06 忌名セント②
鬼討師・忌名セントの除霊。05~07まで続く、連続エピソードとなります。
次回8月1日。連続エピソードの場合は週一土曜20時投稿。
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セントはコーヒーに口をつけた。インスタントコーヒー特有の苦味を強く感じる。
二階からホウコがケミをあやす声が微かに聞こえる。目の前にいる前山が両手を握り締めながら、口を開いた。
「最初は気のせいだと思ってました。職場で残業をしていると、ちっ、耳元で舌打ちが聞こえたんです。フロアには私しかおらず聞き間違いかなと思ってそのまま仕事をしました。ちっ、また、舌打ちが聞こえてきたんです。何度も何度も舌打ちが聞こえて恐くなりその日は帰りました。その三日後だったと思います。残業中に突然、バンッ、という衝撃音がして、机の上のペン立てが倒れました。地震かと思いましたが、揺れていたのは机だけでした。さらに続けてバンッ、バンッ、と机を叩く音が頻繁に鳴るようになりました。合わせて舌打ちも聞こえてきて……この日も残っているのは私だけで他に誰もいませんでした」
怯えながら話す前山をセントはじっと見ていた。二階から下りてきたホウコが前山の隣に座る。
「会社で残業するからこんなことが起こるんだと思って仕事を家に持ち帰ってやることにしたんです。初日は何も起きなかったので安心したのですが。二日目のことです。後ろから小さく、ちっ、と舌打ちが聞こえたような気がしました。机がコン、と鳴って、書類の端が少しだけずれる。それだけでした。また、頭の中で、しっかく、しんしにうけとめることがだいじ、しっかく、しんしにうけとめることがだいじ、という言葉が何度も谺してましたが私は前のことで神経質になってるだけだと言い聞かせました」
前山が俯いて手を組み合わせた。
「そんなある日、私はいつものように家に持ち帰った仕事をこなしていると妻が私の部屋に入ってくるなり、あなた、夜中に誰かと話してる? そう言ったんです、彼女の顔が妙に真剣で……」
「話し声が聞こえたからリモートで通信してるのかと思って。でも彼はリモートなんかしてない、資料を作ってるだけだと言ってました」
ホウコが後を引き継ぐように言った。
「彼、退職引き止め代行に対抗する退職代行の営業というハードな仕事をしてるんです。だから、心労でおかしくなったと思って休みを取ることを提案したんです」
「実は上司が酷いパワハラでクビになって、その分の仕事が私に回ってきたんです。パワハラ上司からも仕事を押し付けられて、いなくなっても残業ばかりの日々でした。妻の言う通りにして久しぶりに有給を取りました。これで少し休めば大丈夫だと思っていたのですが……」
日が陰り、室内が暗くなる。
「有給を取ると家族三人で伊豆に旅行に行ったんです。その日の夜中、ふと目が覚めたらなぜか旅館に持ってきていたパソコンを広げてました。勝手に指が動いてキーを打っていたんです」
「私は娘の泣き声に目が覚めたんです。娘が泣きながら指差す方を見たら、暗い中、彼がパソコンに向かってました。彼は何もしてないのにバンッ、バンッて机を叩く音がしてたんです。その間に、ちっ、という舌打ちが混じってた。最初は暗くてよく見えなかったけど、目を凝らすと彼の後ろに、影がいたんです」
ホウコは少し息を詰めて続けた。
「影は背中を丸めて彼の肩越しに覗き込んでた。顔は見えなかったけど手が見えました。長くて細い指で机をバンバン叩いて、舌打ちするたびに肩を揺らしてるの。そこ違うって指示してるみたいに」
前山が小さく震えながら言葉を引き継いだ。
