


 もう負けている。


「…………」


 ヤヌスは。


 喉元の木剣を手で押し退けた。


 地面へ片手をつき。


 ゆっくりと立ち上がる。


ヤヌス

「もう1回」


ヴァルド

「休まんのか?」


ヤヌス

「今のままじゃ終われない」


ヴァルド

「そうやって熱くなるから」


 一拍。


ヴァルド

「何度やっても、同じところで負けるんじゃがな」


ヤヌス

「うるさい」


 ヤヌスは。


 木剣を構え直した。


 ヴァルドが小さく息を吐く。


 だが。


 その口元には。


 僅かな笑みが浮かんでいた。


ヴァルド

「ならば、来い」


「…………」


 再び。


 2人の間から音が消えた。


 ヤヌスが地面を蹴る。


 ヴァルドへ接近し。


 木剣を振り下ろす。


 ガンッ――!


 受け止められる。


 剣を返す。


 さらに1撃。


 ヴァルドの木剣が。


 最小限の動きで軌道を逸らした。


ヴァルド

「剣だけを見るな」


ヤヌス

「分かってる!」


 ヴァルドの木剣が。


 ヤヌスの肩へ迫る。


 半歩、退く。


 紙一重でかわした。


ヴァルド

「足を見ろ」


「…………」


 ヤヌスの視線が。


 ヴァルドの足元へ落ちる。


 その瞬間。


 木剣が下から跳ね上がった。


ヤヌス

「――ッ!」


 咄嗟に。


 自らの木剣で受ける。


 ガンッ――!


 腕へ。


 重い衝撃が走った。


ヴァルド

「足だけを見るな」


ヤヌス

「どっちだよ!」


ヴァルド

「全部見ろ」


ヤヌス

「無茶言うなよ!」


ヴァルド

「できるようになるまでやるんじゃ」


「…………」


 ヴァルドの剣が続く。


 右。


 左。


 上。


 ヤヌスは。


 迫る木剣を受けながら後退する。


ヴァルド

「剣」


 一撃。


ヴァルド

「足」


 もう1撃。


ヴァルド

「呼吸」


 さらに。


ヴァルド

「重心」


 ヴァルドが踏み込む。


 ヤヌスは。


 正面から木剣を受け止めた。


 ガァンッ――!


ヴァルド

「間合い」


「…………ッ」


 剣を押し返す。


 ヴァルドの身体が。


 僅かに後ろへ退いた。


ヴァルド

「そして」


 一拍。


ヴァルド

「相手の目」


「…………」


 ヴァルドの視線が。


 ヤヌスの右肩へ向いた。


 次は。


 右から来る。


「…………!」


 そう判断し。


 ヤヌスが身体を左へ動かす。


 だが。


 ヴァルドの木剣は動かなかった。


「――ッ」


 視線だけの誘導。


 体勢を崩したヤヌスの胸へ。


 ヴァルドの足裏が押し当てられる。


 ドンッ――!


