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不知火戦奇  作者: tsuru hiroki
157/210

三


「隠密諜報部隊、月光。首代の霧丸と申す。」

漁師小屋の囲炉裏の前、編み笠を脱いだ武士姿の男は、短髪に痩身、鋭い

目つきの三十に届かない程の者であった。

悪兵衛は見覚えのある容貌にふと考える。おそらくこの者が朧丸の言っていた兄で、将来月光を束ねる立場なのであろう。

隊士達と対峙した異様な者達は小屋の外におり、決して入ろうとしない。

霧丸達は入宿する者や単独で行動している者に夜盗として絡み、情報を引き出すと共に弥者であれば捕獲する命を受けていた。

「では、我らと戦った者どもも忍びなのか。」

「あれらは百《びゃく》組。諜報ではなく生まれ持った異能の力で仕えている。」

朧丸が率いる卍組、女性諜報員で構成された丹《に》組、そしてその百組。三班を

纏め、実働部隊の指揮を執っているのが霧丸であった。

「我らに繋ぎがない。弥者に関して未だ成果無しという事だね。」

「御意。」

バルザックは目をつぶって考え込む。宿場町という性質上、人の流動が絶えずあり、港町故の外部との交流も多い。また番役が後に控える観閲式の治安

を維持する為、私兵となる浪人を広く雇っている。その全てを調べる事は

不可能に思えた。

「手ぶらなのはこちらも同様だ。今後の調査だな。」

「不知火隊士の動向は全て掴んでいる。……今夜の夜盗狩りでかち合う事に

なるとは思っていなかったが。」

姿を見せぬ月光の者が絶えず監視している事を匂わせ、霧丸は退出した。


*


翌日、荷物の引き揚げの作業は午前中で終わり、三人は沿岸を望む

露天風呂に浸かっていた。

穏やかな海面と同じ水位に湯が湧き上がり、それを岩石で囲ってある天然の温泉である。穏やかな海風が湯気を払うと、輝く海原が見える。

「これはいいね。」

バルザックが上機嫌で声をあげた。

「最高だ。仁悟、よくこんな場所を知っていたな。」

 手拭いを頭に乗せた悪兵衛がのんびりした調子で言った。

「うん。実は鉄造に聞いてな。誘われたのだが……」

回し手の中でも取り仕切りの立場にいる屈強で朗らかな三十男を

悪兵衛は思い起こす。

「という事は。」

「ああ。奴は念者だ。仕方なく断った。」

念者とは男色の者である。

「仁悟はその手の者にもてるからね。」

バルザックがからからと笑っている。

「俺にその気が無いから断る他ない。悪兵衛は…聞くまでもないか。」

「バルザックはどうなのだ。」

「僕は来る者は男でも女でも構わないさあ。」

屈託のない言葉に二人は笑った。

岩場に井上が近づいてくる。

「お、来た来た。おやっさん、酒は。」

「残念ですが深町大尉、本日間宮中尉が繋ぎの連絡に来られます。酒は業務

が終わるまでお預けで。」

「何だと。くそ、楽しみにしてたんだが。」

仁悟朗が湯を頭から被った。

 

夜半。漁師小屋を訪う者があった。

気配で判ってはいたが、遠慮のかけらもなく板戸を開け、入ってきたのは

間宮桃之助である。

こざっぱりした藍の小袖に、簪で無造作に髪を留めている姿は着飾った

芸者姿からは想像もできない。

「入られよ。」

桃が背後の者を誘う。

美しい振袖に身を包んだ芸者達が静々と小屋にあがる。

途端にあたりがぱっと明るくなった。

「おい、桃。この者達は。」

仁悟朗が嬉しさを隠し切れずに声をあげる。

「勘違いしないでよ。隠密だよ。」

床板にどすん、と座り込んだ桃が答えた。

 

「隠密諜報部隊。月光。丹組。似鳥《にたとり》でございます。」

歳の頃は三十前後、端正な顔つきに妖艶な微笑みを浮かべた女が

頭を下げた。

「これなるは配下の船蜜、紗世。皆同様の任務に従事しております。」

似鳥の背後に控える二名も若く美しい。皆、一端《いっぱし》の芸者と見まごう。

「吉野先生。」

悪兵衛は背後の一人に思わず声をかけた。

明河藩、弥者帰り事件で不知火と同様に潜入し、教員に扮していた吉野絹枝であった。

「その節はお世話になりまして、少佐。船蜜と申します。」

にっこりと微笑んだ唇から八重歯がのぞいている。 

 

間宮桃乃介と月光、丹組の者達は宿場町を取り仕切る地頭と呼ばれる地方有力者の世話を受けている。

これは一般の者が幕府からの任命を受け、宿場町の人員・風紀を

管理する立場であり、番所で募った浪人達の世話もしていた。

多くは裕福な地主が任される。

須鶯宿の地頭、柄本長左衛門は元々最大手の廻船問屋で、宿場町一の経済力と人脈を持つ。


「成程。我々は回し手の現場から、其方達は管理側からの調査を並行して行うというわけだね。」

状況の報告を受けたバルザックが頷きながら言った。 

「はい。地頭が雇い入れている浪人者を主に監視しております。現在目立った動きはありませぬ。」

「あたしが潜入してる月光と不知火の繋ぎをつけるのと、護衛。」

「間宮中尉の戦闘力と魁音撃は月光でも周知でございます。これ以上の護りはありませぬ。」

丹組の者達に頼りにされているようで、桃乃介は鼻を高くしている。

「確かに、桃一人に我ら三名でも勝てぬ。」

悪兵衛の言葉にバルザックも笑って頷いた。やや硬かった場の雰囲気が

幾分和らぐ。

「では本日は顔見せという事だ。どうだ、まずは一献。」

にかにかと笑顔を見せる仁悟朗が徳利を持ち出す。女陰足達の席を

不知火隊士の間に甲斐甲斐しく設け、バルザックも酒を見て相好を崩す。

似鳥達は意思の見えない微笑を浮かべ、猪口を受け取った。


桃乃介、悪兵衛と並びその横に腰を下ろした紗世と名乗る女は、ほっそりとし、青白い肌で、瞳が黒々と大きく、儚げな美貌の者であった。

「播磨少佐のお噂はかねがね。でも随分とお若いのですね。」

「一七です。間宮も同年になります。」

「では私と同じ。」

大人びた容姿に、甘く深い声音で紗世は年上に見える。が、笑顔は年相応の少女のものであった。

悪兵衛は幾分驚きながら、隣で胡坐をかき、昆布をかじっている桃乃介を

眺めた。

「桃、紗世殿は我々とおない年だぞ。」

「知ってるよ。紗世ちゃんと最初に仲良くなったもん。」

仁悟朗とバルザックは満面の笑みを浮かべて似鳥と船蜜と談笑している。

「少佐、どうぞ。」

紗世が徳利を差し出した。悪兵衛は未成年であり、飲酒はしないと伝える。

「それならば……。」

懐から出した包みには、可愛らしい色とりどりの金平糖が入っている。

悪兵衛は礼をいい、口に放り入れてがりがりと音を立てて咀嚼した。

「うまい。甘硬くてうまい。」

紗世は微笑んで悪兵衛の横顔を見つめている。



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