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不知火戦奇  作者: tsuru hiroki
79/210

二


「今日はもうめし打ちはできやせん。終《しま》いでさ。」

仁悟朗に助けられた若者は正太と名乗り、三人を親分の元へ案内した。

近辺の屋台を管理し、運営している的屋と呼ばれる組織である。

その元締めは、通称親分と呼ばれる。

西岸の中程の屋台街の奥にその屋敷はあった。

正太から事の次第を聞いた男は、白髪に浅黒い肌の目つきの鋭い老人であり、

紺の半纏に包まれた身体は背筋が伸び、壮健な印象を与えた。

「居籠《いかご》一家、犬神の惣吉と申します。この度はうちの者を助けて頂き、深く御礼申し上げやす。」

老人は深々と頭をさげる。三人には膳と酒が用意された。


「深町さんは乱暴者に何もいわず、いきなり足蹴にしたんだ。」

興奮した正太は口から唾を飛ばして、集まった一家の者に吹聴する。

二十人程の渡世人風の者、町人姿の者、若衆が皆、大声で笑いあう。

「ああいう手合いはやめろといってもやめん。」

升酒を飲み干して仁悟朗が平然と言い放つ。また笑いが起きた。

一人、未成年で素面の悪兵衛は白湯をすすりながら、

目を細めている犬神の惣吉に尋ねる。

「親分、東岸と西岸で随分屋台の雰囲気が違うようだが。」

「お若い浪人様でも気づかれましたか。お恥ずかしいこって。」

「別の的屋がまとめているのか?」

士道も惣吉に向き直った。

「そいつがなんとも。」

老人は眉間に皺をよせ、深くため息をついた。

みすぼらしい浪人姿でありながら、折り目正しく、武芸者然とした三人に

心を許し、少しずつ語り始める。

犬神の惣吉の談話は深夜に及び、三人はその日の宿を勧められ逗留した。


*


神尾鉱山から労働者が流入し、尾宇治の村が歓楽街として発展し続けて

六十年余り。取り仕切る的屋の収入も増えたが、その管理の範囲は大きく

複雑化し、老年の犬神の惣吉は最も信頼する手下の者と暖簾を分けた。

頭の回転が速く、愛想の良い一番弟子とも呼べる平治を親分とし、

椴松《とどまつ》一家と名乗り、主に東岸の屋台街を管轄していた。

親分となった狐火の平治は、徐々に強権を使い、粗悪な物を売って

荒利を得るようになっていったという。


尾宇治の的屋の最も大きな収入源は、中之島の歓楽街の上がりで

ある。惣吉が取り仕切っていた頃は芝居小屋、楊弓、川に面した

料理屋等で祭りを彩っていた。

一年に一度開かれる「尾宇治剛力比べ」は近隣より見物の人が訪れる

名物になっている。平治はそこに違法な賭場を開き、惣吉の怒りを

買う。その事がきっかけで両一家は断絶していた。


中之島の独占的な権益を狙い続けた平治は三年前、惣吉に賭けを持ちかける。

「剛力比べ」でお互いの一家の代表を出し、勝てば次の年の中之島の

取り仕切りをすべて行う。一般の参加者が勝てば今まで通りという物だった。

老年ながら伝法肌の惣吉はこれを受けるが、賭けに負けてしまう。

それから三年。惣吉は賭けに負け続け、中之島は労務者向けの

性風俗街に様変わりしてしまった。


翌朝。三名は宛がわれた客間で朝食の膳を囲んでいる。

湯気をあげる麦飯に川海老の佃煮に瓜の浅漬け、厚揚げの味噌汁を

ぱくぱくと平らげる。正太が傍らで甲斐甲斐しく世話をしている。

すっかり気を許し、お代わりの茶碗に麦飯を山に盛って笑い声が起きる。

「三年連続で椴松一家の者が勝ったというのか。余程の剛の者を集めたな。」

「それが旦那、剛力比べは三つの種目があるんですが。一人の者が毎年

すべて攫うんでさ。」

「一人?名だたる力士か。」

「いえ、俺と年も変わらねえ末成《うらな》りなんですが」

「そのかいな力はどんな奴もかなわねえ恐ろしい奴で。」

「最近では妖怪の類いじゃっていわれてやす。」

奇妙な話に、三人は顔を見合わせた。


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