第5章 貴水寺の一芝居
五 貴水寺の一芝居
貴水寺の厠の横の草むらで、聞耳童子はいらだっていた。
「おい、知才童子。昨日から、あれをやってほしい、これを手伝ってくれと命令ばかり。おかげでゆっくり眠る暇もなかったわ」
「聞耳童子殿、私は命令などしていません。さくら姫様を無事黒神領にお連れするための準備のお願いをしていただけです。何か命令するような口調で気に障ることがありましたらお詫び申し上げますが」
知才は、きわめて丁寧に答えた。
「いや、口調の話ではない。逆に丁寧すぎじゃ。これもお願いします、あれもお願いしますと、言葉は柔らかいが、結局は忙しく働かされてうんざりなんじゃ。あんな夜更けに、美馬屋敷まで連れていかれ、寝る暇もなかったわ。だから、東の者は虫が好かぬ」
「忙しくさせてしまったことは、誠に申し訳ございません。たった一夜で準備せねばならず、聞耳童子殿にご無理をさせてしまいました」
知才は、頭を下げた。
「頭など下げなくてよい。それに、その馬鹿丁寧な聞耳童子殿も止めじゃ。たかが寺の童子同士じゃ。聞耳でいいわ。兄弟子からもそう呼び捨てにされているわ」
聞耳童子は吐き捨てるように言った。
「もっともなことです。あなたのような素晴らしい能力のある童子に会えて、敬服の気持ちを込めて、そうお呼びしておりましたが、確かに互いに童子殿というのはおかしいですね。私も知才と呼び捨てにしてください。怪力童子殿は怪力でよろしいですか」
知才は、草原に座り込んで握り飯を食べている怪力童子に話しかけた。
「ああ、おいら、なんでもいいよ」
怪力童子は、握り飯をほおばり、口をくちゃくちゃさせながら答えた。その様子を見て、聞耳が顔をしかめた。
「こいつ、まだ食ってやがるのか。だから西の者はあきれる。西の者は自分の欲望をこらえず、楽をしようとばかりしやがる。厳しい修行をしなくても誰もが救われるなどと、西の奴らは考えている。おれたち北の者には考えられないことだ」
「まあ、まあ、そう気を立てずに。西には西の考え方があります。互いの考え方をののしりあっても仕方ありません」
知才が笑顔を浮かべて言った。
「そういうあいまいで一見寛容な態度が東の者の常套手段じゃ。白黒をはっきりさせようとしない。正しいものは一つだけだ。なぜ、違う神を信じる者と力を合わせなければならんのだ」
聞耳は知才に怒りをぶつけた。
「確かに、私たちはそれぞれ信じる神が違います。ただ、三山の東も西も北も、民が救われることを目指しているのは一緒ではありませんか。私たちは、今、さくら姫様をお救いするという同じ使命をもっているのですから」
「使命だと。あの場でいやと言える状況だったか?」
聞耳が更に言葉を続けようとしたとき、草むらをかけてくる足音がした。知才と聞耳は口を閉じ、怪力は食べるのを止めて、足音の方に体を向けた。商人の格好をして頬かむりをした後藤一之介がこちらに足早にかけて来るのが見えた。一之介は、童子たちに近づくと、声を押し殺して、
「姫様が到着されました。ご準備を」
と、短く告げた。
その言葉に、知才はうなずき、怪力は残りの握り飯を口に放り込み、聞耳はしぶしぶと、かねてから打ち合わせてあったそれぞれの持ち場に向かった。
さくら姫がお参りを済ませて、打ち合わせ通り厠のほうに向かってきた。薄桃色の壺装束に市女笠。赤い掛け帯をまとって歩いてくる。供の者は侍女と侍が一人。知才の読みが当たった。一之介は大木の裏に身を潜め、怪力は一之介と反対側の背の高い草むらに身をかがめた。知才は厠の中に隠れ、それぞれ姫たちの足音に耳を澄ませていた。聞耳は厠の裏手から山道を下ったところに止めてある船の上でやはり耳を澄ませた。
一之介と怪力が隠れる大木と草むらを足音が通り過ぎた途端、二人が一気に後ろから侍女と侍に襲いかかった。二人は相手の首に腕を巻き付け、首を絞めた。うぐっと苦しい息が漏れた。さくら姫が物音に驚いて振り返えったときには、すでに侍女と侍は一之介と怪力の腕の中でぐったりとしていた。
