第5話 神を名乗る者
——IS-3401:とある食堂——
第一特殊部隊所属になってから1か月が経った。歴史博物館での暴動以来、大きな事件は起きていない。新鮮で刺激的だった初週と比べると、雑務ばかりを任される毎日はあまりにも退屈すぎた。しかし、反政府組織が頻繁に蜂起していない状態は、永約がどれほど人に恩恵を与え続けて、そして支持されているかがよく分かる。いざという時の実力部隊が裏でひっそりしているのも悪くないとここ最近は思い始めた。それに、あの功績があってからかヴェリタスと僕はかなり有名になったらしく、よく声をかけられるようになった。おかげで人脈は増え続けており、今後の動きにも多少なり影響が出るだろう。
それにしても、ヴェリタスは他の官僚と比べても明らかに異質な存在だと感じる。彼女が期待されたエースであることには納得だが、そんな彼女がなぜ特殊部隊という非番な地位にいるのかが不思議だった。
……そのような仕事の話は置いといて、今日は1か月に一度の休息日。官僚は人生のほとんどを任務に費やすが、特別に忙しくなければ休みがもらえることもある。あくまで健康状態の維持と休息が目的のため、安静にしていることが本来望ましい。しかし、その短い時間を趣味に全力投球している官僚も少なくない。遊び人ほどではないが、地下にも芸術や文化に触れられる場所や機会がある。僕にはあまりそういうものがない。服にすら興味がなくて部屋着以外は仕事着とそっくりのものしかない。今までは無心に立派な官僚になれるように様々な努力をしてきたが、目標が一旦達成されたことで虚無状態になっていた。趣味嗜好があることこそが、人間であるという証であるというのに。
それで今日は、友人と久しぶりに会うこととなった。お昼の休憩時間を過ぎた食堂は僕と同じように休みに来た人々がちらほらいる。どうやら少し遅れているようで、僕は紅茶を飲みながら気を緩めていた。瞼が閉じそうになったとき、誰かが走ってくる音が聞こえた。
「ごめんごめん!オルフェオ、待たせちゃった?」
「いや、大丈夫。……またクレープかい?」
「うん、でもこれは最近出たやつだよ。すごくおいしいんだから。食べる?」
「いや、遠慮しとくよ」
ホイップクリームと果実がたっぷり入ったクレープ。遊び人用に開発されたものだろうか。
彼女は『ヌトリーレ』。僕と同じ日本系の血を引く、短めの焦げ茶髪が特徴の女性だ。細身で身長が低いわりに、彼女はよく食べる人だ。教育生のときからの同期で友人だ。厳しい教育生時代においても彼女との会話は明るくて励みになっていた。
日本系や〇〇系といった人種(旧人種分類と呼ぶ)はもはや民族性を表す指標になっていない。人種は、30年前に人工子宮による人間の誕生管理に完全移行されてもなお、「個性を尊重するため」に残されている。
「栄養価が偏っているような……」
「一日で見れば問題ないから!好きなものを食べるのが楽しみなの。君だって健康食ばかりじゃつまらないでしょ」
「健康食はバランスとエネルギーの持続性、そして短時間で食べられるから健康食は優秀なんだよ」
「そうだけどさ……。もっと趣味や嗜好を持った方がいいよ。官僚だってずっと仕事しているわけじゃないんだし。芸術とか勉学とかいろいろできるんだし」
そういって彼女はクレープを頬張った。クレープからバナナとチョコクリームが零れる。確かに、美味なように設計されているから彼女の言う通り美味しいのだろうが、あまりにもエネルギーオーバーで見るだけで胃もたれしそうだった。彼女は大きく飲み込んで再び僕に話しかける。
「ところで……傷はもう大丈夫?」
「傷?ああ、頬の傷はもうとっくに治っているよ。あんたの治療のおかげだ」
「暴動で怪我したって聞いたからすごく驚いちゃって……。まあこれぐらいならお茶の子さいさいだよ」
ヌトリーレは生命省の人間庁に所属している。生命省は永約の医療や生物の管理全般を管理する重要部署で、人間庁は人間の医療を担当する。彼女もまた優秀な人材として期待されている。
「特殊部隊ってどうなの?あまり知らなくて……普段は何をしているの?」
「知らなくて当然だよ。非常時があれば活躍するけど、普段は陰にいる。地上に出ることは多いけど、地上でやることといえば、監視ドローンの管理とか遊び人同士のトラブルの解決とかでかなり小規模なことばかりだ」
「そうなんだ。あの活躍をした割に普段は地味なのね。地上ってどんなところなの?」
