表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

第6話 位置情報

※第6話では、結衣が過去のデータと再会します。

「8-15_17_21.jpg」

撮影者:mizuno_yui

位置情報:由比ヶ浜

数値が突きつける、あの日の「時間ズレ」。

記録と記憶が、静かにずれ始めます。

◇◇◇ 水野結衣side ◇◇◇

社会人になって、最初に覚えたのはソフトのショートカットキーだった。

次に覚えたのは、フォルダ階層の整理の仕方。

最後に覚えたのは、人の思い出の重さは、データ容量と比例しないということだった。

写真整理の仕事は、静かで、少しだけ埃っぽい。

依頼者から預かったハードディスクやSDカードを開き、

必要な写真と不要な写真を分けていく。

ブレているもの、真っ暗なもの、指が写り込んだもの。

そういうのを削除候補リストに入れる。

「本当に消していいんですか?」

初めてそう聞いたとき、ある依頼者は笑った。

『ああいうの、見たくないんですよ。

 ちゃんと写ってるのだけ残しておいてください。』

私は「はい」と返事して、そのデータをゴミ箱に入れた。

画面の端で、アイコンが小さく沈んでいく。

——見たくない記録は、ないことにされる。

そうやって、世界は少しずつ整えられていく。

ある日、昔のクラスメイトから「データ整理を手伝ってほしい」と連絡が来た。

文化祭や修学旅行の写真をまとめておきたいらしい。

送られてきた外付けHDDを接続する。

フォルダの名前はただの数字列で、規則性はない。

「201X」「0815」「class」「album」。

その中に、一つだけ見覚えのある文字列があった。

8-15_17_21.jpg

心臓が一瞬、強く脈打った。

クリックする指先が冷たくなる。

ファイルを右クリックして、プロパティを開く。

撮影日時:20XX年8月15日 17:21

撮影場所:神奈川県鎌倉市由比ヶ浜

作成者:mizuno_yui

——私の名前。

頭の奥が、少しだけ遠くなる。

椅子の背もたれに寄りかかり、一度深呼吸をした。

「結衣、大丈夫?」

いつの間にか、真帆がドアのところから覗いていた。

同じ会社で働いているわけではないけれど、

近くのクリニックでカウンセラー見習いをしている彼女は、

よく帰り道に顔を出してくる。

「うん、大丈夫。ちょっと、懐かしい名前が出てきただけ。」

「mizuno_yui?」

画面を覗き込んだ真帆が、プロパティをちらりと見てから言う。

「うん。私の、昔の名前。」

「今も同じでしょ。」

「……そうなんだけど。」

由比ヶ浜の文字列を見ていると、

胸の奥で眠っていた波音が、微かに目を覚ます。

「開ける?」

真帆の問いかけに、私は首を横に振った。

「まだ、開けない。プロパティだけで十分。」

「位置情報、ちゃんと残ってるんだね。」

「うん。」

由比ヶ浜。

あの日と同じ場所。

時刻だけが違う。

現実は17:19、データは17:21。

二分の誤差は、いまだに修正されないままそこにある。

その夜、家に帰って自分のPCを開いた。

高校時代のバックアップフォルダ。

長らく触っていなかったHDDの中に、

同じファイル名が眠っていた。

8-15_17_21.jpg

こちらのプロパティにも、同じ情報が表示される。

撮影者:mizuno_yui。

位置情報:由比ヶ浜。

——やっぱり、私が撮った。

頭では分かっていた。

だけど、数値で突きつけられると、現実の密度が変わる。

スマホを手に取り、真帆にメッセージを送る。

『あの写真、こっちにもあった。』

すぐに既読がつき、短い返信が来た。

『うん、そう思った。』

『開けた?』

『まだ。』

『開かないままでも、現実だからね。』

私は笑って、スマホを伏せた。

真帆の言葉は、いつも少しだけ先にある。

布団に入ると、久しぶりに波の夢を見た。

17:21の光が砂浜を照らしている。

シャッターを切ろうとすると、

どこからかサイレンの音が混じる。

「誰かが呼んでくれて。」

悠真の声が、遠くで聞こえた気がした。

振り向いても、姿は見えない。

ただ、海へ降りる階段だけが、夕陽に焼き付いている。

目を覚ますと、部屋は暗かった。

枕元の時計は、午前四時を少し回っている。

——位置情報は、嘘をつかない。

でも、記憶はすぐに上書きされる。

どちらを信じればいいのか、分からなかった。

数日後、クラスメイトのHDD整理は無事に終わった。

「8-15_17_21.jpg」は、

フォルダの深い階層のまま、削除リストから外した。

依頼者には言わなかった。

見たい人だけが見ればいい写真だと思った。

帰り道、真帆と駅まで一緒に歩く。

「どうした? まだ波、鳴ってる?」

「少しだけ。」

「位置情報、見てよかった?」

「分からない。でも、見なかったことにはしたくなかった。」

真帆は頷く。

「現実ってさ、見なかったことにも、しなかったことにもできるけど、

 “感じなかったこと”には、なかなかできないよね。」

「うん。」

「結衣は、感じたままでいいと思うよ。」

それは、慰めというより、報告に近い言葉だった。

彼女はいつも、私の感情を「そうだね」と認めるだけ。

治そうとしない。

だから、救われるのかもしれない。

その晩、PCの画面を見つめながら、

私は17:21のファイルをもう一度右クリックした。

「開く」ではなく、「プロパティ」を選ぶ。

撮影者:mizuno_yui

場所:由比ヶ浜

時間:17:21

数字は、変わらない。

でも、その数字をどう受け取るかは、私が選べる。

——私はあのとき、そこにいた。

撮ったのは、私。

止めたのも、たぶん私。

それでも今、私はここにいる。

位置情報は変わっている。

窓の外の東京の空は、相変わらず灰色が強い。

けれど、今日の灰色は、昨日より少しだけ柔らかく見えた。

お読みいただき、ありがとうございます。

第6話では、結衣が「位置情報」という動かない現実と向き合いました。

17:19(救急要請)と17:21(写真)の二分が、

彼女の中で静かに疼き続けます。

次話『遅れないための方法』では、

真帆との録音インタビューで、

「感じていることが現実」という言葉が生まれます。

感想・ブックマーク、いつも励みになっています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