第4章 石本屋敷の密談
四 石本屋敷の密談
石本はさくら姫と立花広明との再会の話を終えると、三人の童子の表情を伺った。
「つまり、さくら姫様は、今、別の縁談話があるのですが、そのお相手ではなく、広明様を慕っていて、どうしても黒神の中平台に行きたいというわけです。このような話ですから、先ほど申し上げたように、絶対に他言のないようお願いいたします」
石本が念を押した。
聞耳童子と怪力童子は「はい」と小さな声でうなずいた。
しかし、知才は、「おそれながら」と切り出した。
「石本様。このような極秘の話をご丁寧にお話しいただき、誠にありがとうございました。ただ、今のお話を聞く限り、失礼ながら、さくら姫様と立花広明様との間に婚姻のお約束ができているとは言い切れないように思います。そのあと、連絡を取り合い、姫様が黒神に行くことの確認が取れているのでしょうか」
石本が、「いや、それは……」と口ごもると、さくら姫が口を開いた。
「広明様は何も知りません。突然行くのです」
聞耳童子は眉間にしわを寄せ、怪力童子は首をかしげた。
童子たちの様子を見て、姫が話を続けた。
「私の父、美馬元信は、私を大松右道のところに嫁にやろうとしています。北の坂田一心に備えるためです。強大な坂田に対峙するため大松と組みたいのです。娘の幸せなど何も考えておりません。私は、昨年、父上のところに来た大松様に一度お会いしたことがありますが、白髪のご老人で、父上よりもはるかに年上。しかも、私を初めて見たとき、茶色髪がたまらなくいいのうと言って、分厚い唇で舌なめずりしたのです。私は、虫唾が走りました。あんな醜悪な化け物のような男、もう見たくもありません」
さくら姫の口調が次第に激しくなってきた。
「さくら、落ち着きなさい」
奥方が強い口調で言葉をはさんだ。さくら姫もその声に我に返った。
奥方は、姫の様子を見て、童子たちに向かって話し出した。
「殿の話では、大松様は、いくら金を積むと言っても、新しい領地を約束しても、首を縦に振らなかったそうです。ただ、さくらを嫁に欲しいと。大松様は、さくらにえらくご執心で、さくらを嫁にくれるなら、美馬にくみするということだったそうです。殿もしぶしぶうなずくしかなかったようです。大松様は、先妻が亡くなられているので、さくらは正妻に迎えていただけるのでしょうが、年が違いすぎます。しかも、側室が三人もいるということ。黒髪は女の命と言われる世の中。この子は、生まれつき茶色髪。煤や炭、いろいろな薬草などを使って何度も黒く染めてみましたが、それもその場しのぎ。新しく生えてくる髪は元通りの茶色髪。本人もあきらめて、最近では黒く染めるのは止めていました。ですから、このような茶色髪の娘を好いてくれるなんてありがたいことなのですけれど、大松様では、私も賛成できません」
さくら姫が奥方の話にうなずき、言葉をつなげた。
「童子の皆様にはご理解いただけないかもしれませんが、いくら良い暮らしができるとしても、そのような大松様のところには絶対に嫁ぎたくはないのです。しかも祝言は三日後に迫っているのです。ですから私は、命を懸けてでも広明様のところに行きたいのです。私は父を捨てたいのです」
「父を捨てる?」
怪力童子が思わず声を漏らした。怪力童子は、周りの視線を感じ、はっとしてかしこまった。
「そうです。父を捨てるのです」
さくら姫は怪力童子の方を向いて、ゆっくりと繰り返した。
「父には、今まで育ててもらった感謝の気持ちはあります。でも、今の父は、天下取りのことばかり考えて、娘の気持ちなど眼中にありません。それが、戦乱の世の習わしかもしれませんが、私はその流れには乗らずに生きたいのです。ですから、父を捨てなければならないのです。父を捨てるなんて言葉は、おぞましい言葉かもしれません。でも、今の私は、自分の意志で父の手元から離れないと、身も心もだめになってしまうと思うのです。もちろん、父を捨てた結果がうまくいくかどうかは分かりません。でも、賭けてみたいのです。もし、広明様に受け入れてもらえなかったときの覚悟もできています」
さくら姫がきっぱりと言い切ると、しばし沈黙が流れた。
知才がようやく口を開いた。
