二
土俵の土まみれの身体を風呂で流し、
悪兵衛は桔梗と膳を囲んだ。腹が減って目まいがする。
桔梗は作戦行動指示と、要綱に目を通している。
「灰音殿は目先が利く。土地の若者と交流し、祭りの事を聞けば行方不明者の
噂もいずれ出るという事か。」
「はあ」
悪兵衛は膳にならんだ豆腐の汁椀に、芋と青菜の和え物、煮びたしした鮒に
大盛りの白飯を見つめ、丸い目が零れ落ちそうになっている。
桔梗は吹き出した。
「食べていいよ。」
「は。頂きます。」
手を合わせてにこにこと悪兵衛は食事を始める。桔梗もそれに合わせた。
膳を片付け、文机に桔梗は向かい、報告書を記している。
「奉納まつりといえど、男女の出会いの場になる意味合いが強いそうだ。」
「妻探し、ですか。」
「女も男を見初める。それに」
「将来を誓った者、夫婦となった者も参加する事で、その結びつきが強くなると言われている。」
「はあ」
要領を得ない悪兵衛の間抜けな表情を桔梗は見慣れている。
「明日、甘味屋で知り合った子達が里を案内してくれる。」
「お主は引き続き相撲でもなんでもとって顔見知りを作り、調査してくれ。」
「心得た。」
「あの娘たち、私がお前を夫にするつもりだと思っている。」
桔梗が含み笑いをしながら筆を走らせる。
「それは」
「恐れ多い事を。玉杉殿には世話になってござる。申し訳ない。」
膝を正して悪兵衛が頭をさげる。額に脂汗が浮いている。
「お前が謝らずとも」
桔梗は声をあげて笑った。悪兵衛も情けない表情で歯を見せている。
仲居が声をかけ、膳を片付け寝具の用意をするという。
桔梗は手早く報告書をたたみ、悪兵衛に荷物をもたせた。
「こちらにお布団ですねー。おつきの方は隣の部屋でよろしいですか?」
「ううん、ここに並べてください。」
「あいや玉杉殿!」
「それは待たれ、待たれい。男女七十にして席をおなじくせずともいわれ」
悪兵衛が顔を赤くして必死にまくしたてる。
「男女七歳にして、だ。じゃあ隣部屋にお願いします。」
からからと笑う桔梗を恨めしげに見ながら、悪兵衛は胸をなでおろした。
*
翌日、早朝から相撲場で悪兵衛は土地の若者たちと取り組みを行う。
我が物顔にふるまっていた入れ墨の者達は姿を見せていない。
同年代の者達と汗を流し、井戸で水を浴びて笑いあう。悪兵衛の組打ちに
教えを乞う者に、その場で親身に手ほどきを与える。
幼年組の者達がおおきな回しをつけて集まり始めた。
「お前、お前、あとお前、お前も。かかってこい。」
土俵に上がった悪兵衛は腹が丸く、足元も覚束ない幼少の子らを指名する。
おずおずと土俵に上がって来た子らから逃げるように走り出し、子らも
追いかけて悪兵衛に取り付く。子供らの笑い声と共に悪兵衛は引き倒された。
「参った。参った。」
寺社の濡れ縁に腰をかけ、手ほどきをした若者と、幼年組のその弟、
ふくよかな母親と休憩をとる。竹筒で用意された氷水を一気に飲み干した。
「播磨さまをおれがたおしたから、兄上よりおれがつよい」
頬を紅潮させて話す子の言葉に笑いが漏れる。
「ご令嬢の付き添いで奉納祭りの見物に?」
「左様でござる。」
親子は警護の為に里に使わされた武家の人々であった。番役と呼ばれる。
母親は甲斐甲斐しく息子二人の面倒を見ている。
「播磨様にはお気の毒なれど、今年はもしやすると祭りは延期になるかも。」
幼少の子の顔を手ぬぐいで拭きながら母親が言った。
「延期?」
「はい。宮司さんがご病気で伏せっておられまして。」
悪兵衛は桔梗から聞いた宮司の娘の事をうっすらと思い出す。
「さて、もう一番いかがですか。播磨様。」
若者が元気よく立ち上がった。悪兵衛も微笑みそれに続く。