「私はと言えば気づいたらパソコンの画面を失格という単語でびっしりと埋め尽くしてました。止めようとしてもキーが止まらなくて失格、失格、失格と打ち続けました。さらには机が勝手に揺れてバンバン叩かれて。あの時、確かに背後にもう一人分の呼吸の音がありました」
「私、怖くなって電気を点けたんです。でもその瞬間、机を叩いてた手も、音も、全部止まりました。そのあと、部屋の隅で最後にもう一度だけ、ちっ、と舌打ちがしたんです」
言い終えたホウコの肩に前山が手をかけた。
「旅行どころではありませんでした。予定を切り上げて家に戻ってきたのですが……今度は夜中に寝ていると耳元で低く、よこせ、よこせ、よこせ、と言われ、私は気がつくと通販サイトでサッカーボールと高級なタラバガニをカートにいれて注文してました。キャンセルしようとしましたが、だいじ、だいじ、だいじ、と声が響いて、身体が動かなくなりキャンセルボタンを押せませんでした。勝手に注文した商品が届いた時には胸が押しつぶされるようでした」
前山は深い溜息をついた。
「それからも夜中に勝手にパソコンに向うのは変わらずで机をバンッと叩く音、舌打ち、ため息の連続。けれど次第に家全体が暴れ出したんです。あの日の夜もまず、机を叩く音と舌打ちが響き渡りました。それから寝ている妻の肩に目覚まし時計がぶつかったんです。さらにおもちゃ箱の小物が勝手に飛び出して娘の頭を打ちました。妻と娘の叫ぶ声と机を叩く音、舌打ちのリズムが重なり、家の中が嵐のように荒れ狂った。どうして良いかわからず、やめてくれと言おうとすると」
前山がついに頭を抱えた。
「声は途中で止められ、しっかく、しっかく、しっかく、と低い声で繰り返されたんです。感情の無い声に私は震えるだけでした。その間にも机や椅子が揺れ、床に置いてあった棚や箱が次々に倒れ、妻と娘が泣き叫びました。我に返った私は二人を助けようとして手を伸ばそうとした。でも、身体が後ろから押さえつけられて耳元で、しんしにうけとめることがだいじ、と囁かれたんです。反射的に振り返ると……闇からぬるりと眉の薄い卵のような顔が湧き出てきました。そして、丸く見開かれていた黒目がちの目が私の目とあったんです」
沈黙が流れた。隙間風なのかカーテンが揺れた。
「私は真っ暗な黒目から目が逸らせなかった。恐怖で固まってたんです。それでもなんとか振り切り、必死に妻と娘を抱き寄せようとした。だけど、耳元でよこせ、よこせ、と言う低い声がわんわん響いてきて……気づいたら身体が動かなくなってたんです。そして次に気づいたとき、手の中に携帯端末があって、勝手に通販サイトが開いていた。おかしいでしょう? あんな状況で、私は買い物をしてたんですよ。前と同じ、サッカーボールと高級タラバガニを。それを注文した瞬間、あの暴威がようやくおさまったんです。私たち家族は傷つきながらも、ただ耐えるしかありませんでした」
今度はホウコが前山の肩に手を置いた。
「このままだと私だけでなく妻と娘も命が危ない、そう思っていた所に以前相談していた知人から連絡があったんです。忌名さんの事を教えてもらったんです」
「そういうことやったか」
セントは呟くと前山に向けて意識を集中した。依然として前山から赤い揺らめきはあるものの取り憑いている霊の本体が感じられなかった。
「この現象が始まったんはパワハラ上司が辞めてからということか?」
「そうです。上司は古花という奴ですが、私は散々罵倒されました。だから、会社に訴えたんです。内部調査で奴の悪業がバレて退職に追い込まれました」
「確認やが辞めた古花はどうなったんや?」
「噂では別の職場に就職したとか」
「前山さんが見た霊の顔は上司に似とったか? それともまったく知らない顔か?」
「古花の顔ではないです。知らない顔です……」
