九
港の労務者による蜂起の報告を受けた睦螺総軒は、配下の鏑木、穂乃村両名に浪人組を引き連れ、その鎮圧にあたるよう命じた。
江本長左衛門は脂汗を浮かべ、狼狽している。
自室にて睦螺にそれを告げられつつ、震える手で湯呑を口に運ぶ。
「我を呼ばれたのは別件であろう?」
彫像のような佇まいの睦螺が問う。その背後にはいつも付き従う少年と少女が無言で座している。
「はは。御人払いを……。」
「必要ない。」
「左様ですか。実は、例の件、代官の新山様との念書が紛失しまして。」
睦螺はあたふたと説明する長左衛門を無言で見つめている。
「保管場所を知っているのはわたくしと、揚羽一座の似鳥という芸人だけで。
一座の女達を、全員、土蔵にいれて見張りを立てております。」
「その女は何故書を奪った。」
「それが、さっぱりわからずで。念をいれて理由を告げずに一座を集めまして。」
睦螺は咀嚼するように長左衛門の言葉を聞き、目をつぶった。
「では、お前はもう必要ない。」
言いながら傍らの少女に頷く。御河童頭の無表情な少女が立ち上がった。
「へえ、それはどういう」
色を無くした長左衛門がよろりと立ち上がる。
少女はかくん、と口を開いた。
ほのかな花の香りを嗅いだ。野に咲く野趣な花弁の放つ匂い。それが纏わりついてくる。一瞬の疑問の後、長左衛門の全身が橙の炎に燃え上がった。
火柱とも呼べる業火が天井まで届く。叫び声も上げず、二歩歩き、膝から崩れ落ちて座り込む。炎は上がり続け異様な程の速度で人間を炭に変えていく。
長左衛門であった「物」が動かなくなると、炎は幻のように消えた。
少女の額から、小振りな角が生えている。瞳が赤く輝く。
「土蔵へ行き、書を奪え。」
睦螺の言葉に少年が反応し立ち上がる。
「女は皆、殺せ。」
二人が無言で部屋から去った。空いた襖から幽鬼のような浪人が部屋に入り込む。
「我等はウネビとミョウケンと共にヤマトビトを抑える。」
睦螺は立ち上がった。
*
バルザックは鬼門甲の上から肩掛けの革帯を閉め、長大な太刀、「四辻」を負った。仁悟朗も面頬の顎紐をきつく結ぶ。
琿青を差した悪兵衛が立ち上がった。
「群衆は?」
「屋敷前の広場に集まっているよ。いますぐにも火をかけそうだ。」
「地頭と浪人組の動きは。」
悪兵衛の問いに答える様に霧丸が暗がりより現れた。覆面に装甲のついた黒
装束姿である。いつかみた朧丸の姿が重なる。
「睦螺子飼いの男女が、浪人組を引き連れて門の内側で待機している。一息に回し手達を討つ心づもりであろう。」
「地頭は。」
「睦螺と屋敷内にいるようだ。表には出てきていない。」
霧丸の言葉を聞き、悪兵衛は刹那の間、考える。
「よし。バルザックは回し手達を導き、浪人組に当たってくれ。俺と仁悟朗で睦螺を捜索する。」
「わかった。桃乃介は。」
「一座の女達は宿から地頭に招集され、屋敷のいずこかに居る。」
仁悟朗が足回りを確認して立ち上がった。
「急ぐぞ。逃走を許す。」
悪兵衛は一旦琿青を鞘ごと抜き、突き出す。両名もそれに応じ、鍔を打ち合わせた。
「士魂と剣。」
「士魂と剣。」
悪兵衛と仁悟朗が去った後、バルザックが霧丸に問う。
「一座の者達の安全の為に屋敷にかくまっているのかな?」
「いや、それでは報告の時が違える。混乱の前に地頭がそう指示した。」
「何故だ。」
「何らかの異変を地頭が感じたのであろう。恐らく密書の紛失に気が付いた
のではないか。」
バルザックの表情が強張り、鋭く霧丸を睨みつける。
「霧丸、似鳥達が殺されるぞ。貴様それをわかっていたな。」
霧丸は口元の布を引き、バルザックに向き直る。
「播磨少佐と我が配下の者が仕合った話を聞いたか。」
道場で青黒く変色した膝を見せ、朧丸との戦闘を話した悪兵衛を思い出す。
「似鳥はその者の武術の師だ。浪人の一人や二人、縊り殺す等造作ない。」
呆気にとられるバルザックを残し、霧丸は表に単身出て行った。
悪兵衛は灰音よりの言伝を反芻している。
「弥者による侵攻で尊級の者が出現した場合、戦闘は避けろ」という内容である。理由は未だ悪兵衛にはその倒す術がないからだ、とも。
ただ、敵がスバルノミコトもしくはスメロキノミコトであった場合、複数での戦闘ならば勝機があるという事も記してあった。
