八
御輪堂四階の異様な光景に、橘川兄弟、冬麻、澤居は無言で状況の把握に
努めた。他の階層と違い大広間には練習用の木人形が無数に立ち、それらの
頭部、碗部、脚部は無残に砕かれている物ばかりであった。
その間隙に人影は二つ。
悪兵衛は木刀を下げて佇んでいる。紺の学生服は、鋭く切り裂かれた無数の
跡があり皮膚が露出している。
異様な風切り音が鳴り続ける。
悪兵衛に対峙する黒の仮面の副会長の手に同じく木刀。が、その柄から伸びる
鎖の先の分銅が危険な音をあげて回転している。
副会長が分銅を投げた。悪兵衛は一歩身を引き躱す。その背後の木人形の
頭部が一撃で砕けた。恐るべき破壊力であった。
「こいつは、当たれば死ぬな。」
一圓の声に悪兵衛が気づく。兄弟の背後の冬麻と澤居を認め、微笑んだ。
「播磨。お仲間と共に我に向かうか?」
副会長は鎖分銅を回転させながら、魂も冷える声色で言った。
「そろそろ、上がらせてもらう。」
悪兵衛は正眼に構える。屯所で用いている、心鉄いりの木刀であった。
副会長の分銅が、右前方の木人を破砕した。鋭い欠片が横殴りの雨のように
悪兵衛を襲う。撃ち返しながら柱と木人で身を隠し、やり過ごすが、副会長の
分銅は容赦なく次の木人を破壊し、木片で悪兵衛を攻撃する。
制服が切り刻まれ、左腕の肩口に血が滲んだ。
距離を詰められない悪兵衛の右側に分銅が飛来し副会長が力強く引くと柱を
中心に分銅が回転、悪兵衛の剣を絡め取り柱に縛る。
万力のような力で木刀は縫い付けられ、動かない。悪兵衛は手を離し
副会長へと駈けた。無手で迫る事を予期していた副会長は素早く剣の柄の
金具を抜き取り、足元に鎖を投げ出して構える。
明らかに命を懸けた戦闘に習熟している動作だった。
悪兵衛は副会長の手前、木人を蹴破で爆破する。大量の木片が襲った。
直接攻撃を予想していた副会長は剣を揮い迎撃するが、制帽と仮面が弾丸の
ような木片によって弾き飛ばされ、踏鞴を踏んで後退する。
「お返しだ。」
悪兵衛は見下ろして言い放った。副会長はゆっくりと顔を上げる。
黒髪が流れる。鋭く、憎しみに満ちた眼差しの青年であった。
「貴様、貴様。」
怒りに我を忘れ、瘧の様に全身が震えている。口中から白い煙が噴き出し、
瞳の色が赤紫色に変わっていく。
悪兵衛は飛びすさり、木刀を取り戻す。その背後には橘川兄弟がつく。
「悪兵衛、こやつ。」
「まずいな。まさかとは。」
行燈を背にした副会長の頭部に螺旋状のするどい一本角が伸びていく。
荒い息を吐きながら全身を震わせ、人間が弥者に変貌する。
副会長は足元の鎖を引き、手元に戻した。徐々に落ち着きを取り戻している。
「弥者帰りしたのか。」
「いや、自らの意思で戻ったのであろう。心身の変調がない。」
「こやつは元々弥者だ。」
悪兵衛は眼前で弥者帰りを果たした学徒の姿を思い出している。神田新之丞は
完全に心神耗弱していた。
副会長の手元、分銅鎖が金属音を立てて振動する。やがてそれは一つの音に
変化していった。
「ミハカ。戻れ。」
「しかし……。」
「よいのだ。ミハカノヌシ。」
鎖の振動が声を生み出しているようであった。ミハカノヌシと呼ばれた
副会長は悪兵衛を一瞥すると背後の箱階段を上がっていった。
「この上が最上階か。」
「副会長に命令していたのは会長かな。宗波みたいだったけど。」
「会長も弥者であると思われる。」
「二対三か。悪兵衛、どうする。」
「戦うの?我らには装備もないよ。」
「逃走を許すつもりはない。打ち殺す。」
悪兵衛は木刀を一振りして奥に向かう。橘川兄弟も続く。
鋭い悲鳴があがった。
冬麻と澤居が恐怖に我を忘れ、中央まで走りこむ。その背後、正階段より
無数の学徒達が静かに上がってきている。
薄暗い中で皆目は赤茶に光を反射し、その頭には様々な形状の角が屹立する。
足音を立てず、声一つなく、次々と姿を現し木刀、弓、薙刀、小剣を
手にしている。静かな殺気が充満していくようであった。
「皆、弥者だったのか。」
「すごい数だな。」
「あがるぞ。澤居殿、冬麻殿。こちらに。」
悪兵衛は奥の箱階段をゆっくり昇り始めた。




