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2話 魔女見習い

第2章 剣聖


第2話 魔女見習い


 朝。


 淡い光が。


 魔女の街へ降り注いでいた。


「…………」


 石畳の道。


 色とりどりの屋根。


 淡い光を宿した街灯。


 軒先へ並べられた薬草からは。


 朝露に濡れた、僅かに苦い香りが漂っている。


「…………」


 その街の中を。


 1人の少女が歩いていた。


 白い髪。


 以前よりも伸びた髪が。


 腰の近くまで届いている。


 幼さを残していた顔立ちも。


 流れた月日と共に。


 少しずつ、大人びたものへ変わっていた。


「…………」


 少女――ルミナは。


 迷うことなく石畳の道を進んでいく。


 初めて、この街へ来た頃は。


 並んだ家々の違いさえ分からず。


 何度も道を間違えた。


 今は。


 曲がり角の先に何があるのか。


 どの路地を通れば近いのか。


 考える必要すらない。


街の女

「おはよう、ルミナ」


「…………」


 家の前で。


 箒を動かしていた女が手を上げた。


 ルミナも足を止め。


 自然に笑みを返す。


ルミナ

「おはよう」


街の女

「今日も修行かい?」


ルミナ

「うん。今日は朝から塔に呼ばれてるの」


街の女

「朝からとは、大変だねぇ」


ルミナ

「お師匠様は、時間なんて気にしないから……」


 少しだけ困ったように笑う。


 女も。


 分かるよ、と肩を竦めた。


「…………」


 再び歩き出す。


 道の向こうから。


 小さな子供達が駆けてきた。


街の子供

「ルミナお姉ちゃん!」


ルミナ

「おはよう。転ばないでね」


街の子供

「今日、帰ってきたら遊べる?」


ルミナ

「修行が早く終わったらね」


街の子供

「約束だよ!」


ルミナ

「うん。約束」


「…………」


 子供達は嬉しそうに笑い。


 ルミナの脇を走り抜けていく。


 その背中を見送り。


 再び塔へ向かおうとした時だった。


パン屋の女

「ルミナ!」


「…………」


 通りの先。


 焼きたてのパンが並ぶ店から。


 恰幅のよい女が顔を出していた。


 手には。


 小さな紙袋を持っている。


ルミナ

「おはよう」


パン屋の女

「ちょうどよかった。これ、持っていきな」


 差し出された袋から。


 甘い香りが漂ってくる。


 焼き上がったばかりなのか。


 袋越しにも。


 温かさが伝わってきた。


ルミナ

「いいの?」


パン屋の女

「昨日、重い粉袋を運んでもらったからね」


ルミナ

「あれくらいなら、いつでも手伝うよ」


パン屋の女

「なら、これも遠慮なく受け取りな」


「…………」


 ルミナは。


 差し出された紙袋を両手で受け取った。


ルミナ

「ありがとう」


パン屋の女

「リリアとノクスにも分けてやるんだよ」


ルミナ

「……残ってたら」


パン屋の女

「全部食べるつもりかい?」


ルミナ

「冗談だよ」


 小さく笑い。


 再び歩き出す。


「…………」


 声を掛けられる。


 笑い返す。


 誰かの手伝いをして。


 代わりに何かを受け取る。


 以前は。


 何も知らない、よそ者だった。


 今は違う。


 街の者達は。


 当たり前のようにルミナの名を呼ぶ。


 ルミナも。


 ここで暮らす者達の名前を知っている。


「…………」


 魔女の街は。


 いつの間にか。


 ルミナにとって。


 帰ることのできる場所になっていた。


◇◇◇


 街の中央。


 星幽の塔へ続く道の前に。


 1人の少女が立っていた。


「…………」


 橙色に近い。


 明るい髪を持つ少女。


 リリア。


 以前よりも背が伸び。


 少女らしい丸みを帯びた身体には。


 柔らかな外套がよく似合っている。


「…………」


 ルミナが近づくと。


 リリアが大きく手を振った。


リリア

「ルミナ! おはよう!」


ルミナ

「おはよう、リリア姉さん。待たせた?」