「太陽と呼ばれる巨大な光源によって照らされている場所だよ。その光はすごく眩しくて空なんて直接見てられないほど。でも時には見えなかったり、水が降ってきたりと様々さ。雲とか雨とかも初めて見たときは驚いたよ。そんなことは地下では起きないからね。最初はその環境になかなかなれなかったけど、何度も行っているうちに地下にはない素晴らしさに気づいたよ」
「へ~。すごく面白そう。私も今度地上に出る機会があるから楽しみ!」
「そっちはいま、どんな仕事をしているの?」
「生命省の仕事はね、今は繁忙期じゃないから人間の診療を行っているね。……地下の診療ってそんなに人が来ないから結構暇なのよね。かといって必要な任務だからそこから離れることはできないし」
彼女も僕と同じように、その必要性によって離れられないが、普段は活躍に恵まれていない状況だった。
「生命省の華といえば……」
「人工子宮施設のこと?確かにそうだけど最近はあまり稼働させていないらしいよ」
「そうなんだ。てっきりずっと動いているものかと」
「少しは動いているよ。私たちと同じVer.1.1は今もなお小さな改良を重ねながら人体創造をしているよ。でも、本格的なものは特にない」
「確かVer.1.2が10年以上前にあって、それから1.3がまだなんだっけ?」
「そうなの。まだ計画段階だって」
「次の人間ってどういうものだろうかね……」
「私たちVer.1.1の代は、人間的欲求の調整と病気の事前排除。抗体能力の上昇や解明されている拒否反応の鈍化とか、まあ人体を底上げする方向で動いていた。Ver.1.2はそこから進化して均一化を進めていった。次なんて予想もつかないわ」
「いつか僕たちもお古とか言われるのかな」
「まあそのたびに人間の旧モデルにも予備機能がつくじゃない。ワクチンとかチップとかで対応してるでしょ。自然妊娠の代なんてもっと大変なんだから。代替手段がちゃんとあるから決して足手まといになることはないよ」
すると突然、僕の携帯が鳴りだした。ヴェリタスからの連絡だった。内容を見て僕は驚いた。急いで向かわなければならないようだ。
「ごめん。上司からの呼び出しだ。すぐに行かないと。かなり急を要することらしい」
「そうなの!じゃあ早く行きなよ!」
「せっかくの休みに来てもらったのに悪かったな」
「急な要件ぐらいよくあることだってわかってる。それに対応するのも官僚の務めよ。またゆっくり話そうね」
「じゃあ行ってくる!また会おう!」
手を振ってくれる彼女に見送られながら、僕は保安省へと向かっていった。
——IS-3401:保安省——
僕は急いで保安省の省長室に向かう。いきなり省長室に呼び出されるなんて初めてのことだ。あの暴動レベルのことが起きるのかもしれない。
「失礼します、オルフェオです。遅れて申し訳ございません」
赤いレンガのような壁紙の省長室。中にはすでにヴェリタスとオアシス、それにコンセル省長ともう一人男性がいた。省長より若そうな、イタリア系のかなり紳士そうな人だ。青いスーツを着ており、保安省の人ではないのか確実だ。
「やあオルフェオ君。休日に急ですまなかったな」
「問題ありません、省長。……そちらの方は?」
「初めまして。私はチリタスと申します。以後お見知りおきを」
その人は僕にお辞儀をした。とても礼儀正しい人だ。少し戸惑っていると省長が耳打ちする。
「こら!この方は評議会の副議長ですよ!」
副議長!?さっと目が覚める。僕はすぐさまにお辞儀を返す。
「保安省の公安庁第一特別部隊所属のオルフェオです!副議長、よろしくお願いいたします」
いきなり永約の上位幹部に出会ったことで手がプルプルと震える。副議長を前になんという失態をしてしまった。副議長は僕の無礼を受け流して口元を隠して笑った。
「はは。大丈夫ですよそんな焦らなくても。私を含めて評議会の幹部ってあまり表に出ないですから。特に、副議長の私なんて普段は行政府の奥でひっそりとしているだけですので。どうか気にせず」
チリタスの寛大なご厚意に深く感謝した。
「私の仕事は評議会を議長の代わりにまとめること。そして永約における瑕疵を解決することです。普段はバタフライシステムが予知してくれるので問題ないのですが……。今回は少し想定外のことがおきまして。省長および保安省の実力者にお話をと思いまして」
そう言って副議長はタブレットを取り出し、モニターに情報を映し出す。彼が省長に目配せすると、省長は扉がきちんと閉まっているかを確認した。明らかな上下関係があった。
「最初に行っておきますが、これは最高指導者および評議会のメンバー以外が知るべきでない情報です。今回は、ご協力をお頼みするため少しばかり開示いたしますが、くれぐれも口外しないように」
