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不知火戦奇  作者: tsuru hiroki
144/210

閑話 九

晩冬の柔らかい陽が木立に注いでいる。

不知火屯所の裏手、緩やかな丘陵に針葉樹が並び、小高い開けた地から屯所の

全体と明日香街道が見える。

小さな池に雁が集まる為、雁金《かりがね》山と呼ばれている。

林の奥には古い地母神を祀られた祠があるが参拝する人は、いない。


リンドウが枯れ枝を咥え、引き抜こうと尻を振っている。

その先、悪兵衛が長方形の組木に取っ手をつけられた七輪に、竹筒で息を吹きいれる。こじんまりとした茣蓙に笹包みと革袋、水桶が置かれ、畦倉士道が編籠と庖丁を用意している。

内偵から帰所して三日。

白化しつつある炭をぼんやりと眺めながら、脳裏にスメロキノミコトの顔、声、

剣に受けた衝撃を思い出している。


「火は、熾きたか。」

士道の声に我に返り、手をかざす。

「うむ。」

「これを焼いてくれ。」

渡された笹包みを開けると、後藤の婆さまのおおぶりな握り飯が二つ。悪兵衛は少し微笑んで、網の上に乗せる。リンドウが自慢げに引き抜いた杉の枯れ枝を見せに来る。その頭を撫でた。

