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不知火戦奇  作者: tsuru hiroki
161/210

七


漁師小屋にて、悪兵衛の帰りを待つバルザックと仁悟朗は、霧丸に対している。

「先ず、我等の落ち度を伝えねばならぬ。」

霧丸は懐からいくつかの書簡を差し出した。

「睦螺総軒の調査だ。」

「谷津藩に生まれ育ち、出仕後三十二年の務め。引退してからは剣術道場を

二十年経営している。現在七十の老齢だ。」

霧丸の報告に二人は顔を合わせ、井上を見た。井上は首を振る。

「どうみても二十に手が届かない青年に見えました。」

「睦螺は弥者が偽装しているのか。」

「その可能性がある。」

霧丸の応えにバルザックは目をつぶり考え込む。

「播磨少佐は。」

「地頭を調査している間宮と丹組の者の警護に出ている。」

「報告を聞いた。和賀藩、予篠学園に於いての学徒大量潜入事件。その際に橘川一圓中尉と対戦した弥者を目撃したそうだな。」

「播磨少佐に恨みをもったスメロキノミコトの配下であると。」

「そうだ。何がいいたい。」

「播磨少佐を睦螺に発見させればよい。弥者であれば誘き出される。」

「馬鹿な。対侍の戦闘に習熟した複数の弥者と考えられるのだぞ。悪兵衛の命はどうなる。」

「これは弥者を炙り出すのが目的だ。少佐の命は関係がない。確認の後に

大規模な戦闘に備えれば良い。」

月光首代の感情のない言葉に、その場が冷え込んだ。


霧丸の退出後、仁悟朗は不機嫌に湯呑の茶を飲み干す。

「奴は仲間であっても撒き餌にするのか。好かぬ。」

「僕もそれは考えられないよ。」

バルザックは霧丸の残した書簡に丁寧に目を通しながら言った。


やがて、悪兵衛、桃乃介、紗世が小屋に戻る。

「手に入れたぞ。」

悪兵衛は安物の差し料を壁際に置き、囲炉裏の前に座した。

紗世が懐より封書をバルザックに手渡す。

行燈を引き寄せ、バルザックは目を走らせた。

「よし、でかした。三人共。これは長左衛門が代官と交わした念書だ。」

「どういった内容だ。」

「これを見ろ。観閲式前、地頭の采配に異を唱え、妨げるに至った者、これを誅する事を許し、その財産を没収、管理を地頭に預ける。とある。」

「長左衛門の狙いはそれか。」

「それに弥者が与している?どういう理由だ。」

仁悟朗の疑問は他の者も同様で、皆押し黙る。

「おやっさん、急ぎ屯所の刑部殿と幡殖宿の灰音殿に連絡を取りたい。」

「心得ました。」

「報告書を作成するよ。悪兵衛は紗世殿の帰路の護衛を頼む。」

「あいわかった。」


生垣の続く堀沿いの道を悪兵衛と紗世は歩む。

道々の常夜灯に、鮮やかな赤のツツジが浮かんで見える。

暖かな春の夜に、二人の足音だけが響く。

「弥者の潜入の調査でしたのに。」

「事が大きくなってしまったな。」

悪兵衛はちらちらと伺うようにこちらを見つめる大きな瞳を、見返す事が出来ない。

「紗世殿はずっと丹組で? 」

「はい。家は代々卍組にお仕えしていたのですが、私は丹組に選ばれて。」

たしかに、美しい少女の紗世が、格闘に秀でているとは思えない。だが、それならば、任務として似鳥のように男性を篭絡する事もあるのか。

その考えにいたり悪兵衛は暗澹とした想いに囚われる。


「悪兵衛様、わたし」

紗世が言いかけた時、あたりの気配に悪兵衛の身体は瞬時に対応した。

紗世の前に踏み出し、左の手で彼女を庇う。

町屋の角、堀の降り場、生垣の陰から何者かがゆっくりと現れ、二人の前に立ちはだかる。悪兵衛は無言で柄に手をかけた。

「紗世様。」

しわがれた声が前方の小柄な男から聞こえる。次いで他の者も紗世の名を呼んだ。

「悪兵衛様、大丈夫です。百組の者です。」

吐瀉物を吐きかけ、腕を固定してしまった蝦蟇のような男、全身包帯に包まれた長身の男、致命の怪我から一瞬で回復した男であった。

「紗世様。」

「葛之介。護衛についてもらっていたのです。悪兵衛様、ここよりはこの者達とまいります。」

異形の者達が紗世を守り、囲むようにしている。

二度、紗世は振り返って悪兵衛を見た。


灯りが届かなくなるまで、紗世の後ろ姿を見送る。

左の掌に、彼女の細い肩の感触が残っている。それを握りつぶすかのように

拳を固めたあと、悪兵衛は踵を返した。


*


三日が経った。早暁、砂浜で悪兵衛と仁悟朗が早駈けの訓練を行っている。

