八
刑部と美浪は鴨川弦斎の紹介により、一人の男と会っている。
川沿いの小料理屋の一室で、しばし剣術談義を行っている。
悪兵衛は刑部の命により、一人街中に出ていた。
刑部達にほど近い川沿いの道で悪兵衛は立ち止まる。
「朧丸。いるか。」
「どうした?悪兵衛。」
土塀の上に、若衆姿の朧丸が現れた。
「刑部殿と美浪が今、そこのさと屋という小料理屋で人と会っている。」
「手下の者はついているか?」
「いや、出払っている。情報収集中だ。」
「刑部殿と会っている者を尾行し、調べてくれ。武闘団の繋ぎの者に
違いない。」
「わかった。」
それきり、朧丸の気配は消えた。
悪兵衛は辺りに気を配りながら一旦小舘流道場に戻った。
その日の夜半、刑部と美浪は帰宅した。
悪兵衛は二人の無事に胸をなで下ろしたが、刑部の眼差し、美浪の
緊張に大きな進展があった事を察知した。
「結果から言おう。武闘団を指揮しているのは弥者だ。」
「鴨川の紹介の男は大名の中間でな。我らを信用し船で移動した。」
「案内されたのは皇族の屋敷だった。」
「そこでやんごとなき方と会ったのだが。美浪。」
「間違いありません。四名とも弥者です。」
「一人は僧侶に見える。大柄な男であった。いま一人は痩身の浪人風、
残り二名は御簾で姿かたちはわからなかったが、男女のようであった。」
弥者が四名。悪兵衛の瞳に炎が映り、刀掛の琿青がかすかに震えだす。
「表面上では世を憂い、内密に国賊の天誅を下す正義の武闘団という
触れ込みであった。志を同じくする者であれば支援するという申し出だ。」
「その場での返答は避け、戻った。」
「薊党と申しておりましたね。」
「触れて刺を差す薊、か。」
「不知火、織田刑部殿。」
庭先より声がする。刑部に促され、悪兵衛が中庭に面した障子を開けた。
黒衣姿の三名が膝をついている。
「隠密諜報部隊、月光。卍組頭領、朧丸。」
「同じく卍組、渦目。」
「丹組、香車。」
「本日、播磨悪兵衛殿の指示により薊党本部五条邸を調査。
報告に上がりました。」
朧丸に従う渦目は水明館の書生、宮本。香車は美浪と接触していた女、
香である。刑部達は縁側で座り込む。
「五条邸、では我らが謁見していたのは皇族の五条様という事か。」
「いえ、あの館には五条様の縁にある方が逗留しているとの事。」
「さる大名の京屋敷の奥に五条邸はあり、通常では潜入難く、本日織田殿を
尾行し初めて水路での侵入経路を発見しました。」
「薊党の武士達は手前の大名屋敷の中間部屋に詰めており、時間を定めて
五条邸を見回っております。」
「薊党の武士の数はわかっておるのか。」
「およそ二十。しかし大名抱えの中間が五十程おります。」
刑部は話を聞きながら手元の書付に大体の屋敷の図を描いている。
「こんなものか。」
のぞき込んだ朧丸は息を飲むが冷静に答える。
「はい、おおよその間取りは合っています。」
「悪兵衛。頭目はどう指示する。」
「は。薊党、中間とも我ら三名の吶喊で殲滅できますが、その間に
弥者の逃走を許します。なんとか本丸を討てれば。」
「よし。では月光に屋敷の構造の調査を依頼する。」
刑部の言葉を聞き、隠密三名は庭の影に同化するように姿を消した。
「刑部殿、突入は。」
「まだだ。弥者の目論見がわからぬ。屯所に報告しその返りを待つ。」
*
五条邸、謁見の間には一段高い御座に御簾がさがり、その奥に
座している二人の人物がおぼろげに見える。
中央に小柄な直衣姿の男性の影、その横に豪奢な紫の桂姿の女性がいる。
謁見代の手前に守るように痩身の浪人姿の男、筋骨逞しい僧形の男が座している。
男達の視線の先に、道着姿の青年が立ち尽くし、震える手で刀の柄に手をかけ、
荒い息を吐いている。その前方に猿轡をした町娘と初老の町人が
柱に縛り付けられている。
僧形の男が口を開いた。
「古賀善右衛門。そなたはその若さで町道場の師範代まで
上り詰め、東京の剣術道場でも五本の指に入ると言われている。」
「身寄りの無いお前を引き取り、生活を助け、立派な武道家にしたのは
誰だ?」
震える青年は脂汗を流しながら口を開いた。
「そこにいる、加賀美屋正平殿でござる。」
「そうだ。そしてその娘、美里とお前は婚姻の約束をしている。」
御簾の奥から、旋律が流れ出す。女がつま弾く筝の音色だった。
悲し気な韻律が謁見の間を満たしていく。
「加賀美屋は一代で財を成した。表向きは貿易だが。」
「その男は何をしていた?」
「加賀美屋は」
古賀善右衛門と呼ばれた青年は俯き、涙を流した。
「藩と結託し、狗族に滅ぼされた人々の財産を収奪しておりました。」
「お前の両親はどうなった。」
「番役として襲撃してきた狗族と戦いましたが」
「その数に圧倒され、撤退いたしました。士道不覚悟として
切腹、家は断絶しました」
善右衛門は泣き崩れた。御簾の奥の筝の音色が高まる。
「裏で糸を引いていた加賀美屋正平は国賊である。またその娘美里も、
武士であるそなたを同族に勾引かす人非人である。」
筝の音色はさらに高まり、蝋燭の炎が振動で揺れる。
顔をあげた善右衛門の瞳は赤茶色に染まり、口中から煙が吐かれる。
「斬れ、古賀善右衛門。」
逞しい男は静かに言い放った。善右衛門は雷に打たれたように
痙攣しながら立ち上がり、刀を抜いた。
髷の紐がぶつりと切れ、総髪が逆立つ。おのれ、おのれと呪詛を
口にしながら一歩一歩、加賀美屋正平と美里に近づいていく。
得意の下段に構え、加賀美屋の前に立ったとき、善右衛門は
正平殿、父上、と言葉を発し、刀を立て、自分の喉を貫いた。
加賀美屋正平と美里の眼前で善右衛門は自ら命を絶った。
その背後に痩身の浪人姿の男が歩み寄る。
うつ伏せで倒れた善右衛門の背を、音もなく抜いた刀で斬りつけた。
遺体は切り口から衣服が濡れるように黒く変色し、やがて全身が
炭のように黒く染まり、自重に耐えきれぬように崩れ、黒色の砂の
山になった。
御簾の奥の筝の音が止まった。
浪人姿の男の額の横から角が生えている。口元から犬歯が覗き、
その瞳は赤茶色に燃える。
加賀美屋とその娘に事もなげに刀を差し込むと、猿轡の中で
二人は絶叫を上げたが程なく炭の人型となり、砂山は崩れた。
「あやまちか。」
逞しい男が口惜しそうに呟く。
「刀使いで鍛えた技ではない、その心のありようが肝要のようじゃ。」
御簾の奥でユウギリノヌシが笑いを含んだ声で言った。