「そうか……症状からすると霊はどんどん追い詰めとる。このままでは命に関わる。すぐに祓いたい所やが今は取り憑いている存在がおらん。話しからするに夜中や残業中に現れるようやな。その時に倒すしかない。今夜、その霊を祓おう思うがどうや?」
前山はホウコに視線を向けてから不安そうに頷いた。
「是非、お願いしたいのですが……お代はどれくらいでしょうか? 聞く所によると相場は五十万から二百万くらいとか?」
セントは微笑んだ。
「僕は特殊な事情がない限り、基本は十万以内で引き受けてるんや。安心せい」
「お願いします」
前山とホウコが同時に頭を下げた。
「万が一がある。奥さん、娘さんと一緒に別の場所に行ってもらえるか?」
「わかりました。実家が近くにあるのでそちらに行ってます。彼を頼みます」
「大丈夫や、任せてくれ」セントが頷いた。
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前山がホウコとケミを実家に送り届けるのを見送りセントは頭を整理した。
古花は生きているが前山を恨んでいる可能性は強い、その為、生きた人間の気が無意識に害を為す生霊の線で考えていた。しかし、怪異の顔は知らない人物であったこと、よこせと言われた製品は全て古花の趣味には関係のないものであった。古花は野球が好きでサッカーに興味はなく、蟹も特別好まないという。
セントは家の周囲を再度歩いて大気の流れを探ることにした。晴れていた空が雲に覆われている。家にはまだ赤い気の残滓が残っていた。
「あれは?」
着いた時には気付かなかったが、家から微かに薄く気の糸が伸びていた。セントは見失わないように集中しながらその後を追った。
住宅街を慎重に進むと糸のような気は近くにある小平区立図書館に続いていた。中に入ると糸は郷土資料室に続いている。さらに糸を辿るとガラスケース掲示されている江戸時代の日記「山田嘉右衛門日記」に続いていた。
セントは説明文に目をやる。「江戸時代後期、淡路国の藩士・山田嘉右衛門による日記。同僚であった中級役人・西岡源左衛門《にしむらげんざえもn》が部下や商人に過剰な報告や賄賂を求め、恨みを買って部下に殺害された事件の経緯を記している。恨みを買って殺害されたのち、関係者が次々に病や災厄に見舞われ、夜な夜な文台を叩く音がする、影が現れ災いを受けたくないなら源左衛門の趣味である蹴鞠や好物の蟹を要求するという怪異が報告された。この事件は後に煉盗大罹長という名の悪霊譚として民間に伝わり当時の練達、煉ると盗るを掛け合わせた言葉遊びの煉盗、大罹長は大いに災いを罹る長とも書かれ責任を逃れられなかった上役への皮肉を込めた呼称である。嘉右衛門の子孫が幕末期に江戸詰となり、のち多摩郡小平村の新田開発に関わったため、当地に資料が伝わった。昭和初期に旧家より寄贈され、現在は小平区立図書館郷土資料室に所蔵」と書かれていた。
「煉盗大罹長……」
この悪霊が関わっていることは間違いがない。ここには残滓だけで存在を固定できるだけの核はいないが、それでもセントは由来と赤い痕跡から霊の属性を火霊であると推測した。人は火を恐れ、また祈りに用いた。火霊は怒りと破壊の象徴である。
人は生まれながらにして自然を畏れ、生きるためにそれを本能的に避け、敬い、祈る。その畏れと祈りは死者の気にも残り、最も強く意識していた自然現象の傾向へと吸い寄せられる。そこから霊の属性は由来や死因から大きく火、水、土、風に分けられる。属性はあくまで強く出る傾向であり、混合や四つ以外の特別な属性もある。
呪術師は世界観を形成し司る者である。相手の属性を認識して有効な手札を返す。認識を誤れば最大効果を発揮できず、逆効果もあり得る。有効手札や強い手札でも認識をせずに使えば最弱の効き目しかない。呪術は相手の属性の読み合いが左右する。
後は本体が現れる夜を待つだけだ。