ヤヌス

「ぐっ!」


 蹴り飛ばされる。


 両足で地面を滑り。


 木の根へぶつかる直前で踏み止まった。


ヴァルド

「相手の目が」


ヴァルド

「常に真実を語ると思うな」


ヤヌス

「……分かってる」


ヴァルド

「今、騙されたばかりではないか」


ヤヌス

「分かってるけど」


 一拍。


ヤヌス

「まだ、できないだけだ」


「…………」


 ヴァルドが。


 僅かに目を細める。


 以前のヤヌスなら。


 意味も分からないまま、反発していただろう。


 今は違う。


 言われていることを理解しようとしている。


 自分に何が足りないのかも。


 分かり始めている。


「…………」


 あとは。


 頭で理解したものを。


 考えずとも動けるほど、身体へ染み込ませるだけ。


 だが。


 それが。


 最も難しい。


ヴァルド

「ならば」


 一拍。


ヴァルド

「できるまで繰り返せ」


ヤヌス

「言われなくても、そのつもりだ」


「…………」


 ヤヌスが踏み込む。


 剣がぶつかる。


 離れる。


 再び迫る。


 何度も。


 何度も。


 木剣の音が、森へ響いた。


「…………」


 ヤヌスは。


 ヴァルドの剣を受け流す。


 脇腹へ迫った足をかわし。


 懐へ入り込んだ。


 木剣を振るう。


 受け止められる。


 さらに押し込む。


「…………ッ」


 今度こそ。


 1撃を入れる。


 勝ちたい。


 この老人へ。


 自分の成長を認めさせたい。


 焦りが。


 少しずつ動きを荒くしていく。


「…………」


 ヤヌスが。


 右手へ力を込めた。


 その時だった。


 ドクン――。


「…………!」


 布の下。


 右手の痣が。


 僅かに疼いた。


 熱が。


 指先から腕へ走る。


「…………」


 ヤヌスの動きが止まった。


 振り上げていた木剣を下ろす。


 自らの右手を見る。


 黒い布。


 その隙間から。


 禍々しい気配が漏れ出そうとしていた。


「…………」


 ヴァルドも。


 その変化へ気づいている。


 だが。


 何も言わない。


 剣も向けない。


 ただ。


 ヤヌスの選択を待っていた。


「…………」


 ヤヌスは。


 目を閉じた。


 ゆっくりと息を吸う。


 そして。


 長く吐き出した。


「…………」


 勝ちたい。


 届きたい。


 その気持ちは消えていない。


 だが。


 そのために。


 自分を失っては意味がない。


「…………」


 右手を強く握る。


 布の下で。


 疼いていた痣が、少しずつ静まっていく。


 漏れ出していた気配も。


 やがて消えた。


「…………」


 ヤヌスが目を開く。


 ヴァルドと視線が重なった。


ヴァルド

「……それでよい」


ヤヌス

「まだ何もしてないだろ」


ヴァルド

「しなかったから、言っておる」


「…………」


 ヴァルドが。


 木剣を下ろした。


ヴァルド

「力に呑まれるな」


 一拍。


ヴァルド

「それは、お主の身体じゃ」


ヴァルド

「お主自身が、御さねばならん」


「…………」


 ヤヌスは。


 黒い布に覆われた右手を見る。


 この布を巻くようになってから。


 以前のように。


 突然、黒が溢れ出すことは少なくなった。


 それでも。


 消えたわけではない。


 今も油断すれば。


 黒は感情へ反応する。


 怒り。


 憎しみ。


 焦り。


 心に生まれた隙間へ入り込み。


 再び。


 身体を奪おうとする。


ヴァルド

「どれほど強い力を持とうと」


ヴァルド

「己を失えば」


 一拍。


ヴァルド

「それは、お主の力ではない」


「…………」


 ヴァルドは。


 木剣の先を、ヤヌスへ向けた。


ヴァルド

「剣を握ったなら――」


 一拍。


 穏やかだった眼差しが。


 鋭く変わる。


ヴァルド

「獣になるな」


「…………」


 ヤヌスは。


 その言葉を黙って受け止めた。


 森で。


 アベラントを殴り続けた自分。


 壊れる姿を見て。


 笑っていた自分。


 あの時の自分は。


 剣士ではない。


 人間ですらなかった。


 ただ。


 壊すことだけを求める獣だった。


「…………」


 ヤヌスは。


 木剣を握り直した。


ヤヌス

「……ああ」


「…………」


 短い返事。


 だが。


 そこに迷いはなかった。


 ヴァルドは。


 僅かに目を細める。


ヴァルド

「ならば、よい」


 一拍。


ヴァルド

「続けるぞ」


ヤヌス

「少しくらい休ませろよ!」


ヴァルド

「今ので休んだじゃろう」


ヤヌス

「休んでない!」


ヴァルド

「口を動かす余裕はあるようじゃな」


「…………」


 ヴァルドが踏み込む。


 木剣が。


 ヤヌスの頭へ振り下ろされた。


ヤヌス

「危なっ!?」


 咄嗟に受け止める。


 ガァンッ――!