さくら姫は悲鳴を上げそうになり思わず口を両手で抑えた。
「姫様、大丈夫です。二人とも気を失っているだけです。ご心配なく」
一之介が押し殺した声を聞き、さくら姫は口に当てていた両手の隙間から息を漏らしたあと、すとんと両手を落とした。
その様子を見て、厠に隠れていた知才が飛び出してきて駆け寄った。
「姫様、お気を確かに。黒神への道が今開けました。一芝居打つため、姫様の扇子が必要です。お貸しください」
知才の言葉に、さくら姫は我に返ったように、目を見開いた。
「分かりました。なんでもいたします。扇子ですね」
さくら姫は、懐に刺していた扇子を手に取り、知才に渡した。知才はすぐに、一之介に向かって、
「あとは打ち合わせ通り、よろしくお願いします」
と言って、扇子を手渡した。
「分かった。任せておけ。入前田で落ち合おう」
一之介は扇子を懐にしまうと、すぐに踵をかえして、貴水寺本堂に向かって走り出した。
それを見送った知才は、
「姫様、すぐにあちらへ。船の用意がしてあります」
と、厠の裏手を指さした。
さくら姫は振り向いて、「はい」と吹っ切れたように力強く返事をした。知才が厠の裏手に向かって小走りに走り出すと、さくら姫も知才の後に続いた。その後ろに怪力が付き従った。
一之介は、草地を抜けると大きな木の陰から境内の様子を伺った。参拝客が行きかう境内をみると、幸いさくら姫の供の者たちは、まだ厠の方を気遣う様子はなく、境内の中ほどにある五重塔の脇に腰を下ろしていた。一之介は、何食わぬ顔で参拝客に紛れて本堂の前を横切り、鐘楼の脇を抜けた。その先には、東門に通じる参道があり、参道横の大木にかねてから馬をつないでおいた。馬の後ろには、荷車がつながれており、その上には大きなむしろにくるまれた細長い荷物が載せられていた。丁度、人を一人包んだような大きさ形だ。
一之介は、大木に馬をつないでいた縄をほどくと、手綱を引いた。そして、馬の首を本堂の方へ返すと、静かに進み始めた。荷車がことこと揺れた。一之介は、鐘楼の脇を抜けて、本堂の前を通って参道をゆっくりと進んでいった。
一之介は、五重塔の脇で休んでいる美馬の家来たちの近くまで来ると、馬を進めながら、
「お侍様、お疲れ様でごぜえます」
と軽く礼をした。
「おお、貴水寺出入りの商人か。荷の運びも大変よのう」
と、家来の一人が言葉を返した。
都の日常でよく見られる会話をはさんで、一之介は、家来たちの前を悠然と通り過ぎた。
一之介は、大門を抜けるとすぐに右に折れて、しばらく進んで寺の脇にある林の前で馬を止めた。そして、人目につかぬようむしろを巻いて隠しておいた弓と矢を取り出すと、すぐに林の中に入った。今朝、下見をして、貴水寺境内に矢を射る場所を決めてあった。
矢にはすでに文が縛り付けられていた。一之介はじっとその文を見つめた。昨夜、その文面を知才童子に聞かされて驚愕した。そのようなことを瞬時に考え付く知力に舌を巻いた。
一之介は、慌てて首を振った。文を見入っている暇などなかった。すぐに、その矢に、さくら姫の扇子を結び付けた。
一之介は、大きく息を吸い込むと、その矢をつがえて、力いっぱい弦を引いた。そして、遠く五重塔にねらいを定め、矢を引き放った。矢は勢いよく五重塔目掛け飛んで行った。一之介は、矢を射るとすぐに林の中に弓を投げ捨てた。それから、素早く林を出ると、馬から荷車を外し、むしろに包まれたわら束を抱えて馬に飛び乗った。同時に、馬に勢いよく鞭をくれた。馬は一声いななくと、参拝客の脇を抜けて全速力で走り出した。この道の先は、北へ向かう街道と南へ向かう街道が枝分かれになっている。
一方、貴水寺境内では、美馬の家来たちが休んでいる五重塔にいきなり矢が一本飛んできて、とーんと音を立てて柱に突き刺さった。家来たちはびっくりして立ち上がった。
「なんじゃあれは」
「矢だ。何か結ばれているぞ」