リリア

「ううん。私も今来たところ」


「…………」


 ルミナが周囲を見回す。


 待ち合わせていたはずの。


 もう1人の姿がない。


ルミナ

「ノクス姉さんは?」


リリア

「まだ来てないよ」


「…………」


 2人は顔を見合わせる。


 そして。


 揃って小さく息を吐いた。


リリア

「また寝坊かな」


ルミナ

「昨日も遅くまで本を読んでたから……」


リリア

「ノクスって真面目そうに見えるのに」


 一拍。


リリア

「朝だけは、本当に駄目だよね」


ノクス

「誰が駄目だ」


リリア

「うわっ!?」


「…………」


 背後から。


 冷たい声が落ちた。


 振り返る。


 そこには。


 短く整えられた黒髪の少女が立っていた。


 ノクス。


 凛とした横顔。


 無駄のない立ち姿。


 冷静な眼差し。


 その姿だけを見れば。


 寝坊などとは無縁に見える。


「…………」


 だが。


 黒い髪の一部が。


 僅かに跳ねていた。


 外套の留め具も。


 普段とは逆向きについている。


リリア

「ノクス姉さん、おはよう」


ノクス

「……おはよう」


ルミナ

「もしかして、今起きた?」


ノクス

「違う」


リリア

「髪、跳ねてるよ」


ノクス

「…………」


リリア

「外套の留め具も逆だよ」


ノクス

「…………」


ルミナ

「ノクス姉さん?」


ノクス

「間に合ったのだから、問題はない」


リリア

「やっぱり寝坊したんじゃん」


ノクス

「うるさい」


「…………」


 ノクスは。


 乱れていた髪を手で押さえる。


 その間に。


 リリアが、ルミナの持つ紙袋へ気づいた。


リリア

「あっ。それ、何?」


ルミナ

「パン屋さんに貰ったの」


リリア

「食べていい?」


ルミナ

「ノクス姉さんにも残してね」


リリア

「もちろん!」


「…………」


 リリアは紙袋を受け取り。


 中を覗き込む。


 パンを1つ取り出そうとして。


 ふと。


 ノクスの胸元へ目を向けた。


「…………」


 次に。


 自分の胸を見る。


 ルミナを見る。


 そして。


 もう1度。


 ノクスを見る。


「…………」


 ノクスの眉が。


 僅かに動いた。


ノクス

「……何だ」


リリア

「いや?」


ノクス

「今、胸を見ただろう」


リリア

「見てないよ?」


ノクス

「見た」


リリア

「見てないって」


ルミナ

「見てたね、リリア姉さん」


リリア

「ルミナ!?」


「…………」


 ノクスが。


 自らの胸元へ視線を落とす。


 次に。


 リリアを見る。


 さらに。


 ルミナを見る。


「…………」


 長い沈黙。


 やがて。


 小さく息を吐いた。


ノクス

「……成長とは、不公平なものだな」


ルミナ

「ノ、ノクス姉さん……」


リリア

「大丈夫!」


 リリアが。


 励ますようにノクスの肩を叩く。


リリア

「まだ成長期かもしれないし!」


ノクス

「お前に慰められると、無性に腹が立つ」


リリア

「なんで!?」


ノクス

「分からないなら黙っていろ」


「…………」


 ノクスが。


 リリアの手から紙袋を取り上げる。


 中からパンを1つ取り出し。


 何事もなかったように歩き出した。


リリア

「あっ、私のパン!」


ノクス

「ルミナから貰ったものだ」


リリア

「私が先に選んでたの!」


ノクス

「胸とは別に、心は狭いようだな」


リリア

「その話、まだ続いてたの!?」


「…………」


 言い争いながら歩く2人を見て。


 ルミナの口元へ。


 自然と笑みが浮かんだ。


 最初は。


 何を話せばよいのかさえ分からなかった。


 リリアは明るく。


 何度拒まれても。


 ルミナへ話しかけた。


 落ち込んでいる時には。


 何度でも笑わせてくれた。


 ノクスは警戒しながらも。


 困った時には。


 いつも黙って手を貸してくれた。


「…………」