 再び。


 剣戟の音が。


 奈落の森へ響き始めた。


◇◇◇


 修行を終えた頃には。


 僅かに差し込んでいた光も、薄くなり始めていた。


「はぁ……はぁ……」


 ヤヌスは。


 太い木の根へ背中を預けて座っている。


 木剣を地面へ放り出し。


 額から流れる汗を、腕で拭った。


「…………」


 その少し離れた場所。


 ヴァルドは立ったまま。


 木剣の表面についた土を払っている。


 呼吸は。


 まるで乱れていない。


ヤヌス

「……ジジイ」


ヴァルド

「なんじゃ」


ヤヌス

「本当に年寄りか?」


ヴァルド

「何が言いたい」


ヤヌス

「全然、疲れてないだろ」


ヴァルド

「お主が無駄に動きすぎなんじゃ」


ヤヌス

「あんな動きをして平気な年寄りがいるかよ」


ヴァルド

「目の前におるではないか」


ヤヌス

「普通じゃないだろ」


ヴァルド

「今更、気づいたのか?」


「…………」


 ヤヌスは。


 ヴァルドの異形へ変わった半身を見る。


ヤヌス

「……確かに」


 納得したように呟く。


ヴァルド

「そこは否定せんのか」


ヤヌス

「事実だろ」


ヴァルド

「可愛げのない小僧じゃ」


「…………」


 ヤヌスは。


 木の根へ身体を預けたまま、空を見上げる。


 枝葉に覆われ。


 空そのものは見えない。


 それでも。


 僅かな光が、葉の隙間から落ちていた。


ヤヌス

「……いつか絶対、勝つ」


ヴァルド

「そうか」


ヤヌス

「勝ったら、飯を作ってくれ」


ヴァルド

「いつも作っておるじゃろ」


ヤヌス

「じゃあ……」


 一拍。


ヤヌス

「何か考えとく」


ヴァルド

「勝ってから考えろ」


ヤヌス

「それもそうだな」


「…………」


 短い沈黙。


 遠くから。


 アベラントの唸り声が聞こえる。


 奈落の森。


 人間の住める場所ではない。


 いつ、何が襲ってくるのかも分からない。


 それでも。


 2人の間には。


 穏やかな時間が流れていた。


「…………」


 ヤヌスが。


 横目でヴァルドを見る。


ヤヌス

「なあ、ジジイ」


ヴァルド

「今度はなんじゃ」


ヤヌス

「俺が勝ったら」


ヤヌス

「もうジジイって呼ぶの、やめてやろうか?」


ヴァルド

「勝たずとも、今すぐやめて構わんぞ」


ヤヌス

「じゃあ、勝つまではジジイでいいな」


ヴァルド

「なぜ、そうなる」


「…………」


 ヴァルドの眉間へ。


 深い皺が刻まれる。


 その顔を見て。


 ヤヌスが小さく笑った。


「…………」


 ただの。


 くだらない会話。


 昨日も。


 今日も。


 明日も。


 変わらず続いていくと思えるような。


 何でもない時間だった。


◇◇◇


 魔女の街。


 星幽の塔にある白い修練場。


「はぁ……はぁ……」


 ルミナ。


 リリア。


 ノクス。


 3人の荒い呼吸が。


 何もない空間へ響いていた。


「…………」


 ルミナの周囲には。


 砕けた結界の光が漂っている。


 リリアの足元には。


 炎によって焼かれた跡。


 ノクスの背後には。


 幾つもの氷の槍が突き刺さっていた。


「…………」


 長く続いた実戦形式の修行。


 全員の魔力も。


 体力も。


 大きく消耗している。


 リリアが。


 その場へ両手をついた。


リリア

「つ、疲れた……」


ノクス

「まだ倒れるな」


リリア

「もう終わりでしょ?」


ノクス

「エリュシア様が終わりと言うまでは、終わりではない」


リリア

「ノクスは真面目すぎるよ……」


「…………」


 その時。


 3人を見ていたエリュシアが口を開いた。


エリュシア

「まだ終わりではない」


リリア

「えぇー……」


ノクス

「リリア」


リリア

「分かってるって……」


 リリアは。


 渋々と身体を起こした。


 ルミナも。


 乱れた呼吸を整えながら、エリュシアを見る。


ルミナ

「次は、何をするんですか?」


エリュシア

「最後に、魔力操作を見る」


「…………」


 エリュシアが指を動かす。


 白い床の上へ。


 円形の魔法陣が現れた。


エリュシア

「3人とも、円の上へ立て」


「…………」


 ルミナ達は。


 魔法陣の周囲へ移動した。


 互いに向かい合い。


 それぞれが手を伸ばす。


 ルミナの右手をリリアが握り。


 左手をノクスが握る。


 3人の手が繋がり。


 小さな輪が作られた。


エリュシア

「これから」


エリュシア

「3人の間で、魔力を循環させる」


リリア

「循環?」


エリュシア

「1人が魔力を流し」


エリュシア

「受け取った者が、それを次へ送る」


 一拍。


エリュシア

「最後の者が」


エリュシア

「最初に流した者へ魔力を返す」


ノクス

「魔力の流れを途切れさせず」


ノクス

「3人の身体を巡らせ続ける、ということですか?」


エリュシア

「そうだ」


 エリュシアの視線が。


 3人の繋いだ手へ落ちる。


エリュシア

「重要なのは、量ではない」


エリュシア

「相手が受け取れる量を感じ取れ」


 一拍。


エリュシア

「多すぎれば」


エリュシア

「相手の魔力経路を傷つける」


エリュシア

「少なすぎれば」


エリュシア

「循環は途中で途切れる」


「…………」


 ルミナは。


 繋いだ手へ僅かに力を込めた。


 右にはリリア。


 左にはノクス。


 2人の体温が。


 掌から伝わってくる。


エリュシア

「受け取った魔力の質」


エリュシア

「流れる速さ」


エリュシア

「身体へ掛かる負担」


 一拍。


エリュシア

「そのすべてを感じながら」


エリュシア

「一定の流れを保ち続けろ」


リリア

「難しそう……」


ノクス

「口を動かす前に集中しろ」


リリア

