八
日も暮れた頃、宿場で最も大きな桟橋に、人足、回し手達が続々と集まっている。ざわざわと波のように声が伝わり、近隣の町人も何事かと顔を出す。
祭りのような人だかり。篝火がいくつも焚かれその中心に腕組みした
バルザックが迎屋の半纏をまとい、直立している。
悪兵衛は頬被りの回し手姿で人ごみから一歩引き、辺りを見回す。
浪人組の姿はない。
「みな、今日も一日お勤めごくろうっちゃね」
バルザックの第一声は言霊を含んでいる。大声でもないが、全身に振動が伝わってくる。
「大汗かいて、びっしゃになったいね」
異人の偉丈夫であるバルザックの、流ちょうな言葉と方言に聴衆から大きな笑いが溢れた。
「実は我慢ならん事があり、皆に聞いて欲しくてな。」
表情を改めたバルザックに耳目が集まる。人だかりの端に、浪人者の姿を
認めた悪兵衛は、それとなく近づいていく。
「金で雇われた野良犬が、俺たちの宿場を荒らしている。」
「飲み代を踏み倒し、町人を殴り、海に小便を垂れ流す。」
ざわついていた聴衆の中、好奇や楽し気な気分とは別の感情が生まれ始める。
「仲間が、殺された。」
一瞬の静寂の後、また人々はざわつき始める。さんざめく雰囲気が変わった。不満や怒りが少しずつ漏れだしたかのようであった。
「なんでそんな事になるのか、俺にはわからなかった。」
「だが、地頭の屋敷の者からこんなものを手に入れた。」
地頭、江本長左衛門と代官、新山玄蕃の念書である。
「これには地頭と代官の取り決めが記されている。問題を起こした問屋は店を畳まれ、地頭がその権利を受け取るというものだ。」
人びとの声は大きくなり、あちこちで怒号が飛び出す。
「地頭が浪人組をけしかけ、俺たちといざこざを起こそうとしている。」
バルザックの声に人々は騒めきで答え、徐々に加熱する聴衆の中には真偽を
疑う者も出始める。
「そんな念書、本当かどうかわからん。」
「これを見ろ。代官の印形がある。これがもし偽りであれば、公文書の偽造にあたる。その罪を知っているか。」
「打ち首だ。」
バルザックの言葉に人々からおおおと一際大きく声が溢れた。
「俺は海が好きだ。ここでお勤めする皆が好きだ。」
「荷を運び、糧を得ている。担ぐものは、人々のしあわせだ。」
皆を見回し、語り掛ける。人々は静まり、バルザックの言葉に耳を傾ける。
「魚を食い、酒を飲む。仲間と共に。」
「皆、仲間と家族と海をなにより大事にしている。」
「久平、お前は若い嫁さんだな。」
傍らの若者の頭を掻く姿に人びとから笑いが漏れる。
「それを地頭が、奪おうとしている。自らの欲のために。」
「奪えるか。俺たちの炎を。」
バルザックは傍らの櫂に篝火の火を移す。立ちまちそれは火の粉をあげて
燃え上がった。
「守るぞ。俺の大事なものを。皆の大事なものを。」
「打ち毀す。俺が旗頭だ。責は俺がとる。」
「須鶯の男、回し手の皆。俺に続け。」
バルザックは言葉の後、士魂を込めた怒号をあげた。人々はそれに答え口々に叫び声をあげ、手に持った櫂を燃やす。
遠巻きに見ていた浪人者は蒼い顔で耳打ちし合い、地頭の屋敷に逃げ去った。
その姿を見て取った悪兵衛の横に、いつの間にか武芸者姿の霧丸が立っている。人々が口々に叫び、バルザックがそれに答え、聴衆の気が大きく膨れ上がり続ける。やがて霧丸が口を開いた。
「戦国の世であれば、「あれ」は一介の侍として生きられぬ。」
「どういう意味だ? 」
「様々な人間を見て来た。奴は仕え、剣を捧げて戦う者ではない。」
「自ら火を熾す。そういう者だ。」
悪兵衛にとっては不可解な言葉を残し、霧丸は群衆の中に消えた。
明々と燃える櫂を持った人々の移動が始まっている。
口々に声をあげながら、宿場の中央、坂上の地頭の屋敷を目指す。
火の粉を浴びながら、銀髪を靡かせて人びとを導くバルザックを眩しく眺め、悪兵衛は単身芸人一座の宿に向かった。
仁悟朗と井上が似鳥に用意してもらった一室に、鎧櫃と装備品を運び込んでいた。仁悟朗はあまりの重量の運搬に、畳に座り込み、裸の上半身から煙をあげている。
「人間一人で鬼門甲三着を運べる物ですなあ。」
「修練の賜物だ、おやっさん。」
二人の呑気なやりとりを聞きながら、悪兵衛は半纏を脱ぎ去った。
「桃は?」
「おらぬ。宿はもぬけの空だ。」
「女陰足と共に移動したのか。」
言いながら、甲に腕を通す。皮の拘束帯にうっすらと青白い光が通る。
胸元の櫨を留め、両腕を揮う。
「御髪を。」
井上が簪に鬢付け油を用意し、悪兵衛の髪を結い始めた。