 共に暮らし。


 共に学び。


 共に叱られた。


 いつの間にか。


 敬語も。


 遠慮もなくなっていた。


 今では。


 本当の姉妹のように。


 3人でいることが当たり前になっている。


「…………」


 ルミナも。


 2人のあとを追い、歩き出した。


リリア

「それにしても」


 隣へ並んだリリアが。


 ルミナの髪へ手を伸ばす。


 長い白髪を。


 指先で軽く持ち上げた。


リリア

「伸びたよね」


ルミナ

「髪?」


リリア

「うん」


 腰近くまで届く髪を。


 毛先へ向かって指で梳いていく。


リリア

「最初に来た時は、もっと短かったじゃん」


ルミナ

「……そうだね」


リリア

「切らないの?」


「…………」


 ルミナは。


 自分の髪をひと房、指で摘んだ。


 伸びた白い髪が。


 朝の光を受けて、淡く輝く。


「…………」


 一瞬。


 遠い記憶が蘇った。


 小さな家。


 朝の食卓。


 寝癖のついた黒い髪。


 何でもないことで笑う少年。


『ルミナ』


「…………」


 ルミナの瞳が。


 ほんの僅かに遠くを見る。


リリア

「気に入ってるの?」


ルミナ

「うーん……」


 少しだけ考える。


 そして。


 髪から手を離した。


ルミナ

「……今は、いいかな」


リリア

「そう?」


ルミナ

「切りたくなったら、切るよ」


「…………」


 それだけだった。


 何かを説明することも。


 理由を口にすることもなかった。


 リリアは。


 ルミナの横顔を僅かに見つめる。


 だが。


 それ以上は聞かなかった。


リリア

「じゃあ、今度また結ばせてね」


ルミナ

「変なのは嫌だよ、リリア姉さん」


リリア

「大丈夫。絶対、似合うから」


ノクス

「以前もそう言って」


 一歩先を歩くノクスが。


 振り返らずに口を挟む。


ノクス

「髪を左右に10本ずつ分けていたな」


ルミナ

「あれ、解くの大変だった……」


リリア

「今度は、もっと上手くできるよ!」


ノクス

「反省していないようだな」


「…………」


 3人の声が。


 朝の街へ重なっていく。


 やがて。


 道の先へ。


 空を貫くほど巨大な塔が現れた。


 星幽の塔。


 頂上は雲の向こうへ隠れ。


 淡い魔力の光が。


 塔の全体を包み込んでいる。


「…………」


 3人が。


 塔の前で足を止めた。


 その時だった。


エリュシア

「揃ったようだな」


「…………!」


 声が。


 頭上から降ってきた。


 ルミナ達が顔を上げる。


 だが。


 塔の入口にも。


 上空にも。


 エリュシアの姿はない。


 声だけが。


 何もない空間から響いている。


ルミナ

「はい、お師匠様」


リリア

「はい!」


ノクス

「はい」


「…………」


 答えた瞬間。


 3人の足元へ。


 巨大な魔法陣が広がった。


「――ッ」


 白い光が噴き上がる。


 ルミナ達の身体を包み。


 周囲の景色を塗り潰した。


「…………」


 街が消える。


 塔が消える。


 足元の感覚さえ。


 一瞬だけ失われる。


 そして――。


 光が消えた。


「…………」


 真っ白な空間。


 壁も。


 天井も。


 地平すら見えない。


 どこまでも白が続く。


 星幽の塔に存在する。


 魔法によって作られた修練場。


「…………」


 正面。


 赤紫の髪を揺らし。


 エリュシアが立っていた。


 腕を組み。


 転移してきた3人を見つめている。


「…………」


 ルミナ達を包んでいた光が。


 完全に消える。


 その瞬間。


 エリュシアが指を鳴らした。


 パチン――。


 ゴォッ――!!


「…………!」


 燃え盛る炎が。


 正面から、ルミナへ放たれた。


ルミナ

「っ!」


 考えるよりも早く。


 ルミナが片手を前へ出す。


 白銀の魔法陣が。


 一瞬で目の前へ展開した。


 キィン――!!


