第一話:剣と魔法と迷宮と (2)
暗闇の中の空気はじめじめと湿り、不快なものだった。
「う……っ」
最初に目を覚ましたのは、フィオーヌであった。痛む後頭部を押さえながら、フィオーヌは身を起こした。しばらく朦朧として、現在の状況を理解することが出来なかった。
「ここは……はっ!?」
フィオーヌはようやく、三人が暗闇に落下した瞬間を思い出した。
「ディオーヌ? ……ディオーヌ!」
フィオーヌは足元もままならない暗闇の中でディオーヌの名を叫んだ。その声は暗闇の中に響き渡った。その反響する声から、かなり天井は高く、周囲は広く開けているようであった。
「……ラマファール……リストネス……光の精霊よ。集いて闇を照らす明かりとなれ」
呪文を唱えたフィオーヌの手のひらの中に、ほのかな光を放つ球体が現れた。白い光に照らされて、フィオーヌの長い金髪が輝いて見えた。フィオーヌはその光を掲げて、もう一度周りを見回した。フィオーヌは少し離れた所に、重なり合うようにして倒れている二人を見付けて駆け寄った。
「ディオーヌ! しっかりして!」
フィオーヌがディオーヌの肩を揺さぶると、うっすらとその目が開いた。
「ん……」
「ディオーヌ! 大丈夫?」
「え……ええ。大丈夫よ」
ディオーヌは身を起こした。顔に掛かった赤毛の髪をかき上げると、自分がアインの分厚い胸板の上に乗っていることに気が付いた。
「きゃ! 何よ……こいつ」
しかし、まだアインの意識はなかった。ディオーヌは直ぐ様、飛び退いた。
「まだ気を失っているわ」
「何だ……」
「それより、ここは何処かしら?」
「まさかあんな所に洞窟があるなんてね」
「それもただの洞窟じゃあないみたいよ」
二人は天井近くを見上げた。その岩肌は自然に出来たというより、どことなく人の手によって造られたといった感じがする。
「確かに……あっ! 私の剣がないわ!」
ディオーヌがその時、自分の剣がないことに気付いた。二人は辺りを見回したが、ディオーヌのファルシオンは見当らなかった。
「途中で手放してしまったのね……仕方がないわ。これを使って」
フィオーヌは腰に差していた短剣をディオーヌに手渡した。
「私が持っていても役に立たないしね」
「ええ」
ディオーヌはその短剣を鞘から抜くと、倒れたままのアインを見下ろした。逆手に持ち替えた短剣を、アインの喉元に突き立てようとしたが、ディオーヌはそれをやめた。
「どうしたの?」
「こいつ……もしかして私達をかばったんじゃないのかしら?」
「まさか……」
フィオーヌはとっさに否定したが、彼女もまた、その可能性を感じていたのも事実である。だから、ディオーヌの推測を強く否定することが出来なかったのである。
「どのくらい落ちたのかは分からないけど、私達は大した怪我はないのよ」
アインは額と左腕から出血していた。鎧の下には、まだ見えない傷もあるかもしれない。
「だからといって、この男が私達をかばった証拠にはならないでしょう?」
フィオーヌはまだ、ディオーヌの意見を認めたくはなかった。
「まぁね。……でも今は、こいつを殺すことよりも、ここから出ることの方が先決だわ」
「……ほぉ。寝込みは襲えても、気絶している相手は殺せないというのか?」
突然の声に、二人は驚くと共に身構えた。
「だ、誰?」
アインを見下ろしたが、彼が意識を戻した様子はない。
「私の名はロムナイト。此奴の持つ剣に宿った魂……とでも言っておこうか」
「剣? 魂?」
二人はアインがまだ握ったままの剣に注目した。
「ソウル・ソード……」
フィオーヌの口から言葉が漏れた。
「ソウル・ソード?」
「ええ。自らの意志を持った剣よ。目にするのは初めてだけど……」
「お目にかかれて、光栄だな」
柄頭の青い水晶球が、ほのかな光を放っている。
「あの不思議な力も、貴方のせい?」
ディオーヌは『炎の剣』を防いだ、アインの光る剣のことを聞いた。
「まぁ、そんなところだ。……それよりも、ここは地下迷宮の一部だな」
「地下迷宮!?」
「私の記憶が正しければ、前史の古代魔法時代に造られたものだろう」
「やっぱりここは……人工の? 信じられないわ」
「昔の魔導士や、錬金術師の能力は、想像を絶するのだよ。……それより、そちらのお嬢さん」
姉妹は顔を見合わせた。
「髪の色と瞳の色が違うだけで、本当に顔は瓜二つだな……緑の瞳の方だ」
ロムナイトはやれやれといった感じの声で言った。
「私のこと?」
フィオーヌは自分を指差した。
「怪我はないか? 途中、アインの奴が手を放してしまって、心配だったのだが……」
「手を……放した?」
「落ちた瞬間、こいつがお前さん達を抱えて、なんとか守ろうとしたようだったが……」
二人はアインの顔を見た。二人の感じたことは事実だったようだ。だがしかし、にわかにロムナイトの言葉を信じられらなかった。
「さっきは仕方なくだったが、基本的には女に甘い男でな。奴も本気ではなかったのだ」
