三
低く黒々とした雲が覆っている。昼日中だが薄暗く、
いまにも降り出しそうな空模様であった。
胴丸と小具足に身を固めた開津藩兵が整然と並び、槍の穂先がぎらぎらと
光る。搔盾を固めた兵が前面に展開し、その背後に火縄銃の兵が並ぶ。
「あんな古い火縄で。」
一瞥した一園が吐き捨てるように言った。
「いつごろの物だい?」
バルザックが遠眼鏡で見渡す。
「三十年位前だな。」
不知火隊士は、小早川司令と共に、急きょ設えた物見台から戦局を
観察している。蛇行しながら北の大門に続く街道を、藩兵が続々と
進行する。辺りの廃墟は静まり返り、敵の気配は無い。
関所である北の大門は固く閉じられ、その眼前に藩兵は布陣される。
索敵の兵が戻り、破城槌が用意される。戦闘準備が整った。
大門の楼閣から一人の男が飛び降りた。
橙色の直垂姿に仮面、その額からねじれた双角が突き出している。
その手には漆黒の錫杖が握られ、先端に鈍く光る黄金の装飾が施されている。
仮面の奥の瞳が光る。が、その表情はわからない。
開津藩兵の搔盾兵がその周囲を囲むように配置された。
「弥者め。停戦の申しだてか。」
大石兵長の声が響き渡った。
「弥者が一名。杖を持ってる。」
「使者かな。」
橘川兄弟がその超人的な遠目で状況を伝える。
「危険だ。大量殺戮の破常力を持っている場合がある。」
「播磨少佐、まだまだまだ。扉は開いたばかりです。」
閉じたままの大門と小早川司令の顔を悪兵衛は見比べた。
「ヤマトビト、命おえるとき。」
弥者は若々しい声で叫び、錫杖をゆっくりと構えて回転させる。
遊環の涼しい音が響いた。
「撃ち型用意。」
大石の声と共に搔盾兵の背後の鉄砲兵が立ち上がり、二〇の銃口が
弥者に向けられた。
昇る白煙からやや遅れて連続した発砲音が響く。
遠眼鏡を覗いていたバルザックが口を開いた。
「弥者を銃撃。」
立ち上る硝煙の隙間、弥者は優雅な舞のように錫を回す。
「撃ったけど、兵が倒れてる。」
「弥者の動きと攻撃が連動してないように見える。別に飛び道具の攻撃隊が
いるかもしれない。」
橘川兄弟の報告を聞きつつ、十字朗は歯噛みをしている。
「くそ、あの爺さん死ぬぞ。」
二度目の発砲音がこだました。
「弥者は舞のような動作を繰り返している。開津藩兵の鉄砲兵、
槍兵が倒れている。何が起きているんだ。」
バルザックが眉を寄せ、遠眼鏡から目を離した。
弥者が立ち止まる。開津藩は全体を下げながら槍兵を展開させる。
その時、大門が開き、二名の人影が現れた。
「門が開いた。二人の弥者、男と女だ。」
錫杖の弥者と同様の鮮やかな橙の直垂の大柄な男性型弥者、
同じ色味の壷装束の女性型弥者でそれぞれ仮面で表情は見えない。
長大な角がどちらにも生えている。
「盾の兵が消えた。」
「どうなってるんだ。槍兵も何人か消えた。」
橘川兄弟の声の意味がわからず、バルザックは遠眼鏡を覗きなおす。
大柄な弥者が何かを叫ぶとその瞬間、何人かの開津藩兵が忽然と消えた。
兵達は恐慌状態に陥っているように見える。
隊列は崩れ、浮足立った兵が後退する。兵達の背後に黒煙が沸き上がった。
土中から現れた無数の入道蜘蛛であった。
開津藩背後と左右の廃屋より、群がるように襲い掛かる。
遠く、絶叫と怒号が響く。
門より、人の三倍はあろうかという巨人が複数現れる。
筋骨逞しいその全身は青く、眼球が顔の中心に一つしかない。青坊主と
呼ばれる大型狗族であった。入道蜘蛛に立ち向かい、隊列を組み直し始めた
藩兵を、その手に持った大型の槌で薙ぎ払う。兵が吹き飛ばされ、血まみれで
泥濘に落下していく様が見えた。
「全滅するぞ?」
十字朗が叫んだ。悪兵衛も立ち上がる。
「どうか、落ち着いて。今はまだまだ。」
小早川は傍らの者に指示を与えながら、その表情は変わらない。
「小早川司令。」
悪兵衛も髪を逆立て全身に士魂を漲らせながら低い声をあげる。
「彼らは」
「独断で突入したのです。作戦要綱にはありません。この数名では
反撃も救出も叶いません。動いてはなりません。」
「…これは指令としての作戦命令です。すなわち上意。」
「開津藩壊滅。残存兵が離脱している。」
バルザックの暗い声が響く。
「なんだ?何をしている?」
「何やってるんだ。」
橘川兄弟の言葉に戦場に目を移す。
展開していた隊列は失なわれ、残った兵達は後退しつつ戦闘を続けている者、
負傷者、前線から逃亡を図る者。すべてが一気に潰走した。だが動いていた兵達は
足を止め、呆けたようにその場に立ち尽くす。そこに入道蜘蛛は
襲い掛かり、稲を刈るように虐殺を続ける。
「開津藩兵、その場に留まり戦闘を休止。無抵抗で殺されている。」
不知火の侍達は、その惨劇をただ、見つめるしかなかった。
やがて何処ともなく入道蜘蛛は姿を消し、青坊主を率いる弥者が
門の中に入っていく。
後には死屍累々の様が残る。
「嘆け友よ。悲劇は終わった。」
小早川司令が場違いな大声をあげた。




