八
「キリヒトノミコト。」
跪いた弥者が、鞘に納められた剣を漆黒の弥者にささげた。受け取った男は
それをかかげ、神田が変異した弥者に囁きかける。
「我らの血が目覚めたか。」
「心に沸く新たな殺意、それこそが証である。」
「剣をとり、ヤマトビトの血で受霊せよ。」
精神の深層に差し込まれるような声音だった。深く、黒い。
よろよろと変異した弥者が歩み、キリヒトノミコトと呼ばれた弥者の前に
跪いた。震える手で、剣を受け取る。
「ここなヤマトビトのすべての死をもってお前の転生は成就する。」
妖艶な笑みを浮かべながら弥者の手に自らの手を重ねて剣を抜く。
白銀に輝く直刀で、峰には文字のような文様が彫り込んである。
刃の照り返しに変異の弥者の瞳が赤茶に染まり、確かな意思の息吹を感じさせる。
キリヒトノミコトは左右の弥者にも囁くように指示する。
「残らず殺せ。死体を確認できるよう顔は切るな。」
「特に年少の者は四肢を切り刻み、弔う事も出来ぬようにせよ。」
立ち上がる二名の弥者の動きは、武芸者のそれであり、音もなく背後に佩いた
剣を抜いた。
悲鳴を上げることもできない程、恐怖に囚われた学徒と教員達。皆絶望の中で
弥者達を見つめる事しかできない。迫る無残な死を、誰もが感じている。
悪兵衛と十字朗は静かに弥者達の前に立った。
悪兵衛は首巻を解き、制服の前を肌蹴ける。薄く発光する鬼門甲によろわれた上半身を露わにした。
右肩に刻まれた刀傷が赤くはれあがり、上腕、下腕ともに血脈が浮き、力を漲らせる。
十字朗は片腕を肌蹴け、同様の鬼門甲を見せる。太い繊維を束ねたような腕を大きく揮い、木剣袋の柄に手をかけた。
二人が刀袋から魁音刀を抜く。漆黒の拵えの琿青、十字朗は朱色の鞘に純白の拵え、「水鏡」と呼ばれる十字朗専用の魁音刀である。
「斬らせぬ。」
悪兵衛が静かにいった。続き十字朗も柄を握り決然と言い放つ。
「我らが守る。」
「宣戦布告」
「本閥、吶喊白兵衆参、不知火。播磨悪兵衛少佐である」
悪兵衛の怒号が教室を震撼させる。物理的な圧を発する戦技、言魂。
「同じく安曇十字朗少佐」
十字朗の激烈な言魂に変異の弥者は倒れ込み、灰色の弥者に腕を掴まれる。
黒い恐怖に支配されていた教室内が、炸裂する光によって照らされたようだった。
亀裂音を立てて、凍結していた板戸が軋む。人間に力を与え、敵対する者の心底を怯ませる戦技である。
「我が国民を扇動し、差別を利用し、弥者帰りを生み出す所業、
敵対する戦争行為とみなす」
「報復する。この場の弥者は全て斬る。」
「いざ尋常に勝負」
「勝負」
不知火の侍二人の怒号が響き渡り、人々は気圧されながらも、瞳に光が宿り、
力を取り戻す。絶対の恐怖に立ち向かう、人類最後の刃、本閥の侍。
それがいま宣戦布告したのだ。
「ヤマトビトの宣戦を受けよう。だが刃は交えない」
キリヒトノミコトが言う。感情の読み取れない笑顔を浮かべている。
「侍が内偵していたか。宣告の揺らぎはそれもあっての物…これは興味深い。」
漆黒の弥者は独りごちた。
「ミコト、きゃつらはビャッコの侍です。」
「ここは我らが。撤退を」
付き従う弥者二人が次々にキリヒトノミコトに進言する。その物言いに
目をむき、はじめて感情を見せる。
「お前たちを置いてなど」
「死神です」
「ミコト、貴方だけはどうか」
改めて二人の侍に視線を走らせる。
「白い焔の侍か。」
静かに、キリヒトノミコトは背後の闇に溶け込むように消えた。
侍二人は同時に抜刀する。青い火花がほとばしり、唸る金属音を吹き飛ばすように抜き身が煌めく。変形上段の悪兵衛、正眼の十字朗。
「悪兵衛、奴は尊級だ。お前が仕留めろ。俺は残りすべて斬る」
「心得た」
対弥者との戦闘において、絶対的な攻撃の優位性をもつ旭光に、十字朗は賭けた。
短く悪兵衛と会話すると変異の弥者、その両脇の灰色の弥者に正対する。
悪兵衛は格子板戸に足裏を当て、気合声を発する。
