四
まだ昏い中、波の音と共に響く気合声で桃乃介は目覚めた。
足元にはタケルが丸まっている。
寝間着を着替え、裏の浜に出る。海風が強い。
悪兵衛とバルザックが木剣で打ち合っている。
互いに上半身裸で激しい剣戟を続ける。その体格の差は、獅子と狼の
ようであった。やや押され気味な悪兵衛が気合声と共に木剣を振った時、
おおきな破裂音と共に剣が粉々に砕けた。
二人は一度礼をして、何か大声で談笑している。
タケルも起きだしてきたが、まだ眠いとむずかっている。
おかゆに茄子と人参の糠漬けで朝餉をむかえる。
大酒を飲んでひっくり返っていたバルザックは事もなげに
粥を二杯も平らげた。
「編切り、だな。」
悪兵衛が報告書に目を通しながら言う。
「蟹のような鋏をもち、嘴があり、浮遊するとある。」
「小型の狗族だね。戦った事はあるかい?」
「ある。」
「あたしない。」
「特に危険な敵でもないよ。」
名主とセルゲイの説明ではそれが一度に三十から四十程の数で
村に襲来してきたという。
「ふつう、大型の狗族の露払いに現れるが。」
「今回は違うようだね。」
詳しくはわかっていない生態ではあるが、本閥で知られている
行動では、五匹程で現れ直後に大型の狗族を伴う。
酔っていないバルザックは高い知性を持つ男で、戦闘に関する記録を日々学び、様々な戦術の覚えもよい。
「単純に報告された編切りの数で、誘因される大型狗族を割り出して、
大掛かりな戦闘になると踏まれたのかな。」
「いや、刑部殿がそんな簡単に考えるわけないね。」
バルザックはすぐに自らの考えを否定した。二人は考え込んでいる。
「村人と面会で、実際の戦闘の様子を調査する。その上で情報を集める。」
悪兵衛の言葉に二人は頷いた。
セルゲイの繋ぎで、何人かの漁師と会い、戦闘時の話を聞いた。
怪我を負った者もいたが、死人は出ていない。家屋の損傷と切り傷が化膿した
事が一番の被害という具合であった。
村の中央には広場があり、猟師を引退した老人達が札遊びに高じている。
「どうらく?あれは道楽って遊びなの?」
偶然に一致した日の本の言葉で三人は笑う。子供たちがタケルを撫でまわし、
追いかけ合って遊んでいる。
集めた情報を吟味する。通常の編切りと行動は変わらず、
ただその数が多く、その後大型の狗族を誘因する事はなかった。
物理的な攻撃で叩き落していたという。
「群れで行動する種類がいるって事かな。」
「それで何度も村を襲撃するの?一般人に怪我を負わせる程度で。」
「バルザック、編切りは魁音撃に弱いか?」
「通常の斬撃で十分だよ。漁師だって銛でついているんだ。」
「いや、以前俺が戦った時は超自然の力が強い狗族に比べて、動物や
昆虫に近い感覚だった。ゆえに魁音撃に対して耐性を持つというべきか。」
「そうだね。弥者のように魁音撃で消滅する体組成ではないね。」
悪兵衛は身体の各部を吹き飛ばされながら、意にも介さず攻撃してきた
大百足を思い出している。
「では、死体が残るな。燃やしてでもいない限り。」
「百以上あるだろうね。」
「調べてみるか。」
「あたし、ダリヤさんの手伝いするから任せた!」
桃乃介は不吉な予感を感じていち早く逃げた。
*
午後、三人は村からほど近い日の本軍の宿営地に向かう。
崖下に広がるこじんまりとした地里江村を見ながら丘陵に見える
旗印を目指す。
「消えた?」
「うむ。すべて消滅したそうだ。」
「残った編切りは海に向かって逃げていったそうだよ。」
悪兵衛とバルザックは村人から不可解な情報を得ていた。
村人たちが討伐した編切りはすべて消えたという。またその状況も
魁音によって身体が崩壊するのではなく、まさに煙のように消えた。
「ダリヤさんに村の事は聞けたのか?」
「うん。風習や歴史を少し。後、漁師の約束事とか」
「編切りに関する事や狗族絡みは?」
「ないね。」
日の本軍、大居藩宿営地には簡易な兵舎が立てられ、五十名程の
兵士が駐屯している。率いているのは三上征之介少尉。
漁師屋敷にて、連絡を交わした初老の男で、痩せぎすで怯えた
表情をしている。
「死体の報告は受けておりませぬ。」
「兵士は戦闘に参加は?」
「しておりませぬ。我ら、編切りの出現後の大型狗族に備えておりましたゆえ」
「編切りといえど、数は多い。このままでは人死にが出るぞ。」
「はあ。そういわれましても。」
及び腰の三上兵長の受け答えに三人は顔を見合わせる。
地里江村から宿営地までの距離、およそ徒歩で半刻。護衛、迎撃の為には
初動が一歩遅れる微妙な位置である。
藩における狗族の討伐と、異人居留地とはいえ人々への思惑が透けて見える。
「今後の動向次第ですが、村に兵士を常駐させたほうがいいですね。」
バルザックが苦虫をかみつぶした表情で言う。
「連絡用に早馬は待機させております。それ以上の対応は藩で決めねば」
「私は中佐です。戦場となった場合、人員流動の指示権があります。」
「また今次作戦は幕僚から発している。すなわち不知火の指示は上意で
あります。」
「しかし」
バルザックの冷静で強い物言いに三上兵長はしどろもどろと対応している。
篝火の焚かれた陣幕内には三人と三上兵長、警護の兵が二人だがなんとも
弛緩した雰囲気であった。外には物見の兵が集まり、不知火隊士を一目
見ようとしている。
「そもそも、我が藩の要請により、本閥様のご出立と相成りましたわけで」
「何?大居藩よりだと。」
「左様でござります。編切り出現時、藩内部で戦闘に関する取りまとめをした結果ですね、事態を重く見た幕僚が」
「もうよい。」
悪兵衛は立ち上がる。三上兵長同様、及び腰の大居藩が公のものとして
本閥に調査を要請した。
つまり、幕僚の決定は異人居留地の警護や狗族の襲来への備えではなく
藩の保身の為という事である。
「どうにも好かぬ話だ。」
「大居藩は民草の為に兵を出したわけではないんだね。」
陣幕の外、悪兵衛とバルザックは語る。二人の表情は硬い。
すでに日は暮れ、海風が炎を揺らしている。
「どうする?悪兵衛。」
「報告を出して、村に兵の常駐を上から落としてもらうしかあるまい。」
「我らは編切りの行動の因果を掴まねば動きようがない。」
思い切りのいい悪兵衛の言葉に、バルザックが初めて歯を見せる。
二人をみつけた桃乃介が走り寄る。
「村に戻ろう。タケルが狗族の襲来を感知してる。」




