七
寒風吹く早朝、悪兵衛と十字朗は共に登校路を歩む。茶筅髷に髪を結い、
首巻で顔を半分隠した悪兵衛。その手には黒木綿の木剣袋が握られている。
大き目な襟巻に垂らし髪の十字朗、月と雲の文様の麻染めの木剣袋。二人に会話は無く、まっすぐに前を向き黙々と歩く。灰音の訪問より一週間が経過していた。
「安曇先生。」
絹江が後より追いすがるように小走りで歩み寄る。袖頭巾にのぞく小顔が寒さに
朱に染まり、吐く息が白い。
「脚がお早くて」
明るく笑う絹江に笑顔を返す十字朗。悪兵衛はにやにやと二人を見て、
「では、安曇せんせい。失礼いたす。」
「うむ。播磨くん。」
取って付けたような挨拶を交わし、悪兵衛は歩を早めた。前方に山崎小源太を
みつけ、明るく声をかける。
「本日の安曇先生の郷土史の発表、見に行かせていただきますね。」
「あ。これは…緊張しますな」
安曇の調べものがひと段落したという事で生徒に発表する機会が設けられた。
授業を行っていない他の教員も聴講しにくるという。
そして、その時に上士の真実を糾弾する手はずになっていた。
昨夜、輜重隊が到着したが灰音は別任務で同行できなかった。
(灰音殿がいずとも、我らに任せるという刑部殿…いやお頭の意向か。)
(お頭は弥者帰り事件の内実を探る過程で、なんらかの答えを掴んだ時、
弥者との戦闘になる事を想定した。故に我等二人を内偵に選んだな。)
自然と十字朗は不敵な笑みを浮かべる。
「自信がおありのようですね」
にこやかに話しかける絹江に微笑みを返しながら、前方の悪兵衛の背中を見つめる。
小源太と何事かを語りながら歩んでいる。そこに他の級友達もあつまり、声を掛け合っている。結果次第で級友を斬るといった悪兵衛の決断を思い、目を伏せた。
*
「安曇先生の郷土史のお話の前に、明日の表彰のことお伝えしますね。」
宇田川が浮ついた声で学徒達に話しかける。
教室には教員や事務方も集まりつつある。
傍らで十字朗が用意した書類を整理している。教室後方では三名の女性教員が集まり、絹江がいるだけで華やいだ雰囲気だった。
「武術部門で優秀生徒の表彰を受ける方がこの教室から選ばれました。」
上士の学徒が煽り、拍手が起きる。郷士の子らもいやいや手を合わせる。
「明日の発表の後、その方を皆で胴上げしましょう。素晴らしいこと」
何食わぬ顔をしている神田新之丞の取り巻きが祝いの世辞を口々にいい、
囃したてた。
「山崎小源太殿ですな。めでたい。」
良く響く声で悪兵衛が言った。
教室が一瞬静まり、ざわめきだす。前の席の佐野が振り返り、にやりと笑った。小源太は顔を赤くし、悪兵衛をとがめる表情を見せた。
「馬鹿か。お前は。」
「教練で優秀だった新之丞くんに決まっておろうが」
口々に悪兵衛を非難する上士達、その中には胸と腹を包帯で固めた横山の
姿もある。悪兵衛を見ると怯えた目で逃げ出していたが、ここぞとばかりに悪態をついている。
「神田は小源太に巻き上げを食らって手首を痛めて泣きべそかいていた。」
「何が優秀生徒だ。」
平然と悪兵衛は大声をあげた。郷士の子らは皆、密かに微笑みを浮かべる。
「郷士が何をいうか」
「卑怯な手を使った癖に」
「怒らなかった新之丞くんが立派だ」
口々に怒鳴る上士達。神田も腕組みし、不満を露わにしている。
「小源太と剣術で勝負しろよ。神田が勝ったら俺は裸で胴上げするぜ」
佐野の皮肉な声がとび、郷士の子達が一斉に笑った。
宇田川は騒然としている中で、おろおろとしている。十字朗は変わらず書類をまとめ、筆で注意書きを加えている。
「生意気を言うな郷士め」
「卑怯な事ばかりしやがって」
「嫉妬して意味のない事をいっている」
上士の誹謗が激しくなる。唾を飛ばして声を上げる。
やがて郷士達は黙り込んでいった。上士はなおも嵩にかかってなじる。
「卑怯者は親譲りだろう」
「屑の集まりの癖に」
「郷士は口答えするな」
「汚れた一族が」
「汚れた血のやつらだ」
「汚れた血なぞ、ない!」
十字朗の怒号が飛んだ。教室の襖が振動し、花瓶が倒れて割れた。
その迫力と圧に学徒はみな黙り込み、宇田川は尻もちをついた。
教員も学徒も、十字朗を見つめている。
「そろそろ拙者の郷土史のお話をする。」
教卓につき、そろえた書類をもとに淡々と話しを始めた。
厳しい気候と遅々として進まない干拓事業に疲弊した内政、汚職により藩政が滞り、一揆や狗族の侵攻による事件の発生。そして…上士の赴任。
「ここまでは一般に認知されているものとして皆学んでいます。が、そこには偽りがあり申した。」
