九
教室には変異の弥者の上半身が転がっている。その背後の二つに断たれた衣服は
灰色の弥者達の物であった。
十字朗の魁音撃、一文字の一閃で三人は斬られた。
弥者に変異しつつあった神田の遺骸のみ、その場に残されている。切り口から白煙があがり、肉体の崩壊は始まっていた。
学徒達は静かになった教室を恐る恐る覗く。
大人たちは皆逃げおおせ、学内に騒ぎが起きている。
琿青を鞘に納めた悪兵衛は、神田の遺骸の横にしゃがみこみ、
手の平で瞼を閉じさせた。
そのすがたを、郷士も、上士も見つめている。
「我ら、不知火の内偵であった。騒ぎをかけた。」
十字朗は学徒達を見回して言った。
「小源太」
「お前は上士が憎いといったな」
悪兵衛は立ち上がり、山崎小源太に静かにいった。
「上士も郷士を憎む気持ちをまだ持っているだろう。事実はどうであっても」
「その心が弥者を生む。」
静まりかえる教室に悪兵衛の力強い声が響く。
「鍛えろ、心を。」
「集え。日の本の侍として。」
十字朗の背後に吉野絹江が近づき、耳打ちをした。十字朗は目を見開いて
驚いた表情になったが、頷く。絹江はそのまま教室を音もなく出て行った。
「悪兵衛。撤収命令がきている」
「了解した。吉野先生が?」
十字朗は呆気にとられた表情で考え込んでいる。
「あの女、隠密だった。」
*
荷物をまとめた二人が旅姿で景台寺の山門を出る。
よくしてくれた和尚は芋をふかした弁当を持たせてくれた。
「弥者の頂点の者の一人か」
「恐らくな。俺も直接相対したのは初めてだった。」
「十字朗の助けが無くば俺は殺されていた」
「かたじけない。」
悪兵衛は立ち止まり、深く頭を下げた。
「何をいう。お前が俺でも、同じことをしただろう。」
「しかし、強力な破常力であったな」
十字朗はいつもの陽気な笑顔を見せる。
「あの力の前に、戦う術が思いつかぬ。」
「奴を斬る為にどんな犠牲を払えばいいのか」
語り合う二人の姿を、編み笠の武芸者然とした男が見つめ、
その背後には吉野絹江と名乗っていた女が従っている。
「逃走した首長はキリヒトだったのか?」
「おそらく。氷を使用した手法と尋ね書通りの容貌より」
編み笠の男が鋭い舌打ちをした。その声は様相に反して若い。
「不知火の連中は?」
「隊でも戦闘力において上位の二名でしたので」
「弥者三体を事も無く斬りました。」
「噂に聞く旭光の侍か」
「いえ、もう一人の広範囲殺傷剣の一文字使いです。」
「旭光の侍は尊級弥者と対峙後、逃走を許しました。」
「不知火頭目も一対一で仕留められぬか…」
編み笠の男は、去る二人を目で追っている。
明河藩を離れ、日が傾きかけた頃、街道筋の茶屋に侍二人の姿はあった。
床几に腰かけ、茶を飲みながら皿の餅を食べている。
「十字朗の好きな海苔で巻いて醤油をかけた餅だな」
「うん」
「どうした?」
十字朗は深くため息をついた。
「あ~あ、ありゃ陰足だったのかぁ。」
「接触していた女か?」
陰足とは侍達の符丁で隠密を意味する。
「あ~あ、おしかったなぁ。あのおっぱ…」
「うひひひひ、なんでもないよ。餅、うまいな。」
悪兵衛は呑気な十字朗を見て相好を崩した。
「うん。うまい。」
街道筋の先は枯れ木の冬山に入り、その向こうに関所がある。
超えれば不知火屯所は近い。
侍達が突き止めた弥者帰りの真実はこの後、戦局の大きな転換に繋がっていく。
だが今は、未だ春が遠い冬の日であった。
二つの学徒 了




