第9話 心残り
——レベルE:健康調査のお知らせ——
看護服の可愛いマスコットキャラクターが画面に現れる。手足が短いお人形のような姿で有名な、生命省のシンボルの1つだ。ピアノの軽やかな音楽を背景に、優しい女性が遊び人向けの健康調査について、分かりやすく説明する啓発動画だ。きらきらとした画面が見る人を刺激させる。
「みなさ~ん!体、大切にしていますか?この世界には様々な楽しみがありますよね!食事に、音楽に、美術にスポーツ!ゲームに、映画にアイドルの推し活!恋愛に、お酒に、たばこにアイズ(都市公認の快楽目的の薬、種類も豊富)!でもこうした楽しみも、健康を維持しないと楽しめなくなっちゃうんだよ!」
「不健康になるとどうなっちゃうの~?」
子どもたちの声の相槌が入る。
「不健康だと、体が悪くなって自分のしたいことができなくなっちゃうんだよ!せっかくの自由が不調のせいで奪われるなんていけないよね!」
「たしかに~!」
「みんなの体に埋め込まれているチップは、毎日あなたの体を簡易的にチェックしてくれるけど、本格的な内容はきちんと調べないといけないんだよね。もし毎日のチェックで注意点がついたなら、そうでなくても不調を感じたらすぐに生命省の診療所に訪れてね!わかった~?」
「わかったー!!」
「次に、これから気を付けるべき事柄をランキングで発表するね」
画面がランキング表示に入れ替わる。
「第三位は~!」
ドラムロール!
「熱中症!これからどんどん暑くなっていくんだけど、暑いところに長時間いるとふらふらしたり吐き気がでたり、最悪気絶しちゃうんだよ!こまかく水分や塩分をとることと、休憩をこまめにとることを忘れずに!」
「は~い!」
「続いて第二位は~!」
ドラムロール!
「水に溺れること!暑いからプールや海に行きたいだろうけど、一瞬の判断ミスで溺れてしまうことがあるんだよ!小さい子どもたちは一人にならないでみんなと一緒に行くこと!流れの急な所にはいかないこと!」
「は~い!」
「じゃあ最後、第一位は~!」
長いドラムロール!
「十月腹水病!これは性病の一種で、生物的女性のみに発症する病気で、発症してから10か月で大きくおなかが膨らんじゃうんだよ!早く取り除かないとその悪い腫瘍が破裂してその人を殺してしまう病気なんだ!みんなは絶対に性感染症対策を行おうね!万が一もし発覚したらすぐに近くの診療所に行くんだよ!絶対よ!わかった~?」
「わかった~!!」
「よかった!みんなも健康元気に、この世界を満喫しようね!またね~!」
マスコットと子どもたちが笑顔で手を振ってお別れをする。
——シルヴィ:トーキョー出身20歳男性の遊び人。旧人種分類における日本人に該当——
いつもと変わらない朝。俺は公園のベンチに座りながら物思いにふけていた。今日も一日が始まったと思うと、とても苦痛だった。
俺は、教育生時代のエリート教育を一年も経たずに嫌気がさして、途中から遊び人に編入した。最初は、この尽きることのない自由を満喫する毎日が待っていると興奮していた。だが何年も経つと、自分に合う娯楽が分かってきて俺のつまらなさにいらいらするほどだった。
ここにいる人は悪い人じゃない。俺の友人もみんないい人だ。行きつけの飲み屋の店員をしている官僚たちも俺たちに愛想よく接してくれるし、ここで不便を感じたことなんか一切ない。だから、この世界はずっとこのままの景色で動き続ける。なにも変化がない。もちろん飽きさせないようにモノやサービスは更新され続けているが、大きな……それこそ革命のような出来事は起こりえなかった。
どれほど娯楽が満載だとしても、自分に合った味付けがなければ楽しめない。この世界には、俺が満喫できる自由はなかった。
……そう最近まで思っていた。
「ぁ。シルヴィさん?」
俺はその声を待っていたといわんばかりに振り返る。そこにいたのは背の低い紫髪の女性だった。
「あ……オリペッカさん。元気ですか?」
「ええ。ここで一体何を?」
「少しばかり走っていて。ちょっと休憩を」
「そうなの。毎日走っているなんて偉いね」
オリペッカさんは最近ここにやってきた遊び人だ。穏やかで誠実で、そして俺が好きな人だ。彼女はいつも同じようなドレスを身に着けて、同じ香水の香りがする。これが彼女のイメージに合致していてとても素晴らしい。
彼女は俺の横に座ってきた。彼女が何かを持っているのに気付いた。
「手に持っているのはなんですか?」
「あぁ。香り袋ですよ。最近お花のすばらしさに気づいて、近くのお花を摘んではこうやって作っているのですよ。よかったらもらってください」
「え!いいんですか!」
俺はすかさず香り袋を1つもらう。早速嗅いでみることにした。……花のことなんて知らないので何も分からなかったが、確かにいい香りがする。
「……これは何の香りですか?」
「ラベンダーですよ。いい香りでしょ?」
「……すごくいい」
俺は鼻いっぱいに吸い込んだ。やりすぎてせき込んでしまった。
「もう、みっともないんだから。そうするんじゃなくて、部屋とかに飾るものなのよ」
「そうなんだ、ありがとう。お礼はまたするよ」
「嬉しい、ありがとう」