 透明な結界と。


 炎が衝突する。


 爆ぜた火の粉が。


 結界の表面を覆った。


「…………ッ」


 衝撃に押され。


 ルミナの足が半歩だけ後ろへ滑る。


 それでも。


 結界には。


 僅かな亀裂すら入っていない。


「…………」


 炎が消える。


 ルミナは。


 結界を維持したまま、エリュシアを見る。


ルミナ

「いきなり何をするんですか、お師匠様!?」


「…………」


 エリュシアは答えない。


 ただ。


 僅かに口元を持ち上げた。


エリュシア

「さあ」


 一拍。


エリュシア

「始めようか」


「…………」


 もう1度。


 指を鳴らす。


 パチン――。


「…………!」


 ルミナの背後。


 何もなかった空間へ。


 幾つもの赤い魔法陣が現れた。


 その中心から。


 炎が鋭い矢の形へ変わっていく。


 1本。


 2本。


 5本。


 10本。


「…………」


 空気が熱を帯びる。


 背中を焼くような熱に気づき。


 ルミナが目を見開いた。


ルミナ

「えっ……」


 反応が遅れた。


 慌てて振り返る。


 同時に。


 炎の矢が一斉に放たれた。


 シュババババッ――!!


「…………ッ!」


 ルミナは両手を上げる。


 背後へ。


 新たな結界を展開した。


 ドドドドドッ――!!


 炎の矢が。


 次々と結界へ突き刺さる。


 衝撃が重なるたび。


 白銀の障壁が大きく揺れた。


ルミナ

「くっ……!」


 だが。


 終わらない。


「…………」


 左右。


 既に。


 リリアとノクスが動いていた。


 右側。


 リリアの足元へ。


 赤い魔法陣が広がっている。


 渦巻く炎が。


 その両手へ集まっていく。


 左側。


 ノクスの前には。


 青白い魔法陣。


 周囲の空気が凍りつき。


 鋭い氷の槍が幾つも作り出される。


リリア

「ごめんね、ルミナ!」


ノクス

「構えろ」


ルミナ

「ちょっ……待って、リリア姉さん!」


リリア

「待たないよ!」


ノクス

「戦場で待つ敵はいない」


「…………」


 リリアが両手を突き出す。


 炎が。


 巨大な奔流となって放たれた。


 ゴォォォォッ――!!


 同時に。


 ノクスの氷槍が。


 空気を切り裂き、ルミナへ迫る。


 ヒュガガガガッ――!!


「――――ッ!」


 正面には。


 エリュシア。


 背後には。


 炎の矢。


 左右から。


 炎と氷。


 逃げ場はない。


「…………」


 ルミナの瞳へ。


 白銀の光が宿った。


 両手を。


 胸の前で強く合わせる。


 キィィィン――!!


 甲高い音が。


 白い空間へ響いた。


「…………」


 次の瞬間。


 炎と氷が。


 同時にルミナへ直撃した。


 ドォォォォンッ――!!