「本気でなかったですって?」
「ああ。この男と一緒に、もう何年も戦ってきた私が言うのだから、間違いはない」
二人は口をつぐんでしまった。対等に戦っていたつもりでも、アインの実力には程遠かったことを思い知らせられたからだ。しかも、仇と追っていた男に助けられていたとは……。ディオーヌは悔しさに唇を噛み締めた。
「……さて、お嬢さん方。先程のここを出ることが先決との事だが……」
「それがどうしたって言うの?」
ディオーヌはいらついた言葉で聞き返した。
「勝ち気な娘だな。……どうかね? ここを出られるまでは、此奴と一時休戦ということにしては?」
ディオーヌとフィオーヌは顔を見合わせた。
「仕方ないわね」
フィオーヌが渋々と認めた。
「でも、この男が納得するかしら?」
「本人に聞いてみるとしよう」
ロムナイトがそう言った瞬間、水晶球が強い光を発した。ほとんど同時にアインの身体が、びくんと大きく跳ねた。
「ぐ……う……!?」
アインの目がゆっくりと開いた。
「目が覚めたか?」
「あ? ああ……全く最悪の夢だったぜ。……いきなりこの間の姉妹が出てきて、寝込みを襲われるは、宿屋の部屋はふっ飛ばされるは、しまいには……」
アインは寝呆けて、今までのことと現実が混乱している様子である。
「あの姉妹ときたら……しつこいのなんのって……」
アインの目が焦点を結んだ時、自分を見下ろしている姉妹に気付いた。
「おわっ!?」
驚いたアインはとっさに起き上がろうとしたが、その胸と左腕に激痛が走ったために、それは出来なかった。
「ぐわっ……痛てて……」
「無理はしない事だな。肋骨が二本折れているうえに、左腕も傷を負っている。頭からも出血している」
「何!? うぁっ、本当だ! 痛ってぇ……」
アインは自分の血に驚いて、大げさに痛がっている。その時、フィオーヌがその側に膝をついた。
「な、何だよ。何しやがる!」
アインは自分の傷に触れようとする、フィオーヌの手を振り払おうとした。
「じっとしていて。応急処置の手当てをするんだから」
「はぁ? 何だ? どういう風の吹き回しだよ?」
アインは更に暴れようとした。無理もない。先程までは自分を殺そうとしていた相手が、今度は傷の手当てをしてやるというのだ。アインならずも、戸惑うだろう。
「黙れ。男ならおとなしく治療を受けろ」
ロムナイトが厳しい口調で言った。
「何だよ、お前まで。いっ……痛てぇよ! もっと優しく頼むぜ」
「我慢せんか。痛みの伴わない治療などあるものか」
フィオーヌは一言も話さず、黙々とアインの治療に手を動かした。薬草と間に合わせの布で傷を塞いでいく。ディオーヌはただじっと、その行為を見守っていた。
「……これでいいわ。左腕は使わないように」
治療が終わると、素っ気なく注意して、フィオーヌは立ち上がった。
「へぇ、上手いもんだな」
アインはフィオーヌの手際の良さに感心した。
「……話しの続きをしましょうか?」
ディオーヌは腕を組んで、憮然とした表情で言った。
「話の続き?」
「私がお前の寝ている間に、このお嬢さま方と相談をして、此処から脱出するまでは、休戦することを申し出たのだ」
「休戦だと?」
アインは露骨に疑わしい目で姉妹を見た。
「文句があって?」
ディオーヌは赤い髪をかき上げながら、冷ややかな視線と、刺のある口調で言い返した。
「いや、別にないが……な」
アインは頭を掻いた。
「うしろからいきなり、ブスリッ、なんて嫌だからな」
その台詞にディオーヌが一歩前へ出ようとしたのをフィオーヌが止めた。
「……だったら、傷の手当てなどしないと思うけど?」
「……」
アインはまじまじとフィオーヌの端正な顔を見た。ディオーヌと違い、落ち着いた感じがする分、その言動には説得力がある。
「……よし。いいだろう、一時休戦だ」
アインは剣を頼りに立ち上がった。痛みを我慢して、胸を張った。これ以上、弱みは見せられない。
「さて……と、ロムナイト。大体の所、どっちへ行けばいい? このテの地下迷宮には詳しいだろ?」
「そうだな、とりあえずは……頭上の敵をなんとかせねばな」
「……頭上?」
ロムナイトの声に三人が同時に上を見上げた。
「!?」
光の精霊の球体のさらに上、天井の岩肌に巨大な穴が開いていた。そこから現われている巨大な存在。爛々と光る両目で、それは三人の獲物を見下ろしていた。堅い表皮に覆われた長い身体。その両脇には無数の足が並んでいる。先端の巨大なその顎は、一噛みで人間を噛み砕けるはずだ。
「あれは……ムカデ!?」
「なんて大きい!」
ディオーヌ達の驚いた声に、アインは不適に笑った。
「丁度いい相手だぜ……」
「!?」
フィオーヌは傍らのアインから、刺すような殺気が発っせられるのを感じた。
「あいつなら本気で戦える……」
アインは笑いながら呟くと、右手だけで、剣を軽々と振った。
(まさか……片手であれと戦おうというの!?)