「まだ始まってないでしょ」


エリュシア

「ならば始めるぞ」


「…………」


 リリアの口が閉じた。


エリュシア

「目を閉じろ」


「…………」


 3人が。


 同時に瞼を閉じる。


 白い空間が消え。


 互いの手から伝わる感覚だけが残った。


エリュシア

「リリアから始めろ」


リリア

「はい」


「…………」


 リリアが。


 静かに息を吐く。


 繋いだ手から。


 赤い魔力が流れ始めた。


「…………」


 熱い。


 だが。


 炎のように焼ける熱ではない。


 陽だまりへ手を伸ばした時のような。


 柔らかな温かさ。


「…………」


 リリアの魔力が。


 ルミナの右手から身体へ入る。


 腕を通り。


 胸の奥へ。


 そこから。


 左手へ向かって流れていく。


ルミナ

「……温かい」


リリア

「なんか、気持ちいいね」


ノクス

「集中しろ」


リリア

「ノクスも気持ちいいんでしょう」


 一拍。


リリア

「顔が緩んでるよ」


ノクス

「緩んでいない」


ルミナ

「目を閉じてるのに分かるの?」


ノクス

「分かる」


リリア

「いや、嘘だね」


「…………」


 ルミナは。


 目を閉じたまま、小さく笑った。


 リリアから受け取った魔力を。


 身体の中で整える。


 強すぎる部分を抑え。


 乱れている流れを揃え。


 ノクスの手へ送り出す。


「…………」


 ノクスは。


 受け取った魔力を滞らせることなく。


 反対側の手から。


 リリアへ返していく。


 赤い魔力が。


 3人の身体を巡る。


 1周。


 また、1周。


 少しずつ。


 流れが安定していった。


エリュシア

「そのまま続けろ」


「…………」


 3人の足元にある魔法陣が。


 淡い赤色へ染まっていく。


 魔力は途切れない。


 乱れも。


 徐々に少なくなっている。


「…………」


 エリュシアは。


 しばらく3人の様子を見つめたあと。


 指先を僅かに動かした。


エリュシア

「止めろ」


「…………」


 リリアが。


 魔力を少しずつ弱めていく。


 完全に流れが止まると。


 足元の赤い光も消えた。


リリア

「……どうでした?」


エリュシア

「最初にしては悪くない」


リリア

「最初にしては、かぁ……」


エリュシア

「ただし」


 一拍。


エリュシア

「流す量が多すぎる」


ノクス

「やはり」


リリア

「ノクスは分かってたの!?」


エリュシア

「受け取った魔力を整えていたのは」


 一拍。


エリュシア

「ほとんどルミナだ」


リリア

「…………」


ルミナ

「リリア姉さんの魔力は」


ルミナ

「少し元気がいいだけだよ」


ノクス

「暴れている、の間違いだろう」


リリア

「ルミナは優しいなぁ」


ノクス

「甘やかすな」


「…………」


 エリュシアが。


 次に、ルミナへ視線を向けた。


エリュシア

「次は、ルミナ」


ルミナ

「はい」


「…………」


 ルミナは。


 もう1度、呼吸を整える。


 自分の中にある魔力へ。


 意識を向ける。


「…………」


 白銀の魔力が。


 胸の奥から湧き上がる。


 身体を通り。


 右手へ。


 そこから。


 リリアの掌へ流れ込んでいく。


「…………」


 魔力は。


 水のように滑らかだった。


 温度も。


 速さも。


 まったく揺らがない。


 受け取る相手へ負担を掛けぬよう。


 必要な分だけが。


 正確に送り出されている。


リリア

「……ふふっ」


ルミナ

「何?」


リリア

「くすぐったい」


ルミナ

「集中してよ、リリア姉さん」


リリア

「してるよ」


 一拍。


リリア

「でも、ルミナの魔力って」


リリア

「何だか柔らかいね」


「…………」


 ルミナから流れた白銀の魔力が。


 リリアを通り。


 ノクスへ。


 そして。


 再びルミナへ戻ってくる。


「…………」


 白い光が。


 3人の足元へ広がっていく。


 流れは安定している。


 先ほどよりも。


 遥かに滑らかだった。


ノクス

「もう少し出しても平気だぞ」


ルミナ

「分かってる……」


「…………」


 ルミナは。


 送り出す魔力を増やそうとする。


 だが。


 流れる量は変わらない。


 さらに。


 意識を集中させる。


 それでも。


 白銀の魔力は。


 同じ量を保ったまま循環している。


「…………」


 エリュシアの目が。


 僅かに細くなった。


エリュシア

「……ルミナ」


ルミナ

「はい」


エリュシア

「お前は」


 一拍。


エリュシア

「潜在的に持っている量に対して」


エリュシア

「使っている魔力が少なすぎる」


「…………」


 ルミナの眉が。


 僅かに寄る。


ルミナ

「ちゃんと出しているつもりなんですけど……」


エリュシア

「だから厄介なんだ」


ルミナ

「……?」


エリュシア

「意識して抑えているのなら」


エリュシア

「その意識を解けばいい」


 一拍。


エリュシア

「だが、お前には」


エリュシア

「抑えている自覚そのものがない」


ルミナ

「…………」


エリュシア

「無意識に」


エリュシア

「自らの魔力へ蓋をしている」


「…………」


 ルミナは。


 自分の中へ意識を向ける。


 だが。


 魔力を抑えている感覚などない。


 今も。


 できる限り多く流そうとしている。


 それなのに。


 外へ出ていく量は変わらない。


リリア

「どうして抑えちゃうんですか?」


エリュシア

「それは、ルミナ自身の問題だろうな」


「…………」


 エリュシアは。


 ルミナを見つめる。


 その膨大な魔力が。


 なぜ少女の中にあるのか。


 リリアも。