「…………!」


 爆発。


 白い空間が。


 赤と青の光へ呑み込まれる。


 衝撃が床を走り。


 リリアの髪と。


 ノクスの外套を大きく揺らした。


「…………」


 熱と冷気が混ざり合う。


 濃い煙が広がり。


 ルミナの姿を覆い隠した。


リリア

「…………」


 リリアの顔から。


 先ほどまでの笑みが消える。


 煙の向こうを。


 不安そうに見つめた。


リリア

「ちょっと……やりすぎた?」


ノクス

「お前の火力が高すぎる」


リリア

「ノクスだって撃ったでしょ!」


ノクス

「私は加減した」


リリア

「私もしたよ!」


エリュシア

「静かに」


「…………」


 2人が口を閉じる。


 エリュシアは。


 煙の奥へ目を向けたまま。


 静かに名を呼んだ。


エリュシア

「ルミナ」


「…………」


 返事はない。


 煙だけが。


 白い空間の中へ漂っている。


エリュシア

「お前の持つ潜在魔力は」


 一拍。


エリュシア

「既に、並の魔女を大きく上回っている」


「…………」


 煙の中で。


 淡い光が揺れた。


エリュシア

「魔力の流れを読み」


エリュシア

「必要な場所へ」


エリュシア

「必要な量だけを、瞬時に送り込む」


 一拍。


エリュシア

「魔力操作に至っては――」


 エリュシアが。


 僅かにリリアを見る。


エリュシア

「既に、リリアより上かもしれんな」


リリア

「げっ……」


ノクス

「日頃から制御を学べと言われているだろう」


リリア

「威力があれば、大体なんとかなるもん」


エリュシア

「リリアは脳筋だからな」


リリア

「……」


「…………」


 リリアが。


 エリュシアから見えないように。


 小さく舌を出す。


 その横で。


 ノクスが呆れたように息を吐いた。


「…………」


 エリュシアは。


 再び煙へ視線を戻す。


エリュシア

「――だが」


 一拍。


 声が。


 僅かに低くなる。


エリュシア

「油断が過ぎる」


「…………」


 空気が動いた。


 濃い煙が。


 ゆっくりと左右へ流れていく。


 その中から。


 白銀の光が現れた。


「…………」


 幾重にも重なった結界。


 正面。


 背後。


 左右。


 4つの障壁が。


 ルミナを囲むように展開されている。


「…………」


 正面の結界には。


 エリュシアの炎が残した、赤い光。


 背後には。


 無数の炎の矢が突き刺さった跡。


 右側の結界は。


 リリアの炎によって赤く焼け。


 左側の結界には。


 ノクスの氷が幾つも食い込んでいる。


 それでも。


 すべての結界が残っていた。


「はぁ……はぁ……」


 中央。


 ルミナが立っている。


 額には汗が浮かび。


 肩で大きく息をしていた。


 だが。


 傷はない。


 同時に放たれた魔法を。


 すべて防ぎ切っていた。


「…………」


 以前のルミナなら。


 1つの結界を作ることさえできなかった。


 今は。


 異なる4方向へ。


 それぞれ強度の異なる結界を展開し。


 すべてを同時に維持している。


 膨大な魔力。


 そして。


 それを寸分違わず操る、精密な技術。


 年月を重ねた修練が。


 確かな力となって現れていた。


「…………」


 エリュシアは。


 その光景を前にしても。


 表情を緩めない。


エリュシア

「最初の一撃を防いだことで安心したな」


ルミナ

「…………」


エリュシア

「だから」


 一拍。


エリュシア

「背後の魔力へ気づくのが遅れた」


「…………」


 ルミナは。


 荒い呼吸を整えながら頷く。


ルミナ

「……はい」


エリュシア

「防げたからよかった」


エリュシア

「次は気をつける」


 一拍。


エリュシア

「戦場に、そのような言い訳は通用しない」


「…………」


 白銀の結界が。


 少しずつ光へ還っていく。


エリュシア

「敵は」


エリュシア

「お前が成長するまで待ってはくれない」


エリュシア

「その一瞬で」


 一拍。


エリュシア

「お前も」


エリュシア

「お前が守ろうとした者も死ぬぞ」


「…………」


 守ろうとした者。


 その言葉が。


 ルミナの胸へ重く落ちた。


 脳裏に。


 届かなかった手が浮かぶ。


 奈落へ落ちていく。


 ヤヌスの姿。


「…………」


 ルミナは。


 僅かに唇を噛む。


ルミナ

「……分かりました」


エリュシア

「本当に分かったかどうかは」


 一拍。


エリュシア

「次を見れば分かる」


ルミナ

「次……ですか?」


「…………」