フィオーヌは信じられないといった表情で、男を見上げた。
「来るぞ!!」
そのロムナイトの声が合図になったように、穴の中から巨大ムカデが飛び出し、牙を剥きだして、三人に頭上から襲いかかった。
「上等だ! 来やがれ!!」
アインはまるで臆する事無く、剣を構えた。すると、剣からまばゆいばかりの光が迸る。ロムナイトの刀身が発するその光は、地下迷宮をまるで昼間の空の下ように照らしだした。それほどまでに強烈な光だったのだ。
「うおぉっ!」
アインは頭上から迫り来るムカデの巨大な顎をかわしながら、突き出している牙の一つを切断した。しかし、その巨体の勢いを失わせるまでにはいかなかった。
「!」
一撃はかわせたものの、床に激突した衝撃で舞い上がった土煙に、アインは弾き飛ばされてしまった。
「ちっ!」
空中で一回転して、着地したアインの頭上には次なる攻撃が待ち受けていた。地中に頭から潜り込んだムカデの鋭い尻尾がアインを狙っていたのだ。
「危ない! 水の精霊達よ!」
いち早く危険を見て取ったフィオーヌの手の先から、幾重もの水の鞭がほとばしり、尻尾の一撃を食い止める。
「ひゅう……助かったぜ」
アインは笑ってフィオーヌを振り返った。
「フィオーヌ……あなた……」
ディオーヌは思わずフィオーヌがアインを助けたことに驚いていた。
「気を抜かないで! また来るわよ!」
フィオーヌは、そんな傍らのディオーヌの反応にも構わずに叫んでいた。
「お嬢さんの言う通りだ」
ロムナイトの声に答えるかのように、地面が大きく割れて、再び巨大ムカデがその姿を現した。大きくその身体を持ち上げたかと思うと、巨大な口を開いて、アインに飛び掛かってきた。
「上等だぜ……この!」
アインがすれ違いざまに、上段から振り下ろした剣は、ムカデの無数の足の一本を切り落とした。
「くそっ!」
アインはムカデの頭を狙ったつもりだった。だが、相手の動きはアインの想像以上に素早い。
「踏み込みが甘いのだ。だから狙った場所にあたらない」
ロムナイトはあくまでも冷静だった。
「へっ! 誰に向かって言ってやがる!」
アインはもう一度、大きく剣を振った。表情は笑っていたが、その目は相手を見据えたまま、燃え上がる炎を宿していた。
(あれが、彼の本当の姿!?)