彼女は両手を口元にあてる。これは彼女が嬉しいときにする仕草だ。その姿を見てさらに惚れ込んでしまう。これが恋ってやつなんだ!俺は更に近づこうとした。
「あ……あの!これから、もしよければ一緒に……」
誘おうとしたのに言葉が詰まってしまった。
「?どうしたの?シルヴィさん」
その時、遠くから声が聞こえる。
「お~い!シルヴィー!」
こちらに手を振りながら走ってくる女性とそれを必死に追いかける男性がいた。ノックスとパティ。二人とも俺の友人だ。パティはすっかり息を切らしていた。
「なあノックス。いきなり走り出すんだから」
「いいじゃないパティ。人は多ければ多いほど楽しいでしょ。あ!オリペッカじゃん!元気?」
「ぁ...あぁ。元気ですよ」
あの雰囲気はすっかり壊れてしまった。
「どうしたのよ、シルヴィ」
「いや、なんでもないよ」
もうあの愛おしい空間は消え去ったので、ぶっきらぼうに答えた。パティは察したようで気まずそうだったが、ノックスはお構いなしだ。
「そう?じゃあせっかくだしカラオケいかない?」
「そうだよ、行こうよ」
「……分かったよ。行こうか」
そっちから来たのに"せっかく"とはなんだと思いながらも行くことにした。
「オリペッカも来るよね?」
「まぁ……行きます」
「近くの場所は、え~っと。この場所か。少し歩くけどついてきな」
「ええ~。パティ方向音痴だから心配だな~」
「失礼な!いつもいっているところだから!道も分かってるって!」
ノックスとパティは仲がよくていつもこうだ。二人を見ていると羨ましくなる。
「じゃあ行きましょうか、オリペッカさん」
「うん、よろしく」
彼女が不意に差し出した手を思わず握ってしまう。俺も、彼女も目を見合わせて驚いていたが、すぐに手を離した。後ろを見ずにどんどん進む二人を追いかけるのであった。
カラオケでは、結局ノックスが熱唱してそれに三人が手を合わせるだけだった。それにしても、歌も含んだ文化的な作品は遊び人が主に創作しているというのに、人気なものはそのほとんどが官製のものだ。たしか優秀な人は後々官僚として推薦されると聞いたことがあるが、自由な世界を捨ててまで官僚になりたいかとは思えない。確かに官僚の人々はすごいけど、俺自身がその世界に飛び込みたいとは思えない。あの短い教育期間も耐えきれなかった俺ができるわけないだろう。
「おい、シルヴィ。ちょっと外に来ないか?」
パティが俺を呼び出している。何事かと思って俺はついていった。
カラオケの個室からでた俺に彼は話しかける。大柄なモンゴル系の男を前に俺は小さく見えてしまう。
「あんた、オリペッカが好きなんだろ?」
俺は平静を装うが、顔には笑みがでてしまう。俺は吹き出してしまった。
「わかってるって。好きなんだったらちゃんと言うんだぞ。恋愛は自由だからこそちゃんと言うべきことは言わないとずっと抱えることになるんだ」
「でも俺には勇気が……」
「もしオリペッカが他に好きな人がいたとしたらどうする?もし一人だけと付き合う人だったら?」
俺は言いよどんだ。
「恋愛は、いつどこで、誰と、何人ともしていいんだ。恋愛に制限なんてない。早くしないと結ばれやしないんだ」
「……わかった」
「ノックスには恋人の俺から言っておくからさ。この場で決めるんだ!そうだ!二人きりで食事に誘うのはどうだ?」
「確かにいいかも。それにしよう」
決意を固めて俺は戦場に戻った。
……しかし見立てが甘かった。俺は何も言い出せずにただ時間が過ぎていく。パティも早くしろと合図をするが駄目だった。結局、カラオケの交代時間になって退室することになった。店の外に出ると、すでに夕方になっていた。
「最後のチャンスだぞ。オリペッカを誘うんだ」
パティが耳打ちしてくれた。ここで決めるんだシルヴィ!
「あの!オリペッカさん!」
声が上ずんでおかしい発音になってしまった。
「どうしたの?シルヴィさん」
「こ...これから。俺と一緒に、食事に行きませんか!」
俺は頭を下げてお願いする。あまりにも下手なお誘いだった。パティとノックスは若干引いている。オリペッカは俺の手を握って応えた。
「お誘いありがとう。……でもごめんなさい。今日は夜に用事があって。遠出しないといけないの」
固まる俺にノックスが割りこむ。
「遠出ってどこに?」
「ヨコハマの方です。どうしても行かなくてはいけなくて」
「そうなの……いつまで?」
「いつまでかは分かりません。でも、またいつか戻ってくるので、そのときでよければ」
俺はすでに涙ぐんでいた。とてもじゃないが彼女に顔を見せられなかった。
「……はい。お願いします」
「約束ね。約束。じゃあもう行かなきゃ」
オリペッカの手が俺から離れる。俺が視線を戻すときにはすでに数歩離れたところにいた。
「じゃあまたな」
「またね~!オリペッカ!」
「またね!」
「三人とも、元気でね」
俺たち三人はオリペッカを送り出す。夕日に照らされた彼女はとても美しかった。
ノックスとパティは俺の肩をつかんだ。
「シルヴィ、振られちゃったね~」
「まあ気にするな。今日はお酒を飲んで忘れよう」
「う……うん。ありがとう」
俺はいい友人に囲まれたいい人生を辿っていると実感した。