その旨は先刻、バルザックと仁悟朗と示し合わせた。
織田刑部により、スメロキの破常力の構造の解明が一部進んでいる。
戦闘の許可の理由の一つである。
「スバルの物体の遠隔操作は念動にあらず、風力を利用した物である。」
「それ故に、剣戟での戦闘に強いが、四股、蹴破等爆風を生じる戦技には、
その目標にぶれが生じ失いやすい。」
「また、その性質故に上方に爆風を発生する旭光、斬撃方向に発生する野火は攻撃を防ぎ、殲滅出来る可能性が高い。しかし、未だ解明できない事柄があり、変わらず単独での戦闘は避けねばならない。」
刑部によるスバルの「ハナニチョウ」の見解である。
スメロキとの相対に際しては、二名以上の隊士が互いの死角を庇いながら戦闘を行う事で一撃での攻撃を避けられるのではないかという、共通の認識があった。悪兵衛、仁悟朗共にスメロキノミコトを目の当たりにし、その異能の力は知っている。
「悪兵衛。貴様が斃れても尊級であれば俺は見捨てて討つぞ。」
「うむ。頼む。仁悟朗。」
二人は歯を見せて笑いあった。
*
地頭屋敷の西端に位置する土蔵には、二十名程の揚羽一座の女達が集められていた。
不意に錠が解かれ、扉が開かれる。騒めいていた女達が静まった。
篝火を背にして、少年と少女が立ちすくんでいる。その額には、鋭利な刃物のような角が屹立する。スバルノミコトの命を受けた、アキラノヒコとミクリノヒメであった。
すでに人間の擬態を捨て、本来の弥者の姿に戻っている。
異形の姿を認め、女達の恐怖が広がっていく。息苦しい程の緊張が空気を
張り詰めた。
「声をあげるな。」
「似鳥という女。前に出ろ。」
アキラノヒコが告げた。その声を受け、薄紫の振袖に身を包んだ似鳥が怯える風もなく女達の中から現れた。
「密書をどうした。」
「密書? なんの事だい。」
あらぬ方に視線を走らせ、扇子で顔を隠した女に、アキラノヒコは怒気をはらませながら、短刀を抜いた。
「なかまを、殺す。」
「なんだお前、子供の弥者か。」
気楽な声をあげて間宮桃乃介が進み出、似鳥を庇うように立った。
手には舞台で使う番傘。しかし握りは純白の拵えの魁音刀の柄である。馳駆紫
を偽装した物であった。
「アキラ、ワリビトだ。」
ミクリノヒメが驚きと憎悪を込めて告げた。
「紛れ込んでいたのか。ミクリ、どうする。」
「殺そう。ミコトがよろこぶ。」
少年と少女は声を潜ませて頷き合った。
桃乃介はそれを見ながらゆっくり刀を抜く。鮮烈な白の火花が飛び、つんざく炸裂音が響いた。
「オ ト ナ イ テ」
アキラノヒコは呪詛を叫んだ。
若年であろうとも、絶対の自信を持つ自らのちから。
それは身体の一部に強烈な加速をつける能力である。
身体能力を強化する破常力の頂点に位置するのがムツノナタノミコトの力だとすれば、アキラノヒコはその加速力に集中したものであった。
一対一の戦闘では、例え成人の弥者であろうと負けぬ無類の強さを見せる。その自信が、アキラノヒコの刃に乗っている。
が、人間の目に留まるはずもない加速をつけた斬撃を、目の前の侍は
事も無く避けた。続き、刹那の間に十度、鋭い攻撃を加えた。
それも、眼前の刀を下げた女は避けた。その瞳には白い炎が宿っている。
額を二本の指で小突かれ、アキラノヒコは踏鞴を踏んで後ずさった。
「お前、弱いな。」
桃乃介は呆れたように言った。
「弥者でも子供は斬りたくない。」
アキラノヒコは初めて恐怖した。加速をつけた連続の攻撃は、あらかじめ斬撃位置を予測する桃乃介の魁音撃、星巡には絶望的に通用しない。
背後のミクリノヒメも驚愕の目で桃乃介を見つめる。
アキラノヒコは強化した脚力でミクリノヒメを抱え、土蔵の外に飛び出した。
その間、ミクリノヒメは口を大きく開いている。
「なんだ? 花の匂い。」
訝しむ桃乃介と女達を閉じ込めるように土蔵と扉を閉め、閂をかける。
傍らの篝火から燃える木切れを抜き取り、土蔵の窓に投げ打った。
一呼吸の間の後、内部が橙の炎で照らされ、女達の悲鳴が響いた。
苦しみの絶叫と共に窓の外にまで業火が溢れる。炎の中でやがてその声も消えた。
「恐ろしいやつだ。」
「他にもワリビトがいるのかも。」
「ミコトが危ない。」
アキラノヒコとミクリノヒメは母屋に向けて駈けだした。