僕はそれほど重要な任務が任されようとしていることに息をのんだ。ヴェリタスはいつもと変わらなそうだが、オアシスは少し不安そうな表情を浮かべている。
モニターにとある映像が映し出される。その映像は、誰か分からない一人が画面に向かって語りかけるものだった。声を加工しているようでわざとピッチを上下に動かし続けていて気色が悪い。肝心の内容は、ノイズがひどくて十分に聞こえなかった。それに、映像自体も背景が薄暗くて人物の輪郭が見えるぐらいで顔すら映っていなかった。一体どういう目的でこの映像が作られたのかが理解できなかった。
「この映像はつい昨日、議長及び私に突如送られまして。バグで生成された映像か、あるいは反政府組織の犯行声明か。なにかははっきりしていなかったため、議長からの頼みで専属の解析班にこの人物が何を主張しているかを解読させました。その内容がこちらです」
そう言って彼は鞄から取り出した書類を僕たちに配った。そこに書かれていた内容は、詩的な、されど明確な永約への反逆心が垣間見えた。
【愚かな永約に属する者たちへ警告する。貴様らは神を愚弄し人々を苦しめている。大地は腐り死者が蠢く。されど愚者は街と塔を築いて、その頂を天に届かせんとしている。我々は彼らに傲慢に対して「天命の日」を与え、裁きを与えよう。天命の日は7日後の正午に訪れる。愚鈍なる民はそれを受け入れざるを得なく、無謀なるものはただ破滅するのみだ。天啓は大地を焼き尽すだろう。倒れた塔には悪霊が住み、あらゆる汚れた霊や汚れた鳥、そしてあらゆる汚れた引き裂く獣の巣くう所となるだろう】
「これは一体……?」
ヴェリタスが冷静に声を発する。僕はそれに応える。
「かなり抽象的で読みづらいですが、ようは7日後...今日から言えば6日後ですかね。その日の正午に起こるということでしょうか。そしてそれは永約にとって最悪の出来事になると」
そう解釈したものの、にわかに信じきれなかった。汗をかいた省長は副議長に問う。
「副議長、これはバタフライシステムでもこれを察知できなかったのですか?」
「進歩省に問い合わせましたが、特に異常は検知されていないようでして。今もなお不明なことが多いです。ただ、多くの他都市でも同じような声明文が昨日に送信されていたようです。そしてすべて天命の日は、トーキョーの6日後の正午と同一でした。同日の同時刻に何かが起きるということです」
世界で同時期に……。しかし、そうであるならば別の疑問が出てくる。ヴェリタスも同じく感じたようで、副議長に質問する。
「もしそれほど世界レベルのことであれば、私たちだけで管理していい問題ではないのではないでしょうか?全世界、全官僚がこの情報を知るべきではないでしょうか?」
「議長のみが参加したという極秘で行われた都市間の会議において、判断は各々の都市に任せるとの議決があったようです。そして議長は、主流派の意見であったという、この映像と内容は悪辣なデマとして処理するとのことです」
僕はその短絡的な決めつけに驚いた。これほど全世界に波及している問題であるのに、あっさり流そうとしている姿勢に上層部の正気を疑った。
「本当にデマなのでしょうか?」
「上がそう決めたことです。デマという結論以外にあり得ません」
……。僕はもっと言いたかったがこれ以上の詮索を止めた。次はヴェリタスが反応する。
「では、デマとして断罪するのであれば……。なぜこの情報を私たちに共有されたのですか?」
「議長はこのデマが外部……、他の官僚や遊び人に拡散することを恐れています。この映像を基に、本来関連性のないものを結び付けてさらに理論を飛躍させようとする動きが出てはなりません。よって、その天命の日が起きるとされる日まで、あなた方にはトーキョー内の監視……特に官僚内で不穏な動きがないかを観察してほしいのです」
要するに、官僚内の精査を行えとの通達だ。
「納得いたしました。ぜひ協力いたしましょう」
「よかった。この件については、あなたに一任しましょう。何かあれば私に申し付けてください」
ヴェリタスは副議長に敬礼する。僕とオアシスもそれに続いた。副議長は上機嫌で皆に語りかける。
「いいですか。これは永約の平穏を守るための戦いです。彼らの薄い陰謀に屈するほど永約は脆い存在ではないことを示さなくてはなりません。神を信じ、それどころか神を名乗るような狂乱者ではなく、理性的で実践的な我々こそが勝利するべきですから」
チリタスは少し微笑みながら皆に目配せをする。省長も、ヴェリタスも、オアシスも、そして僕も同じように心から誓った。




