六
迎屋の人足小屋の一室、鉄造の部屋に回し手達が集まっている。悪兵衛達が着くと、奥から老年の医師が現れた。
「臓物より出血が見られる。宿場の医者ではどうにもならん。もって今夜であろうな。」
寝かし付けられた鉄造は脂汗を浮かべ歯を噛んで苦しんでいたが、
やがて意識を失ったという。
「鉄造、しっかりせい。」
枕元で声をかけた仁悟朗に気付くと、薄目を開けて手を伸ばす。
震える手を仁悟朗が握ると満足そうに微笑み、無言のまま気を失った。
明け方近く、鉄造は死んだ。
回し手達の落胆と悲しみは、やがて怒りに変わっていく。
鉄造の件は、酒場にいた他の物達より宿場全体に広がっていった。
*
廻船一隻分の荷を運び終えた悪兵衛は、受け取りを出すのと同時に、帳簿に
担当した物の名を記しに迎屋にあがる。頬被りで顔を隠しながらの作業では
あったが、陽光が強い港では目立つものではなかった。
番頭の末吉が白髪頭を撫でつけ、帳簿に目を通しながらため息を漏らした。
「播磨さん、手の皆はどうですかい。」
「皆、無言だが怒りを貯めて、働いている。」
「そうだろうね。鉄造は頼りにされていたし、皆とも仲が良かった。」
「いつ、浪人組と衝突してもおかしくはない。」
「それは……。地頭の長左さんは元締めだ。この須鶯を昔から纏めている。手の皆もわかってはいると思うのだが。」
「江本長左衛門か。その子飼いの浪人組には手は出せないのだな。」
「へえ。正直、あっしも腹の中は煮えてますがね。」
しょぼしょぼと視線を落とす末吉を残し、迎屋を出る。
春の陽に波間が煌めいている。悪兵衛の心は晴れない。
「日に日に鬱屈した感情が高ぶっておる。」
悪兵衛の横に立った仁悟朗が手拭で顔を拭った。
「大きな争いになりそうだ。」
「我等の内偵に影響がでるようでは。」
桟橋に佇む二人の元にバルザックも歩み寄る。
「諍いになりそうだね。二人共その事を話していたのかい?」
「そうだ。」
「構わないよ。このままでいい。」
「どういう事だ?」
「今の流れが大きなうねりになった時、任務にも良い影響がある。」
「刑部殿や、灰音殿だったら、きっと地頭と番役、地方管理官にまで掛け合って治安の維持に努めるだろうね。僕はそうしない。」
「おいおい、大丈夫か、中佐。」
仁悟朗が困り顔でバルザックに問う。
「うん。もうすこし時間と材料が欲しい。悪兵衛に相談があるよ。」
「わかった。」
バルザックにうなずき、また海原を眺める。
悪兵衛、仁悟朗ともに、波乱や混乱が待ち受けるのがわかっていても、それ以上にバルザックという男に対しての信頼が厚い。港についた新たな廻船に三人は向かった。
*
夜半、地頭、江本長左衛門宅の広間では浪人組が酒盛りを行っている。
襖が開けあけられると、大声でわめく男達の声が漏れる。
小用に立った浪人が二人、縁側に現れた。
「厠は。」
「おい、長七郎、こっちだ。」
「でかい家だ。相当な儲けだろうな。あの地頭は不在なのか。」
「それがな、芸人の年増の……似鳥だったか。あの女と毎晩しっぽりよ。」
「いい思いをしやがって。酔った振りで褥に潜り込んでやろうか。」
「馬鹿、今晩は舟遊びにでかけておるわ。」
浪人が廊下の奥に消えると、内庭の灯籠の陰から人が現れた。
桃乃介、紗世、悪兵衛である。女子二人は目立たぬ小袖姿。悪兵衛は袴に
二本差しの浪人の出で立ちであった。
紗世の案内で屋敷にあがり、迷いなく内部に侵入する。
「目的物はいずこに。」
「寝室の奥に書架があり、その隠し箱に。」
紗世は、長左衛門を篭絡した似鳥より、屋敷の構造を事細かく聞いている。
三人が手に入れようとしている目的物とは、「密書」であった。
長左衛門には後ろ盾として、総萩藩代官、新山玄蕃がいる。地頭に任命したのもこの官僚である。
この十年は新山に様々な便宜を図ってもらい、その見返りを渡していた。
その新山よりの墨付きの書簡を手に入れようとしている。情報は無論、似鳥からであった。
紗世は絹の端切れを使い掌の脂を残さぬよう、細心の注意を払って書架の奥の隠し小箱から封書を取り出す。何通か手早く中身を確認し、懐にいれた。
「間違えありませぬ。」
うなずいた悪兵衛と共に、屋敷の裏手から三人は抜け出す。
高い塀の続く町屋を抜け、港に注ぐ堀の脇道に出た。ここまで来れば
怪しまれる事もない。
「悪兵衛様は、やっぱりお侍の姿の方が似合われますね。」
「拙者を以前見られた?」
「はい。何度も。月光には不知火番といって本閥を陰ながらお助けする部門が。紗世もかつてそこに。」
「お顔がわかるほどお近づきになれたのは初めてですが。」
言いながら紗世は微笑んで悪兵衛を見つめた。桃乃介がにやりと笑って悪兵衛を肘でついた。