 ノクスも知らない。


 ルミナ自身も。


 何ひとつ知らない。


「…………」


 ただ。


 エリュシアだけが。


 その理由へ繋がるものを知っていた。


 だが。


 今は何も語らない。


エリュシア

「ルミナ」


ルミナ

「はい」


エリュシア

「魔力は」


エリュシア

「意思によって形を変え」


 一拍。


エリュシア

「感情によって揺らぐ」


「…………」


 ルミナは。


 目を閉じたまま。


 エリュシアの言葉へ耳を傾ける。


エリュシア

「強い想いが」


エリュシア

「自分でも知らぬ力を引き出すこともある」


ルミナ

「強い想い……」


エリュシア

「大切なものを思い浮かべてみろ」


「…………」


 大切なもの。


 その言葉を。


 胸の中で繰り返す。


「…………」


 閉じた瞼の裏へ。


 最初に浮かんだのは。


 小さな家だった。


 古びた壁。


 3脚の椅子。


 朝の食卓。


 窓から差し込む光。


「…………」


 料理を作るレオン。


 寝癖のついた髪のまま。


 肉を摘み食いしようとするヤヌス。


『それ、俺のだからな!』


『まだ誰のものでもないよ』


『俺が最初に取った!』


『お前達、朝から喧嘩するな』


「…………」


 何でもない朝。


 くだらない言い争い。


 呆れたように笑うレオン。


 不満そうに頬を膨らませるヤヌス。


 それを見て。


 自分も笑っている。


「…………」


 ルミナの口元が。


 ほんの僅かに緩んだ。


 その瞬間。


 白銀の魔力が。


 少しずつ膨らみ始めた。


「…………」


 繋いだ手から流れ出す光が。


 先ほどよりも強くなる。


 だが。


 荒々しくはない。


 春の日差しのように。


 柔らかく。


 温かい。


リリア

「……あ」


「…………」


 魔力が。


 リリアの身体へ満ちていく。


 疲れていた身体が。


 優しい光に包まれる。


リリア

「温かくなってきた……」


ノクス

「…………」


 ノクスも。


 何も言わない。


 だが。


 強張っていた肩から。


 僅かに力が抜けていた。


「…………」


 白銀の魔力が。


 3人の間を循環する。


 流れるたびに。


 少しずつ量を増していく。


「…………」


 エリュシアは。


 黙ったまま、ルミナを見ていた。


 笑顔。


 穏やかな記憶。


 守りたいという想い。


 その感情へ応えるように。


 ルミナの魔力が引き出されていく。


「…………」


 しかし。


 記憶は。


 そこで止まらなかった。


「…………」


 暖かな家が。


 暗闇へ包まれる。


 森。


 炎。


 血の匂い。


 倒れたレオン。


『ルミナ……』


「…………」


 笑っていた顔が。


 血に濡れている。


 胸から。


 赤い血が溢れている。


「…………」


 白い仮面。


 黒い外套。


 剣を握る男。


 カイン。


「…………」


 そして。


 レオンを取り返そうと。


 カインへ向かっていくヤヌス。


 黒に覆われた右半身。


 濁った瞳。


 何度倒されても。


 何度でも立ち上がる。


「…………」


 胸を貫く刃。


 ヤヌスの身体が。


 僅かに浮き上がった。


『ヤヌス……?』


「…………」


 血が落ちる。


 カインが剣を振るう。


 ヤヌスの身体が。


 奈落へ投げ出された。


『ヤヌスッ!!』


「…………」


 伸ばした手。


 遠ざかる指先。


 届かない。


 ヤヌスの姿が。


 暗闇へ呑まれていく。


「…………」


 白銀の魔力が。


 一瞬で跳ね上がった。


 ゴォッ――!!


「…………!」


 足元の魔法陣から。


 眩い光が噴き上がる。


 穏やかだった流れが。


 濁流へ変わった。


ノクス

「ぐっ……!」


 ルミナから流れ込んだ魔力が。


 リリアを通り。


 ノクスへ押し寄せる。


 受け止めきれない。


 次へ流しても。


 次から次へと。


 膨大な魔力が流れ込んでくる。


リリア

「あっ……!」


「…………」


 リリアの指が震える。


 手を離そうとしても。


 流れ込む魔力の圧力によって。


 指先から肩までが強張り。


 思うように身体を動かせない。


ルミナ

「…………」


 ルミナだけが。


 その変化へ気づいていない。


 今も。


 奈落へ落ちていく少年へ。


 届かなかった手を伸ばしている。


ノクス

「ル……ミナ……!」


リリア

「ちょっ……ルミナ……!」


「…………」


 呼びかけは届かない。


 魔力は。


 さらに膨れ上がっていく。


 ゴゴゴゴゴ――。


 真っ白な空間が震えた。


 足元の魔法陣から。


 幾重もの亀裂が広がる。


「…………」


 その時。


 ルミナの身体へ。


 異変が起きた。


ルミナ

(……?)


「…………」


 背中。


 その一部分だけが。


 突然。


 焼けるような熱を持った。


ルミナ

(背中……)


「…………」


 白銀の魔力が。


 さらに大きく膨れ上がった。


ノクス

「ああっ……!」


 ノクスの膝が折れる。


 それでも。


 強張った手は離れない。


リリア

「ル……ミ……ナ……!」


 リリアも。


 苦痛に顔を歪めている。


 2人は。


 流れ込む魔力を必死に次へ送る。


 だが。


 既に限界を越えていた。


リリア

「もう……っ」


 一拍。


 声を振り絞る。


リリア

「もう、だめぇっ!!」


「…………」


 その瞬間。


 ルミナの肩へ。


 誰かの手が置かれた。


エリュシア

「そこまでだ」


「…………」


 静かな声だった。


 だが。


 その一言で。


 暴れ回っていた魔力が止まった。


 ゴォンッ――!


