02 特異事象①
特異事象調査課・水依サラミと鬼討師・忌名セントの心霊捜査。02~04まで続く、連続エピソードとなります。
次回投稿6月27日。連続エピソードの場合は週一土曜20時投稿。
※ハチオウジギアと同じ世界観で起きる出来事です。単独でも読めます。
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ハチオウジ市国立区、深夜の住宅街は不自然なほど静まり返っていた。
午後十一時過ぎ、仕事帰りの内地シドウは人気のない細い路地をいつものように歩いていた。
ずれた眼鏡を直し、ネクタイを少し緩め、肩にかかった鞄を揺らしながら歩く足取りは重い。疲れが体中にまとわりつく。
ふと見上げる空は曇っていて、夜の風が頬を撫でる。やっと自宅のマンションが見えたとき、胸に小さな解放感が広がる。
家まであと少し、そう思ったとき暗がりから湧き出すように女が現れた。
「えっ?」思わず声がでた。
後ろの街灯に照らされて見えたのは白髪を真ん中分けにした五十代くらいの女だ。黒いスーツのような服を着込み、両手で一枚の紙を大事そうに胸の前へ掲げている。
『わたくしは奪菩荼毘、以上でございます』
「えっ? 何か言いました?」
女がよく分からない言葉を呟き、思わず問い返した。
『奪菩とは確認できませんでした。荼毘とその場で判明しました、以上でございます』
「だつ……ぼ?」
『はい、はい、はい、はい、はい、はい、はい、以上でございます』
内地は変な女に絡まれたと思い、溜め息をついた。
「すみません、失礼します」
『刺し曳か穢させていただきます』
内地はこれ以上相手をしてはならないと思い、横をすり抜けようとすると女が立ち塞がった。その時、生気の無い眼が大きく見開かれた。
『はい、わたくしの方は重苦転贄耶舞であると思いまして、必要であると思った方にお見せしております』
よく分からない言葉を呟いた。ふいにその紙をゆっくりと傾けて、内地に見せた。
ほんの一瞬、視線が紙に合っただけのはずだった。だが、目が離れない。
紙にはびっしりと意味不明な漢字の羅列が書いてある。「卒他嘘苦嘘墓業魔証鬼嘘伊書十散羅観東千市九除他田以卒二籍長上久苦業秒出保御座証今素書唯々邪楊廃陰超戸魔道卒田嘘記業憶証嘘久伊書保散羅観千除他以卒籍長真上苦業秒紀出御座証今素書唯々邪楊廃陰超戸魔道……」
文字が目を通して脳を直接侵食していく。体が重くなり、呼吸も浅く、心臓が冷える。何かが、紙の向こう側から自分の内側を引っ張っているような感覚が襲ってきた。
「うっ、うっ……」
抵抗しようとしたが、足はもう動かない。視線を逸らすこともできず、ただ紙を凝視したまま立ち尽くす。
女が表情を変えず口を開いた。
『重苦転贄耶舞、見ていただいたと記憶しております』
言葉が脳の奥で響いた。鋭い痛みが全身を駆け巡り、内地の意識は深い沼に沈み込むように途切れた。
◆
ハチオウジ市あきる野区。水依サラミは車窓から流れる森林の風景を見ていた。ガラスには前髪なしのポニーテールの幸薄そうな自らの顔が映っている。
「初めてだったな」
横で運転中の岳川セマキが言った。日が陰ったのか岳川はスポーツサングラスを坊主頭にあげた。
「どういう方なんですか?」
「まぁ、変な関西弁を使うけど、真面目な男だよ。公安としても信頼できるパートナーの一人だ」
「今回の件、何とかできるんですか?」
「何とかしてもらわないと困る。最近もまた、被害者が出た。気を吸い衰弱させて、死者を出したこともある特事第二類だ」
「そうですね」
サラミは携帯端末の資料に目を向けた。資料には特異事象第二類とあり、下には「U383」と記載されていた。
サラミは警察庁警備局特務公安部特異事象調査課、通称、特事課に所属している。
特異事象とは死者の残留した気である「霊性体」や死者の気に関わらず、大気に溢れる気が偶発的に集合、自律して具現化した「自然発生体」、霊性体を核に都市伝説や噂話等の人間の思念や似たような霊性体が結合し別の意志を持つようになった「変異体」等を指す。