「奥方様、さくら姫様、よくぞ思い切ってお話いただきました。姫様のお気持ち、しかと受け止めました。私も姫様を無事に黒神に届けられるよう命を懸けてお守り申し上げます」
知才がそう言って深く頭を下げた。
それを見て、怪力童子も慌てて、
「おいら、いや、私も、姫様を全力でお守りいたします」
と、大きな体をへし折って、畳に頭を擦り付けた。
怪力童子の仕草をちらりと見た聞耳童子は、しかめ顔を隠すように、
「私も姫様のためにしっかりと働きます」
と言って、頭を下げた。
「童子の皆様、ありがとうございます。私事に皆様を巻き込んでしまい、申し訳ありません」
さくら姫は深く礼をした。
姫の様子を見て、今度は奥方が口を開いた。
「童子の皆様からいただいたご協力のお言葉、本当に心に染み入ります。誠にありがとうございます。私も、殿の変容ぶりには理解に苦しんでいるところです。実は、以前、殿は、さくらに婿を取って、自分の跡を継がせようと考えていたのです。ところが、本橋家に嫁いだ長女あおいが二人目の男の子を生みました。殿は、その子を本橋家からいただいて、跡を継がせようと考え始めたのです。さくらが婿を取ったとしても、男の子を産むとは限りません。殿は手っ取り早く跡継ぎを確保することを考え出したのです。更に、こともあろうに、都に上る前に滅ぼした青柳家の菊姫様を側室に迎え入れたのです。青柳家というと、四百年以上も前から続いている名家。菊姫様は才色兼備の噂の高い姫君。その菊姫様との間に男の子を授かれば、その子に跡を継がせようとも考えているらしいのです。今は、毎日のように夕刻から菊姫様のところに出かけては、朝帰り。本当にもうあきれてしまいます」
穏やかに見えた奥方様の顔にもわずかに怒りの陰が浮かんだ。知才もすぐにかける言葉がなかった。
奥方は、童子たちを見回し、更に言葉を続けた。
「殿は、天下取りという渦に巻き込まれ、人間として大事なものを失ってしまったようです。ですから、母親として、さくらの思ったように生きさせてやりたいのです。それがうまくいくかどうかは分かりません。ただ、悲しい顔をして生きながらえるより、さくらの思いに私も賭けてみたいのです。さくらを逃がすことは私がすべて責任を負います。石本様にも全く相談しなかったことにします。殿からのとがめは私一人で受けましょう。娘のためなら命も惜しくはありません。もちろん、私も命を懸ける決意です」
奥方の言葉を聞いて、石本が身を乗り出した。
「奥方様、それはいけません。この件は、さくら姫様から相談を受けた石本が勝手にしたことに。奥方様は何も知らなかったことに。私は妻に先立たれ、世継ぎもおりません。家督は、本橋家に仕える甥に譲ることになっておりますが、私の家督がなくても生きていかれる身。殿も、何も知らない甥をとがめることはないでしょう。ですから、いつでも捨てられる命です。美馬家への最後のご奉公と思い、私が命を懸けます。殿からのおとがめも私一人で」
「石本様」と奥方は叫び、あふれる涙を袖で拭った。
さくら姫は、「じい」と絶句し、両手で顔をおおった。
その様子を見て、聞耳童子と怪力童子は何も言えず黙っていたが、知才だけはめまぐるしく頭を働かせていた。
「でしたら、逃げるのは止めましょう」
知才の静かだが力強い声が響くと、一同は、一斉に知才の顔を見た。
「知才殿、お気持ちが変わられたか」
石本が血相を変えて、知才の方に身を乗り出した。一之介はひそかに刀に手をかけた。
「違います。逃げるのではなく、さらわれるのです」
一同は、知才が言っている意味が分からず、あっけにとられてしばし沈黙した。知才はその様子を見て更に続けた。
「石本様、さくら姫様をどのように逃がすおつもりでしたか?」
石本は、突然の知才の問いかけに、
「いや、それは」
と、一度言葉に詰まったが、
「最初は、都と黒神を行き来する大商人幸之島屋の船に乗せてもらおうと思ったのだが、今は、美馬様が物の出入りに目を光らせているため、部下が荷改めをしておる。そこに、女人が乗るのはまず不可能。まして、さくら姫様も一之介も顔は知れている。そこで、船はあきらめて陸路を逃げようと考えたのだ。夜に紛れて移動すれば人目にもつかぬし、朝になって姫がいなくなったことが分かるまでに時間が稼げる。修験山道の入口までたどり着けるかもしれぬ。だから、これからすぐに出発と考えておった。そのために皆様に旅支度をお願い申し上げた」