 白銀の光が。


 内側から押し潰されるように消える。


 眩い魔法陣も。


 光の奔流も。


 一瞬で霧散した。


「…………」


 静寂。


 ひび割れた白い床だけが。


 先ほどまでの異常な力を物語っている。


「…………」


 ルミナが。


 ゆっくりと目を開く。


ルミナ

「……え?」


「…………」


 正面。


 ノクスが。


 片膝をついている。


「はぁ……はぁ……」


 肩を大きく上下させ。


 額から汗を流していた。


 その隣。


 リリアも。


 床へ両手をついている。


「はぁ……っ……はぁ……」


 2人とも。


 立っていることさえできない。


ルミナ

「えっ!?」


 ルミナが。


 慌てて2人へ近づく。


ルミナ

「リリア姉さん!」


ルミナ

「ノクス姉さん!」


 一拍。


ルミナ

「2人とも、大丈夫!?」


リリア

「ルミナ……」


 リリアが顔を上げる。


 荒い呼吸を整えながら。


 僅かに笑った。


リリア

「すっごい……」


ルミナ

「私……?」


ノクス

「……自覚がないのか」


「…………」


 ルミナは。


 何が起きたのか分からないまま、2人を見る。


ルミナ

「ご、ごめんなさい……」


リリア

「謝らなくていいよ……」


 一拍。


リリア

「びっくりしただけだから……」


ノクス

「驚いた程度ではない」


ノクス

「あと少し遅ければ」


 一拍。


ノクス

「2人とも倒れていたぞ」


リリア

「ノクス」


リリア

「そこは安心させるところでしょ……」


ノクス

「事実を伝えただけだ」


「…………」


 ルミナは。


 何も言えずに俯いた。


 その時。


 背中に残る熱を思い出す。


「…………」


 片手を。


 背中へ回す。


 衣服の上から。


 熱を感じた場所へ触れた。


「…………」


 今は。


 僅かな熱が残っているだけ。


 痛みはない。


 傷もない。


 何が起きたのか。


 ルミナには分からなかった。


「…………」


 その仕草を。


 エリュシアが黙って見ている。


 視線は。


 ルミナの手が触れている場所へ向けられていた。


「…………」


 いつも余裕を崩さない瞳が。


 ほんの僅かに揺れる。


 だが。


 何も言わない。


 ルミナへ。


 異変の意味を尋ねることもなかった。


◇◇◇


リリア

「疲れたぁぁぁ……!」


 リリアが。


 白い床の上へ大の字に倒れた。


 両手と両足を広げ。


 動く気配がない。


ノクス

「だらしないぞ、リリア」


リリア

「今の、半分はルミナのせいだからね!?」


ルミナ

「ご、ごめん……」


リリア

「ルミナは謝らなくていいの!」


ノクス

「ならば、誰に文句を言っている」


リリア

「この行き場のない気持ちを叫んでるの!」


「…………」


 重くなりかけていた空気が。


 リリアの声で、少しだけ和らぐ。


 ルミナも。


 困ったように笑った。


「…………」


 3人の様子を見届けたエリュシアが。


 腕を組んだまま口を開く。


エリュシア

「リリア」


リリア

「はい……」


 リリアは。


 床へ寝転んだまま答える。


「…………」


 エリュシアが。


 僅かに眉を上げた。


エリュシア

「悪いが」


 一拍。


エリュシア

「話を聞く間くらいは、起きてくれ」


リリア

「……はい」


「…………」


 リリアは。


 渋々と身体を起こした。


 その様子に。


 ノクスが小さく息を吐く。


エリュシア

「お前の火力は」


エリュシア

「既に、並の魔女を大きく上回っている」


「…………」


 リリアの顔が。


 僅かに明るくなる。


 だが。


エリュシア

「しかし」


 一拍。


エリュシア

「大技へ頼りすぎだ」


リリア

「…………」


エリュシア

「魔力を放てば」


エリュシア

「すべて解決すると思っているな」


リリア

「そんなことは……」


ノクス

「思っているだろう」


リリア

「ノクスは黙ってて」


エリュシア

「威力だけでは」


エリュシア

「届かぬ相手もいる」


 一拍。


エリュシア

「かわされれば終わり」


エリュシア

「防がれれば終わり」


エリュシア

「撃つ前に距離を詰められても終わりだ」


「…………」


 リリアの表情から。


 明るさが消える。


エリュシア

「魔力を細かく制御しろ」


エリュシア

「どれほど強大な炎でも」


 一拍。


エリュシア

「当たらなければ、ただの無駄撃ちだ」


リリア

「……はい」


「…………」


 今度は。


 リリアも真面目に頷いた。


 エリュシアの視線が。


 隣へ移る。


エリュシア

「ノクス」


ノクス

「はい」


エリュシア

「お前は」


エリュシア

「攻撃、防御、魔力操作」


エリュシア

「どれを取っても完成度が高い」


「…………」


 ノクスは。


 表情を変えずに聞いている。


エリュシア

「状況を見る目もある」


エリュシア

「3人の中では」


エリュシア

「最も安定していると言ってよい」


 一拍。


エリュシア

「だが」


「…………」


 ノクスの目が。


 僅かに細くなる。


エリュシア

「決め手に欠ける」


ノクス

「…………」


エリュシア

