九
五条邸での邂逅の後五日後、身の回りの荷物に見せかけた輜重隊の
物資と、屯所よりの通達が届いた。
「弥者の殲滅を何よりも優先すべし、とある。」
隊長、伊庭の言葉を一言一句刑部は伝えた。
「しかし、未だ弥者の目的はわかってはおりませぬ。殲滅しては。」
美浪が膝を叩く。悪兵衛はじっと刑部を見つめている。
ここの所、道場破りは控え日々剣術の稽古と手習いに費やしていた。
体内には十分な士魂が練り込まれ、弥者を思えば自然に拳を握る。
「これはお頭の意思ではあるまい。弥者発見の報を受け、不知火、及び
幕僚としては一刻も早く討たねばならぬ事情が生じたのだ。」
「それは」
「美浪、考えてみよ。」
「…狙われているのは穏健派、和平派の者だからですか。」
「そうだ。原因解明の為、手を出さずにいて新たな犠牲が出た場合、
不知火の幕閣に対する謀反として捉えかねられない。」
「悪兵衛は何とする。」
「弥者を発見し、犠牲が出ている以上、殲滅は一義と考えます。」
刑部は厳しい表情を崩した。
「それでよい。月光の者を呼べ。」
程なく、朧丸と香車が現れた。渦目は五条邸に詰めている。
刑部の居室で朧丸の持ち寄った邸の図面を眺める。
詳細な間取りと見回りの時間、間隔を隠密たちは掴んでいた。
そこで突入の時間の目星をつける。が、屋敷から邸への見回りが
「右回り」か「左回り」かで経路を確立できない問題が生じた。
それだけは乱数的に決められているようである。
「この中央の物見櫓は?」
「屋敷と邸の渡り廊下、内部を確認するのには絶好ですが」
「内密に事を進める為、連絡の手段がございません。不自然な動物の
鳴声では察知される可能性もあり、我らの通唇術もこの距離ではしかと
伝達できかねます。」
「通唇術とは?」
「香車。」
朧丸に促され香車が障子をあけ、中庭に降りる。明かりのない庭の
暗闇におぼろげに香車の唇が光って浮かび上がった。
蓄光性の塗料を唇に塗り、何言かうごめく。
「しのびとは これすなわち こころに やいばおきもの」
朧丸がその唇の動きを読んだ。香車が戻る。
「何と申した。」
「忍びとは之即ち心に刃置き者、でございます。」
「確実ですが、物見櫓から邸までの距離が離れると判別は不可能です。」
「よし、邸内に潜入後、物見櫓を美浪と隠密の二名で占拠、私と悪兵衛は
奥の間に侵入、隠密二名で渡り廊下で新たに現れるであろう敵勢を足止め。
決行は明日の夜、子の刻とする。」
朧丸が顔を上げる。
「織田殿、見回りの見極めと連絡は。」
「美浪、よいな。」
「は。」
侍達の絶対の態度に、それ以上の具申は控える。
副長とはいえ、参謀方とも呼ばれる役職の刑部と、頭目の悪兵衛、
二名で未知の力を持つ弥者四名と相手に戦おうとしている。
無論、自らの生死を厭わない。改めて本閥、不知火の侍とはそんな
諸人であったかと朧丸は思う。
*
翌日、指定の時間に船頭衣装の渦目が提灯を持ち、現れる。
侍達は黒の引き回しの道中着に身を包み、傘の姿で
用意された屋形船に乗り込む。
刑部は檳榔子黒に紫の炎の紋の戦陣羽織に鬼門甲、
悪兵衛と美浪は同じく青黒の炎之長着に鬼門甲、鉢金の潜入姿。
朧丸と香車は漆黒の忍び装束である。
大名屋敷の裏手の堀に面した勝手口より四名は侵入し、渦目は
逃走の為の船を確保するべく、その場を離れた。
植え込みの陰に刑部と悪兵衛は身を隠し、美浪は香車の案内の元、
物見櫓を目指す。朧丸は屋根に飛び上がり、渡り廊下に足止めの為の
罠を仕掛けに闇に消えた。
櫓の元には中間が二名、酩酊しつつ雑談している。
大名屋敷の中間部屋では毎夜賭場が開かれ、薊党に参加している
剣客達もそれぞれ賭博を行っていた。
「殺しますか?」
香車が美浪の背後で囁いた。美浪は唇に指をあて、
そのまま廊下を歩み、近寄っていく。
気づいた中間は見慣れぬ侍に一瞬注目した。
美浪は一気に一人に近づき、手のひらを中間の額に当てた。
直後、男は膝から崩れ落ちて意識を失う。間髪をいれずに
もう一人の腕を掴み、その鳩尾に手のひらをあてる。すぐに男は
白目をむいてうつ伏せに倒れた。
「芯中」と呼ばれる本閥戦技である。人体の急所に一時的に
大量の士魂を送り、神経を麻痺させる。美浪は敵意なく近づき、容易に人中に
当てる名手であった。
「半刻程で目を覚ます。一度効かせると身体が慣れて二度目は通じないんだ。」
中間二名を軒下に隠し、物見櫓にあがる。
確かにここならば屋敷が一望でき、見回りの経路も掴める。
美浪は静かに魁音刀、葦草を抜いた。白い細い火花が飛び散り
美浪と香車の顔を照らす。脇差に近い短刀である。
「香さん、いや香車殿か。いまより魁音撃を射出する。その間、俺は
完全に無防備になる。護衛を頼みます。」
あらかじめ刑部に次第を聞いてはいたが、半信半疑で香車は頷いた。
「宗波」
美浪の気合声と共に、あたりの空気が凝縮し一度美浪に吸い込まれ、
直後に噴出するような感覚に襲われる。
(刑部殿、櫓を確保致しました。)
(よし、では突入する。各々に伝達を頼む。)
美浪と刑部の声のような波が、身体に染入るようにぶつかってくる。
香車はその明晰な声音に驚愕した。決して声が届く距離ではない。
「宗波」とは、魁音撃を任意の者に打ち込む攻撃力の無い波形である。
声の震えに似せたそれは、複数の遠距離の人間に思考を伝える。
波のように香車を打った魁音は、声では無く、士魂によって改変された
特殊な衝撃であった。
不知火隊内で宗波を使役出来るのは、美浪しかいない。
「何だ。」
「波か?」
大柄な僧服の弥者と浪人姿の弥者が目を合わせた。
「ヤシャヂカラを感じる。」
「ユウギリノヌシ、これは。」
「アメノミカドの刻ではない。」
御簾の奥、座したままで男が口を開く。
「行け、ソトナノヒコ。」
無感情な声が響いた。
浪人姿の弥者は深く男に礼をして立ち上がった。