これら特異事象は人の生命エネルギーである気を吸い、存在を維持しようとする性質を持っていて、脅威度、影響範囲、制御可能性、社会への影響などを総合して、第一類から第四類まで分類されている。
第二類は個人、施設に対して明確な害意・影響を及ぼし、放置で被害拡大の恐れある特事である。
「U383」は今回の変異体に付けられた型番だ。
「最初は西欧大学構内で女が書類を持って佇む姿が目撃されていただけなんですね。この時点では第一類の霊性体で大きな危険性はなしと判断してますね」
「それが変異したのだろうな。大学以外にも行動範囲を広げて、人を積極的に襲っている」
「奪菩荼毘ですか……」
「生き残った被害者が語った内容が広まってそう呼ばれている」
サラミはもう一度、資料に目を通した。
■
「おい、見えてきたぞ」
サラミは前に視線を向けた。林の切れ目に古い日本家屋が見えた。
日本家屋の前にある敷地に車が止まった。サラミは車を降りて家を見渡す。二階建ての古い家で表札には「忌名」の文字があり、隣には黒いセダンタイプの車が止められている。
「いくぞ」
車から降りた岳川が言うのでサラミは後に続いた。岳川が玄関先のインターホンを押す。ピーンポーン、音が鳴ると人の動く気配がした。ドアが開く。
「よう来たな」
中から若い男が顔を出した。黒い前髪が額を眉まで覆い、瞳の奥に影を落としていた。端正な顔立ちに潜む冷たさと静かな威圧感が妖しい気配を漂わせていた。
「セントさん、忙しい時にすみません」
「ええんや、そちらは?」
「最近配属された水依サラミです。水依、こちら鬼討師の忌名セントさんだ」
「お話は聞いてます。宜しくお願いします」
忌名セントがサラミを見つめた。
「そうか。大変な仕事やと思うが宜しく頼む」
セントが言うとサラミと岳川を中に通した。家に入ると廊下を進み、奥にある応接室に案内された。革張りのソファがローテーブルを挟んで二台ある。
サラミは岳川と共に奥のソファに腰掛けた。セントが給茶機から皆のお茶を用意し、それぞれの前に置いた。
「ありがとうございます」
サラミはそう言うとバッグから資料とタブレットを取り出して机の上に置いた。
「セントさんにはこの変異体を祓って頂きたい」
岳川は資料の束をセントに渡した。セントが資料を真剣な眼差しで読み込んでいる。サラミは茶碗のお茶を飲みながらその光景を見ていた。
「また、変異体やな。最近、お前たちも把握してない攻撃的な変異体や自然発生体も増えとる。何かが起きてる気がするんや」
「どういうことです?」
サラミは問いかけるが、セントは首を振った。
「わからん、ただ、嫌な感じがするだけや。まぁ、ええ、U383奪菩荼毘か、五人以上の命が奪われてるんやな。」
「はい、このU383は被害者に紙を見せて気を吸い取っているようです。最初は西欧大学の構内のみでしたが、大学を中心に行動範囲を同心円状に広げて被害者が増えてます」
岳川がタブレットに発生地点を映し出した。
「なるほど。気を吸うだけやなく、その存在をより強くする為に行動範囲を拡大しているんやろう」
セントが資料を置いて、茶を一口飲んだ。
「対処しよう」
「ありがとうございます。依頼料はいつも通りで」
岳川がそう言うと書面を渡した。
特事課は調査が主である。その為、特事を祓う事ができる呪術師や特事を知覚し祓う能力を持つ超人の霊能力者を協力者として契約して特事の対処を依頼している。
セントも鬼討師という室町期にできた退魔専門の呪術師の一人だ。
「それと水依ですが、現場経験が足りないので今回の案件は現場に同行させて下さい」
セントがサラミに厳しい目線を向けた。
「岳川、命の危険について彼女に覚悟はあるんか?」
「私はあります」
サラミは迷いなくはっきりと答えた。セントはサラミの覚悟を見たのか、頷くと表情を崩した。
「ええやろう、安心せえ。僕がついてる」
「それでは水依の事もお願いします。詳細について詰めましょう」
岳川が言うとサラミは頭を下げた。
サラミは配属後、岳川や同僚の柿津と同行調査はしていたが、呪術師との仕事は初めてであり緊張を感じている。だが、それよりも第二類と仕事で接する事についての使命感が勝っていた。