「何でもできるが」


エリュシア

「何もかもが、あと一歩足りない」


 一拍。


エリュシア

「器用であることへ甘えるな」


エリュシア

「自らにしかできぬものを見つけろ」


ノクス

「……はい」


「…………」


 エリュシアは。


 最後にルミナを見る。


 ルミナが。


 僅かに背筋を伸ばした。


エリュシア

「ルミナ」


ルミナ

「はい」


エリュシア

「結界」


 一拍。


エリュシア

「回復」


 一拍。


エリュシア

「魔力操作」


 さらに。


 ルミナの身体の奥に眠るものを見るように。


 瞳を細める。


エリュシア

「そして、潜在魔力」


 一拍。


エリュシア

「どれも非常に高い」


「…………」


 リリアとノクスも。


 黙ってルミナを見る。


 先ほどの魔力を。


 その身体で受けた2人には。


 エリュシアの評価が誇張ではないと分かっていた。


エリュシア

「だが――」


「…………」


 ルミナの表情が。


 僅かに強張る。


エリュシア

「相手を攻撃する時は、躊躇するな」


ルミナ

「…………」


エリュシア

「お前が迷っている間も」


エリュシア

「敵は待ってはくれない」


 一拍。


エリュシア

「その甘さは」


エリュシア

「お前だけの問題ではない」


 エリュシアの視線が。


 リリアとノクスへ向く。


エリュシア

「仲間を危険へ巻き込む」


「…………」


 ルミナは。


 僅かに俯いた。


 今日も。


 リリアとノクスへ攻撃魔法を放つことができなかった。


 魔力を集めることはできる。


 術式も完成している。


 それでも。


 目の前にいる者を傷つけると思えば。


 最後の一歩が踏み出せない。


ルミナ

「……はい、お師匠様」


「…………」


 返事をしながら。


 ルミナの脳裏へ。


 1人の少年が浮かんだ。


 黒い髪。


 不愛想な顔。


 それでも。


 大切な者が傷つけば。


 誰よりも先に飛び出していく少年。


(ヤヌスなら……)


「…………」


 きっと。


 ヤヌスは迷わない。


 守ると決めた者のためなら。


 相手が誰であろうと。


 剣を振るう。


「…………」


 自分は。


 まだ。


 ヤヌスの隣へ立てるほど強くない。


 守りたいと願うだけで。


 実際には。


 誰かへ守られている。


「…………」


 ルミナは。


 自らの手を見つめた。


 この手で。


 今度こそ、ヤヌスの手を掴むために。


 越えなければならないものがある。


 それだけは。


 分かっていた。


◇◇◇


 夜。


 魔女の街にある公衆浴場。


「…………」


 石造りの露天風呂から。


 白い湯気が立ち上っていた。


 湯を囲む高い壁の向こう。


 夜空には。


 無数の星が輝いている。


「…………」


 昼間の修行を終えたルミナ達は。


 肩まで湯へ浸かり。


 疲れた身体を休めていた。


リリア

「生き返るぅ……」


 リリアが。


 湯の中で大きく両腕を伸ばす。


 そのまま。


 浴槽の縁へ身体を預けた。


ノクス

「声が大きい」


リリア

「誰もいないんだからいいでしょ」


ノクス

「私達がいる」


リリア

「ノクスは細かいなぁ」


「…………」


 ルミナは。


 2人のやり取りを聞きながら。


 長い白髪を湯へ浸けないよう、頭の上でまとめていた。


「…………」


 その時。


 リリアが立ち上がった。


 湯船の端へ足を掛ける。


ノクス

「リリア」


リリア

「何?」


ノクス

「まさかとは思うが」


「…………」


 リリアが。


 にやりと笑った。


リリア

「とうっ!」


 勢いよく。


 湯の中へ飛び込む。


 バシャァンッ――!


ルミナ

「きゃっ!」


ノクス

「リリアッ!!」


 大量の湯が跳ね上がり。


 ルミナとノクスへ降り注ぐ。


「…………」


 湯の中から。


 リリアが顔を出した。


リリア

「気持ちいい!」


ノクス

「風呂へ飛び込むな!」


リリア

「誰もいないからいいじゃん」


ノクス

「私達がいると言っている!」


リリア

「ノクスは今日も怒ってばっかりだね」


ノクス

「誰のせいだと思っている」


「…………」


 濡れた顔を手で拭いながら。


 ルミナが小さく笑う。


ルミナ

「リリア姉さん」


ルミナ

「さすがに、今のは駄目だよ」


リリア

「ルミナまで!?」


ノクス

「当然だ」


リリア

「2人とも真面目すぎるんだよ」


ノクス

「お前が考えなしなだけだ」


リリア

「また細かいこと言ってる」


 一拍。


 リリアが。


 ノクスの胸元へ視線を落とした。


リリア

「細かいことばっかり言うから」


リリア

「胸も小さいんじゃない?笑」


「…………」


 空気が止まった。


 ノクスの眉が。


 ゆっくりと動く。


ノクス

「……なんだと?」


リリア

「魔力と一緒で」


リリア

「もう少し大らかになったら、成長するかもよ?」


ノクス

「関係があるものか!」


「…………」


 ノクスが。


 湯を両手で掬い上げる。


 次の瞬間。


 リリアの顔へ浴びせた。


 バシャッ――!


リリア

「やったな!」


 リリアも。


 ノクスへ湯を掛け返す。


 バシャッ――!