幼少の子が続こうとしているのを、母親が無理やりとめて、
擦り傷に薬を塗っている。
*
こじんまりとした湖に桟橋がかかり、湖の中程に釣り船が見える。
湖面が陽光に輝き、オオルリの高いさえずりが聞こえる。
桔梗は午前中に里の史跡や名所を案内され、昼から習い事にいく二人と別れた。
三枝つみと並んで湖畔をそぞろ歩いている。
つみは桔梗の言葉にうなずき、頬を染めて笑っている。
「じゃあ、お祭りの後の行方不明って」
「相落ち、です。」
相落ちとは婚姻や付き合いを許されない男女が共に逐電する行為である。
「奉納まつりで神性を帯びた男女は、すべてを捨てても幸福になるって」
「えーーーそんなぁ」
「ですよね」
「でも本当に好きになった人とお付き合いが許されなくなったら」
「うーん」
思わず考え込み、その後、顔を見合わせて二人は笑いあった。
意を決したように、つみは口を開く。
「桔梗ちゃんは、播磨さんと」
いいかけた所で桔梗の表情の変化に気づく。その視線の先には
相撲場で見かけた、入れ墨の若者達が道端でたむろしていた。
「要さん、あの女」
「刀傷の奴と一緒だった女じゃん」
「俺、旅籠に二人で入る所見ました」
小声で会話を交わし、下卑た笑い声をあげる。桔梗は歩む速度を変えない。
つみは俯き、桔梗の後ろに隠れるようにしている。
「お前、男と祭り見物にきたの?」
「一緒に泊まってるんだろ。」
「もう夫婦になったのか?」
にやつきながら三人の若者は桔梗の全身を値踏みするように見ている。
水色の小袖に紺の帯、髪を高く留めてやや紅潮した白い肌。
化粧気のないその顔は、目が引きつけられる瑞々しい生気を放っている。
桔梗は三人の目の前で立ち止まった。
「お前たちには一切関係のない話だ。」
「だが、侮辱は許さない。」
「一人ずつ平手、だな。」
桔梗は最初に声をかけた若者の脚を踵で踏んだ。その上で
掌を頬に打ち付ける。たなごころで打つ平手ではなく、親指の付け根の
肉が厚い部分で体重をかけて打ち抜く打法であった。
脚を踏まれて力の逃げ場がなく、若者は頬と共に鼻を撃ち抜かれた。
もんどりうって倒れた男を見ることもなく、同様にもう一人の
顎を打つ。腰を回転させ、その力と体重を伝えるように
男の顔を射撃する。がくっという手ごたえと共に顎の骨の骨折を感じる。
鼻血を振りまきながら転がる男と、涎をたらして悶絶する男。
「おまえ、こいつらの言葉で笑ってたな。」
桔梗は若者の中で中心の者を最初から見抜いていた。
鬼子母神の入れ墨の男である。
何か言おうとする男の襟首を掴み、脚を払う。
簡単に若者は倒れ込み、頭部を地面に打った。
転がって驚愕の表情で見上げる男の鼻づらに、桔梗は
掌を四度打ち下ろした。
鼻骨がつぶれ、前歯が二本折れた状態で入れ墨の若者は意識を失った。
手をふりながら一切の抵抗手段を失った男達を見て、
桔梗はまた歩き出す。つみはおろおろとしながらその後を追った。
瞬く間に、男性三人を行動不能にした桔梗を、つみは目を丸くして
見つめている。きらきらと陽光を映して輝く桔梗の髪が、
なにか遠い、恐ろしいもののように感じる。
「桔梗ちゃん」
「すごく強いんだね」
消え入りそうな声でつみは桔梗の背中に声をかけた。
「強い人はたくさんいるよ。私なんて全然。」
ごく当たり前の声色で話す桔梗が、まだつみは信じられない。
「ちょっと手が熱いな。ひっぱたきすぎた。水で冷やそう。」
桔梗のいたずらな笑顔でようやくつみは現実に戻った気がする。
川の水で濡らした手ぬぐいで掌を冷やしながら、桔梗は独りごとを
漏らす。
「悪兵衛は、私の十倍強い。」
宝物の事を語るように、瞳がきらめいている。