 エリュシアが。


 指先を僅かに上げた。


 ルミナを囲んでいた結界が。


 すべて霧散する。


エリュシア

「今度は、お前が攻撃しろ」


ルミナ

「……え?」


「…………」


 ルミナの正面。


 リリアとノクスが並んで立つ。


 2人とも。


 既に構えを取っていた。


 リリアの周囲には。


 赤い魔力。


 ノクスの手元には。


 青白い光が集まっている。


「…………」


 ルミナだけが。


 その場で動けなかった。


リリア

「来ていいよ」


 リリアが。


 安心させるように笑う。


リリア

「ちゃんと防ぐから」


ノクス

「遠慮するな」


 一拍。


ノクス

「今のお前の魔力なら」


ノクス

「多少の攻撃では傷つかん」


リリア

「そこは、私達なら防げるって言ってよ」


ノクス

「同じことだ」


「…………」


 訓練。


 本気で傷つけ合うわけではない。


 2人とも。


 ルミナが攻撃することを当然のように待っている。


「…………」


 ルミナは。


 ゆっくりと右手を上げた。


 掌を。


 リリアとノクスへ向ける。


「…………」


 息を吸う。


 身体の中にある魔力へ。


 意識を集中させる。


 白銀の光が。


 ルミナの足元へ集まっていく。


 光は。


 少しずつ魔法陣を形作る。


「…………」


 巨大な魔力。


 白い空間が。


 ルミナの光によって揺らぎ始める。


 空気が震え。


 足元から。


 幾重もの光の輪が広がっていく。


「…………!」


 リリアの表情から。


 笑みが消えた。


 両腕を上げ。


 本気で防御の準備へ入る。


 ノクスも。


 僅かに腰を落とした。


「…………」


 魔力の流れには。


 僅かな乱れもない。


 膨大な光が。


 ルミナの掌へ。


 正確に集められていく。


 眩い光球。


 その力が解き放たれれば。


 修練場の床さえ、大きく抉る。


「…………」


 だが。


 ルミナの掌が。


 僅かに震えた。


「…………」


 正面には。


 リリア。


 ノクス。


 2人の姿がある。


 自分へ笑いかけ。


 共に暮らし。


 家族のように過ごしてきた者達。


「…………」


 光が。


 小さく揺らいだ。


ルミナ

「…………ッ」


 撃てない。


 魔力は集まっている。


 術式も完成している。


 あとは。


 放つだけ。


 それだけなのに。


「…………」


 指先へ。


 力が入らない。


 白銀の光球が。


 少しずつ形を失っていく。


 やがて。


 細かな光となり。


 何もない空間へ霧散した。


「…………」


 静寂。


 リリアとノクスが。


 構えを解く。


 エリュシアは何も言わない。


 ただ。


 ルミナを見つめている。


ルミナ

「……もう1度、お願いします」


「…………」


 ルミナが。


 再び手を上げる。


 足元へ。


 白銀の魔法陣が広がった。


 魔力が集まる。


 先ほどよりも速く。


 先ほどよりも正確に。


「…………」


 掌へ。


 眩い光が生まれる。


 今度こそ。


 放とうとする。


「…………ッ」


 だが。


 光が。


 また、揺らいだ。


 リリアの顔が見える。


 ノクスの姿が見える。


 標的としてではなく。


 大切な者として。


 どうしても。


 見えてしまう。


「…………」


 白銀の光球が。


 掌の上で砕けた。


 キラキラと。


 細かな光が降り注ぐ。


 攻撃にはならない。


 温かな光が。


 リリアとノクスの頬を撫でただけだった。


「…………」


 ルミナは。


 上げていた手を下ろす。


 俯いたまま。


 唇を噛んだ。


「…………」


 魔力が足りないわけではない。


 術式を理解していないわけでもない。


 操作を誤ったわけでもない。


 それでも。


 攻撃だけが。


 形にならなかった。


「…………」


 エリュシアは。


 その理由を知っているように。


 ルミナを静かに見つめていた。


 だが。


 何も告げない。


エリュシア

「今日は、ここまでだ」


ルミナ

「ですが――」


エリュシア

「続ければ撃てるようになると思うか?」


「…………」


 ルミナの言葉が止まる。


エリュシア

「魔力の問題ではない」


 一拍。


エリュシア

「今のお前が」


エリュシア

「何度繰り返しても同じだ」


ルミナ

「…………」


エリュシア

「終わりだ」


「…………」


 それだけ告げると。


 エリュシアはルミナ達へ背を向けた。


 赤紫の長い髪が揺れる。


