四
「標的が私とは。」
灰音が自嘲を含んだ笑みを浮かべる。
「考えがある。撤退してくれ。」
悪兵衛の揺るぎのない表情に頷き、灰音共々、本閥の侍達は
陣幕の後方に下がった。
雨の中、戦場に一人悪兵衛は平野を見渡す。
唇を引き結んで立つ姿は戦神のそれのようである。
琿青に月旦抜きを差す。
「悪兵衛は何故下がらないんだ。」
一真が声をあげる。
「美浪、伝えたのか? 」
一圓も雷光に戦きながら、構えた弓を下さない。
「もちろんだ。奴は皆、下がれと言って聞かん。」
本閥の侍達は、射撃者の位置が考えうる最も北上した場合の方位角の外に
待避している。しかし、さらに北方、幡殖宿に面した松乃浦海上からの狙撃が可能であった場合、その限りではない。賭け、であった。
「なぜ海上からの狙撃はないと言い切れる。」
上条が悪兵衛の後ろ姿を見つめながら言った。
「灰音中佐は、あれほどの大威力を持つ射撃行動は、破常力であろうと、
専用兵器であろうと、確固とした地盤あっての物と考えたのだ。船上からであれば少なくとも輸送艦程度のしっかりとした足場が必要だ。が、弥者の艦艇は現れていない。私も中佐と考えを同じくする。」
「お前がそういうのなら。」
上条は阿波野の言葉に初めて納得の表情を浮かべる。
「吶喊白兵衆参 不知火。」
「播磨悪兵衛少佐である。」
「遠くの者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ」
悪兵衛の大音声が、雨音を吹き飛ばして平野に響く。
「来い、狗族。冥府の底に落としてくれる。」
遠巻きに悪兵衛を包囲していた爬人の群れが、一歩、二歩と下がる。
「御頭。」
蒼白となった美浪が伊庭に詰め寄る。
「あれの好きにさせろ。」
伊庭はじっと悪兵衛の背を見つめている。
取り巻く狗族の群れを見渡し、さらに西方、霞んで見える幡殖宿の小高い
丘陵に視線を走らせる。
ゆっくりとした動作で狗族に背を向け、一歩ずつ歩み出す。
雨粒のあたる琿青から白煙があがっている。微かな振動が柄に伝う。
「悪兵衛、早く戻れ。」
「破双を使え。撃ち抜かれるぞ。」
橘川兄弟が弓を番えたまま呻く。
悪兵衛はまっすぐ前を見つめたまま、ゆったりしながらも力強く歩を進める。
「彼の胆力はどこからくるのでしょう。」
「我が頭目ですから。」
阿波野の問いに、灰音は微笑みながら答えた。
陣幕まで戻った悪兵衛は泥濘に両ひざを着き、荒い息をつく。精根尽き果てたように見え、膝に置いた両腕がぶるぶると震えている。
「……み、ずをくれ」
掠れた声に十字朗が答え、竹筒を渡す。震える手で受け取った悪兵衛は
喉に流し込んだ。
「十字朗、脚に力が入らぬ。手を貸してくれ。」
「今頃腰が抜けたか。」
十字朗の手を借りて戦慄きながら立ち上がり、声をあげる。
「章さん、一つわかった。雷光は連続の射撃は出来ぬ。」
「お前、それを確かめる為に。」
伊庭が笑いだした。
「無茶な奴だ。」
驚異的な脚力と持久力で先行していた悪兵衛に遅れる事四半刻、
バルザックと桃乃介が合流する。
現在不知火隊士十名、環太積隊士が二十二名。
対する爬人、和邇の複合部隊が約二百。
雷光の射撃範囲内に集結し、それ以上の動きを見せてはいない。
また宿の南方で玄嶽と狗族が交戦という報告を受ける。
残存している七百前後の爬人であると予測された。
幡殖宿に駐留する弥者の戦力は依然として不明である。
雨が降り続いている。