ノクス

「このっ……!」


「…………」


 湯が飛び交う。


 ルミナは。


 巻き込まれないように、浴槽の端へ避難しようとした。


 だが。


 リリアが。


 その動きへ気づく。


リリア

「そういえば」


 一拍。


 リリアの視線が。


 ルミナの胸元へ移る。


リリア

「ルミナは順調なのにねぇ」


ルミナ

「ちょっと」


 一拍。


ルミナ

「どこ見てるの、リリア姉さん!」


リリア

「成長確認!」


「…………!」


 リリアが。


 素早く両手を伸ばした。


 むにっ――。


ルミナ

「ひゃあっ!?」


 ルミナの甲高い声が。


 露天風呂へ響き渡る。


 すぐさま。


 リリアの手を払い除け。


 胸元を両腕で隠した。


ルミナ

「な、何するの!?」


リリア

「ちゃんと成長してるね!」


ルミナ

「確認しなくていい!」


「…………」


 ルミナの顔は。


 耳まで真っ赤になっていた。


ノクス

「リリア」


 一拍。


ノクス

「さすがに今のは節度がないぞ」


リリア

「でも、ノクスも見てたよね?」


ノクス

「…………」


ルミナ

「ノクス姉さん?」


ノクス

「確認しただけだ」


ルミナ

「ノクス姉さん!?」


ノクス

「リリア!お前と一緒にするな!」


「…………」


 再び。


 露天風呂へ湯が飛び交う。


 笑い声。


 怒る声。


 困り果てたルミナの声。


「…………」


 修行の疲れも。


 魔力が暴走した時の緊張も。


 今だけは。


 湯気の向こうへ消えていた。


「…………」


 しばらくして。


 騒ぎ疲れた3人は。


 並んで湯へ浸かっていた。


「…………」


 リリアは浴槽の縁へ頭を乗せ。


 気持ちよさそうに目を閉じている。


 ノクスも。


 口では文句を言いながら。


 先ほどより肩の力が抜けていた。


「…………」


 ルミナは。


 夜空を見上げている。


 星。


 森の家から。


 ヤヌスと一緒に見上げた夜空と。


 変わらない光。


ノクス

「そういえば、ルミナ」


ルミナ

「ん?」


ノクス

「ヤヌスとやらは」


 一拍。


ノクス

「大丈夫なのか?」


「…………」


 ルミナが。


 夜空からノクスへ視線を戻す。


ルミナ

「……うん」


 一拍。


ルミナ

「お師匠様から」


ルミナ

「時々、様子を聞いてる」


リリア

「今、どこにいるの?」


ルミナ

「お師匠様の昔の仲間のところ」


 一拍。


ルミナ

「そこで、修行を頑張ってるみたい」


ノクス

「エリュシア様の旧友ならば」


ノクス

「信頼できる人物なのだろうな」


ルミナ

「うん」


 ルミナは頷く。


 詳しい場所は知らない。


 どのような修行をしているのかも。


 ヤヌスが。


 今、どのような顔で過ごしているのかも分からない。


 それでも。


 生きている。


 誰かが傍にいてくれる。


 そのことだけが。


 ルミナの支えになっていた。


リリア

「会いたい?」


「…………」


 ルミナは。


 僅かに目を伏せた。


ルミナ

「……うん」


 飾らない。


 小さな声だった。


 だが。


 迷いのない答えだった。


リリア

「愛しの彼氏に?」


ルミナ

「彼氏じゃないよ!」


 ルミナが。


 すぐに顔を上げる。


 頬が僅かに赤い。


リリア

「じゃあ、何?」


ルミナ

「何って……」


「…………」


 ルミナは。


 少しだけ考える。


 ヤヌスは。


 家族。


 自分にとって。


 たった1人だけ残された大切な人。


 それ以上でも。


 それ以下でもない。


 今は。


 そう思っている。


ルミナ

「ヤヌスは……」


 一拍。


ルミナ

「弟みたいなものかな」


リリア

「ほんとにぃ?」


ルミナ

「本当!」


リリア

「でも、ヤヌスの話をする時だけ」


 一拍。


リリア

「ルミナ、すごく優しい顔するよ?」


ルミナ

「そんな顔してない!」


ノクス

「しているな」


ルミナ

「ノクス姉さんまで……!」


リリア

「やっぱり愛しの彼氏だ」


ルミナ

「違うってば!」


「…………」


 湯気の中へ。


 リリアの笑い声が響く。


 ルミナは。


 赤くなった顔を隠すように。


 鼻の下まで湯へ沈んだ。


「…………」


 それでも。


 ヤヌスを思い浮かべた瞳だけは。


 穏やかに揺れていた。


◇◇◇


 風呂を出た3人は。


 夜の街を歩いていた。


「…………」


 軒先に灯された魔法灯。


 石畳へ落ちる淡い光。


 夜風が。


 火照った身体を心地よく冷ましていく。


「…………」


 ルミナとリリアが。


 並んで前を歩いている。


 その少し後ろ。


 ノクスが。


 濡れた髪を拭きながらついていく。


リリア

「でも、本当に弟みたいなものなら」


リリア

「会った時、抱き締めたりするの?」


ルミナ

「しないよ!」


リリア

「じゃあ、手を繋ぐ?」


ルミナ

「繋がない!」


リリア

「本当かなぁ」


ルミナ

「リリア姉さん!」


ノクス

「いい加減にしておけ、リリア」


リリア

「ノクスだって気になるでしょ?」


ノクス

「ならん」


「…………」


 3人の声が。


 夜の街へ遠ざかっていく。


 その姿を。


 星幽の塔の高い窓から。


 エリュシアが見下ろしていた。


「…………」


 赤紫の髪が。


 夜風に揺れる。


 その視線は。


 楽しそうに話す3人へ向けられている。


 そして。


 最後には。


 ルミナの背中へ止まった。


「…………」


 昼間。


 突然、跳ね上がった魔力。


 柔らかく。


 穏やかだった光を。


 一瞬で濁流へ変えた、強い感情。


 そして。


 ルミナが熱を感じた場所。


「…………」


 エリュシアの瞳が。


 僅かに細くなる。


 その表情からは。


 何を考えているのか分からない。


「…………」


 やがて。


 ルミナ達の姿が。


 家々の向こうへ消えていく。


 それでも。


 エリュシアは。


 しばらく窓辺を離れなかった。


「…………」


 夜の街へ。


 冷たい風が吹き抜ける。


 エリュシアは。


 何も言わない。


 ただ。


 誰もいなくなった道を。


 静かに見つめ続けていた。

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