一定の距離を全力で駆け抜け、一呼吸置いてまた全力で戻る。

裸足が砂に埋まり重い。すでに四半刻、三十もの数をこなした。

仁悟朗はしゃがみこみ、砂浜に額から汗がしたたり落ちている。悪兵衛は波音を聞きながら大きく伸びをした。

「お主、益々早くなったな。」

「訓練はそのためだろう。」

「その成長は異常だといっている。付き合っている俺の身になれ。」

仁悟朗は情けない声をあげて腰をおろした。

「よし、おぶってもう一本。」

「ううむ、先におぶれ。」

悪兵衛は笑いながら仁悟朗を立たせ、背に負って砂浜を駈けだす。

「おおい、二人共。」

バルザックが上半身裸に鉈を持った薪割の姿で砂浜に現れる。

「戻ってきてくれ。」


漁師小屋には米の煮える柔らかな香りでいっぱいで、水を浴びた悪兵衛は

唾を飲みこんだ。中二階から小袴姿の桃乃介が箱階段を下りてくる。

「なんだ、泊まりこんだのか。」

「一座の宿で寝るのいや。白粉《おしろい》と煙管《きせる》の匂いで臭いんだもん。」

不満げな顔をしながら囲炉裏の前にいち早く席を取る。

バルザックは井上から碗をもらい、盆にのせて運んでくる。粥の上に煮た豆

腐、葱を乗せて醤油にごま油を垂らした物だった。

井戸水を浴びて全身から白い煙をあげながら仁悟朗が小屋に戻る。

「バルザック、何かあったのか。」

「うん、それがね。」

井上がバルザックに促され、語り始めた。


「今朝、朝餉の買い出しに町表に出たのですが、港に人だかりがありまして」

「楓屋の達五郎が殺されていました。」

迎屋と同規模の廻船問屋、楓屋。達五郎はそこに長く務める五十男だった。

今朝早くに港の桟橋の袂に浮いているのが発見されたのである。

「見分はしたのか? 」

「少々ですが。刀傷でした。手練れです。」

「何があったんだ。」

「昨夜、府本町の小料理屋で、楓屋の者と浪人組がいざこざを起こしたそうです。怒鳴り合いから刃傷沙汰に及びそうな時、達五郎が双方を止めた、と

聞きました。」

「港の者にしては落ち着いた思慮深い男だったな。」

「御意。」

「これは、荒れるな。」

仁悟朗が粥を掻きこみながら言った。

「午前中は悪兵衛も仁悟も、別の桟橋にいってお勤めして欲しいんだ。」

「わかった。」

「そこで、回し手達の気の流れを見て欲しい。昼に迎屋の埠頭でもう一度相談したい。」

「うむ。何をする? 」

「機運に乗る時が来たと思う。」

バルザックは粥を啜った。

井上が部屋奥の床板を一枚ずつ撤去し、床下から鎧櫃を取り出した。

揺れる炎の紋章が金属の留め金に描かれている。


*


昼過ぎ、揚羽一座に宛がわれた宿屋の裏手、縁側に浪人姿の悪兵衛が座っている。襖が開けられ、舞台の為のきらびやかな振袖姿の似鳥、船蜜、紗世が現れる。昼の休憩が終わり、次々と部屋から出て行く芸人達を横目に見て、

襖を閉めた。

「打ち毀《こわ》しが起きる?」

「うむ。その為、霧丸にも工作を頼み、今夜回し手達を埠頭に集める。」

「おそらくその際の指示は霧丸からもあろうが、浪人組の近辺に居る事に

かなりの危険を伴う。」


灰音の回答が今朝届いていた。屯所の刑部より、山を一つ越えた先の幡殖宿が近い。バルザックの現状報告の上で浪人組、ひいては弥者の狙いの予測を頼んだ物であった。

灰音章雪によると、現在拝殺の準備中と思われる弥者には、兵力が足りないのではないかという事だった。

あえて他の浪人と共に、武装を許される集団に溶け込もうとしている。ならば、それを統率する地頭に権力を持たせた方が動きやすい。故に地頭の思惑に手を貸す動きを見せ、用済みになれば殺してその位置に成り代わる算段ではないかという予測である。

「回し手の暴動に浪人組が出る。その混乱に乗って弥者が動くと、バルザックは見ている。」

「睦螺一味が弥者であった場合、丹組の潜入を知れば只では済まぬ。」

「地頭諸共、我らも殺されると? 」

「その可能性は高い。」

「ご忠告、承りました。首代よりの指示を待ちます。」

悪兵衛は立ち上がった。頭をあげた紗世が潤んだ瞳で見上げている。


「霧丸は丹組の者達の命を囮に使うかもしれぬ。一言、我等から警告した方がいいね。悪兵衛、頼むよ。」

呟くバルザックの横顔を思い出す。

懐には灰音章雪よりの悪兵衛に宛てた封書が入っている。

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