ディオーヌは驚きを隠せなかった。全身傷だらけであっても、全身から溢れる闘志は、彼女にも感じられた。
「くっ……」
ディオーヌの奥歯が歯軋りし、ギリッと音をたてた。アインの『本気』への嫉妬、ショートソード一本では何も出来ない現在の自分の状況に、何よりも腹が立った。
「フィオーヌ! 『炎の剣』を私にかけて!」
耐えられない苛立ちに、ディオーヌはそう叫んでいた。フィオーヌが驚きと、呆気に取られた声で答える。
「本気!? その剣では意味がないわ!」
「接近して斬り付ければ、効果はあるわ!」
「冗談言わないで! そんなことしてただで済むと思うの?」
「あいつに負けるのだけは、絶対に我慢ならないのよ!」
ディオーヌの絶叫が響いた。フィオーヌからはディオーヌの表情は見えなかったが、その背中が震えているのは分かった。人一倍、勝ち気な性格で、負けることが嫌いなディオーヌの性格は、生まれてからずっと一緒だったフィオーヌ自身が一番よく知っている。だからこそ、フィオーヌはそれ以上何も言わず、呪文の詠唱でそれに答えた。
「……イルーシャ……ヘイメル……炎の輝きよ……」
ディオーヌは、ショートソードを胸の前で両手で構えた。
「……かの剣に宿れ。鋼と魔を断つ力となれ!」
ショートソードの刀身に燃え上がる炎が宿った。
「行くわよ!」
その時、アインは巨大ムカデの巨大な顎を、真正面から受け止めていた。その巨体を、アインは剣一本で押し返そうとしていた。だが、傷を負っていることを差し引いても、到底無理な事のように見えた。ディオーヌは動きの止まっているムカデの頭部に向かって走りだした。
「無茶だ! よせ!」
アインは横目でその行動を見て取り、大声を上げた。少しでも力を抜けば、ムカデに押し潰されてしまう状態では、それしか出来なかった。
「はあっ!!」
ディオーヌはアインの声を無視して、跳躍した。ムカデの足の攻撃の下をかいくぐったディオーヌの『炎の剣』は、ムカデの左目に深々と刺さった。
ムカデは痛みに大きく体を反らせ、ディオーヌを振り払うと、所構わずその巨体をぶつけ、暴れた。ディオーヌは背中から落下し、動かなくなった。
「ディオーヌ!?」
フィオーヌがその傍に走り寄る。
「今だ、ロムナイト!」
アインは二人に構わず、剣を右の腰の高さに水平に構える。その口から微かにこぼれる言葉は、不思議なリズムをもって紡ぎ出された。
「……ラインフェルドーニア……デレセムスサスリーゼ……」
ディオーヌを助け起こそうとしたフィオーヌの動きが止まった。
「これは……まさか!」
精霊使いである彼女にはすぐに分かった。
「……呪文!?」
痛みに顔をしかめたディオーヌも、上体を起こしながらアインを驚愕の表情で見つめていた。
「……虚空の狭間に消え失せよ! グラニストラード!!」
その時の、アインと巨大ムカデの間には数十メートルの距離があった。だが、アインは全身のバネを使って剣を突き出した。その瞬間、アインの剣から放たれていた光が爆発的に輝き、それがムカデに向かって解き放たれた。槍状の光は、ムカデの巨体を貫き、その背中に突き抜けた。ムカデの体に大きな穴が開き、突き抜けた光は球体に変化し、ぴたりとその動きを止めた。と同時に、もがき狂っていたムカデの動きも凍り付いたかのように止まってしまった。
「!?」
驚く姉妹の目の前でそれは始まった。球体から発っせられた雷光が、ムカデの体を包んだかと思うと、その球体のなかに、あっという間に吸い込まれてしまった。そして、徐々に球体はその輝きを弱めていき、後にはムカデの死骸の一片すら残さずに、跡形もなく球体は消え失せた。
「ふぅぅ……」
アインが長く息を吐き、体中の緊張を解いた。
「何が……起こったというの?」
ディオーヌの声は擦れていた。
「消えてしまった……あれは、攻撃呪文? でも、あんな呪文は……見たことも聞いたこともないわ……」
フィオーヌは目の前で展開した出来事を信じられなかった。
「私の力を借りなければ倒せないとは……嘆かわしいことだな」
ロムナイトの手厳しい評価が、アインの耳に痛かった。
「つっ……仕方ねぇだろ。体調が万全って訳じゃないんだからな」
胸を押さえながら、アインは悪態をついた。ロムナイトの剣を杖代わりにして体重をかけると、その場に膝を付いた。肩で息をするその呼吸は荒かった。どうやら、今のような攻撃はアインの体に掛かる負担が大きいようだ。
「お前ほど、自業自得という言葉の似合う奴はおらんな」
そう言って、追い打ちをかけるロムナイトの声は、少し笑っているようにも聞こえた。
「また……助けられたわね」
フィオーヌは苦笑を浮かべながら、ディオーヌを助け起こしていた。
「……」
ディオーヌは眉をしかめ、怒りの表情を表現したが、不思議と以前のような苛立ちも、悔しさも湧いてはこなかった。彼女自身、それに戸惑っていたが、辛うじて表に出さずに済んだのは幸いだった。
「そうね……」
むっつりと告げた言葉に、以前ほどの刺々しさがないのにフィオーヌは気付いたが、わざと気付かぬふりをした。




