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不知火戦奇  作者: tsuru hiroki
64/210

二


日中に脚を棒にして人気の剣術道場を見て回った。

どの道場も意気軒高、見物人も多く異変があったならば、すぐに隠密が関知する

ところであろう。

汗と埃まみれの身体を風呂で洗い流し、館主大宮とともに

心づくしの夕餉を振る舞われた。

歯ごたえのある軍鶏と牛蒡、白菜を濃い醤油の割り下で煮込まれた鍋に、

玄米、べったら漬けが出され、悪兵衛は鍋が煮えるまでに漬物で飯を二杯

平らげた。

刑部と大宮がにごり酒で剣術談義を始めると、美浪に促され、

鍋に名残惜しそうに退出する。

二人に宛がわれた東の間には書見台に文机、学問所師範である天源先生より

出された大量の学習用の書簡が用意されている。

美浪はその日の報告を作成、悪兵衛は苦虫をかみつぶした表情で

手習いを始める。

「美浪、この書き順は」

「こう、だ。」

悪兵衛は美浪に入隊当時から自室で学問を見てもらっている。

勉学の進め方も二人には手慣れた雰囲気が漂っていた。

「どうだ。学びが習慣になっただろう。机に一度はつかぬと落ち着かん。」

「うーん、まだその境地には」

悪兵衛の率直な物言いに美浪は苦笑した。

「癖になると後は早いんだ。黙ってても習慣で書に向かい、筆をとる。」

「やはり、美浪は幼少の頃からそうしていたのか?」

「うん、そうだな。」

美浪は筆を置き、自らと学問について反芻する。

「寺子屋と共に、私塾に通っていた。入塾の試験が厳しくてな。」

「漢学、国学、蘭学、天文学と書道か。必死で手習いをしていた。」

「だが、知識としては身に着けるがどうしても身が入らなくてな。」

美浪から珍しい談話が出て、悪兵衛も筆を置く。

「塾長の教えは形ばかりで実が無いように感じていた。勉学の為に勉学をしている

ような。今から思えばそれにも意味があったのだが。」

「入隊後、今のお前と同じように天源先生と共に刑部殿に師事した。」

「俺は驚いたよ。刑部殿の教えは深い知識はもとより、たたかいの中で培った

知性が息づいている。生きた教えだ。戦(いくさ)の先にある日の本を見据えておられる。

俺は刑部殿に…」


悪兵衛が座ったままいびきをかいている。

美浪は笑いながら文机を片付けた。


*


翌朝、三名は刑部の居室となる奥の間で、朝食の玄米粥をとりながら

今後の話をする。通常の内偵では合議になるが、今回ばかりは刑部の言葉に

耳を傾け、指示を仰ぐ。

「では美浪は剣術道場付近での飲食店にて聞き込みと見物人にあたりを

つけ、道場の評判、門人の素行等の調査。」

「悪兵衛は私と共に順に道場へ向かう。よいな。」

二人はしっかりと頭を下げる。灰音の人員配置を思い、舌を巻く。

確かにこれ以上ない程の適任といえた。


大宮清秋に送り出され、刑部と悪兵衛は新進気鋭との評判も高い

神明流光陽館の門を叩いた。

気合声と剣戟が威勢よく、新しい門構えの道場の看板は

くっきりとした文字で天下無双と綴られている。

門弟に話を通し道場の奥、師範代と思われる中年の男と相対する。

「ほう、西国の。」

「左様。これは些末ながらご教授代でござる。」

刑部は紙で包んだ一分金を差し出す。約四万円分である。

道場にて手合わせを頼み、謝礼金を払う。これが一般的な道場での礼儀であった。


二人は道場に案内された。道場生達が一旦練習を止める。

師範代の金澤宗右衛門より刑部と悪兵衛の紹介があり、立ち合いが告げられる。

筋骨たくましい大柄な金澤はその様相に似つかわない甲高い声色であった。

道場生達はじろじろと質素ないで立ちの刑部と悪兵衛を見、小声で

話しをしている。

金澤は立ち合いに一人の道場生を指名し、その男はゆっくりと立ち上がった。

悪兵衛より頭一つ高い筋骨逞しい青年で、その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。

「あれなるは目下道場生一枚目の高田平助でござる。」

高田は悪兵衛を一瞥し、金澤に一礼する。

金澤と刑部は見所に座し、蹲踞の姿勢の二人を見つめる。


立ち合いを申し込まれた道場は、まず若手の実力者を対戦相手として選出、

対する剣客側は高弟がたつ。

その勝負如何によって、剣客側は立ち去るか、道場に留まるかが決まる。

高名な剣術者であれば食客として迎える方が道場に箔が着く。

そうなれば道場生も増えるという算段である。

が、名もない辺境の一独立流派をうたう刑部と悪兵衛に対する視線は冷たく、

悪兵衛の敗北により、問答無用で道場から追い出す雰囲気が漂っている。

名を上げるために、無茶な挑戦を行う食い詰め浪人は多かった。

黒の粗末な道着姿に襷をかけ、安物の木刀を持った悪兵衛に侮蔑の視線が

投げかけられる。そんな状況の中で、若いながら泰然としている悪兵衛を

警戒しなかったのが、金澤、高田の落ち度であった。


金澤の声と共に立ち合いは始まった。

正眼に構えた両名は静かな佇まいであったが、高田は無用意にするすると

近づき、大きく上段から剣を打ち下ろす。悪兵衛はそれを受ける。

大げさな気合声をあげて何度も打ち下ろす高田。無表情に機械的に受ける

悪兵衛。道場生は力量の違いを感じて苦笑を漏らす者もいる。

つばぜり合いになり、高田は力任せに悪兵衛の足を払った。悪兵衛は

もんどりうって倒れたが、そのまま転がり高田の追い打ちを防ぐ。

まて、の声と共に高田は引き、また剣を構え直した。

悪兵衛はのろのろと起き上がり、刑部を見、かすかに頷いた。


またも力任せに打ち下ろす高田の剣を悪兵衛が払った。

剣の流れの速度に大きく態勢を崩される。高田が驚きの表情を浮かべるのと

悪兵衛の足裏が脇腹に接触するのが同時であった。

破裂音と共に高田は吹き飛ばされ、道場の板戸を破って中庭まで

転げ落ちた。

軽い蹴破である。道場生達には悪兵衛が蹴り飛ばしたように見えた。

本気であれば士魂を持たない者はその一撃で内臓を破壊される。

それ程に、本閥の侍と一般の武道家の戦力には開きがあった。

悪兵衛は転がったまま起き上がれない高田に一礼し、刑部と金澤に

向き直り、一礼して下がった。

金澤の額には脂汗が浮いている。


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