九
稲光が阿久津の横顔を照らした。ややもすれば激昂し、怒りに我を忘れる
剣を揮う侍ではあったが、今は静かな半眼で弥者の首長を見つめている。
気と体が満ちた。
滑る様に一歩踏み出した瞬間、マカミノミコトの全身に空気が収束し、爆発
するような衝撃が起きた。同時に突きの姿勢のままマカミは阿久津に突入し、
互いの位置が入れ替わった。
阿久津の刀が撥ね飛ばされたかに見えた。が、それは手首ごと吹き飛ばされた物で、右半身がほとんど消失し、その残滓であった。
阿久津だった肉体が水音を立てて倒れた。
構えを解いたマカミは腕で魁音刀をはさみ、刀身をしごくように抜いた。
白刃からは白い煙があがっている。
弥者達から勝利の遠吠えと足音が踏み鳴らされる。
一部始終を見ていた不知火、環太積混成部隊の者は声を無くしていた。
やがて、灰音が口を開く。
「御頭、尊級が繰り出したのは、紫電に見えました。」
「うむ。見様見真似でやってのけたのだろうが。技の本質は得ていたな。」
「御意。」
憤怒の表情で見下ろす上条の鼻孔から、赤い血が流れる。
「奴は目にした魁音撃を模倣、再現できるようだ。生中な剣の才ではない。
また軟剣の使い手に見えたが、おそらくどちらも出来るだろう。」
阿波野が努めて冷静な分析を行う。
「今のお前では相性が悪い。負ける。」
「奴は俺が斬る。」
「それはそうだ。俺が勝たせる。」
上条は血をぬぐい、阿波野を見て頷いた。
第四機動歩兵隊のほぼすべてを失った環太積の乗組員達は、船尾付近から
海中に飛び込み、潰走する。
勝利の声を揚げる弥者達が船上を破壊し始めた。
マカミノミコトを中心とした輪の中に、膝を着き、慟哭する者が見える。
他の者達は一歩引き、マカミとその足元の者を見ている。
「何が起きてる? 」
「女の弥者か。いや違う。」
橘川兄弟が手を止め、甲板上を観察する。
マカミに付き従う獣毛の外套姿の弥者が、ひれ伏す者に静かに語り掛けている。禿頭に銀の顎髭で、老齢に見える。
嗚咽する者の手を取り、優しく立たせた。
長い髪に白い肌、巻いた細い一本角は女性に見えるが、雨に濡れて張り付いた衣服は、細身ながら屈強な男性のそれである。
「あれは」
「一圓、あの者。」
「御頭、ご確認を。」
一圓の言葉を受け、遠眼鏡で伊庭は甲板上を観察し、一度目を離す。
また遠眼鏡を覗き、頷いた後、灰音に渡した。
「連者隊、副隊長の呉羽少佐だ。弥者帰りしている。」
伊庭の言葉に全員が硬直した。
「美浪、玄嶽に確認せよ。章雪、どうだ。」
「呉羽布目少佐であると思われます。」
「すでに呉羽でも本閥の佐官でもない。」
甲板から歓声が沸き起こる。
手渡された仮面を、呉羽だった者が身に付けている。
笛と太鼓、筝が鳴りはじめ、「あがの」の本支柱が斬り倒された。
沸く弥者達の中央、皆と同様の仮面姿の呉羽が膝をつき、マカミノミコトに
首を垂れている。
怒りと絶望、焦燥に掻き立てられ、悪兵衛が吠えた。
湾に響く怒声が、すべてを震撼させた。
「琿青」
声と共に、装備品から琿青が手の中に飛び込んで来る。
鞘を握る手が震えている。
マカミノミコトが崖上の不知火本隊をみあげている。
やがて、腰の刀を鞘ごと抜き取り、それをかざした。
「士魂と剣」という符帳と共に、不知火隊士同士が行う金丁と呼ばれる
動作であった。
「野郎、舐めやがって。」
伊庭はにやりと笑う。
*
北岸から南進し、再び平原に不知火は戻った。
先行する美浪と十字朗による偽装した矢羽への雷光の攻撃は無く、本隊は刀を差し、甲を纏う。
同僚達が壊滅した環太積第一機動歩兵隊の怒りは大きく、マカミノミコトの
軍団の追跡を希望していた。が、帰艦するあがのが完膚なきまでに破壊された今、それも叶わない。
ぬかるんだ街道を隊士達は無言で歩む。
小高い丘陵に位置する幡殖宿が白く霞んで見える。
伊庭が灰音を目で呼んだ。
「章雪、敵は何を思う。」
「マカミノミコトは局地的な戦闘での勝利を望んではいないと思います。」
「では何か。」
「玄嶽を含む、我々の鏖殺です。」
「船を破壊したのは脚を先に斬ったという事か。」
「御意。」
「みなごろし、ねえ。」
伊庭の腰には、装絹と呼ばれる士魂遮断材で作られた刀袋が差されている。
純白のそれから、低い振動が鳴る。魁音刀の響きであった。
平静な表情の伊庭の内なる怒りと士魂の漲りが隠せない。
隊士達はそれぞれが先ほどの惨劇を反芻し、黙々と行軍している。
雨が、あがった。
遠雷が鳴り続けている。