十字朗が続ける。元幕僚達の汚職と取引、私物化した藩の経済のからくり、そしてそれを隠蔽する為に弥者帰り事件を隠れ蓑に、いわれなき迫害が郷士に与え続けられている。
流れるように説明し、証拠となる物件の出どころも明確に示す。
無論それは幕府によって秘匿された物だが、学徒も教員もその事実は知らない。
ざわめく教室。上士達の狼狽はひどく、中でも神田新之丞は顔面を蒼白にして呆けている。
「拙者はこの事実を藩内で公表すると共に、ここで起きている事を幕府に報告する所存です。」
ざわめきはさらに大きくなり、教員同士も口論を始めている。騒然とする教室。
その中で、吉野絹江はじっと十字朗と悪兵衛を交互に見つめる。
悪兵衛が木剣袋を手にして立ち上がった。
「武士として」
「いわれなき侮辱を受け申した。無礼打ちも止む無きことがらでござる。」
教室の視線が一点にあつまる。
「上士をこの場で斬る。だれがよいか」
「そりゃ、上級の木下、神田、横山あたりだろう」
声を震わせながら佐野が呟く。郷士の子らはみな頷いた。数々の屈辱の記憶を
思い浮かべる。
恐怖の表情を浮かべ、後ずさる上士達、机を蹴って立ち上がる者。
泣き出す者もいる。
神田はうずくまり、上目で悪兵衛を見上げている。
「よせ、悪兵衛。」
小源太が穏やかな声をあげた。悪兵衛はゆっくり友人の目を見る。
彼が時折みせる、悲しい笑顔だった。
「もとは同じ藩の民なんだ。すべて悪心からじゃない」
「親に言われ続けたんだろう。」
「上士を憎んでる。でも、事実を元に俺たちが奴らを打ったり、
差別してどうなる。」
「同じことをする人間になりたくない。」
訥々と話す小源太を悪兵衛はしっかりと見つめている。涙を浮かべる郷士の子、拳を握りしめて耐える子もいる。
「佐野は?」
「悪兵衛にぶった斬ってもらいたいが、お前がそういうなら。」
「上士を殺したいものはいるか?」
小源太の問いかけに皆、首を振った。
「悪兵衛、いいんだ。」
「俺は、あいつらを許すよ。」
静まり返る教室に神田の嗚咽が低く響いた。
蒼白な顔を床に伏し、呻き声をあげている。身体が痙攣し、
自分の脚の間に嘔吐した。
取り巻きの連中は神田を見て眉をしかめている。横山も後ずさりして離れる。
神田は全身をがくがくと震わせ何度も嘔吐し続け、その吐瀉物に血が混じっている。
宇田川が震えながら神田に声をかける。
痙攣しながら小声で何かを呟き続ける。近づき、しゃがみ込んだ宇田川は神田に突き飛ばされ、教室の壁に激突し、意識を失った。
その腕は青黒く変色し、所々瘤が浮き上がっている。徐々に膨れ上がりながら、獣毛が覆いはじめる。自分の腕をつかみ、神田は倒れ込んで
なおも激しく痙攣する。白目をむき、口から血の泡を吹いた。
十字朗は立ち上がり、学徒と教員を教室後部に移動させる。
「皆、教室から出てくれ」
冷静な声をあげ、悪兵衛と頷き合う。
人々を誘導し、教室中央に神田を残し、悪兵衛が人々との間に立ちはだかる。
木剣袋の中から、低い金属音が断続的に流れ出した。
「だめだ、開かない」
教員の一人が悲鳴を上げた。教室の戸が全く動かない。
十字朗がしゃがみこんで格子板戸の敷居に触れた。凍り付いている。表面がではなく板戸と敷居が一緒に凍結し結びついている。異常であった。
直後、悲鳴があがる。
ふらふらと立ち上がった神田は、すでに人では無くなっていた。
額に奇怪にねじ曲がった血塗れの角が突出している。その体躯も大きく膨れ上がり、太い腕で制服を自ら引きちぎる。青黒い、毛に覆われた肉体を表出させ、大きく息を吐きながらよろよろと足元がおぼつかない。
悪兵衛は十字朗とめくばせをし、木剣袋の組紐をほどいた。
轟音が響いた。教卓側の壁が円形に振動し、
一瞬の後にすべて砂になって崩れ落ちた。
丸い大穴の向こうは締め切られた倉庫であり、暗闇であった。
掌が覗いていた。
影の中で、男が腰を落とし、手のひらを差し出した姿勢で低く何かを呟いている。
その傍らをもう一人の男が通り過ぎ、教室を見回す。
灰色の狩衣に黒の数珠をつけ、総髪から長大な角をのぞかせる。
壁を破壊したと思われる男も同様の衣装で、教室に進入した後、
二人は向かい合って膝をついた。
闇の中から、それを凝縮したような者が現れる。
漆黒の水干に黒紫の羽衣を纏っている。腰まで垂れた闇夜のような長髪に
青白い細面、額の両側から黒光りするねじ曲がった角が前方に伸びている。
切れ上がった瞳は深い紅玉の色をしていた。
「複数のヤシャイリを期待していたのだが…」
低く、木魂するような声が響く。
弥者達が現れた。