と説明した。
知才は首を横に振った。
「石本様、この夜道、不慣れな姫様を連れてどれだけ進めましょう。朝までに本橋領にある春来山の修行山道の入口まではたどり着けません。朝になって美馬様が気付けば、たくさんの部下に馬を走らせ、すぐに見つかってしまいます。また、警備の厳しい都の中心部を少し離れると、いまだ盗賊たちが跋扈していると聞きます。特に、身ぐるみはいで命まで取るという『紅きつね団』という残忍非道な盗賊団の名前が東生寺まで聞こえてきています。そのような中、夜の都を歩くことは百害あって一利なしです」
「確かに……。わしの考えが甘かった」とつぶやき、石本はぎちりと目をつぶった。そして、また、目を見開くと、「では、どのように」と知才に向かって膝を乗り出した。周りの者たちも、知才の次の言葉を待った。
知才は、周りの者たちの様子を見て、一言ぽんと言葉を投げた。
「そこで、私たちが姫様をさらうのです」
「さらう?」
石本はまだ理解できずにいた。
「そう、さらうのです。明日、姫様にどちらかに出かけていただきます。そこで、そちらにいらっしゃる後藤様と私たち三童子で姫様をさらうのです。そうすれば、奥方様や石本様に迷惑がかかることがなくなります」
「なるほど」
石本はようやく得心した表情を見せた。
「ところで、石本様、今、姫様が出かけるとなると、どのくらいの警備の者が付きますか」
「そうよのう、出かける場所にもよるが、時期が時期だけに都の中でも数名、都の外ならば十名は越えるであろう」
「なるほど、では、明日、さくら姫様には、午前中に貴水寺にお参りいただくことにしましょう」
「貴水寺というとあの縁結びの」
さくら姫が、知才の話を聞いて声を上げた。
「そうです。あの貴水寺です。貴水寺の近くには船が通れる川が流れているし、南北に延びる大きな街道もあり、都の交通の要衝。どこに行くにも便利な場所です。姫様は大松様との結婚を決意したとして、その良縁を願って貴水寺にお参りするということにするのです。それであれば、美馬様も姫様の外出を許しましょう。また、同じ都の寺ですから警備も数名と多くないでしょう。姫様は、お参りをした後、厠を貸していただくことにしてください」
「厠?」
「そうです。厠に行くとなると、警備の者がたくさん近くまでついて来ないでしょう。入口までお一人くらい。あとは侍女のみとなりましょうか」
「確かに、そんなところでしょうね」
さくら姫がうなずいた。
「貴水寺の厠の裏手には、南泉川が流れています。石本様、そこに五人が乗ることができるほどの船を用意してください。南泉川を下っていけば、本橋領に入ることができます。本橋領の入前田で船を下りてしばらく歩けば、日が沈む前に春来山にある修行山道入口に着くことができるでしょう。あの辺りには、社や小屋があるので、そこで一夜を明かし、翌日から修行山道をどんどん進むことができます」
「おお」
石本は感嘆の声を漏らした。
「そんな方法があったのか。早速、一之介に用意させよう」
「それから、姫様を隠すためのむしろの用意をお願いします。その中には姫様の旅支度を入れておいてください。そして、何より大事なのは、尼僧の旅装束です。女武者が修行山道を歩くというのはどう見てもおかしいでしょう」
「確かに、うかつだった」
石本は、口を結んでうなずいた。
「ただ、知才殿。尼僧の旅装束など、どのように用意したらよいのか」
「ごもっともです。この後、私が東生寺に手紙を書きますので、それを持って使いの者を急ぎ走らせてください。東生寺なら用意できましょう」
「それはありがたい」
知才と石本のやり取りを聞いていたさくら姫が口をはさんだ。
「知才殿」
知才も石本も、その声に反応して顔を向けた。そこには、思いつめた表情のさくら姫がいた。
「尼僧の衣装になるということは、髪をそるのですか」
知才は、さくら姫に笑顔を返した。
「姫様、ご心配いりません。尼頭巾をかぶりますので髪は隠れます。ただ、入前田に着いたときに尼僧の旅装束に着替えていただきますが、そのとき、うまく隠せない部分は少し切らなくてはなりません。ただ、あまり短く切らないでください」