 数歩進み。


 白い空間の中へ。


 その姿が溶けるように消えていった。


◇◇◇


 修練場の一角。


 3人は。


 白い床へ並んで座っていた。


「…………」


 リリアは。


 先ほど貰った紙袋を開き。


 残っていたパンを取り出している。


 その隣。


 ノクスが水の入った容器を。


 ルミナへ差し出した。


ノクス

「飲め」


ルミナ

「ありがとう、ノクス姉さん」


「…………」


 ルミナは水を受け取り。


 少しずつ口へ含む。


 酷使した喉へ。


 冷たい水が流れていった。


リリア

「でも、すごかったよ」


ルミナ

「……何が?」


リリア

「あの結界」


 リリアが。


 両手を大きく広げる。


リリア

「前と後ろと左右」


リリア

「全部、同時に出してたじゃん」


ルミナ

「ぎりぎりだったよ」


リリア

「それでも防いだでしょ?」


ノクス

「あれだけの数を」


 一拍。


ノクス

「すべて異なる強度で維持した」


 ノクスが。


 ルミナを真っ直ぐに見る。


ノクス

「私にはできない」


リリア

「私にも無理」


ノクス

「お前は、防ぐより先にすべて燃やすからな」


リリア

「それが1番早いからね!」


ノクス

「誇ることではない」


「…………」


 リリアが笑う。


 ルミナも。


 ほんの少しだけ笑った。


 だが。


 すぐに自分の右手へ目を落とす。


「…………」


 結界なら作れる。


 傷を塞ぐことも。


 痛みを和らげることもできる。


 それなのに。


 攻撃しようとした瞬間。


 魔法は形を失ってしまう。


リリア

「結界は、あんなにすごいのにね」


ルミナ

「……うん」


 リリアが。


 何気なく、自分の腕を擦る。


 衣服の袖が。


 僅かに焦げていた。


 先ほど。


 ルミナの結界へ炎をぶつけた際に。


 跳ね返った火の粉で焼いたのだろう。


 赤くなった皮膚へ。


 小さな傷が走っている。


「…………」


 ルミナは。


 その腕へ手を伸ばした。


ルミナ

「見せて、リリア姉さん」


リリア

「これくらい平気だよ」


ルミナ

「いいから」


「…………」


 リリアが腕を差し出す。


 ルミナは。


 傷の上へ掌を翳した。


 淡い白銀の光が。


 指先から零れ落ちる。


「…………」


 強くない。


 眩しくもない。


 優しい光。


 傷ついた皮膚だけを包み。


 必要な場所へ。


 必要な分だけ魔力を流していく。


「…………」


 焦げた皮膚が。


 少しずつ元の色へ戻る。


 赤い傷が塞がり。


 数秒後には。


 痕さえ残っていなかった。


リリア

「相変わらず綺麗だね」


 治った腕を。


 目の前へ持ち上げる。


リリア

「回復魔法って、本当は難しいんだよ」


ノクス

「傷の状態を読み」


ノクス

「損なわれた部分だけを修復する」


 一拍。


ノクス

「僅かでも魔力を誤れば」


ノクス

「傷を悪化させることもある術だ」


「…………」


 ルミナの掌に残る光を。


 ノクスが見つめる。


ノクス

「それを、いとも簡単に扱う」


「…………」


 リリアが。


 治った腕を光へ翳す。


 指を動かし。


 何度か腕を曲げる。


リリア

「痛くない」


ノクス

「回復術に関しても」


 一拍。


ノクス

「既に街の治癒術師と比べて、遜色ない」


ルミナ

「まだ、深い傷は治せないよ」


ノクス

「それでも十分に異常だ」


リリア

「ノクス姉さん。それ、褒めてる?」


ノクス

「褒めている」


「…………」


 ルミナは。


 淡い光の消えた自分の手を見る。


 傷を治す時は。


 迷わない。


 守る時も。


 身体が勝手に動く。


 けれど。


 傷つけるための魔法だけは。


 どうしても放てない。


ノクス

「攻撃することが嫌いか?」


「…………」


 突然の問いに。


 ルミナが顔を上げる。


ルミナ

「嫌いっていうか……」


「…………」


 少しだけ考える。


 胸の中へあるものを。


 言葉にしようとする。


ルミナ

「私は」


 一拍。


ルミナ

「治したり」


ルミナ

「守ったりする方が、好きかな」


「…………」


 リリアが。


 柔らかく笑った。


リリア

「ルミナらしいね」


ルミナ

「そう?」


リリア

「うん」


 一拍。


リリア

「だって、ルミナって」


リリア

「自分より先に、誰かの心配ばっかりするもん」


ルミナ

「そんなことないよ」


ノクス

「ある」


ルミナ

「ノクス姉さんまで……」


ノクス

「だが――」


「…………」