発破のような轟音とともに板戸が吹き飛ぶ。
「待避せよ。急げ」
悪兵衛の指示で堰を切って逃げ出す人々。そこに弥者達は注目した刹那、
悪兵衛と同様に逆の壁に足底をあてる十字朗。
先刻と同様の炸裂音。逆側の壁が吹き飛び、陽光が十字朗を照らした。
「蹴破」と呼ばれる戦技であった。士魂を足部に集中し一気に放出。
その衝撃によって接触部位を破壊する。
主に攻城戦、突入作戦時に使用される汎用的な戦技である。
壁を破壊し、逃走するでもなく陽光を満たしただけの侍の異様な行動に対して
弥者達は意識を囚われた。
十字朗は正眼から八双に構えゆっくりと刃先を下していく。反射する陽光が
いくつも重なるように、弥者達の瞳の奥、網膜に映し出され、連続した光の軌跡が円を描く。緩やかに回転させた刀を元の構えまで戻した時、
弥者達は連続した日光の円が一つ一つ消えていく画像が精神を満たし、
意識があるのにも関わらず身体のすべての動作を留められていた。
「環輪剣」
大量の士魂を消費しながら十字朗はかすれた声で言い放った。
直接攻撃能力は無いものの、刃に反射する光源を士魂によって倍増させ、
光の波長を直接見た者の網膜へ送り込む。
十字朗の得意とする戦闘補助魁音撃である。
見てしまった生物は一時的に神経が弛緩し、自らの行動を封じられる。
十字朗の言葉を聞いた悪兵衛は破双で弥者達の間をすり抜け、
暗闇の隣部屋へ突き進んだ。
悪兵衛が隣室に突入したのを確認した十字朗は剣をおろし、身動きできない変異した弥者に歩みよる。
「神田新之丞。お前はもはや人として死ぬこと叶わぬ。」
見つめる十字朗のとび色の瞳は悲しみをたたえている。
背後の弥者二人は全身を強張らせながら強力な暗示を破ろうと試みる。
十字朗は刀を構えた。
「南無三宝」
*
暗闇のむこう、小さな潜り戸から光が漏れる。悪兵衛は駆け抜け、
廊下の先を悠然と歩く漆黒の弥者を認めた。物言わず破双で飛び出す。
間合いに入った瞬間に旭光を打ち込むべく刀を構える。
「シ ロ ノ ム ラ サ メ」
キリヒトノミコトは振り向きざまに呪詛を放った。
魁音刀を握った腕を中心に右半身が内側から凍結し、激痛が走る。
まったく身動きが取れない。
「ビャッコの侍、我らの天敵。」
うっすらと微笑みながら、キリヒトノミコトは腰の短刀を抜いた。
黒い刀身の禍々しい刃。ゆっくりと歩を進め、悪兵衛を見つめる。
「約定を違えたわけではありません。私が一方的に刃を揮うなら。」
悪兵衛は体内で組成された士魂が、血肉ごと凍結しているせいで放出はおろか流動もできない異常を感じている。士魂が血脈で反復し「滑る」感覚を覚える。
背後で強烈な金属音が鳴った。教室の壁に一本の亀裂が走り、衝撃波が走る。廊下を挟んで板戸まで激突し、真っ二つに切れて、倒れた。
(あの音は魁音撃、一文字)
(やったか十字朗)
良く知る衝撃音にそれを使役する者を思い浮かべ、脂汗を流しながら悪兵衛はにやりと笑った。直後、十字朗は廊下に飛び出す。
「十字朗、拳環を俺に当てろ!」
悪兵衛は叫んだ。破双で肉薄した十字朗は左拳を当てる。体内に衝撃の渦がおき、
凍結が巻き込まれる。流動が可能になった士魂を逆に回転させ、悪兵衛は身体が
回転渦に巻き込まれるのを踏みとどまった。
「シ ロ ノ タ ル ヒ」
凍結が解除されたと同時に、眼前に白い壁が一瞬で生成された。
有機的な形状、放射状に広がる蜘蛛の巣の文様が浮き出している。
冷たく白い煙が溢れ、床下まで流れる。
十字朗は足裏を当て蹴破で破壊を試みる。が、すぐに脚を下す。
「だめだ、士魂が流れて滑ってしまう。これでは魁音撃も効かんぞ」
悪兵衛は破双で横の壁に体当たりで激突し表に飛びだした。
空中でさらに破双を発動、その先の壁を破壊して廊下に戻る。氷の壁の先に出た。
陽光が襖から注ぐ板廊下にはキリヒトノミコトの姿はなかった。
立ち去った跡もなく、忽然と消失したように見えた。