さくら姫は複雑な表情を浮かべた。
「髪が隠れる程度でよいということですか、私はばっさり切ってもよいのですが」
知才は、その言葉を聞いて、笑みを浮かべた。
「いえ、その必要ありません。むしろ、後々のことを考えると髪は長い方が良いのです」
さくら姫は少し首をかしげたが、
「おっしゃっるとおりにいたしましょう」
と言って、奥方と顔を見合わせた。
「さて、あとは、尼僧としてのお名前ですが……」
知才は、そこでいったん言葉を切って、しばし目をつぶったが、すぐにぱっと見開いた。
「桜妙というのはいかがでしょう」
「おうみょう?」
さくら姫が聞き返した。
「そうです。漢字の桜で、おう。それに、美しい、優れているという意味の妙という字をつけて、桜妙です」
「なんだか、もったいない名前ですね」
さくら姫が少しはにかんだ。
「いえ、さくら姫様にはお似合いのお名前です。桜妙様。私たちも覚えやすい名前です」
知才の言葉に、聞耳童子と怪力童子もうなずいた。
「あと一つお願いがあります。さきほど奥方様が何度も髪を黒く染めたというお話をされていましたが、髪を黒く染める道具をご用意ください」
「え、また、髪を黒く染めるのですか?」
「すぐには染めませんが、茶色髪の女が立花広明様の嫁に来たとなれば、噂が立ちます。その噂が回り回って都に届かないとも限りません。そうなると、苦労して黒神に着いたことが無駄になってしまう恐れがあります」
「それは、確かに。そこまで考えているとは、さすが知才殿。わたしは、逃げる今のことしか考えが及びませんでした。屋敷に戻ったらすぐに用意しましょう」
さくら姫の言葉に、奥方もうなずいた。
「それから奥方様には、お渡ししておきたいものもございます」
「なんでしょう?」
「いえ、まだはっきりしないので、明日の朝までに文に書いて、石本様にお渡ししておきます。急ぎのことではございませんが、ゆくゆく必要となるものです」
奥方は、知才の話していることの意味を測りかねたが、
「分かりました」
と、一応うなずいた。
知才と奥方の話が一段落するのを待って、一之介が口を開いた。
「ところで、私も僧の旅装束を用意いたしますか?」
「そうですねえ」
知才は少し考えた。正直、そこまでは、まだ頭が回っていなかった。
「後藤様には、僧兵になっていただきます。修行山道を僧兵の格好で歩くのは違和感がありますが、武士の格好よりはよいでしょう。何より、刀が持てます。これも東生寺に頼みましょう。それから、お名前は……」
そこまで言って、知才は目を細めてしばし考えを巡らせた。
「そうですねえ。いちのすけのいちとはどのような漢字ですか」
「一は数字の一でございます」
「そうですか。では、一之介様の一に、敬うという字を書いて、一敬ではどうでしょう」
「一敬。ああ、よい名前です。私にはもったいない感じがしますが……。ところで、私も髪を丸めなくてもよろしいのでしょうか」
「もちろん。僧兵は白の五條袈裟で頭を包みますので、髪は見えません」
「それはありがたい。ただ、薙刀は使ったことがないので、どうしたらよいものか」
「別に薙刀を持たなくてもよいです。武士と同じように長刀と短刀を持つ僧兵もいます」
一之介は安どの表情を浮かべた。その表情を見て、知才が話を切り出した
「さて、後藤様には、いろいろお願いしたいことがあります。夜を徹することになるかもしれませんが」
知才は、軽く頭を下げて、一之介の様子を伺った。
「なんの、それくらいは覚悟の上。姫様のためならなんでもいたします。なんなりとお話しください」
一之介が即答したので、知才は、
「ありがとうございます」
と礼を言って、明日の計画の概略を語り始めた。一之介はもちろん、そこにいる者、皆が知才の話に聞き入った。
知才の話に耳を傾けていた石本が、話の切れ目をついて、口をはさんだ。
「知才殿、確かにうまくいけばそうなるが、姫が厠へ行ってさらわれれば、裏手の川を探すのは当たり前。すぐに見つかってしまうのでは?」
「確かに、たださらわれればそうです。そこで、皆様にご協力いただき、一芝居打ちたいと思います」
「一芝居?」
一同の誰からともなく声が漏れた。