 ノクスの声から。


 僅かに柔らかさが消える。


ノクス

「守るだけで済むとは限らない」


「…………」


 ルミナの表情が止まった。


ノクス

「守るために」


 一拍。


ノクス

「敵を傷つけなければならない時もある」


ノクス

「倒さなければ」


ノクス

「守れない命もある」


「…………」


 真っ白な床へ。


 沈黙が落ちた。


 ノクスは。


 それ以上、何も言わない。


 責めているわけではない。


 ただ。


 事実を告げている。


「…………」


 ルミナは。


 胸元へ手を当てた。


 服の下。


 レオンのしおりへ触れる。


「…………」


 あの夜。


 レオンは。


 自分達を守るために戦った。


 カインへ剣を向けた。


 もしも。


 レオンが戦わなければ。


 もっと早く。


 自分も。


 ヤヌスも殺されていた。


「…………」


 分かっている。


 誰かを守るためには。


 優しい力だけでは足りない。


ルミナ

「……分かってる」


 小さな声だった。


 ノクスは。


 ルミナを見つめたあと。


 僅かに目を伏せた。


ノクス

「なら、いい」


リリア

「ほら」


 一拍。


 リリアが。


 残っていたパンを半分に割る。


 片方を。


 ルミナの口元へ差し出した。


リリア

「難しい話は終わり」


ルミナ

「リリア姉さんが、考えたくないだけじゃない?」


リリア

「頭を使ったあとは、お腹が空くの」


ノクス

「お前は何もしていなくても空腹だろう」


リリア

「ノクスは、いちいち余計なこと言うよね」


ノクス

「事実を言っているだけだ」


「…………」


 ルミナは。


 差し出されたパンを受け取った。


 小さく口へ運ぶ。


 甘い味が。


 疲れた身体へ広がっていく。


「…………」


 再び。


 3人の声が響く。


 白く。


 何もない空間。


 それでも。


 3人でいれば。


 そこは冷たい場所ではなかった。


◇◇◇


 夜。


 白い修練場。


「…………」


 昼間まで響いていた声は。


 もう、どこにもない。


 リリアも。


 ノクスも帰った。


 エリュシアの姿もない。


 広大な空間にいるのは。


 ルミナだけだった。


「…………」


 その正面。


 幾つもの標的が浮かんでいる。


 人の形ではない。


 黒い円が描かれただけの。


 何の命も持たない的。


「…………」


 ルミナは。


 1つの標的へ向かい。


 右手を伸ばした。


 指先を開く。


 息を整える。


「…………」


 足元へ。


 白銀の魔法陣が広がった。


 幾重もの紋様が重なり。


 正確に術式を形作っていく。


「…………」


 魔力が集まる。


 昼間よりも滑らかに。


 何の迷いもなく。


 ルミナの身体から溢れた光が。


 掌へ収束していく。


 白銀の光球。


 内側に秘めた力によって。


 空気が低く震え始める。


「…………」


 相手は標的。


 誰も傷つかない。


 撃つだけ。


 ただ。


 手を前へ押し出すだけ。


「…………ッ」


 それでも。


 指が動かない。


 掌の先に。


 標的ではなく。


 誰かの姿が重なって見えた。


「…………」


 炎に包まれた夜。


 血に濡れたレオン。


 仮面をつけたカイン。


 黒に呑まれたヤヌス。


「…………」


 白銀の光が揺れる。


 術式が乱れ。


 光球の表面へ亀裂が走った。


 ピシッ――。


 次の瞬間。


 魔法は。


 小さな光の粒となって弾けた。


「…………」


 標的には。


 何ひとつ届いていない。


 光だけが。


 雪のように降り注ぐ。


「…………」


 ルミナは。


 ゆっくりと手を下ろした。


 唇を噛む。


 悔しかった。


 守ると決めた。


 強くなると決めた。


 それなのに。


 自分の心が。


 前へ進むことを拒んでいる。


「…………」


 ルミナは俯く。


 白い髪が。


 表情を隠すように垂れた。


「…………」


 それでも。


 帰ろうとはしなかった。


 もう1度。


 顔を上げる。


 標的を見る。


「…………」


 足を開く。


 呼吸を整える。


 震える右手を。


 再び前へ伸ばした。


「…………」


 白銀の魔法陣が。


 足元へ広がる。


 魔力が。


 もう1度、掌へ集まり始める。


「…………」


 まだ。


 届かない。


 それでも。


 ルミナは。


 諦めなかった。

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