家来の一人が柱に駆け寄り、矢を力づくで抜いた。他の者たちもすぐに駆け寄ってきた。
「扇子と文だ」
家来の一人がすぐに文をほどいて開いた。
そこには、「さくら姫はいただいた。心配無用、大切に扱う。北の龍より」と短く書いてあった。
「なにい、北の龍だと。まさか」
家来は、そこで絶句した。それでも、すぐに気を取り戻して、
「そこの二人、すぐに姫様を探してまいれ」
と、命令を下した。
二人の家来が、厠に向かって駆け出した。
「それから、矢がここに刺さっていたということは」
矢と文を握りしめた侍が、柱と反対側の空を見上げた。
「残りの者は、大門の外の右側を見てまいれ、曲者がいるかもしれん」
指示が飛ぶと、残りの二人の家来が門に向けて駆け出した。
しばらくすると、「岡沢様ー!」という叫び声と同時に、一人の家来が厠の方から血相を変えて走り寄ってきた。
「姫様がおりません。警護の者と侍女が倒されておりますー」
「なにい!」
岡沢の顔が大きくゆがんだ。
すると今度は、大門の方から、
「岡沢様ー」
と、一人の家来が息を切らしながら、駆け戻ってきた。家来は岡沢の前に膝まずくと、
「大門前に怪しい者はおりません。ただ、先ほど目の前を通った商人の荷車が、林の前に置き去りにされておりました。今、他の者が林の中を探しております」
と、荒い息を吐きながら報告した。
「荷車?」
岡沢は、先ほど目の前を通った商人の様子を脳裏に浮かべた。荷車にむしろ巻いた細長い荷を乗せて運んでいた。
「荷は?荷車に荷はまだ載っているのか?」
「いえ、荷車は空っぽでしたが」
「まさか、あれが姫様……」
岡沢は一瞬、頭の中が真っ白になった。
「岡沢様―」
岡沢は、自分の名を呼ぶ声に我に返った。
厠の方から、意識を取り戻した家来と侍女を連れて、一人の家来が戻ってきた。岡沢は、自ら三人に向かって駆け出した。
「姫をさらった敵はどのようなやつらじゃあ」
岡沢は、二人の前に立つといきり立った声を上げた。
「申し訳ございません。いきなり後ろから首を絞められ、気を失ってしまいました。敵は見ておりません。」
警護の家来が頭を垂れて答えると、岡沢は侍女に向かって、
「そなたはどうじゃ」
と尋ねた。
「私も同じく、後ろから首を絞められ、何も見ておりません」
侍女はそう答えると、岡沢が手に握っている扇子を見て、
「そ、それは、さくら姫様の扇子」
と、指さした。
「やはりそうであったが」
岡沢は、自分が握っている矢に結び付けられている扇子を食い入るように見た。そして、
「よいか。これは一大事じゃ。わしはすぐに馬を走らせ、屋敷に戻り、殿にご報告する。お前たちの中で、馬があるものはすぐに敵を追うのだ。馬がないものは門を出て右手の道の脇をくまなく探せ。ただし、姫がさらわれたことを決して他言してはならぬ。よいか、分かったな」
と、叫び声を上げた。
「はい」という声とともに、
「敵を追うのは、どちらに行きましょうか」
という声が聞こえた。
「馬鹿者、北だ、北に決まっている。すぐに北へ向かう街道に馬を走らすのだ!」
一方、一之介は、馬を走らせ街道につながる分かれ道まで来ると、迷わず南に曲がった。
少し馬を走らせると、街道の脇道に入り、今は廃屋となっている小さな家の前で馬を止めた。一之介は、辺りを見回して人がいないのを確かめると、その家の中に素早く入った。商人の服を脱ぎ捨てると、家の中に用意しておいた僧兵の衣装に手早く着替えて荷物を背負うと、刀を腰に差した。商人の服は、床板がはがれているところから、下に投げ捨てた。それから、外に出ると、馬の脇に置いてあったむしろを広げ、中にあるわらを抱きかかえて草原に捨てた。更に、草原を奥まで進み、背の高い草の茂みにむしろを隠した。一之介は、家の前に戻ると、戸口が締まっているのを確認し、また馬にまたがった。馬に鞭をくれると、脇道から再び街道に戻り、一目散に南へ南へと向かった。




