第7話 遅れないための方法
※第7話では、真帆のカウンセラー実習インタビューです。
「遅れないための方法」を探す結衣。
録音の赤い光の下で、初めて言葉にします。
「感じていることが現実」
シリーズの哲学が、この回で静かに生まれます。
◇◇◇ 水野結衣side ◇◇◇
真帆がカウンセラー見習いになって、最初の依頼は私だった。
「練習だから、気軽に話してよ。」
小さな防音ルーム。机の上にボイスレコーダーが置かれ、
赤いLEDが静かに点滅している。
真帆はノートを膝に置き、穏やかな目で私を見る。
「録音、始めるね。」
小さなクリック音。
私は背もたれに寄りかかり、息を整えた。
「写真整理の仕事、いつから始めたの?」
「大学四年生の冬かな。卒業前にバイトしてたのが、
そのまま仕事になった。」
「きっかけは?」
私は少し考える。
言葉にするのは、初めてだった。
「古い写真って、埃かぶってるでしょ。
それを拭いて、光にかざして、データに起こすの。
誰かの時間が、そこに閉じ込められてるみたいで。」
真帆が頷く。
「閉じ込められてる?」
「うん。撮った当時の光とか、温度とか。
でも、時間が経つとデータが壊れたり、
見づらくなったりする。それを修復するの。」
「依頼者の気持ちは?」
「『この写真だけは残したい』とか、
『見たくないものは消して』とか。
ほとんど同じ写真でも、『この笑顔が違う』って言う人もいる。」
真帆のペンが、かすかに動く。
「結衣には、同じに見える?」
「うん。私には分からない。でも、その人には分かるんだろうね。
思い出のほうが、写真より正しいって思うのかな。」
録音の赤い光が、静かに点滅を続ける。
真帆が少し間を置いて、言う。
「結衣にとって、どっちが『ほんと』?」
「どっちも、かな。」
「たとえば?」
「写真は、光をそのまま残してる。でも、
思い出の中の時間って、もっと強い。
データが壊れても、覚えてるものは消えない。」
「それって、怖くない?」
私は息を吐く。
怖い、と口にするのは初めてだった。
「うん。怖い。光のほうが壊れないと思ってたのに、
人の記憶のほうが強いなんて。」
真帆がノートを閉じる。
「それで、『遅れないための方法』を探してる?」
言葉に詰まる。
心臓の鼓動が、一瞬大きくなる。
「そんなふうに、聞こえる?」
「聞こえるよ。人の記録を整理してるようで、
実は自分のためにやってる感じ。」
私は笑ってごまかした。
でも、真帆の目は、私の言葉より先を見ている。
「たぶん、そうかもしれない。」
「たとえば?」
「間に合わなかった記録って、いつまでも
『更新待ち』みたいな状態になるんだよ。
あのときのフォルダみたいに。」
真帆が小さく頷く。
「更新待ち。」
「うん。開いたまま、閉じられないまま、
ずっと同期してる感じ。消したくても消せない。
だから、誰かの写真を整理してると、
『遅れなかった世界』を見てる気がするんだ。」
録音室に、冷房の低い音だけが響く。
真帆が静かに言う。
「結衣、それって写真整理よりずっと重い話だね。」
「うん。」
「でも、それを仕事にできるのは、強さだよ。」
「強さかな。止め方を知らないだけかも。」
真帆が笑う。
「どっちでもいいんじゃない?
他の人が見たら同じに見えるし。
結衣が『そう感じてる』ことが、現実なんだよ。」
胸の奥で、何かが静かに動いた。
現実とは、データでも記憶でもなく。
私が感じていること。
「そう感じてることが、現実……。」
「うん。」
「なんか、救われる言葉だね。」
真帆が首を振る。
「救ってるわけじゃないよ。観察してるだけ。」
録音の赤いランプが、ピッと消えた。
帰り道、街灯の光が足元に落ちる。
真帆と並んで歩きながら、私は言う。
「今日の話、録音してどうするの?」
「メモ程度に書き起こすよ。練習だから。」
「私の『遅れない方法』も?」
「うん。あと、『更新待ち』って言葉、面白かった。」
私は笑った。
「真帆には、何でも話せる気がする。」
「それは、私が治そうとしないからだよ。」
「それって、優しさ?」
「違うよ。現実だよ。
感情は、誰かが正すものじゃないから。」
街灯の光が、真帆の横顔を照らす。
いつもより、少しだけ柔らかく見えた。
家に帰って、PCを開く。
17:21のファイルは、まだ開かない。
でも、今夜は開かなくてもいい気がした。
真帆が見ているだけで、
そのデータはすでに「現実」の中にある。
私は新しいフォルダを作った。
名前は「更新待ち」。
中はまだ空っぽだった。
でも、いつかそこに何かを入れられる日が来るかもしれない。
窓の外、電車の音が遠くで鳴る。
波音ではない、ただの日常の音。
——遅れない方法は、まだ見つかっていない。
でも、探し続けることはできる。
それが、今の私にできること。
お読みいただき、ありがとうございます。
第7話では、結衣が「更新待ちのフォルダ」という表現で、
過去の17:21を初めてメタファーにしました。
真帆の「感じていることが現実」という言葉は、
これから結衣が現実を選び直すときの支えになります。
次話『早送りの海』では、
社会人十年目の結衣が”yui_“アカウントを再起動し、
同窓会グループで「黒川悠真」の名と再会します。
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