帰所の後も鬱屈とした想いに囚われている悪兵衛に、他の者は何も言わない。

その日は士道から屋外で焼き物をするから手伝えと言われ、連れ立って来た。

リンドウの感嘆の声に、網から目を向ける。

士道が編籠から黒々と光る長いいきものを引き出す。くねくねとうねり、濡れた光を帯びている。

「蛇か? 」

悪兵衛は驚きの声を上げた。

「鰻だ。」

士道は事もなく小振りなまな板に、くぎで鰻の頭を打ち付け包丁で捌き始める。

腹に刃をいれ、手早く内蔵を掻き出す。

悪兵衛とリンドウはその見事な手並みを眺めている。

開いて切り身にした所で士道は庖丁を渡した。悪兵衛が見様見真似で鰻を捌き

はじめる。

「お、ぬるぬる滑る。」

「頭に手を添えて、刃で掻くのだ。」

以前から士道は悪兵衛に獲物の捌き方を教えていた。またそういった事が

楽しみの一つでもあった。

串を打った鰻の切り身を網にのせるとすぐに脂が浮き出し、じりじりと音が

鳴りはじめる。

士道は何も言わない。心地の良い無言の時間が流れている。


*


「そろそろ、玄嶽が着く頃であろうか。」

作議室で資料に目を通しながら刑部がつぶやく。灰音は頷いた。

「痕跡は出来うる限り消されるであろうな。」

「弥者の潜入がいつから始まっていたのかも見当が着きませぬ。」


予篠学園での一件の後、不知火は後処理に追われた。古今例を見ない規模の

弥者の潜入は、幕僚内でも大きな問題になっている。

後手後手での現地での対策に遅れが生じ、その全貌を掴むことは未だ出来て

いない。

「お上の責任の所在だの、防衛の枠組み作りだの、右往左往が目に浮かぶ。

だが、今回の件でもっとも恐れなければならない事は別にある。」

刑部の言葉に、灰音は筆を置いた。

「疑心暗鬼、だ。」

「御意。しかし民を取り締まる法を作る事が出来る物でしょうか。」

「不可能であろうな。弾圧ともとられ、生活全体が歪む。」

「弥者の真の狙いはそこにあるのとお思いですか。」

「キリヒトノミコトの奸智らしいではないか。」

刑部の静かな怒りに灰音も共感する。

隊長、伊庭辰之進は本日も幕僚会議に出向いている。


*


道場の見所に、技研の松橋中佐、御津菱の竜井研究主任が座し、書付と鎧櫃に

入った現物を確認している。その周りに道着姿の隊士が集まる。

竜井が厳重な梱包を解くと、内部には大ぶりな手甲が入っていた。

未だ装飾も塗装もされてはおらず、武骨な鉄板と皮革で構成されている。

「これは、重いな。」

手に取った桔梗が顔を顰める。バルザックに手渡すが同様に苦笑いを浮かべた。

「ちょっと重すぎるね。これでは剣どころか拳も振れないよ。」

「みんなには「知久手」があるでしょう。あれを使いなさいよ。」

松橋がきょとんとした表情で声をあげる。

「無茶ですよ、松橋殿。」

隊士達は口々に不平を言う。知久手とは、射刃、定壁に並ぶ基本的な魁音撃で

あり、芯鉄に士魂を通すわずかな瞬間、武装の重量を喪失させる技術であった。

不知火の侍が芯鉄入りの木刀で戦闘する場合、知久手を使用した攻撃速度に、

まず一般の人間は対応できない。戦闘力の差はそこで決定的になる。

「……という事はこの外装板は。」

「はい、芯鉄っす。」

美浪の予想と竜井の返答に皆ざわつく。

「これ全部?量産なんかできないでしょう。」

「いえ、和賀藩の発掘した導鐵のお陰で、この量の芯鉄を採用した武装の開発

許可が降りたんすよ。」

竜井がにやにやと笑いながら手甲の外装を解く。

「さあ、誰が試験装着するかな。」

松橋が瞳を輝かせて皆に問いかける。こういった状況で何度か痛い目を見ている隊士達は、顔を見合わせて一歩引いた。

「やってみねばわからぬか。」

仁悟朗が手甲を手に取った。竜井が固定用の革紐を解き、内部の小鉤《こはぜ》を開けて

いく。仁悟朗の武骨な腕が半分ほど入り込んだ。

「こいつは、すごい重量だな。」

手甲を持ち上げた仁悟朗の上腕が大きく盛り上がり、血管が浮いている。

「碗部に士魂を集中する戦技を繰り出してください。竜井君、用意いい? 」

「はい。いつでもいいす。」

バルザックと美浪が台座に固定された人型を持ち込んだ。戦技や魁音撃の練習

用の物で、竹の芯に藁、皮革で覆ってあり、人間の上半身を模している。

衝撃を逃がす戦陣羽織と同様の簡易な衝撃反応装布が仕込まれていた。


「では、拳環を撃ち申す。」

仁悟朗は静かに構え、体内の士魂を燃やしていく。道場の空気が凝縮し、

全身に吸い込まれる。髪が逆立ち、碗部に力が集中する。手甲を覆う外装が

振動し、獣の咆哮のような禍々しい音が鳴っている。

鋭い呼気と共に、仁悟朗は拳を撃ち出した。

人型に拳が接触する前に仁悟朗は倒れ込む。白目を剥いて全身が痙攣している。

「あ、いかん。士魂の過剰消失だ。」

「深町さんの心臓止まりましたね。」

「バルザック君、仁悟朗君の人中に芯中《ほんあて》で士魂を送ってあげて。」

松橋は結果と考察を書付に記している。

「早くしないと深町さん死にますよ。」

竜井の言葉にバルザックが冷や汗を浮かべて試すが、仁悟朗の身体は衝撃の度

に波打つだけで動作しない。芯中の得意な美浪がかなりの衝撃を送り込んで初

めて仁悟朗は蘇生した。

「……死ぬかと思ったわい。」

「少しの間、死んでいたよ。」

バルザックの軽口に隊士達は笑っている。

「仁悟朗君は一回の燃焼量が多すぎるかもしれない。隊で細かく調整できるの

は誰になりますか?」

「上手なのは桔梗と玄真殿、一番は悪兵衛ですね。」

桔梗は顔を強張らせてバルザックの背後に隠れた。

「そういや、悪兵衛はどうした?」

「士道と雁金山に入ってるね。」

皆、予篠学園での内偵の結果は耳に入っている。

スメロキノミコトとの邂逅、悪兵衛の激昂。帰所してからの鬱屈とした彼の

表情を思い出す。命を賭してでも、決着をつけようとしていた悪兵衛の心情を

思い、隊士達は口をつぐんだ。


*


「おおお、すごいぞ士道。」

悪兵衛が鼻の穴を丸くして、たれをかけた鰻を見つめている。炭に落ちた脂と

たれがじりじりと音を立て、香ばしい焼けた醤油の香りを上げる。

「鰻屋の匂いだ。」

悪兵衛の声と共に盛大に腹が鳴った。膝に手をかけてリンドウがも好奇心で

覗いている。

「悪兵衛、握り飯を裏返せ。」

刷毛で鰻と握り飯に丁寧にたれを塗っていた士道の言葉に、悪兵衛は慎重に

答えた。焼き色の着いた米の表面に、たれを塗り込んでいく。

「士道、もうだめだ。食おう。」

「まてまて。握り飯がすこし焦げた位が丁度いいんだ。」

悪兵衛はため息をついて、小刀で林檎を切りだす。リンドウにせがまれて

それも網にのせ、焼いてやった。

ようやく和らいだ悪兵衛の表情を見やり、士道は徳利の酒を一口飲んだ。

木立の中で、二人の笑い声とリンドウの鳴き声が響いている。




閑話 九  了

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