「揚羽一座の娘であろう?」
正面に浪人者三人がふらりと現れた。酩酊している様子である。
「丁度いい。今から地頭の家だ。お前達も付き合え。」
「申し訳ありません、小屋に帰るところで。」
浪人は年若く可愛らしい二人を逃がさぬように囲う構えになる。
無言で悪兵衛が前に進み出た。
「貴様、見ぬ顔だな。睦螺の子飼いか?」
「気に食わぬ。大将の傘にきてやがる。」
激しい衣擦れの音と共に、声をかけた浪人が回転しながら吹き飛ばされた。
もんどりうって地面に激突し、動かなくなる。
悪兵衛が大きく脚を広げ、左拳を突き出す姿勢を解いた。
「貴様。」
一人が刀に手をかけた。その手を右手で抑えると、やや余裕のある動作で足裏を下腹にあてる。重い衝撃音と土煙と共に浪人は吹き飛び、堀に落ちて水音があがった。残った一人は狼狽しながら、背後の者と堀に落ちた者を見比べる。
「連れていけ。」
悪兵衛の声に思わず頷く。桃乃介と紗世に目くばせし、その場を去った。
「ああいう場合はさ、芯中なんかで意識を飛ばすんだよ。」
「俺は苦手だ。うまくいくかどうかわからん。だいたい、桃が護衛なんだろう?」
「あたしがやったら、すぐ噂になるじゃん。」
「浪人者を素手で倒す芸人の娘なんて。だからわざわざ悪兵衛にバルザックが頼んだんでしょ。ばかじゃないの。」
桃乃介の立て板に水の悪口に、悪兵衛も紗世も笑っている。
*
地頭の屋敷の離れが浪人組の逗留する定宿とされている。
足音を立てて幾人かの浪人がその廊下を歩む。怒気を含んだ表情に差した刀が音を鳴らしている。
「邪魔をする。」
奥の間の襖と開けると、待ち受けていたかのように睦螺総軒とその配下の者が座していた。声を荒げた浪人も、その不気味な静けさに色を無くす。
「睦螺殿、そなたの配下と思われる者が我らの連れに狼藉を働いた。一人は意識がなく、一人は胸の骨を幾本も折っている。これはどうした事だ。」
空恐ろしさを払拭するように、中年の髭面の浪人がまくしてたてた。背後の
者達もそうだ、そうだと声を合わせる。
「与り知らぬ。」
暗がりで表情の見えない睦螺が低く答えた。
「知らぬでは済まされぬ。頭として責を負ってもらうぞ。」
浪人が刀の柄に手をかけようとした時、睦螺の背後の者が飛び跳ねるように
その身を躍らせた。
浪人が掴もうとした自らの刀は消失している。その事に気付いた刹那、逆手に持たれた自らの刃が浪人の喉を掻き切った。
白の漆喰壁に、黒く血しぶきが飛ぶ。
「主にやいばをむけるな。」
浪人が倒れた先に、刀を奪った少年が立ちはだかっていた。
その横の長身の青年が少年を手で制する。
「我らも、主も関係してはおらぬ。無礼討ちである。許されよ。」
青年に促され、一気に肝を冷やした浪人組の者達は訪れた時の勢いをすでに無くし、斃れた男を運び出していった。
「おい、アキラノヒコ、やりすぎだ。」
腰を下ろしたウネビノヒコはため息まじりにいった。少年は俯き、睦螺、いや、スバルノミコトを見つめる。
「これらはヤマトビトの対処になれておらぬ。」
スバルの言葉にアキラノヒコは少年らしい笑顔を見せる。
「たしかに。我らのようにヤマトビトとしての生活の経験もないしな。」
傍らのミョウケンノヒメが言った。
「しかしだ、気に食わぬヤマトビトを片端から殺していってみろ。我らが動き難くなるであろう。そういえば」
ウネビの脳裏に、酒場で人足を蹴り殺した同胞の顔が浮かぶ。
「ミコト、ベイノノナはいずこに。」
「我の命受け、出ている。」
いずれかの者を殺す為、スバルが差し向けたのは想像に難くない。
目の前の少年、アキラノヒコ、その横に人形のような無表情で座る少女、
ミクリノヒメ、そして幽鬼のような男、ベイノノナ。この三名はスバルノミコトに命の忠誠を誓っている者達であった。
スバルノミコトは大規模な子飼いの部隊を扱う事はよしとせず、単独での行動が多い。その際にスバルの身を護る命を受けた三名であったが、ヤマトビトの地に潜入する際、その三名すらスバルは避けていた。
強すぎる忠誠心によって、潜入しての工作に破たんを来す恐れがあったからである。現に今もスバルの意思とは関係なく、報復行動を行っている。
今回は、アシタノトラノミコトの強い要望によって。三名は従軍していた。
「アキラ、ミクリ。休め。」
スバルの声に二人は首を振った。
「あくびているではないか。」
ウネビが笑いながらアキラの頬をつねる。
「私が一緒に寝てやろうか?」
ミョウケンも笑いながら問いかけた。アキラノヒコは頬を膨らませ、黙り込む。
「休め。」
スバルが向き直り、静かに言った。
ふたりは深く礼をし、ようやく立ち上がった。




