二つの学徒
一
「播磨悪兵衛である。」
悪兵衛の朗々とした声が簡素な教室に響く。似合わない制服に身をつつみ
小さくまとめた髷を結っている。好奇な目で悪兵衛を見つめる学徒達。
傍らの中年の女性教師が悪兵衛の隣の男性に促す。
「安曇十字朗です。」
「臨時の教員として皆とこれから勉強していきます。」
すらりと背が高く、総髪を綺麗にまとめ上げ髷を学者風に乗せている。
鼻筋が通り、とび色の瞳をした偉丈夫である。
「安曇先生と播磨君は前藩が同じで、お二人ともご家庭の参勤により
いらしゃいました。」
「みなさんわからない事を教えてあげてね。」
安曇十字朗は女性教師と授業についての話をしている。
女性は幾分華やいだ声音でそれを見ている女生徒がくすくすと笑っている。
悪兵衛は指定された空きの机につき、荷物を広げた。
「山崎小源太でござる」
隣席の学徒が声をかける。丸顔で優しい顔つきをした少年に
悪兵衛は向き直り一礼した。
「播磨君は住まいはどちらに。」
「取り急ぎ景台寺に間借りいたしております。悪兵衛で結構。」
「そうですか…では郷士扱いとして」
「そのように承った。」
二人の会話を教室の最後列に並ぶ三名の学徒が聞き入り、顔を見合わせて
侮蔑の笑みを漏らした。他の者にも耳打ちをしている。同じ白の衿服に紺の袴という制服だが、銀の腕輪に首飾り等、裕福ないで立ちの者達だった。
つつがなく授業を終えたとは言い難いが、悪兵衛と小源太は連れ立って
手習い所の門を出た。寒風が吹きすさぶ盆地の小高い丘に上にそれはあり、囲まれた白い山々を望む。
収穫を終えた田が黄金色の平原に見える。朝から降っていた雨は上がり、
水たまりに暮れかけた空が映っている。
「なぜ、住む地域や出自で郷士と呼ばれるのか。」
泥濘を避けながら明るい声で悪兵衛が小源太に尋ねた。
「元々は郷士とは呼ばれず、皆同じ藩士であったそうですが」
「藩の内政が悪化して危機になったとき、外部の方が移住してきて藩を救ったそうです。」
「それが上士と呼ばれる人々か」
「はい。外部の方でも上士筋の家系以外の方や、寺に間借りする者は皆郷士と」
優し気で真摯な雰囲気の山崎小源太に悪兵衛は好意を抱いている。
また級友も小源太と仲のいい者が多かった。
「山崎、それに播磨か」
一本道に三名の学徒が立ち塞がり、二人をにやにやと笑いながら見ている。
教室の最後列の者達だった。総髪にかんざしを挿し、
ひすいの耳飾りをつけている。
「同級の神田達です。上士です」
小源太は目を伏せ、苦々しい表情で悪兵衛にささやいた。
「どけ。道が狭い」
神田と呼ばれた学徒は蔑んだ目で二人を見つつ大声を放った。
悪兵衛と小源太は黙り込み、道の端に並ぶ。
「山崎、郷士の居住まいを播磨に教えたのか。やってみせてやれ」
神田の隣の学徒が笑いながら言う。そうだそうだと他の者も囃す。
小源太は泥濘に両膝をついて首を垂れた。
「お前もだ。播磨。」
悪兵衛も同じく膝をつく。小源太が目をつぶり唇を噛んでいる横顔が見える。
神田が悪兵衛の袴の腿を泥まみれの草履で踏みつけた。
「山崎に郷士の弁え方をよく聞くんだな。」
悪兵衛は顔をあげ、にたり、と笑った。
「はあ」
神田はその悪兵衛の瞳の奥の光、とって作った笑顔に何か空恐ろしいものを感じて
脚を下した。他の物を促し、大股で去る。
立ちあがった小源太は袴の泥を見て、暗い表情で俯いている。
「こりゃ、洗濯ですな。」
悪兵衛の気楽なものいいにようやく、少し笑顔を見せた。
*
手習い所の教員室で十字朗は勉学の指導要綱に目を通している。
隣席の若い女性教員が参考個所に指をさして教えている。童顔で笑顔に八重歯が見える。
控えめな緑の小袖に黒衿で、その胸元が大きく揺れ、絶えず十字朗の腕に当たる。
十字朗はニタニタとだらしない笑顔を見せながら聞いている。
「安曇先生は二十二でいらっしゃるの。では私の二つ、下ですね」
「あ、そうですか。てっきり吉野先生は同い年くらいかと…失礼仕った。」
にこやかに話す二人を睨みながら中年の女性教師が教員室から出て行った。
「先生の歓迎会を開こうかなと思っているんです。」
「それはかたじけない…しかし本日は世話になっている親族が
顔見世を開く予定でして…」
「申し訳ないが他の先生にはそのように伝えていただけますか。」
「残念…歓迎会は私ひとりですよ。」
にっこりと微笑む吉野絹江の顔と胸を交互に見ながら、
十字朗はまた相好を崩した。
十字朗は荷物を風呂敷にまとめ、町人街に入る。前を見つめて、きびきびとした早歩きで進んでいく。
高い鼻や彫の深い横顔は通りがかる他の者をはっとさせる容姿だった。
町家に入り、そこに悪兵衛の姿を認めた。
「これは、転入生の播磨君では」
「お、そういうあなたは新任の安曇先生」
二人は声をあげて笑った。
十字朗は辻に立つ屋台を見て言う。
「悪兵衛、あれ、やってくか」
「おう」
二人は連れ立って屋台に並ぶ。おおきく「力」と掛かれた看板が揺れている。
ほどなくして湯気をあげた丼が二人の前に置かれた。
黒い醤油の出汁のつゆに焼き跡のある丸餅がうかび、太いうどんを隠している。
汁をすすり、悪兵衛は笑顔を見せた。十字朗は長く伸びる餅に目を細めている。
「これが食いたかった。」
「屯所から言ってたものな。」
「やっぱり餅だ。餅最高」
十字朗が好物を咀嚼してるのを見て、悪兵衛も気楽に笑っている。
不知火隊士、安曇十字朗は悪兵衛の五つ年長になり、入隊は七期先輩にあたる。
道場ではその突出した剣技で、悪兵衛と共に龍虎と呼ばれていた。




