一
東ノ江の里は以前は城下町であった。
藩政が幕府に接収され、今は緩やかな過疎の町里である。
その名残の城壁が苔に覆われ、あちこちに残る。
水源が豊かで里の中を堀がめぐり、猪牙船が行きかう。
旅姿の悪兵衛と桔梗が里に入った。
伸びやかな姿勢で、凛とした桔梗と、粗野で逞しい悪兵衛は
女主と従者といった格好である。
機嫌のいい顔で桔梗は新緑を見上げ、堀に鯉を見つける。
「悪兵衛、鯉!鯉!」
「お、でかい」
呑気に話しながら石畳をあるいていく。
「内偵調査で、里祭りの視察とは。」
「五年に一度だから、里帰りして参加する者もいるらしくて盛大だそうな」
「楽しみでござるな」
川面を眺めながら悪兵衛は思う。この任務は無論視察もあるが、
桔梗の護衛でもある。何かあった場合には剣を揮わねばならない。
しかし視察の内容が祭り見物とは。今一つ刑部の思惑をわかりかねている。
「水神の奉納の祭りだとか」
「祭りの後に必ず行方不明者が出るのが問題なんでしょ?」
「不明になった者の身辺を調査するのが先決でしょうな。」
「旅行者として潜入する以上、なにか名目が無いと嗅ぎ回るのはまずい。」
「うーん」
「お前は考えずともよい。灰音殿に入れ知恵してもらった」
「おお、そうですか。ならば安泰。」
「呑気な奴じゃ。」
桔梗は屈託なく笑った。
*
逗留先の旅籠屋に荷を下ろす。
水沓奉納まつりと呼ばれるこの地の催しに訪れる旅人は多く、
その多くが夫婦や恋人同士に見える男女一組であった。
そこにうまく溶け込む為の人選だったかと、悪兵衛は頷く。
宿を出て、二人は別々の方向へ足を向けた。
桔梗は通りへと出、旅籠の女将に聞いた甘味屋を探し当てた。
ぜいご屋と書かれた看板に可愛らしい魚が描かれている。甘味で魚?と
訝しみながら暖簾をくぐると、店内は女性客でにぎわっている。
勧められた「うばもち」を頼み、店内を見回す。若妻風の者から学徒まで様々な年代の女性達が甘味を食し、おしゃべりに高じている。
茶くみ女が桔梗の注文を盆に乗せ、鰻の寝床のような店の通路をやってくる。
席から立とうとした他の客と脚が絡み、つんのめって盆を放り出してしまう。悲鳴があがった。
桔梗は盆をつかみ、皿を掌にのせて落下する餅を次々に皿でうけとめた。
その場の客たちからどよめきと拍手が起きる。
にこやかに中年の茶くみ女を気遣い、このままいただく。と桔梗は席につく。
うばもちは練り切りを上品なこしあんで包んだ可憐な菓子で、
三つあるが、桔梗が受け止めて形がいびつになっている。
うきうきと竹楊枝で切り分け、口に含むとしっとりした甘みと練り切りに含まれたかすかな山芋の香りがした。
「武家さんの方ですか?」
隣席でおしゃべりをしていた学徒風の女子三人が話しかけてきた。
先ほどの桔梗の手並みを見て、興奮している。
「武家の娘なだけです。お祭りを見にきたの。」
桔梗の言葉を聞いてかしましく騒ぐ。女子たちの盛り上がりを不思議に思いながら桔梗はまた、うばもちを食べた。
*
神社の境内に簡易な相撲場があり、若者が組み合っている。
周りには十名程のまわしをつけたもの、上半身だけ肌蹴たもの、
褌だけのものもいる。みな若い。
また、子供相撲をとる幼年組とその親の姿もある。
ひときわ大きな歓声があがった。
悪兵衛が派手な入れ墨を負った若者を投げ飛ばしたのだった。
渡世人風のまげに、肩に鬼子母神を負った若者は、その仲間と共に
この相撲場を牛耳っていた。
悪兵衛は紺の半着に茶の軽参という軽装である。
「服がからみやがった」
「おい、脱げ。もう一勝負だ」
入れ墨の若者と周りの者が声をあげる。
悪兵衛は袖を抜き、上半身を肌蹴た。
骨太で引き締まった大きな肩と血脈の浮き出た上腕、割れて呼吸の度に
波打つ腹部。そして首の横から腹まで袈裟切りに
幾度も切り付けられたような傷痕。右肩から左胸まで刻まれた
赤く浮き上がる刀傷。壮絶な戦士の肉体であった。
若者たちは絶句した。
「悪兵衛」
境内に入ってきた桔梗が声をかける。周りには甘味屋で知り合った女子三人を
を連れている。悪兵衛を見るなり女子たちは黄色い声をあげた。
「帰るぞ。」
桔梗の言葉にうなずき、半着を着込むと、まだ尻もちをついている入れ墨の若者ににたり、と笑いかけ相撲場を後にする。
「播磨さんは桔梗ちゃんのお小姓さんなのですか?」
「いえ、玉杉殿の家に厄介になっております。」
「家で武芸者を目指す者、何人か逗留させてる。」
「播磨さんも年十七なの?」
「はあ」
「播磨さんどうして桔梗ちゃんと二人だけで来たの?」
「さっきどうして不良の人たちとお相撲してたの?」
「播磨さんてどこの人なの?」
「播磨さんって…」
悪兵衛は閉口している。
この短時間で屯所で話す一週間分の会話をしたような気がする。
相撲の方が気楽であった。
「あ、桔梗ちゃん、お祭りね、つみの家が宮司さんだから」
「つみが奉納に巫女さんで出るんだよ。」
三名のうち、長身の少女が恥ずかしそうに自己紹介した。
「三枝つみ、です。」
色が白く、髪や眉が栗色をしている。悪兵衛よりも目線が高い手足ののびやかな娘である。はにかんで桔梗を見つめるだけで、口数は少なかった。
「つみちゃんが巫女さんなんだ。綺麗だろうね。」
微笑む桔梗の言葉につみは顔を赤らめた。
矛先が自分から逸れて、悪兵衛はほっと息をついている。




