五
一日の仕事を終えた港湾労働者達は街道筋の安く、大箱の酒場に集まる。
その日も「あおさ」と書かれた大きな提灯が下がる居酒屋は賑わっていた。
小上がりと立ち飲みのつけ台が半々の店で、男たちの笑い声が響く一角の端、井上源三郎の姿があった。
「とっつぁん、よう飲むっちゃね。」
赤ら顔にねじり鉢巻きの男に話しかけられ、愛想のいい笑顔をむける。
「いやあ、この年になっても酒に目がねえんでさ。」
ぺろりと舌をだした井上の顔に男達の笑い声があがった。
話題が自分から逸れると、井上は目立たぬように酒場を見回す。手前の小上がりに下卑た声をあげる浪人集団、その奥に不気味な程静かな幾名かの武士達が居、注意を向ける。
昨夜、漁師小屋を訪れた桃乃介より地頭、長左衛門と睦螺の会話の内容が伝えられた。異変の前触れとして調査をする事になったのだが、悪兵衛の素性が弥者達に知られていると共に、バルザック、仁悟朗にもその可能性がある事を鑑み、井上が諜報活動を任された。
酒場に似つかわしく無い華やかな女性達が訪れる。揚羽一座の芸人達であった。かしましい笑い声と共に浪人達の隣の座敷にあがる。
回し手達の注目を一手に浴びながら涼しい顔で酒を頼む。
むさ苦しい酒場の男達はざわつき、何事かと口々に話している。
井上はそれとなく観察を続けているが、異変と言える程の事でもない。
恐らく、最奥の席の不気味なほど物静かな一団、その上座の者が
睦螺総軒なのは見当がついている。が、行燈と蝋燭の逆光で
その容貌や言動は杳として掴めなかった。
酒席は進み、赤ら顔の出来上がった者で酒場は騒々しくなる。
若く逞しい回し手が、酔った勢いで芸人に声をかけ、女性達も嬌声をあげて答える。やがて、徳利を持った若者が芸人達の席に入り込み
酒宴の様相を呈してきた。
楽しげな笑い声を裂くように、隣席の浪人が声をあげる。
「そこまでにしておけ。商品に手をつけるな。」
地頭が管理している芸人一座と浪人集団の関係性が垣間見えた。
が、無鉄砲な若者達にはその言い分に納得がいかない。
「姉さん達も楽しんでる。武家さんには関係ないっちゃ。」
そうだ、そうだと周りの者も囃し立てる。
元々土着の労働者である者達と、弁財船と共に港湾を渡り歩く回し手達は、
特有の仲間意識を持っており、最近になって現れ大きな顔をしている浪人組を快く思っていない。
「下がれといっておるのだ。鼠共。」
浪人の一人が低い声をあげた。酒場は騒然とする。
「聞き捨てならねえな。金に釣られて集まった野良犬が、港でお勤めしてる俺らに文句をいうんか。」
よく響く声をあげ、鉄造がゆっくりと立ち上がった。その周りの
迎屋の屈強な男達も睨みつける。浪人組の者共は気圧された。
井上はじっと推移を見つめている。
怯む浪人達を割るようにして、奥の一団の中の一人が歩み寄る。
総髪に骨張った体付きの陰気な武士で、鉄造の二歩前に立ち、足元から胸許まで眺める。
「やるかい。表に出ても良いんだぜ。」
荒事に慣れた鉄造は落ち着いた声で言い放った。
武士の姿が刹那の間にぶれて見えた。
*
「前蹴りの軌道に見えましたが膝下を鞭のように使い、勢いをまして爪先を体中に突き刺す様な蹴りでした。」
井上は器用に膝下をしならせる足蹴を繰り出して見せた。
「して、鉄造は。」
「腹を抑えて倒れ込みました。くるぶしまで足先が腹に埋まっていたと思われまする。」
井上の談話に悪兵衛は腕組みをした。
酒場での一件、隊士達が報告を受けている。
「仁悟、見た事があるかい?」
「ないな。特殊な打撃だ。あの頑丈な鉄造が蹴り一発で、となると道場格技とは思えぬ。」
重苦しい沈黙の中、板戸を静かに開けて黒の菅笠に外套姿の霧丸が現れた。
「問い合わせのあった睦螺総軒だが。」
「存亡を賭けた剣術試合に負け、脱藩して浪人となった道場の筆頭だ。」
「地頭に提出された免状も切札も、異常はなく正規の物だ。」
霧丸の報告を聞き、隊士達は押し黙る。
「井上殿、睦螺は見たのか?」
「しかとは確認できませなんだ。ただ」
「ただ? 」
「座しているだけで、強い圧を感じました。人の形をした深く黒い孔のような。いくさの瘴気を吐き出すような者でした。」
「霧丸、睦螺に関してより詳しく調査出来るか? 」
「脱藩元と、その成育まで調べよう。」
「頼む。」
悪兵衛の言に、バルザックと仁悟朗は頷いた。
小屋の外の足音に霧丸だけが気づき、注意を向ける。
騒々しく板戸を開けて、桃乃介が現れた。
「酒場で倒れた回し手の者が死ぬ。」




